2016年(平成28年)5月15日(日)

午前1時頃に目覚める。昨夜10時頃から爆睡していた。校正作業をする。今だけに目を囚われてはならない。行き着く先も視野におさめなければならない。7時半頃に起床する。Prime JAPANの「日本の心に出会う」を見る。BSで体がドラマ「真田丸」を見る。面白い。視聴率はいいと思った。NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」を見る。







2016年(平成28年)5月14日(土)

午前2時半頃に目覚めてしまった。3時半頃に二度寝する。7時20分頃に起きる。時はゆっくりと確実に動いていく。庭の花々もわからないうちに様変わりする。詩は出来事である。それは例えば取り返しのつかない別離なのだ。別離は心のなかに航跡を残す。自分の過去を精査する必要がある。目を背けているものがないかどうか。








2016年(平成28年)5月13日(金)

朝6時頃に起きる。シャワーを浴びる。体重計に乗る。良好。






2016年(平成28年)5月12日(木)

午前3時過ぎに目覚める。寝床で読書する。ゴミ出しをする。6時頃に散歩に出る。今朝の散歩は4.16km、7612歩だった。ゆっくりと味わいながら歩く。休息を得た感覚を朝のひんやりとした大気に浸す。






2016年(平成28年)5月11日(水)

目覚めたのは夜明け前だった。耳をすましても、まだ小鳥のさえずりは聞こえない。身を起こす。散歩に出る。外に出ると冷んやりする。雨の後で大気に透明感があり、見るものの鮮度が高い。4.35km、7862歩の散歩だった。何の意味もないという状況にはなりたくない。今までやってきたことは、何か意味があるものに、意義があるものにしようという思いだった。






2016年(平成28年)5月10日(火)

昨夜から引き続いて読書する。本を読んでいたはずが知らない間に眠っていた。すとんと落ちた時の意識は記憶に残らない。「おかあさんといっしょ」にでた姪孫を見るために、テレビをつける。雨音を聞きながら、読書に励む。雨の日は静けさが支配する。雨の日は読書の日。それはオバマ大統領が被爆地広島を訪問すると正式に発表された日。







2016年(平成28年)5月9日(月)

午前1時半頃に目覚めてしまう。仕方なく読書する。眠くなるのを待つ。何のことはない、すぐ眠ってしまった。







2016年(平成28年)5月8日(日)

NHK大河ドラマ「真田丸」を観る。読者する。







2016年(平成28年)5月7日(土)

午前中、ドクターG「足がつる」(女性)を観る。原因は摂食障害だった。ETV特集「お墓の行方ー弔いの社会史」を観る。過疎の村の荒れ果てた墓地を撮しながら画面に、小林一茶の句がでる、「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」。






2016年(平成28年)5月6日(金)

もう春も旅支度をしている。ようやく馴染んできたというのに。自分のぐずぐずした性格が旅仕度を遅らせる。おいてきぼりになる。植物に学ばねば、その極意を。






2016年(平成28年)5月5日(木)

夜中に目が覚めてしまった。薄いコーヒーを煎れて、読書を開始する。朝が来た。ゴミ出しをする。朝食後、シャワーを浴びる。読書を開始する。時は沈黙のうちに僕を何処かに運んで行く。午後も読書を続ける。時は容赦がない。





2016年(平成28年)5月4日(水)

夜中の午前3時に目を覚ます。天使祝詞を唱える。新しい一日の始まり。





2016年(平成28年)5月3日(火)

朝食後、ジャズをBGMとして読書する。書くことで見えなかったものが姿を表す時がある。現実は得体の知れないものである。無常観が僕の前を通り過ぎて行く。人はなぜ死ぬのだろう。ニュースで知る他人の死が現実として受け止めきれず、現実のぬるっとした感覚から何かがすり抜けて行く。死は平等でも、死に方は平等でも公正さもないように思われる。一日一日を生ききることしか思いつかない。午後も読書は続く、ビル・エヴァンスを聴きながら。晴れ渡った空はやがて嵐となるだろう。夕食の後片付けを終えて読書を再開する。空腹を覚えお茶漬けを食べる。気を取り戻して読書を続ける。







2016年(平成28年)5月2日(月)

夜の10時から、ブレイブ勇気ある者「Mr.tornado気象学者 藤田哲也博士」を視聴する。






2016年(平成28年)5月1日(日)

日付が変わってが、テレビ番組の日本のジレンマ「ディスラプトって何?」を観る。
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