2016年(平成28年)7月31日(日)

自分を取り巻く環境は厳しさを増すばかりである。体力的にも、経済的にも。お金をばら撒かれても、政治家の点数稼ぎにしかならない。ちょっとしたことで精神のバランスを崩しやすいのが類人猿である。復元力をどのようにして獲得するかだ。何かの時のために、偽証はしないと自分に言い聞かせる。瞬間の判断を要求される時にヒトはぶれる。偽証することは誰かを裏切ることになる。6時40分頃に目覚める。寝足りない。
飛行機に憧れるのは自由に空を飛びたいと思うことを、実現してくれる乗り物だからだろう。今や移動手段としてなくてはならない乗り物である。また科学技術の粋が詰まった乗り物でもある。そういう人類の長年の夢を体現している飛行機を戦争の武器としてしまったことは、残念でならない。人類には夢を抱き、それを実現しようとするものが必要である。そういう夢を破壊することは悪である。人類が作り出すものは人類の福祉と平和に貢献するために、本来あるべきだが、現実は殺戮と破壊に使われている。日本の非核三原則、武器輸出三原則は時代の先端にある行動であると思う。しかしそれがなし崩しされようとしている。





2016年(平成28年)7月30日(土)

5時頃から詩作する。埼玉地方は晴れ。じっとしていても平和は得られない。休んでいるだけでは幸せは得られない。午前中BSで田原総一郎の番組で「日本会議」のことを取り上げていたので、耳を澄ませて聞く。ゲストはジャーナリストの青木氏、元一水会の鈴木氏、司会を田原総一郎氏。初めて日本会議のことを知る。生長の家と日本会議の関係、生長の家と三島由紀夫の思想、生長の家と長崎などを知る。
ニュースで考えられないような父親がいたものだと、驚くと共に亡くなった子供の冥福を祈った。子供を自分の車に乗せ保育園へ預けるのを忘れ、そのまま会社へ行った。子供の母親が夕方になって保育園へ引き取りに行くと子供は来ていなかった。夫に連絡すると忘れていたことに気づき、車を見に行くと2歳になる息子は火傷を負い、熱中症で死んでいた。こんな無責任な父親がいるだろうか。怒りがこみ上げてきて仕方なかった。もう少しこの事件の詳細を知りたい。命は何と儚いものだろう。苦しかったろう、熱かったろう、子どもが不憫でしょうがない。誰も助けてあげることが出来なかった。過失?そんなことで済まして終わり何だろうか?津久井やまゆり園の殺傷事件から、やり切れなさが続いている。
大正9年生まれのパウル・ツェランが生きていたら96歳になる。ツェランに関する本を読む。現実と関わらない言葉で詩を書いたとして、何の意味があるだろう。午後の暑い時に散歩に出る。途中、DOUTOR珈琲店に立寄り、休憩する。icecoffeeとlettuce ドッグを注文する。自分に厳しく生き直さなければ、明日は来ないように思う。





2016年(平成28年)7月29日(金)

午前4時過ぎに目覚める。眠い。朝の散歩に出かける。既に日差しが強い。夜9時からテレビで映画「ゴジラ」を鑑賞する。何か物足りない映画だった。映画館で見ると迫力があるかもしれないが。B級映画の下。





2016年(平成28年)7月28日(木)

6時半頃には目覚める。ゴミ出しをする。ゴミ出ししただけで、気持ちがすっきりするのはどうして何だろう。国際ニュースを視聴する。共和党の大統領候補トランプ氏がロシアのハッキングを奨励して、クリントン候補の国務長官時代の公的メールを私的メールで利用していた三万メールを公にしてもらいたいと発言した。この発言に対して、アメリカのメディアが一斉にトップニュースで伝えている。こういう発言を大統領候補となった人が言うということに驚きを禁じ得ない。そういうトランプ氏を推している人が多数いるということも事実で、それだけアメリカは根深い問題があるということだろう。
初暦 如来に死期は なかりけり(正岡子規)
夜に番組「72時間〜突撃!秘密のネットオークション」を見る。新しい生き方があることを知る。






2016年(平成28年)7月27日(水)


寝床で天使祝詞を一回唱えてから起床する。
めでたし聖寵充満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女の内にて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝されたもう。天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈り給え。
事件の影響を受けている。気持ちを立て直して、今日を生きようと思う。今朝もセミは全力で鳴いている。画家の仕事の絵によって、心のbalanceが保たれる気がする。
容疑者は自分しか愛することが出来なかった。いや自分も愛せたかどうか。親は教師をしているそうだが、容疑者は容疑者、親は親と割り切ることは出来ないだろう。容疑者の幼児期からのことを知る必要がある。護送される時の容疑者の姿がテレビに映し出されていたが、19人を殺害した容疑者とは到底思えない素振りだった。勿論異常性を感じるのだが、問題は責任能力があるかどうかだが、責任能力については精神科医の意見が割れるかもしれない。犯行を仄めかす内容のことを喋っていたのに、誰も実際にやるとは思わなかった。誰も止めることは出来なかった。御丁寧に殺人の方法と実行する場所を文章にして、衆議院議員議長公邸へ出向き、議長に渡そうとした。内容が内容だったために警察が介入して、措置入院となった。5日ほどして精神科医の判断で、措置入院は解除された。




2016年(平成28年)7月26日(火)

午前5時半頃に起床する。歩く運動をして、朝食を摂る。ニュースを見ようとテレビをつけると、信じられないニュースを伝えていた。障害者施設で殺人事件が起こり、死亡者が15人にのぼっている、と。死者はその後増えて19人となる。大事件である。現場は神奈川県相模原市緑区千木良にある障害者施設、津久井やまゆり園で、主に知的障害者が生活している。事件後、午前3時過ぎに津久井警察署に男が出頭してきた。男は障害者施設の元職員と言っているそうだ。年齢は26歳になる。犯行時間は午前2時過ぎだった。負傷者は20人にものぼり、搬送先は神奈川県のみならず、東京の病院にも及んでいる。犠牲者が増える可能性もある。東京医科大学付属八王子医療センター病院には4人(男性2人、女性2人)が搬送されていて、病院の発表によれば、複数の刺し傷があるそうで、出血がかなりの量で重症とのことだった。凶器は銃ではなく、刃物と思われるが、これ程の人数を刺し殺すためには体力がなければ出来ないことだろう。どういう動機があって、世界的な大量殺人事件を起こしたのか、知りたい。出頭してきた男の名前は植松聖(さとし)だった。髪を赤く染め、黒いTシャツを着た植松は警察署で「障害者はいなくなればいい」と言っているそうだ。無職だった。津久井やまゆり園は神奈川県が設置して、かながわ共同会が運営する。知的障害者の入所施設で、入園定員は160人で、施設入所支援が150人、生活介護150人、短期入所10人となっている。事件時入所者は149人だった。今回の事件は障害者施設で起こったことなど問題が大きく、政治の場でも議論されるのは必至だと思われる。容疑者が「障害者はいなくなればいい」と言った、ということが本当ならば、戦後日本社会が取り組んできた、基本的人権の尊重と社会的実践に対する挑戦だと思うし、義務教育及び高等教育の敗北にも繋がるものを含んでいる。「何々がいなくなればいい」という考えは、在日の人びとに対するヘイトスピーチにも通底するものがある。人が寝静まった時に起きた大量殺人事件は徹底した検証をしなければ、日本社会の未来はない、と思う程に僕は危機感を持つ。憲法改悪と共に。
今日一日中事件のことで気が重かった。午後になって容疑者の人物像が徐々に明らかになってきた。






2016年(平成28年)7月25日(月)

話しがかみ合わないのは以下のようなことがあるためかもしれない。高層ビルに張られた同じ一本のロープを渡るのだが、一人は曲芸師、もう一つは一匹の蟻。曲芸師は何とか棒でバランスをとって渡りきる。一方蟻は曲芸師より時間は掛かったが、曲芸師には出来ないロープの下でも横でも上でも歩いて渡りきった。観客から拍手を貰ったのは曲芸師である。人間世界では一つの視点と限界のある感覚器官でしか、物事を捉えられない。一つの視点とは人間の視点でしか、という意味である。蟻は評価されず、人には見えず、その存在すら認めて貰えないのです。もしそれが神様だとしたら。
愛は評価されず、愛は見えず、その存在すら疑われている。死の谷を歩む者よ、息を吹き返せ!愛は尊く、奇跡である。
朝飯前にやったことはゴミ出しです。出し忘れると思いのほか、落ち込む。ワールドニュースを見る。ベネズエラの経済状況が破綻寸前です。軍によるcoup d'État、市民による暴動、デフォルトなどの可能性がある。アメリカではウキィリークスによる民主党の内部資料の暴露で、民主党大会が揺れている。内容は民主党本部がサンダース上院議員よりクリントン大統領候補を肩入れする内部資料だった。IOCはロシアのリオデジャネイロオリンピック参加問題で、個々の競技団体が厳しいdoping検査を行った上で陰性であれば参加可能で最終判断は個々の競技団体がするものと発表した。これによりロシアのリオデジャネイロオリンピック参加が可能となった。
極録、秘密を持たない生き方をすることが大事です。秘密は堤防の穴に等しい。何時か堤防は決壊する。秘密に心は支配されるようになる。いかにして真実に生きるかが、秘密の核心よりリアリティーを持つ。今日考える内容は、戦略と純粋性をいかに担保するか、ということです。そもそも戦略とは何なのかを考えて見る必要がある。
午後4時40分頃に今夏初めてツクツクボウシの鳴き声を耳にした。人は寂しいから問題を起こす時がある。
戦前のドイツで起こったユダヤ人商店、住宅、シナゴークを破壊する大掛かりな事件のことを、「水晶の夜」というが、何でその様に云うか知らなかった。ナチスドイツが商店を破壊した時に壊されたショーウインドが水晶に似ていることからつけられた。







2016年(平成28年)7月24日(日)

諦めないことです。何か手立てがある筈です。努力するとは、追い込まれてからのことをいうのです。人には秘めた力があります。朝、目覚めてから天使祝詞を一回唱えた。既にセミは全力で鳴いている。朝刊で必ず読む欄がある。人生相談でいろんな悩みが語られる。その声に耳を傾ける。回答者の答えは読まない。狭い欄で十分に答えられるとは思わない。人の悩みをよく聞くということです。答をどうしても言わなければならないということではないのです。今こそ僕らの時代、今生きなければいつ生きるというのでしょう。今、ここに生きるのです。本を読むときの癖で、必ず後書きを読んでから読み始める。しかし己の人生を後書きから読むことは出来ない。

花を折ってはならない
花を切ってはならない
花を愛でよ その根まで






2016年(平成28年)7月23日(土)

午前6時20分頃に目覚める。人は川を渡らなければ、対岸に行けない。対岸で待ち受けているものが何なのか、知る由も無い。それでも勇気を奮って、荒れた川を渡るしかない。もし川を渡らないと決めた人がいるならば、その人の人生の意味はどんなものが付与されるのだろう。人の考えで、例えば親の考えで、生きて行くのを僕は避けて来た。若い頃は毎日が不安だった。自分に自信が持てず、失敗ばかりしていた。それでも人が歩いた人生をなぞるような生き方はしたくなかった。嫌悪感さえ覚えた。生きることは知ることなのだと、自分に言い聞かせながら。。
家族は身を守る防波堤のようなものです。夕食時に冷えた甘酒を飲む。暇つぶしで映画を観るような作品ばかりが興行されていて、つまらない。タルコフスキーの若すぎる死が今持って残念でならない。森有正は生きていれば104歳になる。読了する。夜に、久しぶりに伊東静雄の詩を読む。




2016年(平成28年)7月22日(金)

朝からセミの鳴き声が姦しい。詩人とは一語一語に魂を刻む人のことです。しかし不思議なことに今日の今日まで、詩人に会いましたよ、というのを聞いたことがない。詩人は何処にいるのだろうか。





2016年(平成28年)7月21日(木)

ゴミ出しをしてからその足で、散歩に出かける。歩いた距離は3.72km、歩数は6486歩だった。帰宅してから朝食を摂る。フランス国会は戒厳令延長の議題で、左派、右派、政府で激論が交わされていた。空論にはならず、議論が噛み合っている。残念ながら日本の国会では見られない。それが民主主義の未熟さでなければいいのだが。ワンマンな政治家は議論を好まない。行き着く先は独裁者である。日本の国会では弁証法よりも審議拒否、退席が日常化している。
窮地にたたされた時に人は変わる。孤独は耐え難いものである。他人は人の孤独を覗き込みたがる。孤独が精神を蝕むのを恐れる。老いとは死が当たり前のように感じ始めることである。孤独を詩に変換することは出来る。僕に詩があったから、人生に何度も挑戦することが出来た。僕にとって詩は経験の坩堝と言いたいのです。
今日の落日を迎えた。





2016年(平成28年)7月20日(水)

2年前におきた、佐世保高1女子殺人事件の被害者のご遺族にとっては、謝罪で済むことではないだろうに、、、。いかりと悲しみが綯交ぜになってこみあげてくるだろう。人の命を殺めて、それもクラスメイトの命を、人を殺してみたかったという理由で、ご遺族に謝罪文を書くという行為は一体どういう理由であったのだろうか。そもそも人を殺めたことに対する、それに見合うだけの謝罪文が果たしてあるかどうか、甚だ疑問である。人を殺めた行為とその謝罪文の言語は不釣り合いである。いや、不釣り合いにならざるを得ないと言った方がいいだろう。それでは少女が書いた謝罪文はいったい何だろうか。最初に後頭部を工具で殴り、犬の紐で首を絞めて窒息死させ、その後遺体の頭部と左手首を切断した。未成年であることも当然考慮されなければならないのだが。これら一連の始まりから最近までの少女の動きは、理解できないものを含んでいて、決して単純化できない。単純化出来ないということは、原因が複合的で根が深いということだろう。そもそも人間性とはいかなるものだろうか。わかっていることは人間性というものが、決して善良なるものと断言出来ないということである。人は生まれながらにして、善良なる人間といえるだろうか?思春期までに体験する内容が、その人の人生を左右することは間違いないだろう。それは百パーセントではないかもしれが。事件が起きたのは2年前の7月26日だった。後数日で被害者の命日が巡ってくる。事件後には加害者の父親が首吊り自殺している。父親の職業は弁護士で、佐世保市内では最大規模の法律事務所を構えていた。父親の自殺も殺人と同じように重いことと、僕は捉えている。問題を特殊化せず加害者の少女がどういう経緯を辿って、日本社会に衝撃を与える殺人事件を起こしてしまったのかを知りたい。





2016年(平成28年)7月19日(火)

自分をいい人間だと思わせることは、全く必要ではない。それよりも自分の弱さを認める方が有益である。己の弱さを自覚してこそ、真実に近づくことができる。セラピストを目指す人には大切なことだと思われる。各人の真実は目に見えにくい。裏切られた、ということがあるとすれば裏切った相手の真実を見ていなかった、見えていなかったということだろう。夫の、息子の、娘の、母の真実は一体何なんだろう。真実という言葉がわかりにくければ、何に苦しんでいるのか、といい変えてもあながち的外れではないだろう。家族の中に自殺した人がいたら、一層この主題は現実とならざるを得ない。家族にとっては、あってはならないことなのだ。
花は枯れてゆく、それも無言のうちに。本来は定期的に身辺整理を行った方がいいのだろう。僕は空き地の雑草が伸び放題になっているような状態である。身辺整理することによって、忘れていたものを、なくしていたものを思い出す。それは取り返すことでもあるだろう。草むしりをするような身辺整理。
中米ニカラグアの詩人、ルベン・ダリオのことを調べる。生没年が夏目漱石と同じであった。





2016年(平成28年)7月18日(月)

社会性とは、身分を自分で証明しようとすることです。それは社会が身分証明を、求めるものだからです。社会性を身につける上で大事なことは、社会よりも自己が先手を打つことです。殺人など重大な犯罪を犯した人は、身分証明よりも犯罪歴が重要視されます。犯罪者を社会がすんなり受け入れるとは到底思えません。余程のことがない限り、平等に扱われなくなります。厳しい目を逃れて社会の中で身を隠す生き方をせざるを得ません。そうでなければ再び隔離されたところに行くことにもなります。反社会性を持った組織に入ることで、しのぎを削りながら生きていくことにもなります。社会には明らさまではありませんが、排除しようとする力があるのも事実です。銃社会ではそれがいとも簡単に暴力になり得ます。
人は楽器のように毎日、tuningする必要があります。人はオペラ歌手でなくても、宇宙と共鳴する楽器かもしれません。夜は星辰と共に、水底の沈黙のうちに更けてゆく。
冷蔵庫の中のものを全部出して、清掃した。フランス語の勉強をする。夕食後もフランス語の勉強をする。勉強が限界にきて、やめる。真実を言わなくてもいい、しかし嘘を言ってはならない。真実を言うことよりも、嘘を言わない方が難しいかもしれない。だから嘘を言わないことは、人を感動させることがある。人間関係においては真実を言うことよりも嘘を言わないことが重要です。アメリカ人の啓発活動家アンソニー・ロビンズのドキュメンタリーを観る。




2016年(平成28年)7月17日(日)

朝、7時頃に起きる。蕎麦茶を煎れて飲む。蕎麦の香りが良い。朝刊の書評欄を読む。津島佑子著『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』が書評されていて、その最後の方で「本書にはカトリック教徒としての視線や、1967年から本格的に作家として歩いてきた足跡も投影されている」とある。津島氏がカトリック教徒とは知らなかった。因みに、ジャッカ・ドフニとはサハリン(樺太)の少数民族ウィルタの言葉で、「大切なものを収める家」という意味だそうだ。
午後6時からBSで、大河ドラマ「真田丸」を観る。面白かった。視聴率は良いと思った。
夜にBSで、ネーメ・ヤルヴィ指揮N響演奏による、プロコフィエフ作曲交響曲第6番を視聴する。この曲は今まで聴いたことがなかった。




2016年(平成28年)7月16日(土)

午前2時頃に目覚めてしまう。シュ・シャオメイ演奏のバッハの曲を聴く。日中詩人文化交流会に参加する。
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