『彼女』の呼び声 第四話
持ってきた食べ物を二人で仲良く分け合って――食べた量は圧倒的に彼女の方が多いが――ふと仁は喉の渇きを覚える。
そう言えば、食べ物は色々持ってきていたが飲み物を用意していなかった。
「ちょっと待っててくれ。そこの自販機で、何か買って来る」
寄せ合っていた体が離れ、彼女がちょっと不満そうな声を上げる。
宥めるようにその頭を抱き寄せ、額に優しくキス。
「すぐ戻って来るから。何か、飲みたいものはある?」
仁の問いに、少女は小さく頭を振った。
「そっか。じゃあ何か適当に買って来るよ」
そう言って、仁は公園の入り口へと駆け出した。
真夜中にもかかわらず、煌々と明かりを湛えた自販機に硬貨を投入。
続けて迷う事なくボタンを押せば、自販機は堅く重い音をたてて、炭酸飲料の缶を吐き出す。
「さて、何にしようかな?」
彼女には何を買って行くべきか。腕を組み考える。
やはり女の子だし、甘いミルクティが良いだろうか。
それともさっぱりと緑茶か。あるいは仁と同じものが良いか。
「うーん。悩むな……」
口先では困ったように言いながら、しかし仁の表情は緩んでいる。
どんな飲み物を買って行くか。そんな他愛のない選択すら、とてつもなく楽しい。
ほんの一週間前まで、自分がこんな風に甘い時間を過ごすなど考えたこともなかった。
楽しいのは直接一緒にいる時だけではない。
夜、眠りに着く前は抱き締めた彼女の柔らかさと温かさ、そして楽しかった時間を思い返し、朝は今日は彼女とどんな一日を過ごすのだろうと夢想する。
普段の生活にも張り合いが出て、学校でクラスメイトと話すことも多くなった。
「ホント、不思議な娘だよな……」
ただ一緒にいるだけで、こうまで自分を変えて行く。
だが、変化は決して不快なものではなく、むしろ変わって行くことが心地良い。
「――と、あんまり待たせると怒られるな」
我に返ると、わずかな逡巡の後、ミルクティを選択。
転がり出た缶と、長らく持っていたせいで軽く水滴の付着した炭酸飲料の缶を抱え、仁は急ぎ彼女の元へととって返そうとした。
その時だ。夜気を切り裂く、不快な排気音が響き渡ったのは。
それは、このあたりでも有名な不良達だ。
珍妙な改造を施したビッグスクーターに、だらし無く着崩した服。
珍走団と呼べるほど規模こそ大きくないものの、やっていることは彼らと大して変わらない。
万引き、恐喝、暴行、そして強姦。
被害の報告こそ多いものの、しかし巧みに逃げ回り、現行犯で捕まることはめったにない。
そう言えば、少し前までこのあたりは彼らの溜まり場だった。
警察が見回るようになって一時期は姿を消していたが、どうやら戻ってきたらしい。
音自体はやや遠い。おそらく仁のいる場所からはちょうど反対側だろう。
が、彼らがもし、真っ直ぐに公園の中心へとやって来れば――彼女が、危ない。
そのことに気づいた瞬間、仁は可能な限りの全力で、彼女の元へと急ぐ。
「ねえ君。こんなところで何してんのぉ?」
髪の毛をけばけばしい金色に染めた、前歯の数本欠けた少年が、にやにやと笑いを浮かべながら、少女の顔をのぞき込む。
「あれじゃない? 家出中」
スクーターのサイドスタンドを立てながら言うのは、同じく金髪の少年。こちらは前歯は揃っているが、代わりに酷いニキビ面だ。
ニキビ面の言葉に、歯欠けは笑って、
「ひょっとしてここで野宿でもするつもり? だったら俺達が泊まれるところに連れてってやるよ」
「大きなベッドにシャワーもあるしね」
歯欠けとニキビが言いながら、近寄ってくる。
もう一台のスクーターに分乗していた少年たちも、少女の逃げ道を塞ぐように並んだ。
「な、いいだろ?」
少女の腕を掴んで強引に立たせる。それは誘いではなくより強制だ。
だが、不良達に囲まれてもなお、彼女は声ひとつ上げないし、怯えた様子も見せない。
「なあ。こいつ、ひょっとしてアレか?」
反応を欠片も見せない彼女に、後から来た少年の一人が、その頭を指さしくるくる回す。
「だったらむしろ好都合じゃん。さ、行こうぜ」
と、不意に彼女が声を上げた。
言葉というより異音に近い、名状し難い声。
本能的にその異質さを感じたのか、思わず不良達が手を放す。
仁が駆け戻ってきたのはその時だ。
「待たせたな。じゃあ、行こうか」
「――――♪」
回りを意識しないような自然さで彼女の前に行くと、その手を掴んで歩きだす。
割合優等生な仁は、喧嘩の経験などほとんど無いし、トラブルに巻き込まれそうな場所にはめったに近寄らない。
だから、出来る限り刺激しないように、駆け足にならないように速足で。
が、不良達が呆気に取られていたのはほんの一瞬だった。
「おいおい、どこに行くんだよ?」
肩を思いっきり掴まれる。さすがに鍛えているのか、掴まれた箇所に痛みが走った。
「いや、まあ……その……」
視線を合わせないように曖昧に答える。
「ああ? 聞こえねぇよ! もっとはっきり言えよ!!」
恫喝するように大声を上げる歯欠けを宥めたのは、意外なことに仲間のニキビ面だった。
「まあまあトシちゃん。ほら、眼鏡君がびびってるよ」
確かにニキビ面の言うとおり、精一杯の虚勢を張りながらも仁の足は細かく奮えている。
が、だからといって屈する訳には行かない。――彼女を守らなければならないから。
「いや。悪いね、眼鏡君。こいつ、見ての通り馬鹿でスケベだからさ」
「んだと、だれが馬鹿だっ!?」
ニキビ面の言葉に歯欠けが顔を真っ赤にして怒鳴る。
が、ニキビ面は構わず、
「僕らはただ、楽しく仲間で遊びたいだけだからさ。邪魔しないならとっとと帰っていいよ」
それは願ったり叶ったりだった。元より、こんな奴らに好き好んで関わるつもりはない。
仁は彼女の手を引いたまま、急いで歩きだそうとして――次の瞬間蹴り飛ばされた。
力任せに叩き込まれたつま先が脇腹に突き刺さり、思わず仁は肺の中の空気をすべて吐き出し悶絶する。
倒れた仁の体を踏み付けながらにやにや笑いを浮かべてるのは、彼を蹴り飛ばした張本人。ニキビ面の少年だ。
「わかってないなぁ、眼鏡君。言っただろう? 僕はみんなで楽しく遊びたいって。
――みんなで、この娘とね」
「ひゃははは、そう言うことさ。眼鏡君は帰ってアニメでも見てな!」
歯欠けや他の少年もゲラゲラと笑う。
駆け寄ろうとした彼女が少年たちに阻止され、そのまま芝生の方へと引きずられる。
「じゃあね、眼鏡君」
とどめとばかりにもう一度つま先を叩き込み、ニキビ面も仲間達の元へと歩いて行く。
痛みと涙に滲む視界に映るのは、少年たちの体越しに見える、芝生に押し倒された彼女の姿。
――瞬間、仁の中で何かが切れた。
自分でもなんと言っているか分からない滅茶苦茶な叫びとともに、ニキビ面の後頭部目がけ、手にした炭酸飲料の缶を投げ付ける。
後頭部にジャストミートした缶は、圧力が限界に達したのか命中地点で破裂。周囲に内容物を撒き散らす。
その光景に、少年たちの動きが止まった。
「ぶわはははっははは! マーちゃんマジうける!!」
歯欠け達が指をさして爆笑するが、ニキビ面の少年は当然のごとく笑わない。
ただ、奥歯を噛み、仁の方を振り返るとただ一言。
「――ぶっ殺す」
それからは、一方的なリンチだった。
元より喧嘩などめったにしない優等生だ。一対四では敵うはずもない。
正確には、彼らの一人は少女を押さえ付けていたから一対三だが。
「ワイが浪速の闘拳やー!」
ボクシング選手の真似をした歯欠けの拳が、後ろから羽交い締めにされた仁の腹にめり込む。
思わず胃の内容物を吐き戻した仁に、しかし容赦はされない。
「まだオネンネするには早いぜ、眼鏡君」
ニキビ面に髪の毛を掴まれ、地面へと叩きつけられる。
もはや、仁の体はサンドバックと言っても過言ではない惨状を示していた。
砕けた鼻からは血が溢れだし、前歯も数本欠けている。これでは目の前の歯欠けを笑えない。
腹や足などの目立たない箇所は特に執拗に殴られている。
あばらにヒビでも入ったのか、息をする度に酷く痛んだ。
だがそんなリンチにあっても、仁は平気だった。
少なくとも、彼をリンチしている間は不良達は彼女に手を出している暇はないから。
あとは、だれかが騒ぎに気づいて警察を呼んでくれれば――
「あー、なんか飽きて来たな。もう終わりにしてあの娘と遊ぼうぜ、マーちゃん」
「そうだな。そろそろ終わりにしておくか。じゃあ最後に……」
そう言うと、ニキビ面はスクーターの横に括りつけてあった、一本の鉄パイプを引き抜く。
元の色が分からなくなるほど使い込まれたそれを手にニヤリと笑い、
「じゃあ、そいつ押さえ付けててよトシちゃん。暴れられて手元が狂ったりしたら大変だから。
あ、あとケンちゃんはその娘こっちに連れて来て。せっかくだから特等席で見てもらおう」
声にならない声で彼女が暴れるが、しかし力が違い過ぎた。
がっちりと押さえ付けられ、視線を逸らすことも許されず、これから始まる惨劇に顔を向けさせられる。
「マーちゃんの、ちょっと良いとこ見てみたい♪」
「そーれ、一気! 一気!」
囃し立てる少年たちの声の中、仁の頭目がけニキビ面が全力で鉄パイプを振り下ろす。
堅質な鉄の固まりは狙いを違う事なく目標へと命中し、鈍い音と共に内容物が周囲へと飛び散る。
惨状に無理やり顔を向けさせられた少女の白い肌に、飛び散った赤い色は良く映えた。
そして仁は、己の中で中で決定的な何かが砕ける音を聞きながら、意識を失った……。
頬にあたる、冷たい感触に目を覚ます。
背中に感じる硬い感触は、公園のベンチか。
が、不思議と頭の下の感触は柔らかく、暖かい。
「あれ、俺は――?」
状況が理解できず、そう呟いた仁に応えたのは、聞き慣れた少女の声。
が、微妙に撥音が不明瞭だ。相変わらずの名状し難い声なので区別はしづらいが。
「――――?」
頬にあてられた白い手。ひんやりとした感触の正体はこれか。
そして、頭の後ろの柔らかな感触は、彼女の膝。
どうやら、ベンチの上で彼女に膝枕をしてもらいながら介抱されていたらしい。
心配そうに仁の顔を覗き込む彼女は、しかし何故か口一杯に何かを頬張っている。
その姿がまるで栗鼠のように愛らしく、思わず仁は吹き出した。
「――――!」
「ああ、悪い悪い。ごめんな、心配かけて」
――何よ、心配してあげたのに!
少女の不満げな声に、仁は笑いながらも応えるが、笑った瞬間、頭の奥がズキリと痛んだ。
手を当ててみれば、そこには大きな瘤。
「うー、痛ぇ……」
思わず呻いた仁だが、その瞬間気を失う直前までの記憶がフラッシュバックする。
「――――! そうだ、あいつらは!?」
身を起こし、周囲を見回す。
だが、あの不良達の姿はどこにも見えない。
「――――?」
相変わらず口をもぐもぐさせたまま、彼女が首をかしげた。
「なあ、あいつらはどこに行ったんだ? いやそれより、君は平気だったのか――?」
「――――」
一抹の恐れを抱きながら仁が尋ねる。
が、少女は柔らかな笑みを浮かべ、心配そうな仁の頬にそっと残った左手を伸ばした。
――大丈夫。貴方が護ってくれたから。
彼女の姿に視線をやれば、確かに服の所々は皺になっているものの、破れられたりしたような跡はなく、そしてわずかに覗く肌にも傷一つなかった。
「そっか、無事だったんだ……。良かった――って、痛っ!?」
胸を撫で下ろした瞬間、再び頭に鈍痛が走る。
そんな仁の肩に手をやると、少女は再び彼の己の膝へと導いた。
「あ……うん。ありがとう」
頭にあたる柔らかく暖かな感触にどぎまぎしながら礼を言う。
そのまま上を見上げれば、小ぶりではあるが柔らかそうな彼女の胸が視界に入り、仁は慌てて横を向いた。
その時だ。地面に残された跡と、散らばるモノに気づいたのは。
それは、急発進させようとしたタイヤの跡と、派手に転んだ痕跡。それに砕けたスクーターのミラーだ。
詳しい事情は分からない。が、類推することはできる。
恐らく、警察か地域の住人が騒ぎを聞き付けたのだろう。
そして、人の気配に気づいた不良達は、慌てて仁達を置いて去って行った、と行ったところか。
そう結論付ようとして、しかし仁の中の何かが否と言った。
「――あれ?」
何か決定的な記憶の欠落がある気がする。
思い出せ。気を失う直前、自分はどんな状態だった?
それに、持ってきた食べ物はすべて食べきってしまったはずだ。
なら、彼女が今口にしているのは一体何だ?
そして気を失う直前、彼は何を耳にし、暗く沈む視界の中に、一体何を見た?
「……っ!?」
頭が痛む。視界がぶれ、気分が酷く悪い。だが――
「――――」
――心配しなくて良いよ。怖いことはもう、何もないから。
もうすっかり聞きなれた彼女の声がゆっくりと仁の中に染み渡っていく。
仁は手を伸ばし、まるで母親にすがる幼子のように、彼女の片方だけの手をしっかりと握り締めた。
そして、彼女に髪を優しく撫でられる度、彼の中から違和感と焦燥感が消えて行く。
「――――」
――目を閉じて、次に目を開ければ、全ては元通りだから。
「うん……そうだな。何だか今日は……すごく疲れた……」
再び、仁の視界がゆっくりと暗く沈んで行く。
だが今度のそれは酷く優しく、穏やかなものだった。
だから仁は抵抗する事なく、その眠りに身を委ねる。
「――――」
――だから、今は……おやすみなさい。
次に目を覚ますと、仁は公園のベンチで眠っていた。
腕時計の示す時間は日付の変わるころ。周囲のどこを見回しても、彼女の姿はない。
無人の公園で、仁は一人、途方に暮れて天を見上げる。
たった一人で見る月は、彼女と一緒だった時と比べ、酷く冷たく、不気味に見えた。
前話
次話
作者 2-545
そう言えば、食べ物は色々持ってきていたが飲み物を用意していなかった。
「ちょっと待っててくれ。そこの自販機で、何か買って来る」
寄せ合っていた体が離れ、彼女がちょっと不満そうな声を上げる。
宥めるようにその頭を抱き寄せ、額に優しくキス。
「すぐ戻って来るから。何か、飲みたいものはある?」
仁の問いに、少女は小さく頭を振った。
「そっか。じゃあ何か適当に買って来るよ」
そう言って、仁は公園の入り口へと駆け出した。
真夜中にもかかわらず、煌々と明かりを湛えた自販機に硬貨を投入。
続けて迷う事なくボタンを押せば、自販機は堅く重い音をたてて、炭酸飲料の缶を吐き出す。
「さて、何にしようかな?」
彼女には何を買って行くべきか。腕を組み考える。
やはり女の子だし、甘いミルクティが良いだろうか。
それともさっぱりと緑茶か。あるいは仁と同じものが良いか。
「うーん。悩むな……」
口先では困ったように言いながら、しかし仁の表情は緩んでいる。
どんな飲み物を買って行くか。そんな他愛のない選択すら、とてつもなく楽しい。
ほんの一週間前まで、自分がこんな風に甘い時間を過ごすなど考えたこともなかった。
楽しいのは直接一緒にいる時だけではない。
夜、眠りに着く前は抱き締めた彼女の柔らかさと温かさ、そして楽しかった時間を思い返し、朝は今日は彼女とどんな一日を過ごすのだろうと夢想する。
普段の生活にも張り合いが出て、学校でクラスメイトと話すことも多くなった。
「ホント、不思議な娘だよな……」
ただ一緒にいるだけで、こうまで自分を変えて行く。
だが、変化は決して不快なものではなく、むしろ変わって行くことが心地良い。
「――と、あんまり待たせると怒られるな」
我に返ると、わずかな逡巡の後、ミルクティを選択。
転がり出た缶と、長らく持っていたせいで軽く水滴の付着した炭酸飲料の缶を抱え、仁は急ぎ彼女の元へととって返そうとした。
その時だ。夜気を切り裂く、不快な排気音が響き渡ったのは。
それは、このあたりでも有名な不良達だ。
珍妙な改造を施したビッグスクーターに、だらし無く着崩した服。
珍走団と呼べるほど規模こそ大きくないものの、やっていることは彼らと大して変わらない。
万引き、恐喝、暴行、そして強姦。
被害の報告こそ多いものの、しかし巧みに逃げ回り、現行犯で捕まることはめったにない。
そう言えば、少し前までこのあたりは彼らの溜まり場だった。
警察が見回るようになって一時期は姿を消していたが、どうやら戻ってきたらしい。
音自体はやや遠い。おそらく仁のいる場所からはちょうど反対側だろう。
が、彼らがもし、真っ直ぐに公園の中心へとやって来れば――彼女が、危ない。
そのことに気づいた瞬間、仁は可能な限りの全力で、彼女の元へと急ぐ。
「ねえ君。こんなところで何してんのぉ?」
髪の毛をけばけばしい金色に染めた、前歯の数本欠けた少年が、にやにやと笑いを浮かべながら、少女の顔をのぞき込む。
「あれじゃない? 家出中」
スクーターのサイドスタンドを立てながら言うのは、同じく金髪の少年。こちらは前歯は揃っているが、代わりに酷いニキビ面だ。
ニキビ面の言葉に、歯欠けは笑って、
「ひょっとしてここで野宿でもするつもり? だったら俺達が泊まれるところに連れてってやるよ」
「大きなベッドにシャワーもあるしね」
歯欠けとニキビが言いながら、近寄ってくる。
もう一台のスクーターに分乗していた少年たちも、少女の逃げ道を塞ぐように並んだ。
「な、いいだろ?」
少女の腕を掴んで強引に立たせる。それは誘いではなくより強制だ。
だが、不良達に囲まれてもなお、彼女は声ひとつ上げないし、怯えた様子も見せない。
「なあ。こいつ、ひょっとしてアレか?」
反応を欠片も見せない彼女に、後から来た少年の一人が、その頭を指さしくるくる回す。
「だったらむしろ好都合じゃん。さ、行こうぜ」
と、不意に彼女が声を上げた。
言葉というより異音に近い、名状し難い声。
本能的にその異質さを感じたのか、思わず不良達が手を放す。
仁が駆け戻ってきたのはその時だ。
「待たせたな。じゃあ、行こうか」
「――――♪」
回りを意識しないような自然さで彼女の前に行くと、その手を掴んで歩きだす。
割合優等生な仁は、喧嘩の経験などほとんど無いし、トラブルに巻き込まれそうな場所にはめったに近寄らない。
だから、出来る限り刺激しないように、駆け足にならないように速足で。
が、不良達が呆気に取られていたのはほんの一瞬だった。
「おいおい、どこに行くんだよ?」
肩を思いっきり掴まれる。さすがに鍛えているのか、掴まれた箇所に痛みが走った。
「いや、まあ……その……」
視線を合わせないように曖昧に答える。
「ああ? 聞こえねぇよ! もっとはっきり言えよ!!」
恫喝するように大声を上げる歯欠けを宥めたのは、意外なことに仲間のニキビ面だった。
「まあまあトシちゃん。ほら、眼鏡君がびびってるよ」
確かにニキビ面の言うとおり、精一杯の虚勢を張りながらも仁の足は細かく奮えている。
が、だからといって屈する訳には行かない。――彼女を守らなければならないから。
「いや。悪いね、眼鏡君。こいつ、見ての通り馬鹿でスケベだからさ」
「んだと、だれが馬鹿だっ!?」
ニキビ面の言葉に歯欠けが顔を真っ赤にして怒鳴る。
が、ニキビ面は構わず、
「僕らはただ、楽しく仲間で遊びたいだけだからさ。邪魔しないならとっとと帰っていいよ」
それは願ったり叶ったりだった。元より、こんな奴らに好き好んで関わるつもりはない。
仁は彼女の手を引いたまま、急いで歩きだそうとして――次の瞬間蹴り飛ばされた。
力任せに叩き込まれたつま先が脇腹に突き刺さり、思わず仁は肺の中の空気をすべて吐き出し悶絶する。
倒れた仁の体を踏み付けながらにやにや笑いを浮かべてるのは、彼を蹴り飛ばした張本人。ニキビ面の少年だ。
「わかってないなぁ、眼鏡君。言っただろう? 僕はみんなで楽しく遊びたいって。
――みんなで、この娘とね」
「ひゃははは、そう言うことさ。眼鏡君は帰ってアニメでも見てな!」
歯欠けや他の少年もゲラゲラと笑う。
駆け寄ろうとした彼女が少年たちに阻止され、そのまま芝生の方へと引きずられる。
「じゃあね、眼鏡君」
とどめとばかりにもう一度つま先を叩き込み、ニキビ面も仲間達の元へと歩いて行く。
痛みと涙に滲む視界に映るのは、少年たちの体越しに見える、芝生に押し倒された彼女の姿。
――瞬間、仁の中で何かが切れた。
自分でもなんと言っているか分からない滅茶苦茶な叫びとともに、ニキビ面の後頭部目がけ、手にした炭酸飲料の缶を投げ付ける。
後頭部にジャストミートした缶は、圧力が限界に達したのか命中地点で破裂。周囲に内容物を撒き散らす。
その光景に、少年たちの動きが止まった。
「ぶわはははっははは! マーちゃんマジうける!!」
歯欠け達が指をさして爆笑するが、ニキビ面の少年は当然のごとく笑わない。
ただ、奥歯を噛み、仁の方を振り返るとただ一言。
「――ぶっ殺す」
それからは、一方的なリンチだった。
元より喧嘩などめったにしない優等生だ。一対四では敵うはずもない。
正確には、彼らの一人は少女を押さえ付けていたから一対三だが。
「ワイが浪速の闘拳やー!」
ボクシング選手の真似をした歯欠けの拳が、後ろから羽交い締めにされた仁の腹にめり込む。
思わず胃の内容物を吐き戻した仁に、しかし容赦はされない。
「まだオネンネするには早いぜ、眼鏡君」
ニキビ面に髪の毛を掴まれ、地面へと叩きつけられる。
もはや、仁の体はサンドバックと言っても過言ではない惨状を示していた。
砕けた鼻からは血が溢れだし、前歯も数本欠けている。これでは目の前の歯欠けを笑えない。
腹や足などの目立たない箇所は特に執拗に殴られている。
あばらにヒビでも入ったのか、息をする度に酷く痛んだ。
だがそんなリンチにあっても、仁は平気だった。
少なくとも、彼をリンチしている間は不良達は彼女に手を出している暇はないから。
あとは、だれかが騒ぎに気づいて警察を呼んでくれれば――
「あー、なんか飽きて来たな。もう終わりにしてあの娘と遊ぼうぜ、マーちゃん」
「そうだな。そろそろ終わりにしておくか。じゃあ最後に……」
そう言うと、ニキビ面はスクーターの横に括りつけてあった、一本の鉄パイプを引き抜く。
元の色が分からなくなるほど使い込まれたそれを手にニヤリと笑い、
「じゃあ、そいつ押さえ付けててよトシちゃん。暴れられて手元が狂ったりしたら大変だから。
あ、あとケンちゃんはその娘こっちに連れて来て。せっかくだから特等席で見てもらおう」
声にならない声で彼女が暴れるが、しかし力が違い過ぎた。
がっちりと押さえ付けられ、視線を逸らすことも許されず、これから始まる惨劇に顔を向けさせられる。
「マーちゃんの、ちょっと良いとこ見てみたい♪」
「そーれ、一気! 一気!」
囃し立てる少年たちの声の中、仁の頭目がけニキビ面が全力で鉄パイプを振り下ろす。
堅質な鉄の固まりは狙いを違う事なく目標へと命中し、鈍い音と共に内容物が周囲へと飛び散る。
惨状に無理やり顔を向けさせられた少女の白い肌に、飛び散った赤い色は良く映えた。
そして仁は、己の中で中で決定的な何かが砕ける音を聞きながら、意識を失った……。
頬にあたる、冷たい感触に目を覚ます。
背中に感じる硬い感触は、公園のベンチか。
が、不思議と頭の下の感触は柔らかく、暖かい。
「あれ、俺は――?」
状況が理解できず、そう呟いた仁に応えたのは、聞き慣れた少女の声。
が、微妙に撥音が不明瞭だ。相変わらずの名状し難い声なので区別はしづらいが。
「――――?」
頬にあてられた白い手。ひんやりとした感触の正体はこれか。
そして、頭の後ろの柔らかな感触は、彼女の膝。
どうやら、ベンチの上で彼女に膝枕をしてもらいながら介抱されていたらしい。
心配そうに仁の顔を覗き込む彼女は、しかし何故か口一杯に何かを頬張っている。
その姿がまるで栗鼠のように愛らしく、思わず仁は吹き出した。
「――――!」
「ああ、悪い悪い。ごめんな、心配かけて」
――何よ、心配してあげたのに!
少女の不満げな声に、仁は笑いながらも応えるが、笑った瞬間、頭の奥がズキリと痛んだ。
手を当ててみれば、そこには大きな瘤。
「うー、痛ぇ……」
思わず呻いた仁だが、その瞬間気を失う直前までの記憶がフラッシュバックする。
「――――! そうだ、あいつらは!?」
身を起こし、周囲を見回す。
だが、あの不良達の姿はどこにも見えない。
「――――?」
相変わらず口をもぐもぐさせたまま、彼女が首をかしげた。
「なあ、あいつらはどこに行ったんだ? いやそれより、君は平気だったのか――?」
「――――」
一抹の恐れを抱きながら仁が尋ねる。
が、少女は柔らかな笑みを浮かべ、心配そうな仁の頬にそっと残った左手を伸ばした。
――大丈夫。貴方が護ってくれたから。
彼女の姿に視線をやれば、確かに服の所々は皺になっているものの、破れられたりしたような跡はなく、そしてわずかに覗く肌にも傷一つなかった。
「そっか、無事だったんだ……。良かった――って、痛っ!?」
胸を撫で下ろした瞬間、再び頭に鈍痛が走る。
そんな仁の肩に手をやると、少女は再び彼の己の膝へと導いた。
「あ……うん。ありがとう」
頭にあたる柔らかく暖かな感触にどぎまぎしながら礼を言う。
そのまま上を見上げれば、小ぶりではあるが柔らかそうな彼女の胸が視界に入り、仁は慌てて横を向いた。
その時だ。地面に残された跡と、散らばるモノに気づいたのは。
それは、急発進させようとしたタイヤの跡と、派手に転んだ痕跡。それに砕けたスクーターのミラーだ。
詳しい事情は分からない。が、類推することはできる。
恐らく、警察か地域の住人が騒ぎを聞き付けたのだろう。
そして、人の気配に気づいた不良達は、慌てて仁達を置いて去って行った、と行ったところか。
そう結論付ようとして、しかし仁の中の何かが否と言った。
「――あれ?」
何か決定的な記憶の欠落がある気がする。
思い出せ。気を失う直前、自分はどんな状態だった?
それに、持ってきた食べ物はすべて食べきってしまったはずだ。
なら、彼女が今口にしているのは一体何だ?
そして気を失う直前、彼は何を耳にし、暗く沈む視界の中に、一体何を見た?
「……っ!?」
頭が痛む。視界がぶれ、気分が酷く悪い。だが――
「――――」
――心配しなくて良いよ。怖いことはもう、何もないから。
もうすっかり聞きなれた彼女の声がゆっくりと仁の中に染み渡っていく。
仁は手を伸ばし、まるで母親にすがる幼子のように、彼女の片方だけの手をしっかりと握り締めた。
そして、彼女に髪を優しく撫でられる度、彼の中から違和感と焦燥感が消えて行く。
「――――」
――目を閉じて、次に目を開ければ、全ては元通りだから。
「うん……そうだな。何だか今日は……すごく疲れた……」
再び、仁の視界がゆっくりと暗く沈んで行く。
だが今度のそれは酷く優しく、穏やかなものだった。
だから仁は抵抗する事なく、その眠りに身を委ねる。
「――――」
――だから、今は……おやすみなさい。
次に目を覚ますと、仁は公園のベンチで眠っていた。
腕時計の示す時間は日付の変わるころ。周囲のどこを見回しても、彼女の姿はない。
無人の公園で、仁は一人、途方に暮れて天を見上げる。
たった一人で見る月は、彼女と一緒だった時と比べ、酷く冷たく、不気味に見えた。
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作者 2-545
2008年01月20日(日) 18:39:24 Modified by n18_168