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じぇみに。

「イヤッッ・ホゥ――――!」
時は、真夏。
さんさんと照りつける太陽の下、周りの海水浴客の奇異の視線をものともせず、ビーチに少年の雄叫びが響き渡る。
「夏だ! 海だ!! 海水浴だッ!!!」
「うるさい」
海パン一丁姿で叫びまくる少年に足払いをかけて黙らせたのは、セパレートタイプの水着を着た三つ編みの小柄な少女。
ともすると小学生程度に見えなくも無いが、実は少年と同い年で中学生である。
「うう、強くなったな、滝口」
「綱、周りの人の迷惑」
滝口と呼ばれた少女、下の名は睦月、は言葉少なに砂浜とキスしている少年をなじる。
「渡辺、ここは公共の場なんだから、少しは大人しくしろよ」
「願わくば学校でも自重してもらいたいものだな」
周りの男子からも少年を諌める声が相次ぐ。
「いやはは、すまんすまん。開放感の余りつい我を忘れてしまったぜ」
少年、渡辺綱は悪びれた様子もなく、笑いながらむくりと起き上がり、砂まみれのまま既に準備運動に移っている。
「見よ! この青い空! 広い海! 絶好の遠泳日和ッ!
男なら浮かれずに居られる訳があろうかいや無いッ!」
「男ならむしろ女子の水着姿にこそ浮かれるモンだと思うぞ。
普段拝めない大人の女性の円熟した肉体美も鑑賞し放題だ」
「そうは言うがな、フジ」
しれっとセクハラ発言をする男子の肩に手を置く綱。
「女性の水着は市民プールでも見れる。だが遠泳は海でしか出来ない。
なら俺達は泳ぐしかない、そうだろう?」
「プール行っても"料金が勿体無い"とか言って、ひたすら泳いでるくせに」
睦月のツッコミも全く気にかけることなく、綱は海原を目の前にして子供の様にはしゃいでいる。
フジは溜息を一つつき、一キロほど沖合いで風に揺れている赤い旗を指差す。
「しゃーない。付き合ってやるよ。一本目はあのブイまで行って帰ってくる往復で良いか?」
「おう! 負けた方はジュース一本奢りな!」
安い賭け金だとぼやきつつも屈伸で体をほぐし始めるフジを尻目に、一足先に準備体操を終わらせた綱はビーチパラソルの設営をしている集団に向かって声をかける。


「むすびー! お前も来るかー!」
パラソルの下部を支えている赤いワンピースタイプの水着を着た少女が顔を上げる。
綱と瓜二つ、とまでは言えずとも、細部まで顔立ちの造りが良く似通っている。所々に女性らしさが現れてはいるが。
結、と言うらしい穏やかな笑みを浮かべたその少女はフルフルと首を横に振る。
「んー? そうか、すまんな。頼む」
「結、なんて?」
睦月達には口を開かない結の意図は掴みかねた。
「"疲れてるからここで荷物見張っとく。皆は泳いで来い"ってさ。午前中俺が引っ張り回しちまったからな。
折角の海なのに。悪いことしたかも知れん」
「……毎度の事ながら良く判るな。結ちゃんの言わんとしてること。双子のテレパシーか何かか?」
「そんなんじゃねえよ。双子っても二卵性だぜ。歳が同じなだけの只のきょうだい」
「あたしの弟なんか、何考えとるかさっぱり判らへんがねえ。これはひょっとすると愛情の有無の違いかしらん」
「俺の妹なんぞ口も利いてくれん。矢張りシスコンブラコン同士だからこそできる芸当だろう」
着替えを済ませたクラスメート達が後からぞろぞろとやって来ては、口々に二人を冷やかしていく。
綱は照れながらもひたすら自分達は正常だと主張している。
話題の対象のもう一方である結の方はと言うと、特に慌てた様子も無く無言で笑いながら兄の様子を眺めている。
二人をからかっていた少女が、少し離れたところで黙々とゴムボートを膨らませている睦月に目をつけ、今度はこちらのほうに絡み始めた。
「おや、ムッキー。つまんなそうな顔しとるね。ひょっとするとやきもちかえ?」
「別に」
「まあまあ、渡辺兄がおむすびと別行動取るめったに無いチャンスやぞ。いつもはおむすびのことばかり気にかけよるからなあ。
ここは悩殺の水着姿で渡辺兄の視線を釘付けにして急接近を図るべきかと」
「そんなつもり、ない」
若干刺々しい口調でお節介な少女をあしらおうとする睦月。
「ああ、判った。水着姿で悩殺するには若干ムネが」
少女の顔にゴムボートがめり込む。
「おーい、全員集合するぞー」
ゴムボートの下敷きになっているお節介少女を置いて、睦月は号令をかけるクラス委員長の元へと急いだ。


クラスメート一同が眼鏡男の委員長の周りに集まる。
「よし、全員揃った様だな。点呼は省略する。
今が一時半だから三時半まで自由行動。自由とは言え基本的に二人以上のグループで動く事。
体調が悪くなったり何らかのトラブルに見舞われたら俺か安藤に報告。何か質問は」
男子の一人が挙手する。
「先生はどうしたんですかー?」
「佐藤先生は山登り組みの方に行った」
引率のクラス担任の名前が挙がる。
「まだ山ん中かよ? 俺達は午前中に済ませちまったけど」
「八時間コースで朝七時に出て正午に帰ってくるお前ら兄妹の体力が異常なだけだ。他には」
「おやつは一人いくらまで……」
「質問が無いなら以上で解散」
「おーっし! 泳ぐか!」
遅れて来て今から準備運動を始めるクラスメートらを尻目に、綱達は着替えの入った袋をパラソルの下でゴムシートに腰かけている結に渡しにいく。
「あれ、お前らロッカー使わないの?」
準備運動をしている一団から声がかかる。
「おう、金勿体無いし、ここに置いとく」
「そうか、俺も頼んどきゃよかった」
男子は再び上体逸らしを始めた。
離れたところで前屈運動をしている女子のグループの会話が耳に入ってくる。
「大丈夫なの? あいつらの荷物一人に任せてるけど」
「渡辺さんが管理するんでしょ。"ロボット"には似合いの仕事ね」
「おい」
聞きとがめた綱が血色を変えて振り返る。
結はその腕を掴んでそれを押しとどめた。
「だけどお前あんな――」
何時もと変わらぬ穏やかな笑顔で静かに首を振る結。
それを見て綱も険が取れる。


「そうだな。悪かったよ、お前が聞き流してる所を徒に騒ぎ立てようとして」
ぽんと結の頭に手を置く綱。
結はそっとその手をどけると荷物を受け取り、とっとと行って来いとでも言うかのように綱の背中を押した。
「子ども扱いするなって? 悪ぃ悪ぃ。ちょっと待ってろフジ。滝口も来いよ」
ととと、と心なしか軽いステップで駆け寄る睦月に綱はそっと耳打ちした。
「お前、結がまだ女子の間で悪く言われてたりしないかどうか、知らんか」
睦月は気まずそうな顔を見せる。
「たまに聞く。"ロボット"とか"能面"とか。
あ、でも言ってるのはごく一部」
「そうか……」
難しい顔で考え込む綱。
「ごめん。私、そう言う噂ただ聞いてるだけで止めようとかしてない。
陰口って下手に止めると自分も標的になるから」
綱はふっと笑って自己嫌悪している睦月をなだめる。
「その分結に気ぃ遣ってくれてるだろ。それで十分さ」
「……うん」
ふと気付くといつの間にか人ごみを抜けて二人きりになっていた。
フジは波打ち際で二人を待ちつつ、遠方の女性観光客の水着に熱い眼差しを向けている。
急に恥ずかしさが込み上げて来て、睦月は顔を赤らめた。
「ね」
「何だ?」
睦月は俯きながら自分の腕を握り締める。
「私、変じゃないかな」
「ヘンだぞ? どうした急に?」
「そうじゃ、なくて」
きゅっと腕に力を込める睦月。
「み、水着、似合ってる、かな」
そこまで言ってしまってから更に小さく縮こまる睦月。
露出度がそれほど高くないデザインとは言え、へそが丸見えの状態が非常に毛恥ずかしかった。
みっともなくならぬ様、睦月はこの日の為に一ヶ月間ダイエットを敢行していた。
その成果として二の腕や下っ腹が大分細くなったのだが、綱は判ってくれるだろうか。
まじまじと見つめてくる綱の視線がくすぐったい。


「……滝口、お前」
「ひゃうっ!」
突然綱に左腕を掴まれ、睦月は跳び上がった。
そのまま真剣な面持ちでふにふにと腕を揉む綱。
「ちょ、つ、綱ぁ。ん……は、はずか――――ふにゃん!」
睦月は振り解くのも忘れて目を白黒させながら揉まれるがままになっていた。もちろん腕を。
「やはりそういうことか」
十秒ほど揉み尽くしてから唐突に腕を開放すると、綱は勝手に何かを納得したのか、したり顔で腕を組んで頷いている。
はあはあと荒い息をつきながら顔を真っ赤に上気させた睦月がゆらりと顔を上げる。
「お前、筋肉落ちてるぞ」
「……は」
綱は自らの力瘤を見せつけながら、説教し始めた。
「育ち盛りなのにメシ抜いてたりしただろ。成長期なんだから肉食え肉。
骨と皮だけでどうするよ。女の癖にナヨナヨしやがって。筋肉も脂肪も無きゃ四肢も動かんし水にも浮かんのだぞ。
見よ! この眩い上腕二頭筋! お前もこの位は鍛えんと俺やフジを追い抜くことなど到底……」
「……ば」
「場?」
俯いている睦月の顔を覗き込む綱。
「ばかああぁぁッ――――!」
「ぐうぉおおおおおお!?」
凄まじい勢いで睦月の右フックが綱をレバーを打ち抜く。
悶絶し前のめりに屈み込む綱を置いて、睦月はずんずんと一人海の方へと歩き去っていった。
「な、な……ぜ」
「なぜじゃねーだろ」
いつの間にか傍で二人のやり取りを見守っていたフジが冷静に突っ込んだ。





睦月は一人で黙々と泳いでいた。
体を動かしていると嫌なことは忘れていられる。
クロールでもう十五分ほど泳いでいるだろうか。
ゆっくりと泳いでいるとは言え流石に疲れて来たので、平泳ぎに切り替え、近くにある岩場を目指す。
岩場、と言うよりも子供一人がやっと立っていられる程度のサイズしかない小島に取り付いて一息つく。
普段なら三十分は泳いでいられるのに、明らかに体力が落ちている。
(やっぱり、しっかり食べるべきかなぁ)
後方を伺うと、海岸からはかなり離れていた。
綱たちは海岸線付近で馴らしの泳ぎをしている。
先程の失礼な扱いを思い出し、目線を外す。
砂浜の方を見やると、カラフルなパラソルの下で結が一人座り込んでいた。
睦月の視線に気付くとぶんぶんと勢い良く手を振って来る。
(目、良いんだ)
手を振り返しながら、睦月は渡辺結と言う少女のことを考えた。
常に穏やかな笑みを顔に貼り付けた、全く喋らない、渡辺綱の双子の妹。
あの行動力の塊のような兄の一歩後ろにぴったりと張り付き、自らのペースを乱すことなく、そのフォローすらこなしてみせる、ある意味超人的な少女。
綱の愛情を一身に受ける、最大のライバル。
傍若無人な彼も、妹にだけは細やかな気を遣う。
睦月にとって嫉妬の対象になりそうなものだが、何故か憎めない。
彼女が自分も含め他人への配慮を忘れないからだろうか。
(お話できたら、いいんだけどな)
綱のことはさておき、仲良くしたい。
折角の機会だ、綱の方とは今は話をしたくないし、ここは一つ結と親睦を深めてみよう。
睦月の方が一方的に喋るしかないのだが、それでも得るものはあるだろう。
そう思い立つと、睦月は岩場から離れて海岸に向けて泳ぎ始めた。





泳ぎ始めてから数十秒ほど経った頃、突然睦月の右足に鋭い痛みが走った。
(……ッ! 何っ!)
足首を動かそうとすると耐え難い激痛に苛まれる。
体が沈み始め、ばたばたともがいた。
今更になって泳ぐ前の準備運動を怠っていたことを思い出した。
(そうだ! 岩場!)
必死に海面に顔を出し先程休んでいた小島を探す。
遠い、既に百メートルは離れている。
しかも潮の流れで体はあらぬ方向へと押し流され始めていた。
「――――っ! んくッ!」
海水を飲み込んでしまい、むせる。呼吸が続かない。
最早体を起こしておくのがやっとだ。
(助けてッ! ――誰か!)
睦月の叫びは波に飲み込まれた。


「……結?」
バタフライで体を慣らしていた綱は顔を上げ浜の方を見上げた。
妹の様子が変だ。
見知らぬ通行人を捕まえて必死に沖合いのほうを指差している。
釣られて指し示される方向を見た。
弱々しい水飛沫が上がっている。
揺れる黒い三つ編み。


「結ぃ――――! 浮き輪寄越せぇ――――!」
間髪を入れず凄まじい勢いで飛んでくる浮き輪を振り返りもせずキャッチすると、綱は猛スピードで水飛沫の方へ一直線に泳ぎ始めた。
五百メートル以上を殆ど息継ぎもせずクロールで駆け抜ける。
監視員の誰かに任せるべきだとか、浮き輪一つ持ってきただけで何が出来るだとか、余計な考えは頭に浮かぶ度に一瞬で消去する。
脳に酸素を使っている余裕は無い。
只ひたすらに、我武者羅に泳いだ。
(ッ! やっぱり滝口か!)
見知った少女が弱々しく喘いでいるのを確認すると、最後の力を振り絞って速度を上げる。
「滝口! 掴まれ! 滝口ッ!!」
沈みかけている睦月の体を捕まえ、脇に抱えていた浮き輪の上に引き上げた。
体重をかけない様気をつけながら背中を揺する。
「……ぅ、なぁ」
「大丈夫か! 水飲んでないか! 息できるか!? できないなら手ぇ叩いて教えろ!」
睦月は必死に咳き込みながら首を横に振る。
「そっか……よかっ」
死に物狂いで泳いで来た疲労が急に圧し掛かり、綱は危うく沈みかける。
だが睦月がその腕にすがり付いて離さなかった為、今度は綱の方が引っ張り上げられる形になった。
二人で一つの浮き輪にすがりつきながら、互いに言葉も無く荒い呼吸を繰り返す。
暫くしてようやく呼吸も落ち着いた頃、突然睦月は綱の首に抱きついた。
目を白黒させる綱。
「ちょっ、た、滝口?」
「ごめんなさい」
綱は少女が震えているのにようやく気付いた。
「……ごめんなさい」
謝罪を繰り返す睦月。
綱は抱きつかれたまま、静かに彼女の背中を叩いた。
「何はともあれ、お前が無事で良かった。だから気にすんな」
「……ぅん」
そのまま海の真ん中で抱き合う二人。
恥ずかしさは感じなかった。


「あ――。とは言え、まだ無事とは言えんなこりゃ」
「?」
何故か綱が遠くの方を見て冷や汗を垂らし始める。
睦月も周囲を見回してみた。
陸地が見えない。
360度、空と海しか目に映らなかった。
心なしか波も高くなってきたような気がする。
「……ひょっとして、遭難?」
綱は頷いた。
「しかも引き潮だ」
二人して黙り込む。
綱も睦月もこれ以上泳ぐ体力は残っていない。
浮き輪もいずれは萎んでしまうだろう。
睦月は綱の背中に回した腕に、きゅっと力を込めた。
「滝口? 平気か?」
こくりと頷く睦月。
何故か恐怖は無かった。
一人で溺れていた時はあんなに恐ろしかったのに。
「綱は? 怖い?」
「いや、俺は――――」
突然甲高い汽笛の音が鳴り響く。
続いて近付いてくるスクリュー音。
猛スピードで派手な水飛沫を上げる何かが迫る。
綱は苦笑を浮かべた。
「あいつが居るからな」
小型のエンジン付きボートが横向きになって急制動をかけ、二人の目の前で止まる。
相変わらず穏やかに笑っている少女が手を伸ばし、睦月を海面から引っ張り上げた。


*****************


夕焼けに染まる海岸線を左手に、一同は宿泊先である旅館に向かっている。
睦月は綱もろとも救急病院に担ぎ込まれ検査を受ける羽目になったが、結局異常無しと言うことで早々に開放された。
大人しくし診断を受けていた睦月とは対称的に、綱は自分は平気であるから検査は不要だと主張して譲らず、結局開放されるのが睦月より遅れてしまう。
付き添いで一緒に待っていた結他数名と共に病院を出る頃には、六時をまわっていた。
「しかも何で俺が滝口背負う羽目になってんだよ」
「お姫様抱っこの方をご希望か?」
「本日のヒーローの役目さ。役得と思いねぇ」
未だに不満げにしている綱をからかう一同。
普段なら一応病み上がり扱いの綱に代わり結が背負う役を引き受けそうなものだが、何故か今日に限っては彼女も冷やかされるのを見守るばかりで、兄を助けようとはしない。
少年の背中に揺られながらうとうとしていた睦月は、ふと首を曲げる。
結と目が合った。
にこりと微笑まれる。
敵わないな、と睦月は思った。
自分はこの少年を支えるどころか、隣に立つ事すらできていない。
ただ、背負われているだけだ。
「足、痛むか」
綱が首を曲げて問いかけてくる。
睦月は首を振った。
少年の気遣いが嬉しくもあり、それを受けているだけの自分が恥ずかしくもある。
「綱こそ、私、重くない?」
「軽きに泣きて、三歩歩まずって位軽いぞ。いいからお前はもっと食え」
「ん……」
言葉と裏腹に、足取りは少し危うい。
よろめく綱を、隣の結がそっと支える。
兄妹の影が重なる。
背中の少女は、ただそれを眺めている。
いつかは、自分も隣で彼を支えられる様になりたい。
睦月は少年の背中に顔を預け、静かに目を閉ざした。





「それにしても助けに行くのが少し早すぎやせんかね渡辺兄」
「何だよ藪から棒に」
「空気が読めんなあ。ムッキーも内心もうちょっと遅れて来てくれた方が嬉しかったろう」
「? なんでそうなるのよ」
「いや、呼吸困難に陥っとったら人工呼きゅ――うごッ」
「ちょ、滝口! 背中で暴れんな!」

◆MZ/3G8QnIE
2008年09月27日(土) 00:45:54 Modified by n18_168




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