日本の周辺国が装備する兵器のデータベース


▼WZ-132軽戦車 76.2mm砲搭載型。76.2mm砲についての詳細は不明


▼WZ-132軽戦車 85mm砲搭載型。車体後部の円筒形の物は煙幕発生装置


▼WZ-132軽戦車 100mm滑腔砲搭載型。転輪が62式軽戦車と同型の物に変更されている


性能諸元(WZ-132軽戦車 100mm砲搭載型)
重量22.5トン(1973年案)
全長8.528m(砲身長含む)
車体長6.049m
全幅2.92m
全高2.121m(砲塔頂部)
エンジン12150-L7液冷ディーゼル 520-550hp(1972年案)
最高速度65km/h
航続距離500km
浮航速度6.84km/h(要浮航装置)
武装47口径100mm滑腔砲×1(41発→39発)
 12.7mm重機関銃×1(500発)
 7.62mm機関銃×2(2,400発)
装甲砲塔鋳造装甲 車体溶接鋼板
乗員4名

WZ-132軽型坦克は、62式軽戦車(WZ-131)に続いて中国南部(特に東南沿岸地域)での運用を前提として1970年代に設計された第二世代の軽戦車であった。

本車の開発には、当時の中国が置かれていた国内外の政治的環境が大きく影響していた。1960年代中期の中国は、最大の同盟国であったソ連と断交したことで深刻な国際的孤立状態にあった。これを受けて中国軍は従来の防衛戦略の見直しを行い、ソ連と国境を接する「三北」(東北、華北、西北地方)に装甲戦力の主力を配置すると共に大規模な縦深陣地を構築しソ連機甲軍の突破に備える事を決定した。そして大陸反抗を主張する台湾及びその最大の後援者であるアメリカと対峙する東南沿岸地域では、遼東半島と山東半島を後背地として長江と珠江デルタ地帯において敵軍の大規模上陸を迎え撃つこととされた。国防戦略の見直しと同時に、陸軍の装備の近代化も決定され、既存の戦車戦力を代替する新戦車開発が実施されることになった。この決定を受けて1960年代後期から開発されたのが、69式戦車(WZ-121)122型戦車(WZ-122)111型重戦車(WZ-111)、超軽量空挺戦車、そして本稿で取り上げるWZ-132等の各種車両である。ただしこれらの新戦車は69式中戦車以外は実用化には至らなかった。

WZ-132の開発は約10年にわたって行われ、その過程は4つの段階に区分される。第一段階は1967年から69年までの期間で、この時期は新型軽戦車の要求仕様の取りまとめと設計の初期段階にあたる。第2段階は1970年である。この時期、文化大革命の混乱がWZ-132の設計に「極左的影響」を与え開発に混乱をもたらすことになった。1971年から73年は第2段階の混乱からの回復期である。最後はWZ-132の開発中止が決定される1975年までの期間である。

WZ-132の開発に際しては62式軽戦車の運用経験から、火力の強化と機動力の向上、そして新型の射撃統制装置を採用することが重点目標とされた。当初の開発案では、改良型85mm戦車砲の搭載とレーザー照準器・射撃統制装置の採用のほかは、62式軽戦車のコンポーネントの改良型を使うこととされた。この開発案に基づいて、1970年2月からWZ-132の設計作業が開始された。WZ-132の開発案の策定作業中の1969年に発生した中ソ国境紛争では、中国軍の対戦車兵器ではソ連の新型中戦車T-62に対して対抗することが困難なことが判明した。中国軍は、この戦訓を受けて対戦車兵器の威力向上に奔走することになった。既存の戦車の火力強化も緊急の課題として浮上し、1970年春には、一両の62式軽戦車に59式中戦車用の100mmライフル砲を搭載する実験が行われた。この試作戦車は111発の発射実験を実施し、62式軽戦車に100mm砲を搭載することが可能であることを立証した。この実験結果は、開発中のWZ-132の戦車砲をより大口径のものに換装するための根拠となった。

85mm砲搭載戦車として設計されていたWZ-132であったが、文革期の「極左」路線の影響を受けて編成された「二四」会戦弁行室によって極めて野心的な目標を達成することが命じられた。新しい仕様要求では、全備重量は18〜20トンとされ、47口径100mm滑腔砲(59式の100mmライフル砲を短身・滑腔砲化したもの)の搭載、既存の弾薬庫に搭載可能な新式APFSDS弾とHEAT弾の開発、対戦車ミサイル×4の搭載、2軸砲安定装置、光学/レーザー/微光増幅式(または赤外線暗視装置)照準器、車長用昼夜兼用ペリスコープ、弾道計算機の採用、430〜450HPのエンジンを搭載し最高速度は65km/h(野外最高速度は42〜47km/h)、油気圧式サスペンションとパワーステアリングの採用、動力系統には圧縮空気によるエンジン始動装置を搭載、水上浮行能力の保持、エンジンの排気口に消音装置を装着すること、NBC防護装置の装備、通信装置は最新型のCWT-176を採用することとされた。物資不足に備えて、希少金属の使用を局限することも要求され、装甲はニッケル・クロームを使用しない鋼板を採用、履帯も希少金属の使用を抑えつつ必要な強度を得る、転輪は軽量なアルミ合金鋳造製、砲塔旋回部と車長用回転キューポラにプラスチック製ボールベアリングを採用すること等の28項目の達成目標が提示された。この要求は当時の技術的限界を無視した野心的に過ぎる目標であったが、設計局では1970年3月下旬からWZ-132の仕様変更を行い6月には設計を完了、9月には試製1号車の製造にこぎつけた。この車両は100mm滑腔砲を装備、エンジンは8V150型ディーゼルエンジンを横置きに搭載し、操縦装置にはパワーステアリングを採用。油圧式サスペンションを採用したことで前後の車高を上下することが可能となった。9月21日には北京で運用試験が実施されたが、射撃性能以外のほとんどの部分で要求水準を達成出来なかった。ここにいたって「二四」会戦弁行室も要求の無謀さに気づき、上記の野心的目標は取り下げられることとなった。

1970年10月5日には、「二四」会戦弁行室が改めてWZ-132の要求決定を行う会議(105会議)を開催した。この会議では技術的に未完成な流体クラッチ、油気圧式パワーステアリング、油気圧サスペンション(「三液」と呼称された)の採用の再検討が決定された。10月24日の「二四」会戦弁行室の会議で「三液」にかわって「三機」(従来型の機械式クラッチ、機械式操縦装置、トーションバー)を採用することが決定された。野心的な目標の多くが取り下げられ、WZ-132の重点目標としては火力向上と新式射撃統制装置の採用の2点に絞られた。そのほか開発で留意すべき点として、堅牢さ、信頼性、操縦の簡便化などが求められた。仕様変更を受けて、エンジンは8V150型多燃料ディーゼルエンジンから12150-L7液冷ターボチャージドディーゼルエンジン(横置き式。550hp)に変更された。変速機も従来型に変更されたが、サスペンションは油気圧式のままとされた(試作車のみ)。砲塔装備では2軸砲安定装置が撤去された。武装面では対戦車ミサイル×4はそのまま装備されたほか、対空兵装として20mm機関砲の搭載を可能とした。戦車砲には後付で自動装填装置の採用を可能とする設計が施された。「二四」会戦弁行室はWZ-132の水上浮航性能の要求を取り下げたので、変わりに潜水渡河性能の付与を行うこととされた。この試作2号車は「献礼」工程と命名され、1971年3月に完成した。3ヶ月間で10,000kmを試験走破し7月1日には設計が承認された。10月には冬季試験を行う事が決定し、1971年の1〜3月にかけて実施された。6月には75項目の試験が実施され234発の実弾射撃試験も実施され良好な成果を収めることに成功した。

2両の試作車を使用した実施試験は数年にわたって継続され、試験結果を受けて各種の改良が施された。これによって排煙部の消音装置と弾道計算機が撤去された。1972年12月には「二四」会戦弁行室は試験結果を反映したWZ-132の仕様改定を行った。全備重量は21〜22トンに増加、砲弾はAPFSDS、HEAT、HEを3:3:4の割合で搭載、(合計41発搭載、のち39発)、副兵装は対空用に12.7mm機関砲×1、主砲同軸機銃に7.62mm機関銃×1、車体前面に7.62mm機関銃×1を搭載。射撃統制装置関連では、2軸式砲安定装置、レーザー照準器(砲手用ペリスコープに内蔵)、車長/砲手用アクティブ式夜間暗視装置(もしくは69式中戦車の微光増幅式を流用)を採用。エンジン出力は520〜550hp。最大登坂角度は35度、潜水深度は4〜5m、最大潜水渡河距離は800m、最大通信範囲は30km以上、NBC防護装置の採用などの項目が提示された。通信装置は暫時62式軽戦車のA-220を流用、対戦車ミサイルと油圧式パワーステアリングと油気圧サスペンションの採用は見送られた。この改定仕様に基づいた試作車は、1973年1月中旬から射撃試験が実施された。この試験では戦車砲のマズルブレーキの強度不足と砲の命中精度に問題が生じた。6月には弾道計算機を搭載して射撃試験が行われたが、ここでも命中精度の問題は解消されなかった。渡河能力付与では車体に大型フロートを装着して水上浮航能力を得る試験が実施された。この試験では1〜1.5km/hでの水上走行が可能であった。4度目の水上浮航試験では車体周辺にキャンバスを展開して浮力を確保する方式が実験された。松花江で行われた実験では7.3km/hの速度で渡河に成功した。このほか油気圧サスペンションの継続試験、履帯へのゴムパッドの装着、転輪の重量配分の調整、自動装填装置の試験などが一定の成果を収めていた。

1974年になるとWZ-132の開発を左右する重大な情報がもたらされた。それはソ連が新たに配備を開始した新型主力戦車T-72の諸元情報である。T-72の前面装甲に対して、WZ-132の47口径100mm滑腔砲では貫通は困難であることは明白であった。これはWZ-132の開発意義を大きく損なうことになった。また2軸砲安定装置の開発も難航していた。この状況を受けてWZ-132の開発は暫時停止され、1975年には62式軽戦車の改良に開発リソースを集中することになり、最終的にWZ-132の開発中止が決定された。

WZ-132の開発は文革時期に重なっており、その開発は政治的変動に大きく左右されることとなった。同時期に開発されていた122型戦車(WZ-122)と同様に、WZ-132も国際的孤立状態の中で独自の戦車開発の努力を行ったものの、野心的な目標に対して技術水準が付いてゆかず開発が難航しているうちに当初の開発要求が陳腐化して開発を中断せざるを得なくなってしまった。またWZ-132と同時期に開発されていた62I式軽戦車(WZ-131-I)も1969年に開発中止になったことによって62式軽戦車は後継の無いまま運用が継続されることになり、後に中越紛争で大きな被害を出すことになる。

【参考資料】
坦克装甲車両 総第239期2006年第1期「道是無情却有情-我国WZ132軽型坦克的研制過程與特点」(坦克装甲車両雑誌社)

中国陸軍
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