日本の周辺国が装備する兵器のデータベース


▼54式122mm榴弾砲


▼54-I式122mm榴弾砲



▼54式の原形、ソ連のM-30 122mm榴弾砲(M1938)



54式性能緒元
口径121.92mm(4.8インチ)
砲身長2,670mm
牽引時全長5,900mm
牽引時全幅1,975mm
牽引時全高1,600mm
戦闘重量2,450kg
牽引時重量2,500kg〜3,100kg
初速515m/秒
射程3,400〜11,800m(榴弾)、15.3km(ERFB弾)
最大直射距離600m
発射速度5〜6発/分
俯仰角度-3〜+63.5度
方向射界左右各49度
要員8名
牽引速度50km(車両/路上)、35km(野外)

建国直後の中国軍の砲兵装備は、口径は20種類、製品名にして70以上、中国を含む9カ国で生産された各種大砲を使用するという混乱した状態であった。そのなかで最も高性能と評価されたのはアメリカ製155mm榴弾砲だったが、この保有数は35門にすぎなかった。この状況下で朝鮮戦争に(事実上の)参戦を行った中国では、砲弾や砲の部品の供給等に大いに苦労することになった。この教訓を受けて中国共産党中央軍事委員会は、ソ連系兵器の大量導入と自給体制の確立により従来の装備を更新して混乱状況を解消する事を決定した。1950年から55年にかけて、1.1万門に上るソ連製野砲の輸入が行われ、従来の米、独、仏、日本等各国製の種々雑多な砲兵装備の刷新を行った。自給体制の確立に関しては、中央軍事委員会は1952年5月21日に「軍需工業の問題に関する決定」を策定し18種類のソ連製兵器・弾薬を中国で国産化することを決定した。ここでは榴弾砲としてZis-3 76.2mm榴弾砲とM-30 122mm榴弾砲(M1938)の国産化が実施されることとなった。

M-30 122mm榴弾砲(M1938)は第一次大戦型の旧式榴弾砲を更新する為に1938年に採用されたソ連の榴弾砲で、正式名称は122mm榴弾砲1938年型(M1938)。開発元はOKB(Opytone Konstruktorskoe Byruro)設計局で開発主任はF・F・Petrov。M-30の生産は1939年から開始され、第二次大戦中のソ連軍の主力師団榴弾砲として使用された。戦後は東側諸国の標準的榴弾砲になり、現在も世界各地で使用されている。

M-30の構造は、オーソドックスで信頼性の高いものである。M-30の122mm砲身は口径22.7。砲の閉鎖機は段隔螺式閉鎖器を採用。砲身の上下には駐退複座機(上が液圧式緩衝器、下が液気圧式復座器)が配置されている。砲架には防弾/ブラストリフレクター用の防盾が装備されている。直接/間接照準器は砲の左部に位置している。砲の俯仰角調整用のハンドルは砲の右部に、左右角度調整用のハンドルは照準器の下に位置している。この配置では砲手が照準しつつ砲を操作するのは困難である。戦後のソ連の野砲では、この難点を解消するために、照準器と操作用ハンドルは砲の左部にまとめられることになる。脚はソリッドタイプで頑丈で信頼性も高いが、重いのが欠点。砲架はソリッドゴムの車輪二つで支えられている。なお、この砲架の基本部分は54式152mm榴弾砲(D-1/M1943)と共通となっている。砲の俯仰角は-3〜+63.5度、方向射界は左右各49度で、脚を閉じたままでも1.5度動かすことが可能。砲口初速は515m/秒、発射速度は毎分5〜6発、最大射程は11,800mになる。砲弾は分離装薬方式で、発射可能な砲弾は榴弾(OF-462。重量21.7kg、炸薬3.67kg、信管はRGM-2もしくはD-1)、榴散弾(O-462A、信管はRGM-2もしくはD-1。O-460A、信管はRGM-2)、対戦車榴弾(BP-460A。重量13.2kg、貫徹能力200mm、信管はV-229)、煙幕弾(D-462、D-462A。信管はRGM-2)、科学弾(H-462。重量21.8kg、信管はKTM-2)等がある。M-30の牽引時重量は2,500kg〜3,100kgで、3トントラックか6頭立ての馬匹で牽引された。砲の運用要員は8人。

M-30の国産化に関する研究は1952年の中央軍事委員会の決定によって開始され、1954年には制式採用され54式122mm榴弾砲と命名された。部隊への配備は1950年代後半から開始され、従来の雑多な野砲を更新し歩兵師団、軍レベルの砲兵部隊の基本野砲となった。一個砲兵連隊は2〜3個大隊の54式(24〜36門)を保有する編制になっている。54式は原型となったM-30の大きな差異は無い。照準装置も国産化され、58式照準器、58式パノラマ照準器として制式化された。なお夜間射撃能力は有していない。

54式は中国軍の野砲の標準化に大きく貢献した。ただし、実際に運用を行った部隊からは射程の短さ、重量過大、駐退複座機の不具合等が改正点として挙げられた。これを受けて1964年から54式の各部の改修が行われた。改修型の設計は1966年に終了し54-I式122mm榴弾砲と命名されたが、実際の生産は1970年代にずれ込む(54-I式の開発が行われたのは1970年代で、制式化は1981年との説もある)。54式の生産ラインは54-I式に切り替えられ、54式は次第に54-I式に代替されることになる。射程の問題に関しては後に54式用のERFB弾が開発され、最大射程は11.8kmから15.3kmに延伸された。1980年代に入ると、122mm砲用の対戦車/対人攻撃用の子弾運搬砲弾も開発配備された。

54式、54-I式は、永らく中国軍の主力野砲として使用され、タンザニア、パキスタンなどの友好国にも多数輸出・供与された。しかしその旧式化は明白であり、1980年代以降83式122mm榴弾砲やソ連のD-30の中国版である86式/96式122mm榴弾砲(W-86/PL-96/D-30)に更新が進んでいる。54式の派生型には、54-I式のほかに、54-I式を原型として自走砲化した70式122mm自走榴弾砲(WZ-302)85式122mm自走榴弾砲(YW-323)がある。

【参考資料】
世界航空航天博覧 総大111期2005年1月下半期「戦争之神-解放軍陸軍身管火炮装備」(世界航空航天博覧雑誌社)
Global Security
Wikipedia「M-30 122mmhowitzer」
EasyGet Авторианский
КУРСКАЯ БИТВА
大砲と装甲の研究
中国武器大全

【関連項目】
70式122mm自走榴弾砲(WZ-302)
85式122mm自走榴弾砲(YW-323)

中国陸軍

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