日本の周辺国が装備する兵器のデータベース




▼鉄道輸送中の59式。トラベリング・ロックで100mm砲を固定している。

▼整備中の59式。砲塔バスケットが無いことが見て取れる。


■"59式中戦車性能緒元"
全備重量36.0トン
全長9.239m
車体長6.002m
全幅3.320m
全高2.218m(砲塔頂部)、2.59m(機銃含む)
エンジン12150L水冷ディーゼル 520hp
最高速度48〜50km/h
燃料搭載量812L
航続距離420〜440km(車内燃料のみ)、600km(増加タンク付き)
渡渉深度1.4m
武装59式56口径100mmライフル砲×1(34発)
 54式12.7mm重機関銃×1(200〜500発)
 59式7.62mm機関銃×2(3,000〜3,500発)
戦車砲俯仰角-4〜+17度
装甲150〜203mm(砲塔)/79〜97mm(車体前面)
乗員4名

59式中戦車は、ソ連のT-54A中戦車を中国でライセンス生産した車両である。1958年に生産が開始され、以来1980年代までの間に約1万両が生産され、現在でも5,000両以上が中国軍に在籍しており、中国戦車部隊の数的主力を占めている。軍の制式名称は「1959年式中型坦克」、車両生産番号はWZ-120

1949年、中華人民共和国建国時点で中国軍は375両の戦車を保有していたが、それらは日本軍が残していった95式軽戦車、97式/97式改中戦車などの日本製戦車、第二次国共内戦で国民政府軍から捕獲した米国製のM4中戦車、M3軽戦車などであり、その多くが旧式化していた。中華民国時代を通じて戦車の国産化は行われておらず、全ての戦車は輸入に頼っていたのが当時の状況であった。

世界を二分する冷戦体制の下で、国防工業の建設と兵器の自給体制確立が、新政権にとって早急に求められる課題であった。東側陣営に属する中国としては、この課題に対処するため社会主義諸国の盟主であるソヴィエト連邦に全面的な支援を要請することになり、1950年から本格的な兵器供与と人材の育成が開始された。ソ連は装甲戦闘車両としては、まずT-34/85戦車、IS-2重戦車、SU-76M自走砲を中国に提供し、1950年代後半からはISU-152自走砲やSU-100自走砲も供与された。これらの車両により、従来の雑多な旧式車両の更新を行うと共に、本格的な装甲部隊の編成が行なえるようになった。

中国は戦車部隊の編成に続いて、戦車の自給体制の確立を目指すことになった。1952年には中央軍事委員会兵工委員会によって「関于兵工建設問題的報告」が作成され、国防産業建設に関する五カ年計画が提示された。同年には、戦車と戦車のエンジンの国産化計画も立案された。翌1953年5月15日にはソ連との間で「関于蘇聯政府援助中国政府発展中国国民経済的協定」が締結され、ソ連が中国の経済建設に関する広範な支援を行うことが表面されたが、その中には戦車、エンジン、砲弾、光学照準装置など戦車生産に必要な各種工業施設の建設も含まれていた。

1949年当時の中国の工業地帯の多くは中国東北部、沿海部に位置していた。これらの地域は、海からの攻撃を受けやすく国防上のリスクを抱えていることが建国当初から指摘されていたが、1950年に勃発した朝鮮戦争や台湾海峡での緊張の高まりを受けて、外国からの攻撃を受けにくい内陸部に新たな重工業地帯を建設することが決定された。この計画は、内陸部の資源地帯に総力戦を支えるに足る重工業基地を建設することを最大の目的とし、同時に内陸部に重工業地帯を建設することで、内陸資源地帯と産業をリンクさせ効率的に重工業を発展させ、経済的に立ち遅れた内陸部の振興の核とすることも期待された。これは、ソ連が五カ年計画でウラル工業地帯を発展させ、ここが独ソ戦においてソ連の巨大な生産力のバックボーンとなり大祖国戦争勝利の重要な要因となったことに習ったものである。

内陸開発の重要拠点の1つが、内モンゴル自治区の包頭(パオトウ)に建設された包頭鉄鋼基地である。パオトウには豊富な鉄鋼、石炭が埋蔵されており、豊富な産業用水と電力を供給可能な黄河にも近い立地条件の良さがあった。そして、内陸部であることから外国からの攻撃を受けにくく、モンゴルやソ連に近いことから、ソ連の支援や援助を受けるにも好都合な位置にあった。中国はソ連の協力を受けつつ、包頭に製鉄工場を中心として、その周辺に機械製造業、化学産業、産業研究施設を配置した総合コンビナートを建設する事を決定し、1957年7月25日から工事を開始した。

この包頭コンビナートに建設されたのが、中国最初の戦車製造工場になる第617廠であった。第617廠は敷地面積55万坪、主要工作機械5,000台以上、中国初の16トン鍛造機、2,000トン級水圧機等の各種鍛造設備が整えられ、総工費は2億元を超える巨額なものになった。ソ連は包頭コンビナートの建設を全面的にバックアップし、多額の借款を供与したほか、技術者集団(主にウラルの重工業都市ニジニ・タルキ市から派遣)を送り込み工場の建設支援に当らせた。当初はパオトウで戦車用エンジンも生産する予定であったが、内モンゴルは年間を通じて砂塵の飛散が多く、精密工業製品の生産には向かないとの見解が提出され、エンジン工場は内モンゴルに隣接しており交通の便の良い山西省に建設されることになった。これらの工場の設計の主要部分は、いずれもソ連の設計局によって行われた。

工場建設と並行して、1956年にはT-54中戦車(西側ではT-54Aと呼称されるタイプ)のライセンス権が中国に譲渡され、設計図や生産に必要な各種資料が中国に引き渡された。これに先立って1955年11月にはT-54の実物が中国に供給された。戦車の最終的な生産は内モンゴルの第617廠、エンジンは山西省で、トランスミッションや光学照準装置等の精密部品は上海で生産されることとされ、各地の工場ではソ連の技術者の支援を受けながら、T-54Aの生産体制を構築する作業が行われた。

1958年9月には第617廠でソ連から提供された部品を組み立てるノックダウン生産が開始され、11月5日に最初の車両が完成した。この車両はソ連の支援を記念して「中蘇友誼車」の名が与えられた。続いて、12月25日には中国で生産された部品によって製造された最初の車両が完成した。中国で生産されたT-54Aは、1959年10月1日の国慶節記念パレードで32両が天安門広場を行進したことで始めてその存在が公にされた。同年末、T-54Aには「1959年式中型坦克」の制式名称が与えられた。1960年から61年にかけて、装甲兵科学技術研究所は59式中戦車の全面的な実用試験を行い、中国国内の寒冷地から熱帯地方までの広い地域で、延べ9,000kmに及ぶ走行試験を実施し、各種装備の信頼性や品質、装置の実用性等の幅広い範囲での検討が行われた。さらにこの試験と並行して部隊での実用試験も行われた。これらの試験で得られた成果は、59式中戦車の生産ラインに反映され装置の改善が行われた。59式中戦車は部隊では、優れた戦闘力を有し、機器の信頼性も高く、整備や維持も手間が掛からず、要求された性能に完全に達成していると高い評価を受けた。

59式中戦車の生産は当初はソ連から供給された部品の使用率が多かったが、次第に部品の自給率を次第に高めて行き、1961年までには鋳造砲塔や装甲板の生産、D-10TG100mm戦車砲や弾薬も国産化に漕ぎ着けることになった。ただし、照準装置や夜間暗視装置といった精密機器、装甲板の生産に必要なニッケル等の希少金属に関しては、中ソの路線対立が深刻化する1964年頃まではソ連からの輸入に頼っていたようである。

車両の構造とその特徴
59式戦車はソ連のT-54A中戦車のライセンス版であり、基本的な性能や車体構成はT-54Aに準じている。車体は溶接鋼板、砲塔は鋳造鋼板で製造されている。当時中国では装甲版の生産に必要なニッケルを輸入に頼っていたが、59式中戦車一両の生産には約1tのニッケルが必要であり、貴重な外貨を使用して多量のニッケルを輸入するのは国家財政の面から問題があった。そして1964年にはソ連からのレアメタル供給が途絶することになり、中国は否応無く装甲板の自給体制を整える必要性に迫られることになった。中国側では国内で入手可能なレアメタルでニッケルを代用する研究を開始、ニッケルを使用しない601型鋳造装甲板と603型圧延装甲鋼板の実用化に漕ぎ着けた。さらに1966年には、モリブデンの含有量を減らし銅に置き換えた装甲板の開発が開始され6年後623型装甲鋼板として実用化され、601型に代わって59式中戦車の砲塔に使用されることとなった。623型は601型に比べてモリブデンの使用量を半分にした上、低温時の装甲の強靭性は遥かに向上した。また、601A型や622型鋳造装甲、610型中型圧延鋼板、611型厚型圧延鋼板も開発され、中国戦車の標準的な装甲板として使用されることになった。

59式の装甲厚については下記の通り。
車体正面上部97mm(58度傾斜)
車体正面下部99mm(55度傾斜)
車体側面上部79mm(傾斜なし)
車体側面下部20mm(同上)
車体後部46mm(同上)
車体上面前部33mm
車体上面後部20mm
砲塔正面203mm(傾斜なし)
砲塔側面150mm(傾斜なし)
砲塔後面64mm(傾斜なし)
砲塔上面39度(79度傾斜)
【参照】Jane's Armour and Artillery 2006-2007 (Jane's Information Group)

乗員は4名で、操縦手が車体前方左側、車長と砲手が砲塔左側、装填手が砲塔右側に位置するが、この配置では車体左部を貫通された際に操縦手、砲手、車長の3名が同時に戦死する危険性を有していた。

操縦席上部のハッチには、2基のペリスコープが設置されており、内一基は夜間操縦用に赤外線暗視装置が標準装備されている。ただし、ソ連のT-54Aで標準装備されるようになった車長や砲手用の暗視装置は59式には搭載されなかったため、夜間戦闘は困難であった。操縦手の右側にはバッテリーと砲弾ラック・燃料タンクが配置されている。また、操縦手座席の直後の車体底部には脱出口が用意されている。

砲塔は鋳造鋼板で製造されており、良好な避弾経始を有していた。車長と砲手が砲塔左側、装填手が砲塔右側に位置する。車長用キューポラは4基のペリスコープが装備され全周旋回が可能。車長用キューポラと装填手用ハッチの前方にはそれぞれMk-4ペリスコープ1基が配置されている。

装填手用ハッチの手前には換気用ベンチレーターのドーム型カバーがあり、これは88式主力戦車まで引き継がれる中国戦車の特徴の1つとなる。砲塔の側面にはタンクデサント用に4つの手すりが溶接されている。砲塔前面左側には直接照準機用の照準口が、右側面には主砲同軸機銃の銃口が用意されている。59式は、原型のT-54Aと同じく砲塔バスケットやターンテーブルが無く、砲塔旋回時には搭乗員も砲塔の動作に合わせて移動する必要があり、運用面における問題となった。砲塔の旋回は電気モーターを使用する[22]。砲塔の最大旋回速度は毎秒10度。

59式中戦車の主兵装は59式56口径100mmライフル砲である。これは、ソ連のD-10TG100mmライフル砲をライセンス生産したものである。D-10TGは、T-54Aから使用が開始された戦車砲であり、T-54のD-10T戦車砲にカウンターウエイトを兼ねた砲排煙装置と砲安定用スタビライザー(垂直安定のみ)を追加装備したのが特徴である。ただし、完全な行進間射撃は困難であり、射撃時には停止して、おおよその方向に安定化されている砲を微調整して射撃、再び移動する方式を採っていた。D-10TGは水平鎖栓式閉鎖器を採用しており、俯仰は電気/油圧駆動で行う。俯仰角はプラス17度からマイナス4度。砲身長は5.3m、砲重量1,948kg。使用可能な砲弾としてはAPHE(Armor Piercing High Explosive:徹甲榴弾)、HEAT(High Explosive Anti Tank:対戦車榴弾)、HE(High Explosive:榴弾)があった。ソ連では1968年から貫通力に優れたBM-8 HVAPDS(初速1,415m。最大貫通力264mm/1,000m)が主力砲弾として使用されるようになったが、中国ではこの砲弾は使用されることは無かった。

それぞれの砲弾の貫通力と命中精度に関しては以下の通り。
砲弾名弾種射程500mでの貫通力(以下同)射程1,000m射程1,500m射程2,000m
BR-412APHE155mm135mm117mm100mm
BR-412BAPHE171mm146mm
BR-412DAPHE175mm156mm
BK-5MHEAT380mm380mm380mm380mm
砲弾名弾種射程500mでの命中精度(以下同)射程1,000m射程1,500m射程2,000m射程2,500mm
BR-412APHE90%50%33%8%4%
BK-5MHEAT84%43%25%2%-
【参照】『ソ連地上軍-兵器と戦略のすべて-』(デービッド・C・イズビー著、林憲三訳、1987年、原書房)

射程1,000mを超えると命中精度が急速に悪化していることがわかる。その原因としては、ソ連がT-54の開発において遠距離射撃能力を余り重視しなかったことと、照準装置の能力の問題があった。59式中戦車の照準装置は車長用ペリスコープのスタジアメトリック式照準機と、砲手用のテレスコピック照準器の2つが使用されている。スタジアメトリック方式は、照準機の目盛りと目標の大きさを比較して射程距離を測定する。この方式は、装置が単純で済み近距離では命中精度は良好であるが、正確に目標の距離を判定するためにはある程度の訓練と経験が必要であり、遠距離では命中精度が急速に低下する等のデメリットも有している。射撃にいたる手順としては、車長がスタジアメトリック照準機で目標までの距離を測定し、簡単なボタン機構で砲手に対して目標を指示、それを受けて砲手がテレスコピック照準器で照準を行う順序となっている。

100mm砲弾は合計34発が搭載されている。配置場所は車体前部右側の燃料タンクと一体化した砲弾ラックに20発、車体左側側面に2発、車体右部側面に4発をベルトで固定、即応弾として砲塔内部の側面右側に2発、砲塔後部に5発がベルトで固定。さらに、1発を100mm砲の真下の車体底部に搭載している。T-34以来のソ連戦車では、装填手は砲塔右側に位置するが、この位置では装填手は左手で重い砲弾を取り出し左手を軸として砲弾を持ち運ばねばならず、右利きの人間にとっては問題のある配置になっていた。また、砲弾の多くが車体各部に分散配置されているため戦闘中には取り出しが難しい、砲塔バスケットが無いため装填手は砲塔の旋回に合わせて移動を強いられる、再装填の際には装弾に必要な空間を確保するために砲尾を上げなければならないこと、狭い車内で空薬莢が足元に散乱することも装填手の負担を多くした。そのため、名目上の最大発射速度は毎分7発であるが、実際の発射速度は毎分4発程度に留まった。副武装としては、砲塔上に対空・対地兼用の54式12.7mm重機関銃×1(弾薬500発)、59式7.62mm機関銃が主砲同軸と車体前面に固定装備(弾薬3,000発)された。砲塔内側の右側面には自衛用の自動小銃1挺とその弾薬が装備される。砲塔後部には煙幕用発炎筒2基、手榴弾20発が携行されることになっているが、平時には未搭載のことが多い。

59式戦車のエンジンは、T-54AのV-54ディーゼルエンジンのライセンス版である12150L型液冷4サイクルディーゼル(520hp/2,000rpm、排気量38.600cc)が搭載された。12150L型エンジンは1958年8月から中国でのライセンス生産が開始された。同エンジンは軽合金を多用することで軽量化に勤めている(乾燥重量880kg)が、その反面被弾時に火災を起こす可能性が高いデメリットを有する。エンジンの起動方法は、圧縮空気を使用する方法と電気起動式の2つの方法があり、寒冷期には主に前者が使用された。懸架装置はトーションバーサスペンションで上部支持輪の無い5つの大型転輪で構成されている。第1、第6転輪には振動低減のためショック・アブソーバが装備されている。キャタピラはシングル・ピン、シングルブロック式。トランスミッションは前進5段・後進1段の手動/非同期機械式スタティック・シンクロメッシュでメインクラッチは乾式多板方式。59式中戦車のギアチェンジにはかなりの力を要し、変速時に必要なダブルクラッチ操作と共に操縦手に大きな負担をかけている。操行装置は手動の遊星歯車付きクラッチ・ブレーキ式。構造が単純な反面、旋回や急動作性能には劣っている。

59式中戦車の最高速度は50km/h、路上での平均速度は30〜33km/h。最大航続距離は400〜440km(車内燃料のみ)、増加燃料タンクを使用して最大600km。最大登攀角度は30度、2.7mまでの幅の壕、0.8mの壁を超えることが可能。準備なしで1.4mまでの河川を走行できる。潜水渉河では水深5.5mまで走行可能であるが、潜水渉河に際しては車体の水密性確保のため準備作業が必要であり、即座に実施することはできない。

通信機はA-220型かA-220A型通信機を装備。交信可能距離はそれぞれ16kmと20km。59式は被弾時に備えて半自動消化システムが用意されている。消火用装置としては他に手提げ消火器1基が装備された。なお、NBC対策装置は未搭載である。

量産後の状況
中国では59式中戦車の量産化によって、戦車の自給体制を実現することに成功したが、その直後中ソの路線対立により、ソ連はすべての軍事支援を打ち切ることになった。これは、全面的にソ連の援助に依拠していた中国兵器産業にとっては極めて重大な事態であった。さらに、文化大革命による政治的混乱は兵器産業にも影を落とし、兵器産業全体の停滞をもたらすことになった。

59式中戦車もその影響を免れることは出来ず、1970年代末まで装備の近代化も施されること無くほとんど原型のまま生産が継続されることになった。59式中戦車は、その登場時点では世界各国の戦車と比べても遜色の無い性能を有していた車両であったが、1970年代末には各国の戦車と比べて旧式化は明白なものになっていた。砲安定装置を垂直/水平軸安定式に換装(「59式(双穏)中型坦克」)したり、レーザーレンジファインダーを搭載したタイプも登場していたが、その生産数は一部に留まった。文化大革命の終結後、1970年代末から59式の本格的な改良が行われるようになるが、それ以後の状況については59-I式中戦車(59A式/WZ-120A)以降の項で記述する。

59式の生産状況は、1970年代初めまでが年間500〜700両、1979年1,000両、1980年500両、1981年600両、1982年1,200両、1983年1,500〜1,700両(一部69式戦車の生産数も含む)となっており、生産のピークは1980年代であったことが分かる。自国向けに6,000両を越える生産が行われるだけでなく、国外にも援助や輸出が行われ、総生産数は約1万両に及んでいる。主な輸出先は、アルバニア(470両)、バングラデシュ(約100両)、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(71両)、カンボジア(200両)、コンゴ民主共和国(20両)、コンゴ共和国(15両)、イラン(500両)、イラク(約700両)、北朝鮮(175両)、パキスタン(1,200両)、スリランカ(80両)、スーダン(30〜200両)、タンザニア(30両)、ヴェトナム(350両)、ザンビア(20両)、ジンバブエ(30両)等となっている。

59式は、中ソ国境紛争や中越紛争、印パ戦争、ヴェトナム戦争、ヴェトナム軍のカンボジア侵攻、ウガンダ・タンザニア戦争、イラン・イラク戦争や湾岸戦争、イラク戦争、そして世界各地の内戦で実戦投入されている。

1972年の第3次印パ戦争では、パキスタン軍の戦車部隊の主力として59式225両がT-54中戦車50両やM47中戦車等と共にインド軍との戦闘に使用された。しかし、この戦いでは450両のT-54/55を有するインド軍の前にパキスタンは敗北を喫することになる。パキスタン側はインドに対して数的に劣勢にあった上に、同国の59式はインドのT-54/55が装備している夜間暗視装置や貫通力に優れたBM-8 HVAPDS弾を保有しておらず車体の工作精度でもソ連製に劣っていたとされる。59式は第3次印パ戦争では一敗地に塗れたが、その後もパキスタンは安価で数を揃えられる59式の調達を継続し、最終的には1,200両を配備する海外最大の59式カスタマーとなった。

1979年の中越紛争では、中国軍、ヴェトナム軍双方が保有する59式が戦闘を交えるという事態が発生した。山岳部の多い中越国境地帯の戦闘では、軽量な62式軽戦車等に比べて59式中戦車は歩兵部隊に追随するのにしばしば困難を来たした。しかし、脆弱な装甲の62式軽戦車がヴェトナム軍の攻撃で大きな損害を受けたのに対して、59式はそれなりの防御性能を発揮したと評価された。ただし、車内には燃料タンクや弾薬が所狭しと置かれていたため、被弾により車内で火災が発生した場合には二次爆発を招くケースが相次ぐことになった。中越紛争で得られた戦訓は、後の59-I式中戦車の開発において反映されることになる。

【派生型一覧】 注:全てを網羅したものでは無い。
T-54ソ連より供与。
T-54Aソ連より供与。
59式WZ120T-54Aのライセンス生産型。1958年から生産開始。
59式指揮戦車59式の指揮戦車型。59式より通信用アンテナが一本多い。
59式(双穏)型砲安定装置を垂直/水平軸安定式に換装。
59-I式(第一期改装)WZ120A別名59A型。レーザー照準器やアクティブ赤外線暗視装置を装備。
59-I式(第二期改装)59-I式の改良型。
59-I式(第三期改装)59-I式の改良型。
59-I式(防御力強化試験型)モジュール式複合装甲やスラットアーマーを装備。人間工学的な改善が施されたのも特徴。
59-I式地雷処理型 マインプラウや地雷原処理用ロケットを搭載。
59-II式WZ120B別名59B型。主砲を79式51口径105mmライフル砲に換装。新型射撃統制システムを搭載。
59-II式指揮戦車BW120B59-II式の指揮戦車型。VRC-8000通信機を2台装備。砲弾搭載数が2発減少している。
59-IIA式 59-II式の改良型。主砲を81A式51口径105mmライフル砲に変更。
59-IIA式指揮戦車 59-IIA式の指揮戦車型。CWT-176通信機を追加装備。砲弾搭載数が3発減少している。
59-IIA式地雷処理型 マインプラウや地雷原処理用ロケットを搭載。
名称不明(59-II式改造型)59-II式に新型レーザーレンジファインダーや弾道計算機、照準操作用液晶パネル、「北斗」衛星位置測定装置等を搭載したアップグレード型。主砲は79式105mm戦車砲のまま。
59-III式 別名59C式。1990年代に登場したとされる59式の改良型。詳細は不明
59DI式WZ120C59-II式の改良型。軍制式名はZTZ-59DI型。中国第二世代の射撃統制システムと微光増幅式暗視装置を搭載、エンジン出力を強化(520hp→580hp)。防御力強化のためFY-1/2爆発反応装甲を装着。改良型の59D型のベースとなる。
59D式WZ120DZTZ-59DI型の改良型。軍制式名はZTZ-59D型。主砲を長砲身の83A式58口径105mmライフル砲に換装。
59P式IDEX2007兵器ショーで公開。改装内容は59D式に相当する。戦車砲は83A式もしくは新開発の長砲身105mm滑腔砲。
Al-Zubair 2 スーダンで採用された59P式。
59改/G式(B59G-1)59-II 式戦車をベースに開発された指揮戦車型。
59改/G式(B59G)105mm滑腔砲のテストベット車両?詳細不明。
59改/G式(BW-120K型)別名59-120。BW-120K 48口径120mm砲を搭載。59式への120mm砲搭載の可能性を検討するために試作された。
59改/G式(BK-1990型)別名59-120。BK-1990 50口径120mm砲を搭載。開発目的は59改式(BW-120K型)と同じ。
59式120mm砲搭載アップグレード型NORINCOが提案している59式・T-54/55に120mm滑腔砲を搭載する近代化改修案。
59改/G式(125mm滑腔砲搭載型)別名59-125。既存の砲塔に増加装甲を装着し主砲を125mm砲に換装する大規模な改装を実施。
59/69式 125mm滑腔砲アップグレード型低反動125mm砲搭載。海外の59/69式運用国に対して近代化改装案として提示。
59式(96G式砲塔搭載型)正式な名称は不明。IDEX2007兵器ショーで公開。96G式戦車の砲塔を搭載。
名称不明(125mm砲搭載型)既存の砲塔に大型の増加装甲を装着、主砲を125mm滑腔砲に換装。
59式改装案(100mm砲搭載型) NORINCOが外国の59式・T-54/55戦車保有国に対して提案中の近代化改装型。比較的小規模な改装に留まっている。
情報共有型59式 データリンク装置などを搭載した車両では無いかと思われるが、詳細については不明。
砲発射式対戦車ミサイル搭載型GP-2の運用能力を付与された59式。
支援射撃用砲兵部隊に転属されて、火力支援任務に使用される59式。
64式戦車回収車WZ652 
73式戦車回収車WZ651 
64式重牽引車WZ411 
89式対戦車自走砲砲塔搭載型 89式120mm自走対戦車砲(PTZ-89)のテストベットとして製作。
ジャガー アメリカと共同開発された輸出専用戦車。試作のみ。
T-59M11パキスタンでの59式の改装型。戦車砲を105mmライフル砲に換装しエンジン出力を580hpに強化。
59式近代化改修(第一段階)パキスタンでの59式の改装型。T-59M11とほぼ同じ改装。59式500両が改修を受ける
59式近代化改修(第二段階)パキスタンでの59式の改装型。第一段階の改装に加えて、夜間暗視装置を改善。59式300両が改修を受ける。
59式近代化改修(第三段階)/「Al-Zarrar」試製一型パキスタンでの59式の改装型。ウクライナの支援を受けて製造。ウクライナ製5TDF対向エンジン(700馬力)に換装。125mm滑腔砲を搭載し射撃統制装置を改善、付加装甲と爆発反応装甲を装着。
59式近代化改修(第三段階)/「Al-Zarrar」試製二型パキスタンでの59式の改装型。出力690馬力のV46-5Mエンジンを搭載。爆発反応装甲を装着。主砲は100mm砲のまま。
59式近代化改修(第三段階)/「Al-Zarrar」試製三型パキスタンでの59式の改装型。中国系の125mm滑腔砲と730馬力の12150ZLBWエンジンを搭載、射撃統制装置や増加装甲については試製一型と同じ改装内容。
59式近代化改修(第三段階)/「Al-Zarrar」量産型パキスタンでの59式の改装型。試製三型をベースとする。今後、400〜611両の59式がこの改装を受ける予定。
英ロイヤルオードナンス近代化改修案  
トルコ、アセルサン社の近代化改修案  
59式北朝鮮版 砲塔上部の12.7mm重機関銃を14.5mm重機関銃に換装。
VT-3 NORINCOの輸出向け戦車の1つ。59式に大規模な近代化改装を施した車両とされる[23]
T-59T タンザニア軍が採用した59式の近代化改装型。T-59Gの名称も使用されている

【参考史料】
[1]『ソ連地上軍-兵器と戦略のすべて-』(デービッド・C・イズビー著、林憲三訳/1987年/原書房)
[2]「共和国成立期の軍事戦略と軍需産業」(丸山鋼二著)所載:『一九四九年前後の中国』(久保亨編/2006年/汲古書院)
[3]「戦車マガジン12月号別冊T-54/55/62」(株式会社戦車マガジン/1991年)
[4]「戦車マガジン4月号別冊AFV91―1991世界の戦車年鑑」(株式会社戦車マガジン/1991年)
[5]「中国戦車開発史[1]」『月刊グランドパワー2004年6月号』(古是三春/ガリレオ出版/2004年5月25日)
[6]「中国59式改進型中型坦克」『火力戦神-THERMODYNAMIC POWER 陸戦編【2】』(彭援朝編集/中国文聨出版社/2004年7月)
[7]「宝刀未老―T-54/55系列坦克家族」『火力戦神-THERMODYNAMIC POWER 陸戦編【2】』(彭援朝編集/中国文聨出版社/2004年7月)
[8]Jane's Armour and Artillery 2006-2007 (Jane's Information Group)
[9]戦車研究室
[10]青葉山軍事図書館
[11]全国文化信息資源共享工程-「中国坦克発展之程」
[12]坦克與装甲車両「中国59式中型坦克」
[13]中国武器大全 「中国59式到88式主戦坦克的技術発展」
[14]中国武器大全「中国坦克族譜」
[15]中国武器大全「中国59式到88式主戦坦克的技術発展(上)(下)」
[16]中華網「中国坦克之痛-59式主戦坦克編-」
[16] 「中日坦克工業50年発展対比與反思」
[17]人民網「俄羅斯媒体評中国坦克業:仍受俄式坦克影響」
[18]Chinese Defence Today
[19]Global Security
[20]Strategy Page「New Chinese Tanks in Sudan」
[21]「燃气轮机装上国产坦克」『坦克装甲車両』2010年2月号
[22]中国人民解放軍装甲兵技術学院『五九式坦克使用知識問答』(1979年10月)
[23]MDC軍武狂人夢「59式中型坦克」

59式戦車の派生型
その他の59式戦車近代化改修型
59式戦車125mm滑腔砲搭載型
59式戦車120mm滑腔砲搭載型
59DI/59D/59P式戦車(WZ-120C・D/ZTZ-59DI・D/アル・ズバイル2)
「ジャガー」戦車(美洲虎)【米中共同開発・試作のみ】
「アル・ザラール」戦車 【パキスタンの59式戦車近代化改修型】
59-II/59-IIA式戦車(59B式/WZ-120B)
59-I式戦車(59A式/WZ-120A)
中国陸軍

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