日本の周辺国が装備する兵器のデータベース




▼60式の原型、ソ連のD-74 122mm加農砲 (C)ZW-OBSERVER

▼D-74正面、側面図 (C)ZW-OBSERVER


性能緒元
口径121.920mm
砲身長5,690mm(46.7口径)
牽引時全長9,900mm
牽引時全幅2,420mm
牽引時全高2,750mm
戦闘重量5,540kg
牽引時重量5,620kg
初速885m/秒
最大射程23,900m
発射速度8〜10発/分
俯仰角度-5〜+45度
方向射界左30度、右28度
要員9名
牽引速度30〜60km(路上)、10〜15km(野外)

60式122mm加農砲は旧ソ連(ロシア)のD-74 122mm加農砲を1950年代末に中国で国産化したものである。ソ連では1940年代末から、独ソ戦の戦訓を踏まえた次世代野砲の開発が行われた。開発において重視されたポイントは、射程の増大、射撃速度の向上、弾薬の威力向上、初速の向上、対戦車戦闘能力の付加と装甲貫通力の強化、機動性の向上であった。これによって開発されたのが、D-20 152mm榴弾砲M-46 130mm加農砲、そしてD-74 122mm加農砲等のソ連の戦後第一世代の各種野砲であった。D-74はM-46と共にA-19 122mm加農砲(M1931/37)を代替する加農砲として開発された。ソ連では最終的にM-46を主力加農砲として採用することを決定し、D-74のソ連軍での配備は少数に留まった。これはD-74の性能がM-46と被ること、比較的複雑な構造のため生産・維持コストがかさむことなどが要因であった。ソ連はD-74を友好諸国への供与/輸出用加農砲とすることを決め、中国、北朝鮮、北ヴェトナム、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、キューバ、エジプト、ナイジェリア等の国々がD-74を装備することとなった。

中国では1950年から55年にかけて、1.1万門に上るソ連製野砲の輸入が行われ、従来の米、独、仏、ソ、日本等各国製の種々雑多な砲兵装備の刷新を行った。これに続いて1953年から57年にかけて、10種類のソ連製野砲のライセンス生産が開始され野砲の自給体制の確立が行われた。ただしこれらの野砲は二次大戦中にソ連が使用したものがほとんどで、既に性能的に陳腐化したものも多かった。中国では、次の段階として各国の新型野砲と同等の性能を有する野砲の国産化を実現することを決定した。この目標を達成するため、D-20 152mm榴弾砲、M-46 130mm加農砲、そしてD-74 122mm加農砲等のソ連の戦後第一世代の新型野砲の国産化作業が開始された。しかし、中ソの関係悪化を受けて1960年にはそれまでソ連から供給されていた野砲製造用の鋼材の輸入が中断されてしまった。野砲の製造停止の危機に見舞われた中国だったが、翌1961年には代替品の試作に成功し、1962年にはM-46 130mm加農砲、D-74 122mm加農砲の国産化(それぞれ59式130mm加農砲、60式122mm加農砲として制式化)と部隊配備に漕ぎ着けた。

59式130mm加農砲と60式122mm加農砲は、同時期、同一用途、同一の技術水準の兵器であった。ソ連軍ではM46 130mm加農砲が主力装備となりD-74 122mm加農砲は輸出に回されたが、中国軍では双方とも配備が行われた。これは59式の重量が60式よりも3トン近く重いことが背景にあった。60式であれば6×6トラックでの牽引が可能であったが、59式では装軌式牽引車が必要であり、牽引速度は最高35km/hに留まり、牽引車両の値段や維持費も6×6トラックよりはるかに高いものになった。また59式の重量では陣地に展開する際に一門当りの要員(9名)だけでは砲を移動させることが不可能であり、4個小隊(4門)の要員全員(30人以上)でようやく一門の59式を移動することが出来た。これは陣地展開に多くの時間を費やし、敵の砲撃に曝される危険性を有する事態であった。また1950〜60年代の中国では砲の展開を支援するための各種牽引車両が極めて不足しており、車両を使用して陣地展開の時間を短縮することも困難であった。これらの要因により、比較的軽量で運用も容易な60式122mm加農砲と長射程ではあるが大重量の59式130mm加農砲を並行装備することで相互の問題点を補うことが決定された。なお、牽引車両不足に対するもう1つの解決法として、1958年から130mm加農砲とD-23 152mm榴弾砲の自走砲化の研究が行われたが、当時の中国の技術水準では実用化は困難であり開発は中断されることになった。

60式の122mm加農砲は46.7口径と長砲身であり、その製作には高い精度が要求された。砲口にはダブルバッフル式のマズルブレーキが装着された。砲尾の閉鎖器は水平鎖詮式を採用。この方式の閉鎖器は螺旋式閉鎖器に比べて重量では不利であるが、砲弾発射速度の向上のためには有利である。60式は分離式砲弾で装薬は金属薬莢に封入されている。金属薬莢は通常の装薬に比べてコストは高くなるものの、誘爆等に対する安全性の向上に繋がるメリットがある。金門島砲撃の際には、通常の野砲が長時間の砲撃のため砲身が過熱してしまい、装薬が砲身内で誘爆する事故が発生したが、金属薬莢であればそのような事故を防ぐことが出来る。60式には装填補助装置が採用されており、運用の簡便化と連続射撃の際の発射速度の向上に寄与している。また、大仰角射撃の際に、砲弾が滑り落ちるのを防止するための装置も搭載されている。これらの新機軸は性能の向上をもたらしたが、高い製作精度、生産コストの上昇、整備運用における負担増という問題点も生じることとなった。60式の砲弾は、榴弾、照明弾、焼夷弾、APDS-T弾、科学弾、発煙弾などがある。APDS-T弾は重量25kgで、射程1,000mで230mmの垂直鋼板を貫通することが可能。榴弾は48kgで、1発で40m×20mの範囲の徒歩歩兵を制圧可能。匍匐状態の場合は24m×13mとなる。

60式の砲の後座装置は砲身の上に配置されている。これは敵砲兵に攻撃された際に断片による被害を受けやすい位置である。この位置に後座装置を持ってくるのは、対戦車砲の設計手法であり、少しでも砲の高さを低くすることで被発見率を低下させることを目的としている。これは全ての野砲に対戦車戦闘任務を負わせるというソ連軍のドクトリンが背景にある。60式の砲架は66式152mm榴弾砲(D-20)と共通である。砲架の大部分は鋳造部品によって製作されている。射撃の際は、砲架に装備された回転式底盤を地面と接地させて車輪は接地しない状態にする。こうすれば360度の方の旋回が可能となり、射撃や対戦車戦闘に大いに便利となる。ただし緊急時の際には回転式底盤を使用せず射撃を行うことも可能。その際には左右への射角は左30度、右28度と制限される。砲架には砲手の防御用に防盾が装備されている。防盾上方右部と砲口上には信号灯が装備されており、夜間行軍の際に後方車両との衝突を防ぐ目印となる。

60式は砲兵旅団や軍直属の砲兵部隊に配属され、作戦時には砲兵予備隊として自軍の縦深地帯に配備され、その長射程を生かして支援射撃、敵砲兵への制圧射撃のほか、直射による支援射撃、対戦車砲撃任務にも使用される。1960年代初期には中国沿岸での台湾海軍との戦闘が相次いだことから、台湾と対峙する福建省沿岸部に配備され沿岸砲としても使用された。その際の照準は別部隊から借用した測距器を使用して行われた。また、1969年の中ソ国境紛争で中国軍の既存の対戦車兵器の旧式化が明らかとなったことから、新型対戦車砲の完成までのストップギャップとして122mm、130mm加農砲を対戦車任務に投入することになった。砲兵科ではソ連軍の機甲部隊に対する対戦車戦術の研究を行ない、間接照準射撃により移動中の機甲部隊に対して攻撃を実施するための戦術を開発した。この研究を踏まえて、その戦術に適した砲弾や照準装置が開発されることになった。

60式は59式130mm加農砲と共に中国軍の主力長距離野砲となった。その後1970年代に60式の部品を流用して軽量化、発射速度の向上を行った59-I式130mm加農砲が開発され、主力加農砲の地位を譲ることになった。現在では60式の多くは予備装備として保管されている。なお北朝鮮ではD-74/60式を自走砲化したM1981 122mm自走加農砲、M1991 122mm自走加農砲が開発されている。

【参考資料】
世界航空航天博覧 総第109期2004年12月号「1960年式122毫米加農炮」
Chinese Defence Today
ZW-OBSERVER
中国武器大全
中華網「武器装備庫」

【関連項目】
M1981 122mm自走加農砲
M1991 122mm自走加農砲
D-74 122mm加農砲

中国陸軍

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