日本の周辺国が装備する兵器のデータベース


▼最初の試作型、85式主力戦車。80-II式戦車(BW-122)の車体に溶接砲塔を搭載


▼北京郊外の坦克博物館に展示されている風暴I型(Storm-I/85-I式)初期の試作型と思われる


▼風暴I型(Storm-I/85-I式)上の車両とは異なり実証型と思われる


▼風暴I型(Storm-I/85-I式)砲塔前部の複合装甲封入部


▼風暴II型(Storm-II/85-II式/WZ-1227F2)


85-II式性能緒元
重量41t(39.5t説もある)
全長9.34m
全幅3.327m
全高2.3m
エンジンVR-36 水冷ディーゼル 800hp
最高速度57km/h
航続距離600km(車内燃料)/700〜900km(予備燃料タンク使用時)
渡渉深度 
武装83A式58口径105mmライフル砲×1 (44発。46発、48発説もある)
 54式12.7mm重機関銃×1(500発)
 59式7.62mm機関銃×1(2,250発)
 84式76mm発煙弾発射機×12
装甲車体前面及び砲塔前面が複合装甲
乗員4名(車長、砲手、操縦手 装填手)

85式主力戦車は、中国が当初から海外市場を前提にして開発した最初の戦車である。80式戦車(WZ-122/ZTZ-80)88式戦車(80-I式戦車/WZ-122A/ZTZ-88)によって第二世代戦車の開発に成功した中国だったが、その性能は戦後第二世代戦車の域を出るものではなく、各国の新型戦車との技術的格差はなお大きなものがあった。このギャップを埋めるべく開発中の次世代戦車(後の98式主力戦車)の完成はまだ当分先のことであった。また、当時の中国は改革開放が緒に就いたばかりであり、戦車開発のための充分な資金を調達することは財政的に困難であった。

このような状況において中国当局は、外国市場をターゲットとした輸出用戦車開発を企画提案して、その車両の調達を希望する国との間で共同開発を行うことで開発資金を補填するという新しい開発形態を考案した。この方法は開発資金を海外パートナーとのいくつかの海外パートナーの関心を呼び、本稿で取り上げる85式戦車シリーズや90-II式戦車(MBT-2000/アル・ハーリド)(両車ともパキスタンとの共同開発)、アメリカとの共同開発のジャガー戦車などがこの方法で開発されることになる。

NORINCOが後の85式になる戦車の開発を企画したのは1980年代中頃である。この企画は既存の80式戦車(WZ-122/ZTZ-80)88式戦車(80-I式戦車/WZ-122A/ZTZ-88)をベースにして、新設計の溶接砲塔(複合装甲を採用)を搭載することで、開発経費を抑えつつ火力と防御力を強化した戦車を早期に開発できるというものであった。この新型戦車の企画に興味を示したのがパキスタンであった。中国とパキスタンは、ソ連とインドという共通の仮想敵を有する関係から、1960年代から軍事的協力関係を持つようになっていった。1970年代末、インドがT-72の生産を開始したこと、ソ連がパキスタンの隣国アフガニスタンに侵攻したことで、パキスタンは戦車戦力の近代化のためにアメリカと中国に接近することになる。中国とパキスタンの交渉は1986年から開始され、80年代後半から本格的な各種協力体制の構築が行われ、両国は1990年にパキスタンの戦車戦力近代化と戦車自給体制を構築するための総合的計画に調印を行った。この計画では、中国が開発した「第二世代戦車」のパキスタンでの生産と「第三世代戦車」の共同開発を行うことが示されていた。この「第二世代戦車」は先ほどの80/88式主力戦車をベースにして開発されていた新型戦車であり、第三世代戦車は後の90-II式戦車(MBT-2000/アル・ハーリド)である。このとき、既に中国とパキスタンの共同出資のもとで「第二世代戦車」の開発は実証試験の直前にまで進展していた。「第二世代戦車」の実際の開発作業はNORINCO傘下の617工場研究所で行われた。総設計師(設計主任)は80式戦車の開発主任でもあった方慰先技師が引き続き就任した。

最初の試製車両は80-II式戦車(BW-122)の車体に新設計の溶接砲塔を搭載して製作された。この車両は溶接砲塔の実用試験的な意味合いがあったものと推測される。主砲の83式105丱薀ぅ侫詼ぁISFCS射撃統制システム、12150ZLBWエンジン等の各種コンポーネントは80/88式の物を流用している。本車の砲塔は後の85式戦車シリーズのものとは異なっており、複合装甲を搭載しているかどうかは不明。この試製車両はのちに85式主力戦車と命名され85式シリーズの原型と位置づけられることになる。

NOARINCOは、85式の製作後、実用化を前提とした第二次試作車の開発に着手した。この車両は海外市場向けを意識した風暴I型(Storm-I)という名称が与えられ、のちに85-I式と命名されることになる。風暴I型では、車体前面と砲塔前部に複合装甲が採用された。砲塔は85式よりも低姿勢の8角形のものとなり、砲塔前面に複合装甲を封入した。砲塔高は80式戦車(WZ-122/ZTZ-80)より100mm低くなり、正面投影面積の減少に務めている。逆に砲塔のターレットリングは、80式の1,840mmから2,100mmに拡大されており、戦闘室の容積は80式より広いものになっている。複合装甲を導入した車体前面と砲塔前面の対弾性能は、対運動エネルギー弾でそれぞれ350mm/500mm、対成形炸薬弾で450mm/650mmとなっている(均質圧延鋼板=RHA換算)。砲塔後半部分は成形炸薬弾対策を兼ねた籠型ラックが装着されているが、これはこれ以後の中国戦車に共通する装備となる。また砲塔両側面には84式76mm発煙弾発射機が12基装備されている。

戦車砲は83式51口径105mmライフル砲から83A式58口径105mmライフル砲に換装された。これは、中国がL7 105mmライフル砲を輸入する際に結んだ契約では105佶い梁荵姐颪悗陵⊇个15年間禁止されているため、外国に戦車を輸出する際は別の戦車砲を搭載せざるを得なかったためである。83A式58口径105mmライフル砲は原型のL7 105mmライフル砲よりも砲身を800mm延長しており、長砲身化によって砲弾の初速が向上し装甲貫通力も強化(APFSDS-T弾で550mm以上)されている。砲身寿命も製造方法の改善により原型より多くなっているとの事。戦車砲の威力を向上させるためには、長砲身化して初速を稼ぐことで運動エネルギーを高める方法と、大口径化して砲弾重量を増加させることで運動エネルギーを高める方法がある。中国の設計者が選択したのは、既存の105佶い鯆綱た伐修垢訌絢圓諒法であった。当時の中国の限られた開発リソースでは長砲身化の持つメリット、すなわち新規に大口径砲を設計するよりも低コストで開発が可能で既存の105mm砲弾を無駄にしないという点は無視できないものがあった。もちろん長砲身化にも長射程では運動エネルギーの減退が激しいなどのデメリットがあり、これが後に戦車砲を125mm滑腔砲に変更する要因の1つになったと思われる。砲弾搭載数は44発で、砲塔後部に6発、車体中央後部に18発、操縦席右側の砲弾ラックに20発が搭載されている。砲塔後部の砲弾ラックには西側第三世代戦車のようなブローオフパネルは無く被弾時の二次爆発の危険性が存在した。使用可能な砲弾はAPFSDS-T、HEAT-T、HESH、HE弾など。

射撃統制システムは85式と同じくISFCS-212射撃統制システムを採用し、行進間射撃が可能。1,600mでの固定目標に6秒以内に射撃が可能で命中率は90%以上、1,200mでの移動目標に対しては12秒以内に射撃が可能で命中率は90%。砲弾の発射速度は7発/分。車体は複合装甲を採用した以外は85式と同じく80/88式の流用だが、フェンダー上の外部燃料タンクや道具箱が廃止され、全体を一体成形された防弾鋼製ボックスに換装され、車体側面にはドイツ流の波型サイドスカートが装着された。80式戦車(WZ-122/ZTZ-80)まで搭載されていたエンジン保温装置(寒冷時にエンジン温度を一定に保ち始動不良を防ぐ装置)は撤去された。これは風暴I型が中東諸国向け戦車として開発されたことによるものである。また、操縦手用サイト泥はねによる汚れを除去するために圧縮空気による洗浄装置が装備された。

なお、北京郊外の坦克博物館は風暴I型とキャプションのある戦車が展示されている。しかし、この車両の砲塔は接合部の溶接が粗雑で、キューポラやペリスコープ、同軸機銃がないなど実用戦車の砲塔としては疑問点が多いので、初期の試作車の可能性がある。

風暴I型は上記の改修で総重量は88式戦車より1t重い39.5tになった。しかし動力部は88式と共通だったため機動力が損なわれることが懸念された。これを受けて機動力の向上を中心に改良が加えられたのが風暴II型(Storm-II)主力戦車である。風暴II型はのちに85-II式主力戦車と改称されて制式化され製品番号WZ-1227F2が与えられた。風暴II型の基本構造は風暴I型と共通である。主要な変更点はエンジンを80/88式以来の12150ZLBW 水冷ディーゼル(730hp)からVR-36 水冷ディーゼル(800hp)に換装し、変速機も半自動式流体クラッチに変更した点である。VR-36は燃料効率が良好なエンジンで、航続距離は風暴I型の500km(車内燃料タンク)から600km(同)に延長された。また前部のサイドスカートが鉄製のものに換装されたのも識別点である。車体重量は41tに増加した(39.5tという説もある)。

さらに風暴II型をベースとして、採用を予定していたパキスタン側の要望を加えて改修を行った車両が開発され、後に85-IIA式主力戦車と命名された。風暴II型と85-IIA式の相違点は、車体長が僅かに短縮され車体重量は39.5tになったこと。戦車訓練用の模擬射撃装置「Weston Simfire 2」の装着ができるようにしたことなどである。砲弾の搭載数は44発となっている。85-IIAの開発に当たっては、当初からパキスタンでの国産化を行うことが両国で合意されており、NORINCOがパキスタン側パートナーのタヒラ重工業社と協力して量産体制を構築することになっていた。

風暴II型の存在が公にされたのは、1988年にその模型が公開されてからであった。翌1989年の国際兵器見本市「ドバイ'89」で85-II式、85-IIA式として各種仕様が公開された。そして1990年5月に85-II式は外国(公表されていないが、おそらくパキスタンと思われる)での運用試験に臨んだ。試験では各部の不具合が発生したが、特に変速機は深刻であった。2種類の変速機が用意されたが、いずれも故障を頻発して走行試験を終了させることができなかったのである。この結果を受けて、NORINCOは85-II式の信頼性を向上させるための改良が施すことになった。

この時期、国際環境はめまぐるしく変化した。ソ連のアフガニスタン撤退(1988年)、中ソの和解(1989年)により中国とパキスタンに対するソ連の脅威は大幅に減少することになった。これより前、パキスタンはNORINCOに対して、85-II式にソ連製 2A46 48口径125mm滑腔砲を自動装填装置ごと搭載することが可能かどうかという打診を行っており、これを受けて125佶づ觝楫燭慮Φ罎開始されていた。パキスタンの打診の背景には、インドのT-72、開発中の120mmライフル砲搭載アルジュン戦車に対して、長砲身化したとはいえ105丱薀ぅ侫詼い85-II式の火力では対抗し得ないのではないかという危機感があった。最終的に、先の85-II式の実証試験でのトラブル続出やパキスタンからの打診、そしてソ連の脅威が減少して新型戦車の配備を急ぐ必要が薄まったことを受けて、85-IIA式のパキスタンでの生産は中止され、研究中の85-II式をベースとして125mm滑腔砲を搭載する改良型を開発、生産することが決定された。

85-II式、85-IIA式は少数が生産され、試験的に中国軍に導入されただけに留まった。一部がパキスタンに引き渡されたとの説もあるが、パキスタン軍の現在の保有戦車の項目には85-IIA式は入っておらず、導入したとしてもごく少数だったと推測される。生産台数については62両、200両などの説がある。一両当りの予定価格は251.9万ドルだったとの記述もある。

85式 最初の試製車両。80-II式戦車の車体に溶接砲塔を搭載した。主要コンポーネントは80/88式戦車からの流用
85-I式当初の名称は風暴I型(Storm-I)。85式の成果を受けて実用戦車として製作された。長砲身105mmライフル砲、複合装甲を採用
85-II式WZ-1227F2当初の名称は風暴II型(Storm-II)。エンジンと変速機を換装して機動性向上を目指した
85-IIA式 85-II式のパキスタン仕様。車体を僅かに短縮するなどの改造を施した

【参考資料】
月刊グランドパワー 2004年9月号「中国戦車開発史(4)」(古是三春/ガリレオ出版)
坦克装甲車両 2006年9月号「在創新中発展 在発展中創新(上)-中国85-II主戦坦克」(坦克装甲車両雑誌社)
坦克装甲車両 2005年6月号「鉄騎従這里騰飛-首款国産第二代主戦坦克ZTZ80」(坦克装甲車両雑誌社)
現代艦船-軍事力量 2005年増刊「戦獅双勇-従85IIAP到MBT-2000」(現代艦船出版社)
世界航空航天博覧 第111期 2005年1月号「多元視点-俄羅斯人看中国坦克発展」(世界航空航天博覧雑誌社)
世界武器報道-火力分析 2005年7月号「亜洲第三代主戦坦克的発展歴程」(北岳文芸出版社)
戦車研究所
Chinese Defence Today
Global Security
中国武器大全
軍武狂人夢
環球展望
新政期課程網
紅狐狸軍事天地「関于中国坦克発展的蛛絲馬述」

【関連項目】
85-IIM式戦車/85-IIAP式戦車(WZ-1228)
85-III式戦車

中国陸軍

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