日本の周辺国が装備する兵器のデータベース


▼86式122mm榴弾砲(W-86)


▼山地部隊で運用される96式122mm榴弾砲(PL-96)。(C)CCTV7


▼96式122mm榴弾砲の空中投下




▼成都軍区の砲兵部隊に配備された96A式122mm榴弾砲(PL-96A)[16]。名称から96式の改良型と見られるが詳細は不明。


性能緒元
口径121.92(4.8インチ)
砲身長4.785mm(マズルブレーキ込み)、4,270mm(マズルブレーキ含まず)
牽引時全長5,400mm(86式)
牽引時全幅1,950mm(86式)
牽引時全高1,660mm(86式)
牽引時重量3,290kg(86式)
戦闘時重量3,200kg(86式)
戦闘時全長7,800mm(86式)
戦闘時全高1,420mm(86式)
戦闘時砲身高1,420mm(86式)
初速690m/秒
発射可能砲弾榴弾、HEAT弾、ERFB弾、ERFB-BB弾、ERFB-BB-RA弾、クラスター弾、発煙弾、照明弾等
最大射程15,400m(榴弾)、19,000m(ERFB弾)、22,000m(ERFB-BB弾)、27,000m(ERFB-BB-RA弾)
最小射程1,000m
発射速度6〜8発/分
俯仰角度-7〜+70度
方向射界360度
要員8名
牽引速度60km(路上)

ソ連は、1960年代初め、旧式化したM-30/M-1938 122mm榴弾砲を更新するために新しい122mm榴弾砲の開発を開始した。ソ連軍が新型野砲の開発に当たって求めた要求は、M-30を超える射程、良好な牽引性能の確保、砲を設置した状態での全周旋回を可能とする等であった。新型野砲の開発に当たったのは、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルグ)市にある第9火砲工場のペトロフ設計局。ペトロフ設計局では、新型122mm野砲にD-30の開発ナンバーを付与した。設計においては、360度旋回を可能にするため、従来の開脚式砲架に替わって二次大戦後にソ連占領下のドイツで入手した3脚式砲架の技術が応用される事となった。射程延長のため、35.5口径の長砲身砲が採用されたため、D-30は加農榴弾砲と呼ばれることが多い。これらの新機軸を採用したD-30は、軍の要求を満たす事に成功し、ソ連軍ロケット砲兵局=GRAUは、D-30に2A18のGRAU登録番号を与えた。D-30は、1960年代中ごろからソ連軍への配備が開始された。西側ではM1963 122mm榴弾砲のコードネームが与えられた。

D-30の設計上の特徴は、全周射撃を可能とした3脚式砲架と、砲架と砲身を一体にして砲身先端の牽引フックで牽引する独特の牽引方法である。牽引状態では、3本の砲架は全て砲身の下で折りたたまれ、トラベリングロックで砲身に固定される。マズルブレーキ先端には牽引用のフックが取り付けられている。射撃体勢に入るには、まずトラベリングロックを解除して中央の砲架に収納する。次に砲架中央の射撃ジャッキを地面に設置させ、車輪を持ち上げた後に、砲架を120度間隔で展開する。砲架先端の接地台には駐鋤が装備されており、射撃時の衝撃を吸収する。牽引状態から射撃まで要する時間は1.5分(より早く行うことも可能)と極めて短いことはソ連軍から高く評価された。砲架には爆風除けと防弾を兼ねた防盾が装着されている。砲の全周射撃が可能となったことで、運用上の柔軟性が大いに向上することとなった。また、全周射撃能力は直接火力支援や緊急時の対戦車戦闘においても有効な能力であった。

D-30の戦闘重量は3.2トン、牽引状態での全長は5.4m、全幅1.95m、全高1.66m。砲の旋回周囲は360度、俯仰角度は-7〜+70度。砲身は35.5口径。閉鎖器は、鎖栓式閉鎖器を採用し、装弾以降の各工程は自動化され発射速度の向上に貢献している。M-30 122mm榴弾砲では砲身を挟む形で上下に駐退複座機を配置していたが、D-30では駐退複座機は砲の上部に纏めて設置され、防護用カバーで覆われている。これは、砲の高さを抑えるための設計である。砲身先端には多孔式マズルブレーキが装備されているが、改良型ではダブルバッフル型のマズルブレーキに変更された。D-30の反動吸収性能は良好であり、射撃時の安定性や発射速度の向上に寄与した。D-30の発射速度は、最大8発/分、通常6発/分、持続射撃では4発/分とされている。砲弾は、分離装薬式で通常装薬と強装薬の2種類がある。最大射程は、榴弾で15,300m、RAP弾(Rocket Assisted Projectiles:ロケット補助推進弾)で21,900m。発射可能な砲弾は、榴弾、成型炸薬弾、照明弾、煙幕弾、RAP弾等だが、その後、ソ連やその他の国々でD-30用に多種多様な砲弾が開発される事になった。砲の照準は、間接照準射撃用にPG-1Mパノラマ照準機が、直接照準射撃用にOP 4M-45照準機が装備されている。微光増幅式暗視装置を使用することで夜間も直接照準射撃が可能である。砲の俯仰ハンドル、水平方向ハンドルは照準器と共に砲の左側に設置されている。これは砲手が照準作業を行いつつ砲の操作を実施するための配置であり、直接照準射撃時の便を重視したソ連軍の要求による物である。砲の牽引は、MT-LB装甲牽引車か野戦用トラックにより行われる。最大牽引速度は、路上で60km/h、野外で25km/h。0.5mまでの渉水が可能。

D-30は、ソ連軍では一個戦車師団につき36門(6門装備の中隊3個からなる大隊2個で一個連隊を編制)、自動車化狙撃師団に72門(18問装備の大隊2個から編制される自動車化狙撃連隊と、大隊2個から編制される砲兵連隊)が配備されたが、後に火力強化のため中隊配備の砲門数が8門に増加された。ペトロフ設計局ではD-30の改良を継続し、マズルブレーキの形状を変更したD-30M、駐退複座機や砲架の設計変更を行ったD-30A(2A18A)といった改良型を開発している。頑丈で信頼性の高いD-30は、東側を代表する野砲の1つとなり、多数が輸出された。現在、ロシアでの生産は終了しているが、なお60カ国以上で運用が続いている。また、13カ国でライセンス/非ライセンス生産が行われた。

1980年代初めの中国軍は、野砲の近代化に遅れを取っている事に強い危機感を抱いていた。特に、直接国境を接するソ連陸軍の砲兵火力は最大の脅威であった。54式/54-I式122mm榴弾砲を代替するために開発された83式122mm榴弾砲は、技術的立ち遅れと文化大革命の混乱により部隊配備まで15年を要する状態であった。中国軍は、このギャップを解消する手段の1つとして、優れた性能を有するD-30 122mm榴弾砲の国産化を行う事を決定した。国産化に当たっては、某国(エジプトもしくはアフガニスタンの反ソ連系武装組織経由との説あり[15])より入手したD-30を元にリバースエンジニアリングが行われた。中国版D-30の開発は1985年に一応の成功を見て、翌1986年には86式122mm榴弾砲(W-86)として制式採用された(名称は85式との説も有る)。ただし、86式の配備は、この時点では限定的なものに留まったとされる。一方で、86式は直ちに大量生産されたという説も存在する。この辺りの展開には諸説あって、実際にどのような判断がなされたのか現時点では判断の材料に乏しいのが現状である。

86式の構造は、D-30をほぼ踏襲している。マズルブレーキもD-30と同じ多孔型。発射可能な砲弾には、ERFB(Extend Range Full Bore:低抵抗)弾と対戦車攻撃用砲弾であるクラスター弾が付け加えられた(制式採用時点ではERFB弾は運用できないとの情報もある)。この砲弾は、対戦車攻撃用の子弾を30発内蔵しており、最大射程は15km。D-30用の砲弾は、1984年にルーマニアから入手した現物を参照に、リバースエンジニアリングが行われた。開発作業を行ったのは五一一三廠で、砲弾の生産は四二三廠で1986年から開始された。この砲弾は1990年までに37万発が生産された。

86式は大量配備は行われなかったものの、その砲身は85式122mm自走榴弾砲(YW-323)89式122mm自走榴弾砲(PLZ-89)の主砲として採用され、中国軍の自走砲開発における1つの画期となった。国内生産は限定的なものに留まったが、兵器の輸出に積極的な中国では86式も国際市場向けの装備のラインナップに加えた。公表された輸出向け価格は40万ドル。

NORINCOでは、輸出向け装備として86式に改良を加えたものにD-30-2 122mm榴弾砲という輸出名称を与えた。D-30-2は、86式と異なりマズルブレーキの形状がD-30A(2A18A)と同じダブルバッフル型になっている。D-30-2は、上記の86式用砲弾に加えて、射程22kmのERFB弾と子弾33個を内蔵したクラスター弾、また原型のD-30の各種砲弾も使用可能な点がセールスポイントとされた。D-30-2は、パキスタンやタンザニア等に輸出されたとの事。

86式の採用後もD-30の中国向け開発作業を継続した。中国軍は、83式122mm榴弾砲で射程の長いERFB弾を採用したが、この砲弾はD-30では薬室の容積がやや少ないことから運用できなかった。開発作業ではD-30の薬室に合わせた新設計のERFB弾の設計が行われた。設計陣には砲弾の小型化と同時に、射程の延伸、初速の増大、装薬の増加といった矛盾する要求が与えられた。砲弾の設計と並行して、砲架の改修とブレーキ装置の能力向上等の操作性を改善させる改良が加えられた。これらの改良を経た中国版D-30は、1996年に制式採用され、96式122mm榴弾砲(PL-96)の名称が与えられた。96式は、上記の改修点を除いては86式の基本構造を踏襲しており、マズルブレーキの形状も86式と同じ多孔式である。使用可能な砲弾は、榴弾、HEAT弾、ERFB弾、ERFB-BB(Extend Range Full Bore-Bass Bleed:低抵抗ベースブリード)弾、クラスター弾、発煙弾、照明弾、最近開発されたERFB-BB-RA(Extend Range Full Bore-Bass Bleed Rocket Assisted:低抵抗ベースブリード/ロケット推進)弾等多種に及ぶ。最大射程は、通常榴弾で15,400m、ERFB弾で18,000m、ERFB-BB弾で22,000m、ERFB-BB-RA弾で27,000m。

96式は、83式122mm榴弾砲と共に54式/54-I式122mm榴弾砲を代替する榴弾砲として配備が行われている。両者を比較すると、射程は96式の方が長く、83式が諦めた射撃体勢での全周旋回も可能。ただし、83式は96式よりも600kg軽量であり、道路事情の悪い中国西南部地域での運用は83式が優位であると見なされている。96式は、陸軍、空挺部隊、海軍陸戦隊、山岳歩兵部隊等に配備が進んでいる。96式は師団レベルの砲兵大隊における標準的野砲として配備され、一個砲兵大隊は18門の96式を保有する。海軍陸戦隊では、6〜8門の96式を保有する一個砲兵中隊が編制されている。96式はパラシュートによる空中投下も可能であるが、中国軍の現有のヘリコプターでヘリボーン輸送を行う事は困難である。また、83式に比べて重いため、不整地や山地での運用にも難があるとされる。また、現状では高度な射撃統制システムは装備されておらず、この点も現代戦に対応する上での問題点とされる。96式は、中国以外にパキスタンやバングラデシュ等の国々でも運用が行われている。

96式は、83式に比べて重量が重く射程が長い。牽引砲では重量増は問題になるが、車載化した場合には運用面での難点は解消され射程の長さがメリットとして生きてくることになる。そのため86/96式の砲システムを使用した自走砲が多数開発される事となった。具体的な事例としては【関連項目】のリンク先を参照されたし。

【参考資料】
[1]ソ連地上軍-兵器と戦術の全て(デービッド・C・イスビー/原書房)
[2]週刊World Weapon No.91(デアゴスティーニ)
[3]軍事研究 2007年5月号「先進国を脅かす中東の防衛産業」(株ジャパン・ミリタリー・レビュー)
[4]兵工科技 2006年7月号「蘇聯D-30牽引榴弾砲解析」(兵工科技雑誌社)
[5]Chinese Defence Today
[6]Global Security
[7]ZW-OBSERVER
[8]大砲と装甲の研究
[9]戦車研究所
[10]鼎盛防務論壇「86式(D30)/96式122毫米牽引式榴弾炮」
[11]四川軍工網「中国85式(W86)122毫米榴弾炮」
[12]鉄血社区「有要武器的没?中国武器価目表(参考価)」
[13]中華網
[14]中国武器大全
[15]Мордовия. Саранск. Новости「Китайский детектив: как советская гаубица Д-30 стала "Тип-86"」(2010年2月25日)
[16]新浪網「成都軍区炮兵列装大批最新型PL96A-122榴弹炮」

【関連項目】
07B式122mm水陸両用自走榴弾砲(PLZ-07B)
07式122mm自走榴弾砲(PLZ-07)
SH-3 122mm自走榴弾砲(WMZ-322) 【輸出用】
89式122mm自走榴弾砲(PLZ-89)
122mm水陸両用自走榴弾砲 【試作のみ】
85式122mm自走榴弾砲(YW-323)
新型122mm装輪自走榴弾砲(122毫米卡車炮)
122mm装輪自走榴弾砲(ZBL-09派生型)
SH-2 122mm装輪自走榴弾砲
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D-30-2 122mm榴弾砲 【輸出用】

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