日本周辺国の軍事兵器 - 89式120mm自走対戦車砲(PTZ-89)



性能緒元
重量31.0トン
全長
全幅3.14m
全高
エンジンWR4B-12V150LB液冷ディーゼル(520hp)
最高速度55km/h
航続距離450km
旋回範囲360度
俯仰角度-8〜+18度
武装52口径120mm滑腔砲×1(APFSDS弾22発+榴弾8発)
 88式12.7mm重機関銃(QJC-88)×1(500発)
装甲圧延鋼板装甲(最大装甲厚20mm、もしくは50mm以下)
乗員4名(車長、砲手、装填手、操縦手)

比較的装甲の薄い装軌式装甲車に高初速・大口径の火砲を搭載した対戦車自走砲は、第二次世界大戦時には各国で開発・配備が進められたが、戦後は対戦車ミサイルの発達等の要因によりその数を減らしていった。中国が1980年代に開発した、89式120mm対戦車自走砲(PTZ-89)は、現在では珍しくなった装軌式対戦車自走砲である。

【開発経緯】
PTZ-89の開発の契機となったのは1970年代に配備が進展したT-64中戦車やT-72主力戦車といったソ連新型戦車の存在であった[1][2]。これらの新世代戦車は新設計の125mm滑腔砲、世界に先駆けた複合装甲の採用といった新機軸が取り入れられており、その存在は文化大革命による混乱と技術的停滞に見舞われていた中国の火砲設計者たちに大きな衝撃を与えた[1]。彼らが開発していた100mm滑腔砲は一世代前のT-62中戦車の正面装甲を貫通する事を目的としていたため、T-62を上回る防御力を有するソ連新世代戦車に対しては効果が見込めないのは明らかであった[1]。

ソ連地上部隊の戦車戦力は、当時の中国軍にとって重大な脅威であり、一刻も早い対応が求められていた。1976年、この状況を受けてソ連のT-72戦車の正面装甲を貫通可能な新型戦車砲/対戦車砲の研究開発を行う事が決定された[1]。検討の結果、1978年には1,500mの距離からT-72の車体正面装甲の貫通が可能な能力を有する120mm滑腔砲を開発、「第二世代戦車」(中国第二世代の戦車という意味で、西側の第二世代戦車とは異なる。中国語では「二代坦克」)の戦車砲と「師団級対戦車自走砲」の主兵装として使用する開発目標が設定された[1]。

これに関連して、中国は1970年代末に西ドイツ(当時)からラインメタル社製120mm滑腔砲の技術導入を図ったが、ドイツ政府の許諾を得る事が出来ずに頓挫している[3]。

新型戦車砲/対戦車砲については口径120mmと130mmの二種類が検討された[1]。後者は威力こそ高いものの、砲弾サイズが大型化して自動装填装置の開発が不可欠になる事や、強烈な反動が発生するためその対策が必要となる等技術的な課題が多い事から廃案となり、新型戦車砲は砲身長47口径の120mm滑腔砲として開発する方針が定められた[1]。47口径120mm滑腔砲の開発は1984年まで続けられ、目標とされたT-72の正面装甲を貫通する能力を獲得する目処はついたものの、戦車砲としては制式化されるには至らなかった。当時の中国の技術水準では高初速を得るために長砲身や多量の装薬を必要としたため、必然的に砲のサイズが大型化し発射時の反動も強烈なものとなった。これにより120mm滑腔砲は開発が進められていた「第二代戦車」の砲塔に搭載するには困難が生じた[1]。そして、1970年代末に関係を改善していた西側諸国から、105mmライフル砲L7と貫通力の高いAPFSDS弾の技術がもたらされ、既存の59式戦車69式戦車の火力強化が可能となったため、120mm滑腔砲の開発を急ぐ必要性が薄れた事が大きく影響している[1]。

1984年、今後の戦車開発に関する再検討作業が行われ、実用化にはなお一層の時間を要する「第二代戦車」の開発を打ち切る事が決定された。そして、1990年代の実用化を目標として改めて次世代戦車(「第三代戦車」)の開発を行うと共に、その戦車砲については友好国から入手したソ連の125mm滑腔砲2A46の技術を基にした新型125mm滑腔砲を開発・搭載するという方針が定められた[1]。これにより開発されたのが、後の98式戦車である。

1984年の決定では、次期主力戦車の火砲としては選に漏れた国産120mm滑腔砲については、師団級対戦車自走砲の火砲としての研究開発を継続する事が認められた[1][2]。この方針に基づいて開発されたのが後のPTZ-89である。

120mm滑腔砲の開発を担当していた第447廠を中心とする開発チームでは、新方針が決まる1年前の1983年には自主資金により師団級対戦車自走砲の120mm滑腔砲と新型APFSDS弾の研究作業に着手していた[2]。初期の段階では、62式軽戦車(WZ-131)のシャーシに120mm滑腔砲を搭載する事が検討されたが、20トン以下の62式軽戦車の車体では、120mm滑腔砲の強烈な反動に耐えられない事は明白であり、この案は早々に放棄された[2]。開発陣が最終的に選定したのは83式152mm自走榴弾砲等のシャーシに用いられていた60-I式共通シャーシ(生産代号はWZ-321)であった[2]。WZ-321についても120mm砲の射撃に耐えられるのかという懸念があったが1983年末には、初速を高めるため口径を伸ばした試製52口径120mm滑腔砲をWZ-321に搭載した技術実証車が完成。射撃試験では、開発陣による反動対策の効果によりWZ-321のシャーシは52口径120mm滑腔砲の発射にも十分耐え得ることが証明され、困難であるとの見通しを打ち消すことに成功した[2]。

この試験結果を受けて、前述の通り1984年9月に兵器工業部(当時)は、120mm滑腔砲の開発作業の継続と、兵器工業部自体が447廠と協力して新型対戦車自走砲の開発を推進する決定を下した[2]。

1985年5月の試験では、試製車輌の120mm滑腔砲から発射されたAPFSDS弾は400mmの均質圧延装甲を打ち抜いた上で、その背後の鋼板10枚を貫通する性能を見せ、試験を観閲した共産党と軍の高官に対してその能力をアピールしている[2]。1986年2月、兵器工業部は447廠を新型対戦車自走砲の主開発者として認定し、同時に120mm対戦車自走砲を合成集団軍の重点部隊の対戦車装備とする事、1989年に予定されていた建国40周年記念軍事パレードに新型対戦車自走砲を参加させる事が決められた[2]。120mm対戦車自走砲の開発作業は、1987年には基本的に完了し、制式化に向けた性能証明試験の段階に入った。1989年1月まで行われた一連の性能証明試験において、120mm対戦車自走砲は要求性能を達成した事が認められた[2]。これに先立つ1988年には、先行量産型20輌の発注が行われた[2]。120mm対戦車自走砲も参加予定だった建国40周年軍事パレードは、1989年6月4日に発生した第二次天安門事件により中止となったが、120mm対戦車自走砲の開発には影響は無かった[2]。1990年、中央軍事委員会は120mm対戦車自走砲の設計案を最終的に承認し、「89式120mm自行反坦克砲(PTZ-89)」として制式化。同年には、量産型の部隊配備が開始された[2]。

【設計】
89式自走対戦車砲はWZ-321型共通シャーシの車体後部に120mm滑腔砲を搭載した大型砲塔を配置するレイアウトを採用している[2]。乗員は、車長、砲手、装填手、操縦手の計4名で、車体前部左側に操縦手、残り三名は砲塔内に搭乗する。砲手と車長は砲塔左部にタンデム配置、120mm滑腔砲を挟んで砲塔右部が装填手の配置位置となっているが[3]、これは59式戦車=T-54以来の砲塔内配置を踏襲するもの。この配置には操縦手、砲手、車長が戦車の左側に一列に並んでいるため、正面からの貫通弾1発で乗員3名が戦死する危険性が存在する[4]。

WZ-321のサイズは、車体長7.05m、車幅3.14m、車高3.49m[2]。エンジン・ルームは車体前部にあり、その左側に操縦席、車体後部は各種兵装搭載スペースとされている。動力系統は、59式戦車と共通のものを採用しており、出力520hpのWR4B-12V150LB型水冷ディーゼルエンジンは全備重量31トンのPTZ-89を最高55km/hの速度で走行させる能力を有している[3][5]。PTZ-89は、砲兵科に所属する兵器であるが、シャーシとなるWZ-321は砲兵科の83式152mm自走榴弾砲89式122mm40連装自走ロケット砲(PHZ-89)のシャーシにも採用されていたため、シャーシの共通性を確保できるとして砲兵科からは高い評価を受けた[2]。

ただし、WZ-321は基本的に第一線で活動するAFVではなく、自走砲等後方支援用AFV向けに開発されたシャーシのため防御力については限定的であり、最大装甲厚は10mmと弾片防御程度の水準に留まっていた[2]。装甲を強化しようにも、許容可能な重量の限度から大幅な装甲厚増加は無理であった。走行性能についても後方支援車輌としては十分な性能であったが、脆弱な装甲を高い機動力で補うといった運用を行うのは困難であった[5]。WZ-321の車体正面右側にはエンジン冷却用ラジエーターの開口部があり、この部分は防御を施せないためPTZ-89の弱点の1つとなっている[2]。

PTZ-89では、対戦車戦において脆弱な防御力を補うために戦車壕を構築する場合に備えて、車体前面下部にドーザーブレードを収納しており、約30分で自車が入るための戦車壕を開削する能力を備えている[2][8]。間接的な防御力向上策としては、砲塔側面に合計8基装着された発煙弾発射機と、排気マフラーにオイルを吹き付けて白煙を発生させる煙幕展開装置を装備しており、必要な際に自らの姿を隠すのに使用する[3]。車内には、NBC防護システムと自動火災消火装置を標準装備している[3][5]。

【武装】
PTZ-89は、車体後部に搭載した溶接砲塔に52口径120mm滑腔砲を搭載している。初期の試作車では砲塔前面は楔形をしていたが、前方投影面積が大きくなる事や重量軽減が求められたので、設計変更が行われ、楔形形状を廃止[2]。さらに砲尾部以外の天井の位置を僅かに低くする事で、砲塔重量と砲塔正面の面積を減らす対策が採られた[2]。PTZ-89の砲塔は圧延鋼板装甲の溶接構造。装甲の厚みは試作車両では正面18mm、側面15mm、上面20mm[2]。薄い装甲板では砲撃時の衝撃に耐えるのが困難なため、砲塔内側には金属製の筋交を設置して構造を強化している[2]。量産型では装甲が増厚されたとの情報もあるが、それでも最大装甲厚は50mm以下と薄いものに留まっているとされる[3]。砲塔周囲には装具ラックが配置されているが、これはHEAT弾攻撃に対するスラットアーマーとしての役割も期待されている[3]。

PTZ-89が搭載している52口径120mm滑腔砲は砲塔後部バスルに搭載された装填補助装置と連動しており、12秒以内に最初の砲弾を発射、20秒で3発、30秒で5発の砲弾を発射する能力を有している[2]。持続射撃の場合は、毎分6〜8発[2]。重量23〜30kg の120mm砲弾で高い発射速度を発揮するには、自動装填装置の採用が求められたが、1980年代の中国の技術水準では高い発射速度を実現でき信頼性のある自動装填装置の実用化は望み薄であった[2]。そのため447廠では装填補助装置により装填手の負担を軽減して、発射速度の向上を目指す方針を採用[2]。PTZ-89は砲塔後部に給弾機構を内蔵している[2]。砲弾ラックは緩やかなV字型になっており、V字の一番下に装填補助装置が組み込んである[2]。射撃時には装填補助装置のトレーの上にある120mm砲弾をトレーごと前方にスライド。押し出されたトレーは、砲尾右側に位置するようにされており、装填手はトレーの上の砲弾を抱えて横に少し移動させるだけで装填を行うことが出来るため、装填手の負担が大幅に減少している[2]。給弾機構は通常は電気モーターで駆動するが、電源切れの場合も装填手が手動で操作する事が可能[2]。120mm滑腔砲は全周射撃が可能であり、砲の俯仰角度は-8〜+18度[5][6]。

自動装填装置の場合は、装填時に砲尾を一定の角度にするタイプのものが多く、この場合前に照準した射撃諸元に基づいて砲撃を継続する事が難しくなるが、PTZ-89の場合、装填自体は手動のため砲尾がいかなる角度にあろうと装填が可能で上記の問題は発生しない[2]。

砲塔後部バスルのV字型砲弾ラックにはAPFSDS弾7発と榴弾3発が収納。さらにV字型ラックと後部バスルの隙間にも合計12発の砲弾が搭載されるので、後部バスルの搭載弾数は合計22発となる[2]。図面をみると砲塔後部バスルにはまだかなりの空間が残っておりさらに砲弾を搭載できるように思えるが、あえて後部バスルへの搭載数を減らしたのは、砲弾重量で砲塔後部が重くなりすぎて砲塔の重量バランスを崩すことを懸念したための措置だとされる[2]。バスルの砲弾を撃ちつくした場合は砲塔基部の予備弾薬庫から砲弾を補充する。弾薬庫の分を合わせたPTZ-89の120mm砲弾の合計搭載数は36発(APFSDS弾22発+榴弾8発)以上になる[2]。量産型では、砲塔後部バスルには自動消火装置が設置されており、被弾時の二次爆発に備えているが、西側第3世代戦車のような砲塔と後部バスルを分かつ隔壁や爆発の圧力を逃がすブロー・オフ・パネルは設けられていない[2]ため、自動消火装置で火災を消火できなかった場合のリスクは大きい。

52口径120mm滑腔砲の射撃時には450kNの反動衝力が発生する[2]。最初の試製砲では駐退復座装置の後座距離450mm、反動衝力490kNだったが、後座距離を600mmに延ばす事で反動衝力を減少させている[2]。砲身寿命は初期量産型では520発+であったが、後に447廠では砲身寿命を800〜1,000発にまで延ばした新型砲身を開発し1990年代中に段階的に換装を行っている[2]。砲身中央部には、砲軸排煙器が付いている。これは発射後に、砲身内に残留した有害な発射ガスが、乗員のいる戦闘室に逆流するのを防止する装置。砲身には、熱分布を均等にする事で砲身の熱歪み率を軽減させるサーマルスリーブが装着されている。

補充武装としては、装填手用ハッチに対空・対地攻撃用の12.7mm重機関銃(射程2,000m)を装備する[3]。乗車要員の携行火器として56-I式7.62mm自動小銃1挺(弾薬300発)と69-I式40mm対戦車ロケットランチャー1基(弾頭8発)を車内に装備しており、下車戦闘等で使用する[8]。

【砲弾】
52口径120mm滑腔砲の砲弾は、APFSDS弾と榴弾の二種類が存在する[2]。砲弾は弾頭部と装薬部が1つになった一体型を採用している。

APFSDS弾は、1980年代末に実用化された「120-I型」と、90年代初めに配備を開始した「120-II型」の二種類が存在する[2]。「120-I型」は鋼製の鞘の中にタングステン合金製の侵徹体を入れている。これは初期の侵徹体材質は、強度は高いものの延性には乏しく、装甲との衝突時に衝撃に耐えられずに破砕する危険性があったため、靭性の高い鋼性の鞘を被せて侵徹体の破砕を防ぐための構造であった[10]。弾芯の長さは比較的短いものが採用されている。貫通力は距離2,000mにおいてRHA換算で460mm。これは、要求目標であったT-72の車体正面装甲を2,000mの距離から貫通するという性能を満たすものであった[2](T-72「ウラル」の車体/砲塔正面装甲の対運動エネルギー弾防御能力はRHA換算で410mm[9]。)

しかし、ソ連では防御力を強化したT-72の改良型や新型戦車T-80の配備が開始され、西側でも高い防御能力を有する第3世代戦車の配備・改良が進められている事から、中国軍では「120-I型」の性能では各国戦車の防御力向上には早晩対応できなくなるとの判断を下した[2]。これに基づいて、「120-I型」APFSDS弾は制式化されたものの、量産化と部隊配備は行わず、直ちに威力を向上させた改良型の開発を行う事になった[2]。

改良型APFSDS弾は1990年代初頭に「120-II型」として制式化され、部隊配備が開始された[2]。「120-II型」では、侵徹体がタングステン合金のモノブロック型に変更[2]。これは製造技術の進歩により鋼製の鞘で侵徹体を保護する必要がなくなったためであり、砲弾構造を簡略化する事が可能となり、以前の侵徹体と比べると貫通性能が向上するというメリットが存在した[10]。「120-II型」の侵徹体の重量は7.56kgで直径/長さ比率(D/L比)はおおよそ20:1となっている[2]。侵徹体長は、「120-I型」よりも長いものが採用されたが、これは装甲貫徹力の向上を狙った措置。外形も飛翔時の安定性に寄与するような設計変更が行われ、有効射程は2,500mとなっている[2][3]。

「120-II型」では砲口初速を増すため装薬量を増やす事も考えられたが、検討の結果これ以上装薬量を増やすと52口径120mm滑腔砲の駐退復座装置では反動を抑え切れない事が判明した[2]。52口径120mm滑腔砲の薬室には最大12kgの装薬を入れる事ができるが、駐退復座装置の限界から装薬量は「120-I型」と同じ9.5kgに抑えられた。装薬量が以前と変わらないものになったため、砲口初速は当初の予定より数10m/s低下した1,700m/sとなり、距離2,000mでの貫通力は目標数値よりも約10%低いRHA換算550mmに留まった[2]。榴弾についてはAPFSDS弾ほど高い初速を必要としないので装薬量は減らされており、砲口初速は900m/sとAPFSDSの半分程度に抑えられている[2][3]。この榴弾の最大射程は9,000m[3]。

1990年代中期には、砲身を58口径に延伸、駐退復座装置等の設計変更により最大装薬での「120-II型」発射を可能とする改良型120mm滑腔砲が試作され1997年に射撃試験が実施された[2]。改良型120mm滑腔砲から発射された「120-II型」の砲口初速は平均で1,850m/sを越え、砲口エネルギーは13MJ、発射時の反動衝力は490kN。距離2,000mでの貫通力は平均でRHA換算700mmと大幅な向上を達成した[2]。しかし、冷戦終結後、ソ連地上軍の圧力が消滅したため、中国軍の装備調達の中心は海・空軍向けにシフトしており、PTZ-89のアップグレードは承認されず、58口径120mm滑腔砲と新型の「120-III型」APFSDS弾の開発は中断された[2]。

【射撃統制システム】
PTZ-89は、敵よりも遠距離から射撃を行い命中確認後は反撃を避けるために迅速な陣地移動を行う事により脆弱な防御力を補うという運用を行う。遠距離においても高い命中精度を実現するには、砲自体の性能に加えて高性能な射撃統制システムの存在が不可欠。

PTZ-89の射撃統制システムは79式戦車(69-III式戦車/WZ-121D)のTSFCS-C簡易式射撃統制システムを基にして開発された[2][3]。システムは、砲手用サイトに内蔵されたレーザー測距器、弾道計算機、昼夜兼用照準器、砲安定装置、弾種表示器/弾種選択機、方位・角度検知器、砲耳傾斜計、横風センサー等で構成される[2]。

射撃時には、まず発射弾種を選択した後、砲手が目標を照準すると、レーザー測距器により数秒で目標までの距離が算出される[2]。これは、弾道計算機において、各種諸元(距離、弾種、気温、炸薬温度、横風、砲身磨耗率、高低/方位/傾斜角等)を基にして弾道計算を行う。弾道計算の結果に基づいて自動的に砲身に射角が与えられ、同時に照準器の照準レチクルが修正量に応じて移動して発射可能な状態になるので、射撃スイッチを押して発射する[2]。連続射撃を行う場合には、射撃間隔を短くするため前回砲撃した諸元に基づいて射撃を実施する事も行われる[2]。レーザー測距器の探知距離は300〜5,000m、弾道計算機の想定照準距離は最大3,000m[2]。通常状態であれば、毎分6〜8回の照準を行う能力があるが、緊急時には3秒間隔で連続5回の照準を実施する事が可能[2]。システムの連続操作可能時間は8〜10分[2]。車長は車長用ハッチに搭載されたペリスコープにより、砲手が目標の照準を行っている最中も周辺の捜索を継続、新たな脅威を発見した場合には砲手に優先して目標の照準が出来るオーバーライド機能が与えられている[2]。車長は、砲の制御と砲手への目標指示はできるが、発射については砲手にゆだねる必要がある[2]。

PTZ-89の射撃統制システムは、52口径120mm滑腔砲の性能を十分に生かす能力を備えたものである。西側第3世代戦車に比べると、システムの自動化に遜色があるが、これは開発当時の中国の技術水準からみるとやむを得ないものであり、1990年代初期の中国AFVの中では最も高度なシステムを実現していた[2]。PTZ-89の砲安定装置は照準時間の短縮と射撃精度向上に効果を挙げている。ただし当時の中国の技術水準から完全な行進間射撃を実施するのは困難で、停止状態での射撃もしくは停車-射撃-機動の方法をとるのが一般的な運用方法となる[2]。停車状態で停止目標に対して射撃を行う場合、照準開始から射撃までに要する時間は平均8秒、目標が移動中の場合は、10〜12秒を要する。距離2,000mで2.3平方メートルの目標に対する命中率は、停止目標で90%、移動目標だと75%[2]。

PTZ-89の試作型では夜間運用は想定されておらず暗視装置は未搭載であったが、夜間や悪天候時の運用の便を考慮して、量産型では砲手用サイトに微光増幅式暗視装置が内蔵された[2]。PTZ-89の微光増幅式暗視装置は、夜間、晴れの状態での視認距離40〜1,000mの性能を備えている[2]。この暗視装置の性能は部隊の要求を満足させるものではなかったが、将来的な能力向上を行うものとして量産が開始された。配備後、第二世代微光増幅式暗視装置への換装が実施され、夜間・悪天候時における目標探知能力を改善している[2]。

【配備状況】
PTZ-89は、陸軍集団軍の重装備機械化歩兵師(師団に相当)の自走火砲団(連隊に相当)対戦車連(大隊に相当)に18輌が配属され、重装備機械化歩兵師の対戦車戦力の切り札として防御作戦において敵戦車の脅威度の高い地点に派遣される「火消し役」としての任務が与えられている[2][5]。

装甲が薄く、行進間射撃能力を備えていない事から、運用においては事前に構築しておいた陣地に展開するか、地形や植生を利用してその姿を隠して待ち伏せ攻撃を行うのが主な運用方法になる[5]。ただし、PTZ-89の背の高い大柄な砲塔は、待ち伏せ攻撃を行う際に隠匿を難しくする事が指摘されている[5]。対戦車戦闘においては、PTZ-89単独ではなく対戦車ミサイル等他の対戦車兵器と連携してそれぞれの特性や射程を生かして総合的な対戦車戦闘能力を向上させる[7]

PTZ-89は、ソ連地上軍戦車部隊の脅威を前提として開発されたが、制式採用された1990年には中ソ関係は大幅な改善を見せており、翌年のソ連崩壊とその後の経済危機と軍備縮小により北方からの脅威は実質的に消滅してしまった[3]。中国軍の兵器調達方針が海・空軍向けにシフトした事による陸軍装備調達費の削減、中国軍における125mm滑腔砲を搭載する新世代主力戦車の登場により、強力な火力を備えるも防御力は極めて限定されたPTZ-89の立ち居地が中途半端なものになった事等の要因から、PTZ-89の調達数は100輌を上回る程度に終わり[3]、中国北部の北京軍区、済南軍区、瀋陽軍区、蘭州軍区の一部の部隊だけが装備するに留まった[3][7][11][12]。

改良についても、前述の通り、暗視装置や砲身の換装は実現したものの攻撃力を大幅に増大させる58口径120mm滑腔砲の開発は打ち切られ、配備開始から20年以上を経た現在に至るまで、基本的な性能は就役時と変化の無いものとなっている[2]。外国への輸出も試みられたが、装軌式対戦車自走砲と言うジャンルのAFVを切望している国は存在せず、配備が実現したのは中国軍のみに終わった[2]。

PTZ-89の派生型としては、砲塔を59式戦車に搭載した試作車両、砲身を延長して砲口に多孔式マズルブレーキを装着した車輌(58口径120mm滑腔砲を搭載した試作車か?)の存在が確認されているが、どちらも試験的に製造されたものであり量産化は行われていない。

中国陸軍の武器体系から見ても120mm滑腔砲の存在は異質で、現代戦において装軌式対戦車自走砲が果たし得る役割についても疑問がある事から、PTZ-89はこれ以上の発展を見せる事無く、運用寿命まで使用された後退役するものと思われる。

ただし、PTZ-89の開発により得られた自己緊縮砲身等の戦車砲製造ノウハウや開発経験は、立ち遅れていた中国火砲技術を大きく向上させる事に成功しており、(配備にいたる紆余曲折や開発目標の度重なる変更で、結果的に開発投資額に見合った配備が行えなかった等の兵器開発方針における負の教訓を含めて)技術的ステップアップや兵器開発に関する貴重な教訓として中国にとって得るものが多かった存在といえる[2]。

▼1999年10月1日に開催された軍事パレードに参加したPTZ-89

▼120mm滑腔砲を発射した直後の写真

▼トランスポーターで輸送中のPTZ-89。車体上部の様子が確認できる

▼植生を利用して待ち伏せ体勢のPTZ-89

▼PTZ-89の初期試作車。量産型とは砲塔の形状が異なる事に注意。砲身基部にはレーザー測距器が配置されているが、これは初期試作型のみの装備。


【参考資料】
[1]bigblu「大漠狼煙散 挽弓終有事−中国120毫米高膛圧坦克炮/反坦克炮歴程回顧(上)」(『現代兵器』2008年6月 総第334期/中国兵器工業集団公司)20〜27ページ
[2]bigblu「大漠狼煙散 挽弓終有事−中国120毫米高膛圧坦克炮/反坦克炮歴程回顧(下)」(『現代兵器』2008年7月 総第335期/中国兵器工業集団公司)14〜24ページ
[3]Chinese Defence Today「PTZ89 Tank Destroyer」
[4]デービット・C・イズビー著、林憲三訳『ソ連地上軍 兵器と戦術のすべて』(原書房/1987年)120ページ
[5]軍武狂人夢「89式反戦車自走砲」
[6]Military-Today「Type 89 120-mm tank destroyer」
[7]Army Guide「Type 89/PTZ-89」
[8]《坦克装甲車輌》網絡版「中国89式120毫米自行反坦克炮揭秘(组図)」
[9]古是三春『ソビエト・ロシア戦車王国の系譜』(醐燈社/2009年)116ページ
[10]古是三春・一戸崇雄『戦後の日本戦車 61式、74式、90式からTK-Xへ 開発経緯とメカニズムまで』(株式会社カマド/2009年)101〜103ページ
[11]中華網「沈陽軍区89式120毫米自行反坦克炮」
[12]中華網「蘭州軍区炮兵旅89式120毫米自行反坦克炮打靶」

中国陸軍