便衣兵論議
  1. 「便衣兵狩り」とはなんだったのか
  2. 南京に便衣兵(ゲリラ)はいなかった
  3. 兵民分離は兵士の殺害を合法化しない
  4. 「便衣兵」も捕虜として扱わなければならない
  5. 無裁判処刑を合法とする慣習はなかった+結論

解説

否定論の主張は通常、次のような構成になっている。
1.南京で日本軍が処刑した中国兵は、国際法上適格な交戦者と認められないので、捕虜にする必要がなかった。
2.交戦者としての適格を欠くものは裁判なしに処刑しても合法であった。

詳細は論点ごとに検証するとして、まずは実際にその場で何が起きたのかを確認しよう。

南京陥落時点で残っていた中国軍将兵の正確な数は不明だが、一般的にはおよそ5万とする推定が代表的である。そのうちかなりの人数、おそらくは数千人が、南京陥落時に逃げ場を失い、軍服を脱いで市民に紛れ込もうとした。
日本軍に捕獲されれば殺されると考えたのである。

これを知った日本軍は「市内にはおよそ2万人の中国兵が、市民に紛れて潜伏している」と考えた。そこで、市民を集合させて取り調べ、その場で兵士であると認定したものは拘束して連行し、集団で殺害した。もちろん、兵士と疑われた市民もそのまま連行されて殺されてしまった。
市民の服を着て抵抗するものを殺したのではない。市民の服を着た無抵抗のもののうちから、正規軍兵士であると認定したものを集団で連行して殺害したのだ。

中間的な数字を挙げている秦郁彦氏の推計では、主に日本軍の記録を根拠として、陥落時点で生き残った中国軍5万人のうち3万人が捕獲された後殺害されたと見ている。そのうち9千人が城内から私服で狩り出されて殺害された、いわゆる便衣兵=私服の敗残兵である。

ここで注意してほしいのは、実際には私服に着替えていた兵士よりも、軍服を着て集団で投降した兵士の方が多く殺害されていることだ。この点は、より大きな犠牲者数を挙げる笠原説も、より小さな数字の板倉説も共通している。無抵抗の中国兵の殺害を問題にするのなら、「便衣兵狩り」の問題はマイナーな一部に過ぎないのだ。

にもかかわらず、「便衣兵狩り」が大きく問題になるのは、それが中国兵だけではなく、多くの一般市民を巻き込んで、しかも外国人たちの見ている前で連行が行われた、時には家族の見ている前で処刑が行われた、それらはまったく非武装、無抵抗のものであった、という点に原因があると考えられる。

次項:南京に便衣兵(ゲリラ)はいなかった
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