独立軽装甲車第2中隊 藤田實彦歩兵少佐
十二月十二日午前七時頃、一斉に前進を起した。頭師見習士官の部隊、前田隊、井上隊、宮川隊の順序で、すぐ昨夕敵砲弾を喰つた処を過ぎ、左の耕地側に添うて左に曲がり百米位も前進すると、昨夕報告のあつた戦車壕がすでに工兵によつて完全に埋められてゐた。そこから道路は右に折れて真北に南京へ向つてゐる。道路の左側には小さい家がバラ/\と並び、更に曲り角から百米位前方の道路右側に煉瓦の壁に囲まれたやゝ大きな支那家屋がある。頭師小隊、前田小隊は本道上を逐次戦闘しながら前進してゆく。右手高地方面から盛んな銃声がする。自分は戦車をその大きな支那家屋のかげに入れさせ、下車して頭だけを囲壁の蔭から出し、敵状並びに地形をみると、斜右の高地を制圧すれば、頭師隊、前田隊の戦闘がより容易になりさうに思へたので、井上隊にその方面へ前進を命じしておいて、その支那家屋の内部を点検すると、驚いたことにガソリンが二千缶以上も積んである。『占めた』とばかり、早速その家の囲壁に『十二月十二日八時藤田戦車隊占領。この中にガソリン在り』と軍刀で煉瓦を削つて書いておいた。
『戦車戦記』東京日日新聞社(昭和15年)pp226-227

佐々木元勝
入城式
十二月十七日

一同トラックで中山陵に出かける。ここは中山門を出て、右手の松林丘陵のドライブ道路を走るとすぐである。陵の巾の広い階段を私たちが上がりかけた時、一組の兵隊がガソリン罐を徴発してもどってくる。一人新しい青竜刀を持っている。

敗残兵が一人後手を縛られ綱で曳かれてきたので私は驚いた。ガソリン罐は陵墓の階段途中にある附属建物にあったものらしい。敗残兵は近くの松林か、どこかからひょろひょろと現われたのである。背が高く痩せ、眼がぎょろつき軍鶏みたいである。

負傷しているらしく、飢え疲れているのであろう、階段横の芝地から道路へ下る時のめる。まったく情ないくらい、胸を道路に打ちつけて、二、三度のめる。連れて行かれるのが嫌らしくもある。中山陵の前、松林の中の枯れた芝生でこの敗残兵の青年は白刃一閃、頸を打ち斬られてしまう。亡国の悲哀がひしひしと私の胸に迫る。

陵の高い階段を上って行く時、私は上海からトラックに警乗してきた兵隊の頚筋を見る。この兵隊は好ましい青年であって、その頸は襟足に軟かい魅力がある。私はこの頸が一刀両断せられるかと何回となく盗み見る。
(『野戦郵便旗』(上) pp219)

エスピー報告書
機テ邉の実情
財産の略奪

兵隊が運び出せるすべての物は、彼らの略奪の格好の餌食となっているようだ。外国人住宅をとくに例にあげると、車、自転車、酒などとともに、ポケットに忍び込ませるような小さな貴重品が主に物色されている。しかし、外国人のものであれ、中国人のものであれ、侵入者の望みの品は、ことどとく略奪された。市内の商業地区で破壊から免れ残っている商店はすべて、中のものをほとんど空になるほどに持ち去られている。希望の品が手に余るほど多い場合には、トラックを持ち込み積み去った例も数例見受けられる。店や倉庫から持ち出した荷をトラックで運んでいるのを数件目撃したという外国人十人の報告がある。テキサス石油会社(中国支社)の倉庫係の報告によると、日本兵は倉庫のガソリン、油類を運び出すのに、会社のトラックを使い、ようやく持ち出したということだ。

上海派遣軍参謀長飯沼守少将の日記(12月17日)より
南京ノ獲物ハ相当ニアルラシキモ未ダ調査十分ナラス「ガソリン」ドラム缶五〇〇ヲ見ツケタトノコトヲ本日聞ク。『南京戦史資料集』pp217

注)南京近郊に限らず、鹵獲した資料を書き出せば、同日記には12月3日には無錫でガソリン七千缶、12月4日には江陰で千缶押収した記事がある。
第114師団戦闘詳報
鹵獲品
12月6-14日 自転車2、自動車1、ガソリン7,500ガロン、モビール油650缶
備考 ガソリン及びモビールは■水及宜興に於いて押収し直に通過各部隊の為に補給所を開設す。(■は[さんずい+栗]、りっすい)
『南京戦史資料集』pp556-557 
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