否定派の主張

当時の首都南京は国際都市で多くの欧米人が住んでいた。また、大陸にはロイター、AP、UPIなどの大通信社や新聞社の特派員が多数駐屯していた。当時は、反日的な機運が高まっていたのに、南京事件はほとんど報道されなかった。
南京大虐殺というものは後日になって作り出されたフィクションなのである。(田中正明『南京事件の総括』pp216-225)

反論

単なる無知である。欧米では南京の暴虐が大々的に報道されていた。
特に南京に滞在していた記者がリアルタイムで発信した「ニューヨーク・タイムズ」と「シカゴ・デイリー・ニューズ」の一連の記事は、完全に正確とはいかなくとも、当時の南京の状況を知るうえで非常に有益な資料となっている。
それら以外にも「ワシントンポスト」1/12、「マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー」2/11、「デイリー・メール」12/15、「タイム」(アメリカの週刊誌)2/14、「ライフ」1/10などでも南京の暴行事件は取り上げられている。中国の英語紙やアメリカの中国語紙などでも同様である。

南京に関係する記事のうち、翻訳され『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』に収録されているだけでも170ページに及ぶ。すべてが南京事件に関わるものではないが、それだけ多くの報道が当時からなされていたのである。
日本軍の数々の蛮行も報道され、「南京アトロシティーズ」として大きな非難を浴びる結果となった。東京裁判になっていきなり湧いてきたものではない。

なお、南京には陥落時5人の欧米人報道関係者がいたが、全員が陥落3日後には南京を脱出している。その後虐殺・暴行事件のあったとされる時期には、日本軍は欧米の報道関係者の入城を許していない。

ニューヨーク・タイムズ 1937年12月17日
捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う
 ◇アメリカ大使館を襲撃
 ◇蒋介石総統のおそまつな戦術、指揮官の逃亡 首都陥落を招く
   F・ティルマン・ダーディン
 十二月十七日、上海アメリカ船オアフ号発
 ニューヨーク・タイムズ宛特電
 南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、またとない機会を逃してしまった。
 中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場とともにうちたてられる秩序と組織に応える用意ができていた。日本軍が南京城内の支配を掌撞した時、これからは恐怖の爆撃も止み、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。
 少なくとも戦争状態が終わるまで、日本の支配は厳しいものになるだろうという気はしていた。ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。

 民間人多数を殺害
 民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。
 とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。
 恐怖のあまり興奮して逃げ出す者や、日が暮れてから通りや露地で巡回中のパトロールに捕まった者は、だれでも射殺されるおそれがあった。外国人はたくさんの殺害を目撃した。
 日本軍の略奪は、町ぐるみを略奪するのかと思うほどであった。日本兵はほとんど軒並みに侵入し、ときには上官の監視のもとで侵入することもあり、欲しい物はなんでも持ち出した。日本兵は中国人にしばしば略奪品を運ばせていた。

(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p417-418)

ダーディンの記事
http://www.geocities.jp/yu77799/durdin.html
スティールの記事
http://www.geocities.jp/yu77799/steele.html
スミス記者の講演
http://www.geocities.jp/yu77799/smythekouen.html
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