虐殺

虐殺とはむごいやり方で殺すということが原義である。むごいという感じが起こるのは、殺害方法自体が残酷である、ということと殺害するだけの正当な理由がない、という場合のふたつである。
国家は一般に個人が他人を殺害することを認めないが、国家自身は国内法(刑法)に基づく自国民の死刑執行と、戦争における他国民の殺害とを認めている。国家による死刑執行は秩序を保つためであり、その要件は法律で決められ、審判によって決定されているので、恣意的ではない。したがって「ひどい、むごい」という受け止めら方はされない。また、死刑執行方法も苦しみを少なくするよう定められており、その点でも「ひどい、むごい」という受け取り方はされない。

もうひとつ、国家権力で集団的に殺人する場合が戦争である。大量の死自体、残酷なことには違いないが、戦争が武力による紛争解決の方法であると認められてきた歴史がある。しかし、たとえ戦争目的を肯定したとしても過剰な攻撃、非人道的な殺害方法は人間の本性に悖るとして常に反省されてきた。この反省に基づき国際法が制定され、残酷な武器の使用と捕虜や民間人の殺害が禁止された。

しかし、国際戦争法が制定された後も戦争するときに憎しみが高じて、戦争目的を逸脱した過剰な殺戮をする例は後を絶たない。憎しみのあまりする殺害行為においては、殺害方法自体も残虐を極める場合が往々にしてある。

南京大虐殺で起こった虐殺においても方法自体の残虐さと国際戦争法違反の殺害という二点が重なり合っている場合があった。

どこから「大」虐殺なのか

日本では「虐殺」は単数、あるいは数を限定しない言葉として使われる。単数までを含む言葉であるから、ある程度多人数になってくれば「大」虐殺として単数の虐殺と明確な区別を立てたくなる。しかし何人から「大」虐殺とするかという決まりはない。ちなみに関東大震災のときの朝鮮人虐殺は数千人規模であり、「大」の字はつかなかった。旅順の虐殺は被害者数は2000人から2万人弱までの説があるが、「大」の字はついたりつかなかったりする。被害者が100万人を越えるとされるアルメニア、カンボジア、ルワンダの虐殺においても「大」の字はついたりつかなかったりする。過去には南京虐殺と呼ばれたこともあった。つまり、「大」かどうかは感覚的に付けられ、慣用に従っているだけである。
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