虐殺指令の記録・証言


南京大虐殺において軍司令部から統括的に虐殺命令が出ていたとする資料は存在しない。軍司令部の幕僚の記録していたものを見ると、統括的な虐殺命令はなかったとするのが至当である。しかし、しかし、軍の各階級において虐殺命令が出ていたという「受け止め方」をされていたことを示す資料は多くある。

これは、師団長クラス以下、各級の長が私的に虐殺命令を発したり、扇動・教唆をしていたことを示すものであろう。下に掲げる資料は二例を除き、正式の命令ではなくそのような命令があったと受け止められた資料である。このことが南京大虐殺の成因にかかわる事情を説明している。


A.軍司令部から出されたとされる虐殺命令
1.第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社)P405〜P406
2.「南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。その残酷さは目をおおわせるものがあった。夜半、帰還兵の一人、泣き上戸の彼が泣きわめきながら、「許してくれ―おれのせいじゃないんだぞ―」と、暗いローソクのもとで半狂乱の姿をさらしていた。」
朝香進一「初年兵日記」 P140〜 1938年8月29日
3.野田典吾(1915年11月生まれ)第16師団歩兵第33連隊 連隊本部
上海の白茆口に上陸した時すぐ松井石根大将が、この地方は共産党思想が強いのであらゆる者は殺せと指示したと聞きました。その時、野田聯隊長がそれを聞いてだめだと言ってました。十七日の入城式は朝香宮が南京に入ってこられましたな。

『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P77
4.遠藤高明少尉の陣中日記 (12月16日)第13師団 山田支隊 第65連隊 第8中隊・少尉

十二月十六日 晴
定刻起床、午前九時三十分より一時間砲台見学に赴く、午後零時三十分捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ同三時帰還す、同所に於て朝日記者横田氏に逢い一般 情勢を聴く、捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引出し1(第1大隊)に於て射殺す。
一日二合宛給養するに百俵を要し兵自身徴発により給養し居る今日到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるものの如し。 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』P219〜220
5.第十軍に属する第六師団に従軍したカメラマン河野公輝は、太平洋戦争研究会の取材に応じて、同師団の司令部に「共産主義の暴虐を許さず、共匪の跳梁を粉砕するため、農夫、工夫はもとより、女子供にいたるまで、全員殺戮すべし」という命令伝達書がとどいたのをみた、と語っている。「ドキュメント太平洋戦争 最前線に異常あり」2<殺戮の現場を証言する従軍カメラマン。ー『アサヒ芸能』一九七一年一月一四日号。

B.師団長から出されたとする虐殺命令
1.石川達三の証言
ただしこれらの虐殺や暴行を松井司令官が知つてゐたかどうかは知らぬ『一般住民でも抵抗するものは容赦なく殺してよろしい』といふ命令が首脳部からきたといふ話をきいたことがあるがそれが師団長からきたものか部隊長からきたものかそれも知らなかつた。
2.児玉義雄氏証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官

 連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
 師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
 部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。

C.連隊長から出された虐殺命令、および連隊長から出されたとされる虐殺命令
1.第114師団歩兵第127旅団歩兵第66連隊第1大隊 戦闘詳報 連隊長より左の命令を受く。 旅団命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺してはいかん。
2.【第16師団歩兵第9連隊 第2大隊】
連隊長命令
中国人は排日教育を受けており、ゲリラ攻撃をうく可能性もあるため子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺すべし、ただしなるべく銃剣による刺殺を行い銃砲の弾薬は節約すべし
3.福田治夫(1915年10月生まれ)
第16師団歩兵第9連隊 第2大隊

一週間ほどして南京からいくらか離れた南西方向の裕渓口に駐屯しました。聯隊で下がりました。そこは夜でもうっかり寝てることできませんのやで。子どもとか年いったお婆さんまで、抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、こっちは油断しますわな。寝てる所に放り込まれるのが再々あってね。「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」と聯隊長の命令がでました。
二人とか三人とかの百姓を捕まえてきて、「そこらに兵隊はおるかおらんのか」などの尋問して地形を聞いて、後は殺してしまうんです。クリークの縁に連れ出して、そこに座らせました。将校は、めったに刀で首切りなんてできへんのやから、軍刀持ってるさかいに試し切りをするんです。私ら兵隊は突き殺しました。鉄砲の弾できるだけ使うなと言われてました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P173


D.部隊長から出されたとされる虐殺命令
1.外山武雄(1914年2月生まれ)第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

上海の近くで敵前上陸して南京に向かったな。途中、クリークや大きな池を越えたりして行くので大変やった。工兵隊が橋を作ってくれたりしてな。南京へ攻めていって、揚子江でたくさんの死体が流れていくのを見たな。女や子どもも入っとるやろね。いや入ってて当然や。私も下関で軽機で撃っとるけどね。敵が(揚子江を)下って行くのを撃った。しかし南京のことは忘れてしまった、ぜんぜん憶えてない。ただ上から「男見たら殺せ」と命令されたことだけはよう憶えとる。南京へ行くまでに、常熟か無錫辺りかな、もうそういう命令が出ていたな。部隊長の××中尉が言ったんじゃないか。あるいは「人見たら殺せ」とな。何しろ、喰うか喰われるかの戦争や。うっかり見逃したら、こっちがやられるからな。

『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P159-160
2.町田義成(1913年生まれ)第16師団歩兵第33連隊 第3大隊
 昭和十二年八月松、大召集を受けて、九月に久居を出発し、大阪港から出航しました。九月、十月、十一月は河北の戦闘で韓家頭や八里荘で初めて戦闘を体験しました。
(略)
韓家頭ではやられたので、部隊本部から「韓家頭の部落を攻撃する。部落に入ったら、猫の子でもいいから生きとる者は、男でも女でも全部殺せ」と命令が出ました。それでわずか百メートル先に五十戸位の部落が見えたんです。これこそと攻撃をかけたけど、猫の子一匹もいやしません。粗末な一軒の農家の中のアンペラがコソコソと動くのでめくり上げると、四十歳位の妊婦が二人の幼児を両脇にだきしめて隠れていました。コノーと引きずり出すと、子どもは泣き叫び母親の後にしがみついている。母親はもう一人の子をクリークの中につっこんだ。××伍長がこれこそ戦友の仇と、即座に銃で三人を撃ち殺してしまった。その時は気がたっていたというか、女子どもなのにひどいことをしました。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P56-57

E.下部兵士による虐殺そそのかし・出所不明の命令
1.大川護男(1916年4月生まれ)第16師団歩兵第33連隊 大隊砲
駐屯してからな、慰安的な女の子をさがしてきたこともあったな。その場でやったな、その時分は少々悪いことしても、後でわかったらいかんというので、殺してしまやいいんや、自分らが悪いことしたら殺してしまえと部隊の中で言ってる者がいた。反日の思想が強いので全部殺してしまえという部隊があったと聞いている。その証拠に武器なんか隠してるかちょっとおかしかったら家を全部焼いてたわな。上海から南京に行くまで、自分らはいつも後方部隊やから、燃え落ちた後の部落を通った。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P325
2.第16師団歩兵第33連隊 第3大隊 小田利吉
紫金山を二晩ぐらいして、十三日の払暁、北から下りて。私ら自身は南京城内で駐屯しとらんが。城外の防衛やった。下関という記憶はある。その日のうちに下関へ警備みたいな状態でいった。
城内の記憶はないということもないな。城内のどの辺りだったかは分からん。それは二日ほどで、十五日ぐらいに下関へいった。
その時起きたのが、やかましゅう言われる南京大虐殺というやつやな。あれは、十六師団、中島師団が関係しておるというかちになっておるな。これは大事な問題や。その時、兵隊と良民というものが区別つかんので、「おかしな者は皆殺せ」という、上からの指示は確かにあった。
ところが、殺すにも、向こうがそんなことしているのを見たら殺せるけども、何でもない者は殺せんわ。それでも、なんていうのか、部隊命令で「おかしな者は一か所に寄せよ」と。そしてこうやってガーッと寄せて、そしてもう三百人−四百人の単位があっちこっちあった。他の部隊が殺すのも見た。
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P145
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