便衣兵論議
  1. 「便衣兵狩り」とはなんだったのか
  2. 南京に便衣兵(ゲリラ)はいなかった
  3. 兵民分離は兵士の殺害を合法化しない
  4. 「便衣兵」も捕虜として扱わなければならない
  5. 無裁判処刑を合法とする慣習はなかった+結論

否定派の主張

占領した都市に敵軍が私服で潜んでいては危険だ。狩り出して不法交戦者を処刑するのは当然である。

反論

占領軍の政策として「兵民分離」を行うことは当然だ。
ただし、分離した後の処置として、摘出した兵士は
1.捕虜として収容する
2.国際法などに対する違反容疑があるものは、裁判に掛けて、違法行為が確認されれば処罰する
の、扱いが妥当だろう。

実際には、兵士と認定されたものは、「兵士であるから」という理由で、何の法的な手続きも経ることなく、集団で殺害されたのだった。下記の資料に示すように、日本軍が摘出した中国兵について、違法交戦者の認定をした記録はない、ただ、【敗残兵】を掃討し、殲滅したと書かれているのみなのだ。

戦闘行動を仕掛けるということは、相手を交戦者と見なしているということだ。相手が交戦者ではないのなら、攻撃されて応戦することはあっても、攻撃を仕掛けるわけにはいかない。

戦闘として行った行動なのであれば、敵兵を攻撃し捕獲したのだから、拘束後は捕虜として扱うのが原則なのである。現に下記の「歩兵第七連隊命令」でも、捕獲した中国兵のことを「俘虜」と書いている、一般的な言葉の意味上は捕虜であると認識していたのだろう。

なお、兵士と誤認された一般市民も相当数含まれていたという記録として日本側、中国側、在留外国人のものがある。スマイス調査によれば、日本軍に拉致されて帰らない市民は4,200人にのぼる。

第9師団 歩兵第6旅団 歩兵第7連隊 戦闘詳報

歩七作命甲第一一一号
歩兵第七連隊命令
十二月十五日午後八時三〇分
於 南京東部連隊本部
一、本十五日迄捕獲したる俘虜を調査せし所に依れは殆と下士官兵のみにて将校は認められさる状況なり  将校は便衣に更へ難民地区に滞在しあるか加し
二、連隊は明十六日全力を難民地区に指向し徹底的に敗残兵を捕捉殲滅せんとす

http://nagoya.cool.ne.jp/whitecray/shouhou_hohei7....
第9師団 歩兵第6旅団 歩兵第7連隊 戦闘詳報

自十二月十三日 至十二月二十四日
南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
一、射耗弾 小銃      五,〇〇〇発
       重機関銃   二、〇〇〇発
二、刺射殺数(敗残兵)   六、六七○

http://www.geocities.jp/yu77799/haizanheigari.html
水谷荘一等兵 日記「戦塵」(歩兵第7連隊 第1中隊)

十二月十六日
 [略]
 目につく殆どの若者は狩り出される。
子供の電車遊びの要領で、縄の輪の中に収容し、四周を着剣した兵隊が取り巻いて連行してくる。各中隊とも何百名も狩り出して来るが、第一中隊は目立って少ない方だった。それでも百数十名を引き立てて来る。その直ぐ後に続いて、家族である母や妻らしい者が大勢泣いて放免を頼みに来る。市民と認められる者は直ぐ帰して、三六名を銃殺する。皆必死に泣いて助命を乞うが致し方もない。真実は判らないが、哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだいう。

http://www.geocities.jp/yu77799/haizanheigari.html
足立和雄(元朝日新聞特派員)証言

 [略]
 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった。そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた。南京にとどまっていたほとんどすべての中国人男子が、便衣隊と称して捕えられたのである。私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと証言して、助けてやった。そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、私たちの力では、それ以上なんともできなかった。
“便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nan...
マッカラムの手記

十二月三十日
金陵女子文理学院やマギーのところなどから男性が数人、強制的に連行された。中国兵だと訴えられて強制的に連れ去られたという。
 連行される者が民間人だと証明できる友人もいたのだが、手にタコがあったため、抗議の声があったにもかかわらず、深く調べもせずに兵士の熔印がおされてしまった。人力車夫、サンパンの船頭、肉体労働者などが、ただ手に正直者の苦労の印があるというだけで、大勢処刑されている。

http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mac.htm...
ルイス・S・C・スマイス「南京地区における戦争被害」

「日本兵の暴行による死者の八九パーセントおよび負傷者の九○パーセント十二月十三日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。以上に報告された死傷者に和えて、四二○○人が日本軍に拉致された。臨時の荷役あるいはその他の日本軍の労役のために徴発されたものについては、ほとんどの事実を報告していない。六月にいたるまでこのようにして拉致されたものについては、消息のあったものはほとんどない。これらの人びとの運命については、大半がこの時期の初期に穀されたものと考えられる理由がある。」

http://nagoya.cool.ne.jp/whitecray/doc_smyth.html

次項:「便衣兵」も捕虜として扱わなければならない
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