否定派の主張

陸軍歩兵学校のパンフレット『対支那軍戦闘法ノ研究』(1933年)の中の「捕虜ノ処置」には以下のようにある。
捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之れを後送監禁して戦局を待つを要せず、特別の場合の外之れを現地又は他の地方に移し釈放して可なり

このように、中国人捕虜に対する基本方針は決して「殺害」ではなかった。むしろ「釈放」に重点を置いていたのである。

反論

これの元ネタは田中正明『南京事件の総括』p182-183あたりだと思われる。「捕虜ノ処置」の項にそのような記述があることは事実だが、否定論者による引用では、決まってその続きが欠落している。

捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之れを後送監禁して戦局を待つを要せず、特別の場合の外之れを現地又は他の地方に移し釈放して可なり
支那人は戸籍法完全ならざるのみならず特に兵員は浮浪者多く其存在を確認せられあるもの少きを以て仮りに之を殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し

※(藤原彰『南京の日本軍』p33-34より孫引き。片仮名は平仮名に置換)

全体を読めば、とても釈放の方針ではないことがわかるだろう。「中国兵なんて解放しようが殺そうが問題にならない」というのが陸軍歩兵学校の教育だったのである。遠回しに殺害を煽っているという読み方もできなくはない。
東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』p87-89ではこれを後半まで引用しておきながら釈放の方針だったと結論づけているが、明らかに無理な読解である。

「戦争」ではなく「事変」と呼称したことからも窺えるように、日本軍は中国との戦いに際しては国際戦争法の規定を適用しないという方針をとっていた。
国際戦争法という人道的見地の大枠を取り払ってしまえば、そこには軍事の必要しか残らなかった。捕虜を後送し、収容し、給養するということは戦時においては常に余分の負担となる。さすがに欧米各国の目は気にしていたが、それさえなければ捕虜の虐殺は始めから容認されていたのである。

支那派遣軍司令部の方針もこの大枠の中で行軍中の少数の捕虜は殺害を認めていた。大量の捕虜は司令部に後送すべし、としていたが、いわゆる下克上の風潮により現場の師団から無視された。

これには次のような事情がある。
日本兵は捕虜となることを禁止されており、それとの釣り合い上、敵軍の捕虜も殺しても構わないという感じ方が、特に兵士・下士官に強かった。そのうえ南京戦においては補給がほとんどなされず、捕虜に食わせる食料がなかった。南京への急速な進軍が重視されたために、支那派遣軍司令部の方針通り、少数の捕虜は殺害されていた。
また上海・南京戦で苦戦し多数の死傷者を出したことによって中国兵に対する憎悪が募り、捕虜殺害に対する心理的抵抗も失われていった。

抵抗のできない者や武器を持たない者を殺すのはよくないという、常識的な考え方はそれでもまったくなかったわけではない。しかし、国際戦争法という原則を取り払ってしまえば、状況によって捕虜の取り扱いはどのようでも悪くなった。現地釈放という、中国兵捕虜にとってはまだしも人道的な対応はめったにとられることがなかった。
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