南京事件FAQ - 国際委員会の報告はいい加減な伝聞ではない

否定派の主張

南京安全区国際委員会が報告した日本軍の暴行記録はいずれも伝聞資料である。それらの事件が実際に起こったのか疑わしい。

反論

「伝聞である」という否定論法は否定派の定番となっている。そのルーツをたどれば初期の否定論者田中正明が言い出したことである(『南京事件の総括』pp170)。彼は東京裁判でマギー証人に対する反対尋問で弁護人が一定の成果(といっても裁判の中でほとんど唯一の一矢報いた場面にすぎない)を挙げたことが彼に強い印象を与えたことからはじまっている。

裁判はもともと推定無罪というデフォルトを覆すのに足る厳重な論証を必要とする。裁判はほぼ同時代の、範囲が限局した事件を扱う。伝聞元の証人は少数であり、現存するし、また司法制度は彼らを強制力をもって喚問することできる。したがって、裁判では伝聞に替えて可能な限り直接の目撃証人を採用するし、またそうできるのである。

国際委員会の報告の目的は犯人を捕まえたり、裁判を起こすためではなかったし、警察・司法機関のような権限も持っていなかった。日本の外交官に対して、南京市で頻発する日本兵の暴行の現状を報告し、防止してくれと要請するためのものであった。そのために要する報告の厳密さは裁判の厳密さとはおよそ違うレベルである。


もし、日本の憲兵隊がこの報告を見て犯罪を犯した日本兵の捜査を望むなら、もっと詳しい情報を追加して収集したり、あらかじめそういった目的に備えた報告をしたであろうが、幸か不幸か、そのような要望は出なかった。また、報告を受け取った領事からも、この報告は信憑性はないとしてと受け取りを拒否されることはなく、すべて本国に送られた。本国の外務省もまた、事態の深刻さに頭を抱えた。

ところで、伝聞を厳密に解釈して排除するならば、直接目撃、直接体験しか残らない。しかし、われわれは経験上多くの知識や論証にすべて直接目撃、直接体験を必要と考えているわけではない。マスメディアや教育、社会生活などからくる情報はほとんどすべて伝聞である。伝聞であってもわれわれは自然な態度として、家族・親戚・友人・知人、利害を共通にしているもの、一般に信頼されているものからの情報はこれを信用して受け入れている。

伝聞が排除される理由は一般に、伝聞を重ねて元の情報が変形している場合、伝聞情報の発信元が不明またはトレースが不可能な場合である。伝聞ではあっても、直接の目撃者、体験者から直に聞いた情報は信頼性が高い。また、同様な情報が多数のルート、違ったルートから来る場合は信頼性が高い。伝聞であっても情報の内容が豊富で、状況がいきいきと伝わる場合は信頼性が高い。

国際委員会の報告した事例はこれらの条件を満たしており、「伝聞だから信頼性がない」と形式的に否定できるようなものではない。

解説:国際委員会の報告の信憑性について