南京事件FAQ - 中国の代わりに外国人が抗議している

否定派の主張

中国から事件について日本への正式抗議がなかった。これは大虐殺などなかった証拠である。

反論

1937年8月15日に日本大使館が南京から引き上げ、11月19日から中国政府が南京を引き上げて漢口に避難するという状況であり、当然南京での両国外交部の接触はない。

中国政府は南京市民の置かれた状況をリアルタイムに掌握しておらず、日本との外交的な接触の場もなく実質的な戦争下にあるわけだから「抗議」を行なっていない。しかし蒋介石の項に見るとおり、「非難」は行なっているのである。

南京城内で日本軍が民間人に対する略奪暴行、拉致、殺人を繰り返したとされる時期に南京で市民の保護に当たっていたのは残留外国人からなる「安全区国際委員会」であり、同委員会は日本大使館に対して膨大な数の抗議を行なっている。

国際委員会 第5号文書(1937年12月16日付)※南京安全区トウ案では第7号文書

 南京日本帝国大使館員
  福田篤泰殿
 拝啓
 昨日正午、交通銀行で貴下も出席された会見のおりに少佐が指摘されたように、できるだけ速やかに市を平常の生活に戻すことが望ましいことです。しかし、昨日、安全区内で日本兵が続けざまに暴行をおこなったため、難民の間に恐慌状態が強まりました。大きな建物に収容されている難民たちは、近くの無料食堂へいって米粥を手に入れることもできないでいます。その結果、これらの建物へ当方が直接米を運んでやらねばならず、これが問題をいっそう煩雑にしでいます。われわれは米や石炭を無料食堂にかついでゆく人夫を集めることさえできなかったので、今日は何千人という人か朝食抜きですごさねばなりませんでした。今朝、国際委員会の外国人メンバーは、これらの一般市民に給食するためトラックで日本側歩哨線を突破するのに、必死の努力をしました。昨日、当委員会の外国人メンバーは、私用の車を日本兵により何度も徴発されるところでした。(暴行事件の例をあげた一覧表を追加します。)
[略]
 当方は最高司令官が到着すれば市内の秩序も回復するであろうと考えたので、昨日は抗議をとり止めました。しかし、昨夜はその前夜より事態がいっそう悪化したので、これらのことにつき貴軍の注意を喚起することにしました。日本軍は兵士がこのような行為をおかすことを是認するものではないと、われわれは確信します。

(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』p124-125)
国際委員会 第6号文書(1937年12月17日付)

 南京日本帝国大使館 御中
  日本大使館二等書記官福井淳氏の配慮を乞う
[略]
昨日は一四人の労務者が連行されました。当方の警官にも干渉がなされ、責任者である日本人将校の言によれば、司法部に駐在中の五〇人の警官を「銃殺するために」連行したとのことです。昨日午後にはわれわれの「志願警察官」のうち四六人が同様に連行されました。[略]
十四日いらい貴軍の兵士がおこなっている強盗・強姦・殺人の蔓延にまったく驚いています。
 われわれが抗議のなかで要求することは、貴下が貴軍の秩序を回復しできるだけ早急に市の生活を平常にすることだけであります。

(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』p125-127)
国際委員会 第7号文書(1937年12月18日付)

 南京日本帝国大使館 御中
  日本大使館二等書記官福井淳氏の配慮を乞う
 拝啓
 またもあなたを煩わせることを遺憾に思いますが、われわれが保護している二〇万の市民の苦難と窮迫は、貴国軍隊が何らかの処置をとって、安全区を徘徊する日本兵の間の無秩序状態をやめさせるよう要請することを、焦眉の急としております。
 当方にて記録が間にあわないほど頻々と報告されてくる暴行事件の内容にここで詳しく立入る時間も紙面もありません。[略]

(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』p128-129)
国際委員会 第8号文書(1937年12月19日付)

  南京日本帝国大使館 御中
 拝啓
 この手紙に添えた安全区における日本軍暴行事件報告の続き、第十六件から第七〇件までの記録を貴下に提出しなければならないことを非常に残念に思います。注にて指摘した通り、これらはわれわれの気づいた事件のほんの一部にすぎません。スパーリング氏(主任監察)・クレーガー氏・ハッツ氏・リッグズ氏は日本兵を民家から送り出すのに多大の時間を費やしています。上にあげた人びとは自分が知っている暴行事件の大半を記録する時間さえない有様です。

(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』p133)