日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。


(あきやま のぶとも)
享禄4年(1531)生まれ、天正3年(1575)11月21日(12月23日)没。戦国時代の武将で甲斐武田氏、晴信勝頼2代に仕えた。



信玄に仕えて信濃国攻略に従軍し、天文16年(1547年)伊那攻略で戦功を挙げ上伊那郡代に抜擢され、高遠、飯田などの城代を努める。永禄11年(1568年)、織田信長の嫡男・織田信忠と信玄の娘との婚約成立に伴い、岐阜へ名代として赴くなど、武田の猛牛とも評される武勇の将であるが武勇だけの将ではなかったようである。

 元亀元年(1570)、徳川家康・織田信長らと三河遠江で戦い、諸城を攻略。武田氏の威勢を周辺諸国へ示す。飯田城代に就任してからは国境守備と共に主に美濃国攻略を担当、天正元年(1573年)美濃岩村城を無血開城させる。開城にあたり前城主ですでに病没していた遠山景任の正室である信長の叔母を妻に迎え、景任の養子である信長五男の御坊丸(後の織田勝長)を保護し甲斐国に送っている。以後岩村城主として美濃方面の最前線を守備する。

 天正3年(1575)5月の長篠敗戦後、岩村城は孤立。信長・信忠の攻撃にあい、11月降伏。岩村城を開城したところを捕らえられ、長良川にて磔にされる。信友だけではなく自身の叔母(おつやの方)も磔、信友配下の将兵も皆殺しにされている。

墓所は岐阜県岩村町妙法寺、山梨県塩山市恵林寺

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