日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。

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今川義元

(いまがわよしもと) 永正16年(1519)〜永禄3年(1560)5月19日 氏親の五男として駿府城に生まれる。幼名は万菊丸。 五男だった為、幼い頃に出家をして梅岳承芳(ばいがくしょうほう)と称して禅僧太原雪斎(たいげんせっさい)の弟子となり、善徳寺で修行をする。 天文5年(1536)氏親の跡を継いだ嫡子氏輝がわずか24歳で急死。氏輝には嫡子が居なかった為に次男の彦五郎も急死、京へ登り学んでいたが、義元は氏輝と同様正室の子だったので家督相続の為に駿府へ戻る。しかし、これに黙っていなかったのが三男玄光恵…

https://seesaawiki.jp/w/nobunaga_1534/d/%ba%a3%c0%... - 2006年07月09日更新

桶狭間の合戦

永禄3年(1560)の5月19日に行われた合戦。 尾張の大名である織田信長と駿河を本拠地とする守護大名である今川義元の戦いである。 結果は織田信長の勝利で幕を閉じた。 【''背景その1:今川義元の尾張侵攻の目的''】 今川義元が尾張に侵攻した理由は、元来『上洛して室町幕府の政権を掌握』するというのが定説とされてきた。 しかし、最近の学説では『領土拡大の意志』を持って尾張に侵攻し、国を奪取するまたは、危機的状態にある2つの城砦を救出する為に侵攻したという考えが出てきている。 恐らくは、尾張を制圧した後…

https://seesaawiki.jp/w/nobunaga_1534/d/%b2%b3%b6%... - 2006年07月08日更新

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