日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。

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姫路城

永禄10年には家督をみなさんよく御存知の黒田孝高(または官兵衛、後の如水)に譲って職隆自身は嵐山に隠居した。 天正5年になると羽柴秀吉が軍勢を率いて播磨にやってきたので、職隆は子の孝高とともに姫路城に迎え入れた。秀吉に従うことをよく思わない小寺政職は孝高を御着城に招いて殺そうとしたが果たせなかった。しかし孝高は有岡城主荒木村重のもとへ送られ城内に幽閉されてしまった。 幽閉された孝高は、有岡城落城とともに救出されている(荒木村重の謀反)。救出された後も、孝高は秀吉の麾下として活躍した。有名な陣輿上の…

https://seesaawiki.jp/w/nobunaga_1534/d/%c9%b1%cf%... - 2006年07月09日更新

黒田孝高

(くろだ よしたか) 天文15年11月29日(1546年12月22日)生まれ、慶長9年3月20日(1604年4月19日)没。 播磨・姫路の土豪である黒田氏。黒田職隆の子で黒田長政の父。剃髪し、【如水】の名前も有名だが、クリスチャンとして洗礼も受けており、洗礼名は【ドン・シメオン】という。(サイモン・ジョスイとも)。マニラのサンセバスチャン教会に名前が記されていると『黒田如水伝』にある。官位は勘解由(かげゆ)。  天正16年(1588年)、主家であった小野寺氏に織田家と通じるように勧め、豊臣秀吉を播磨…

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