(三好達治訳の「噴火獣:シメール」を私は日本人に馴染みのあるキメラとしました)
灰色の空はどこまでも広がっていて、埃っぽい大地に道はなく芝生もなく、薊や刺草の雑草も生えない、そんな荒れ地で、私は、身を屈めて進んでいく人群れに出逢った。彼らは麦粉か石灰か何かを詰めた袋を背負って、そのうえ、ラバ歩兵の軍装かと思えるほどの重い巨大なキメラを背負っていた。
その奇怪なキメラは、ただ背負われていたのでなくて、なんと、弾力のある強い筋力で、背負うた人に被さり、締めつけていたのである。大きな二つの爪で、乗った人の胸にしがみ付いていたのである。昔、戦士たちが敵を射すくめる目的で被ったあの凄まじい兜か何かのように、その異様な頭を人々の頭の上に乗せていたのである。
そのなかの一人を呼びとめて、私は、どこへ向かっているのかと問うてみた。答えて言うことには、彼も、他の人々も、旅の目的については何も知らない、だが全員がどこかへ向かっているのであり、実際、誰もが抗えない欲求に駆られて進んでゆこうとしているのだ、と。
私が特に奇妙に感じたのは、どの旅人の顔色にも、己の頭に被さり背中にしがみ付いている残忍はケダモノに対する、苛立ちが少しも表れていないことであった。それをまるで己自身の一部分とでも見なしているといった風である。その誰もが、疲れた顔に真面目な、どの顔にも絶望の表情を見せていなかった。見上げる空は鬱陶しくて陰気な丸天井、その空とちっとも変らない荒涼とした地の塵埃にまみれながら、希望は常にあると知るべき苦界にあって彼らは、欲を持たず超然として、道なき道を辿ってゆく。
私の傍らに在ったその人群れは、荒れ地の向こうへ、人の好奇心に晒されるばかりの、あの丸い地平のかなたの霞のなかに消えていった。
その後しばらく、私はこの不思議を知ろうとあれこれ分析しようとした。けれど考える間もなく抗いがたい無関心が私の心に押し寄せて、何も解らないまま私は屈服している、その圧し掛かる無関心の酷さときたらもう前に進むなんて出来ない。
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このページへのコメント
ボードレールは甘ったれてるだけみたいな…それで詰らなくなってしまいます
あちらをかじり、こちらをかじりして、一人遊びしているみたいになってます。
シメール はてこれはなんじゃと、サラマンダーでは無いようだしとぐぐれば、ギュスターヴ・モロー「キマイラ」の挿絵にいきあたりました。
「へー、なるほど」でした。