嗅ぎ・聴いて・味わい・触れて・共感したら、なんて仕合わせ〜☆

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D'ACCORD ?

最終更新:oxooo 2011年05月02日(月) 16:45:34

最初、私は「パリの憂愁」を≪散文詩集≫として読み始めた。
触込みでは、一編一編が独立した小詩になっている筈なのに、
読み始めて直ぐに『これは詩ではない』との思いが強まった。
ボードレール自身が編集した『パリの憂愁』でないのは分る。
しかもボードレールが亡くなった時点で未完成だったという。
それなら「売らんかな」の出版社が無責任に出版したのかも。

「パリの憂愁」が一冊の小説なら、私が言うことは何もない。
初め私は、短詩の一つ一つに感想文を書くつもりだったけど、
訳の分らない物の感想なんて、全く意味のないことでしょう。
聞けば、ボードレールは詩を「散文で書き始めた人」らしい。
だからボードレールは散文詩集として出版したかっただろう、
けど、その願いは空しく、構想の段階で亡くなってしまった。

映像による現代詩集『夢』…黒澤明のオムニバス形式の映画。
一つ一つはバラバラだけど、全体に透けて浮ぶ詩心は魅力的。
夢のように散文詩によるオムニバス形式の現代詩集を想像し、
「パリの憂愁」のなかの短編の一つ一つは詩でなくても好い。
詩でない短編の五十編を寄せた時、詩心が見えたら散文詩集。
もちろん、十三編までしか読めてない状況の今…ノラの願望。

子供の時に読んだ母子の往復書簡集『少年期』を思い出した。
母は帳面に息子への手紙を書いて、読んだ息子は返事を書く。
息子からの伝言も当然あるけど、それには母が返事を認める。
母子は顔を逢わす事ができない生活状況で、すれ違いばかり、
そんな状況下でも互いの心を通わす知恵・道具が一冊の帳面。
互いの体温・詩心は時間の壁に妨げられることは決してない。

往復書簡は読んだ人でなく、綴った人の宝物かも知れないね。
ボードレールから私への親愛の手紙と思えば、有難くもあり、
拙い返事ではあるけれど、せっせと書いているところですぉ。
五十編を書き終えたら、私も少しは賢くなっているかもね…。
ボードレールの短編…付け加えなくても散文詩集かもだけど、
やっぱり『短詩』五十編を併せた『散文詩集』を夢見ている。


誤解の無いように付け加えますけど、
黒澤明のオムニバス映画『夢』…一編一編も詩になってます。


最終更新:oxooo 2011年05月01日(日) 22:29:02

ボードレールの曰く、
「詩編は小詩ごとに完結している」であれば、小詩ごとに意味がとおるべきでしょう。
「パリの憂愁」は意味がとおらないフレーズが多過ぎるように感じていたのですが、
お二人の訳詩の研究者でない私は『ボードレールへの手紙』を認める立場の詩人。
✔研究者でない詩人の立場でも、ボードレールを無意味に誉める愚に手は貸さない。


今回、三好達治訳「巴里の憂鬱」と、山田兼士氏訳「巴里の憂愁」を見比べました。
その結果、お二人の翻訳「(8) 犬と香水瓶」に微妙な違いが見つかりました。
それで、ボードレールの生い立ち・生活環境・時代背景などを調べてみました。
ボードレールのフレーズに「ロジック無視」の傾向が目立つ原因も考えました。

ともあれ、
散文詩を広めた彼の功績は認めたいと思いますが、間違いは間違いですよね。
ロジックを無視して文字を並べるのは『たわ言』と言って、お勧めしません。

ですが、たわ言と知りつつ、戴いた手紙を添削するのはツマラナイし、
それで『ボードレールへの手紙』はこれまで同様、私の感覚を綴ります。
つまり「ボードレールへの返信」ふうの中身です。



ボードレールの時代「1821 -1867」は、
多数の中小土地所有農民を生んだフランス革命で市民意識が高まった時期と重なる。
折しも、産業革命でフランスでは小規模の軽工業者が生まれていました。

◆◆
ボードレールが生きた時代のフランスの市民意識は高まりつつあった。
この「市民」は貴族でなく、目覚めた一般大衆としてよさそうに思います。
しかも数千年に亘って虐げられてきた市民大衆は、暫らくは他者批判に忙しい。
ボードレールは目覚めつつあったそんな「市民」の一人といえるでしょう。
✔他者批判の罵り声は聞こえても、内省がみえない「現・日本の公衆」と重なる。
✔ボードレールから遅れること、百五十年、日本の公衆の憤懣が聞こえますぉ。
自己を省み・内面を磨くよりも「公衆」「社会」への憤懣が際立つ時期…日本、

◆◆◆
亡父は富裕な農民になったが、成年に達したボードレールは遺産を散在します。
このように観てくると、ポードレールを真摯な思想家とするのは難しそうです。
ダンディズムの遊び人感覚のボードレールを庶民の味方とは言えそうにない。
それより、庶民として汗を流すのを嫌った怠け者としたほうが妥当に思える。
結局、農民の出のボードレールの経験は、農民・大衆への不満を露わにさせた !?
満足より不満に流されて人は人を嫌う…ボードレールも例外ではなかったらしい。
結局、文句タレで終ったのか、詩人として勇敢な魂たちの先頭に立たなかったのか?
✔今・私には、革命家にならず、詩人になれたかどうか、疑わしいボードレール。

(今後、よっぽどの事がなければ、ボードレールに関する記述はシビアでしょう。)


            最終更新:oxooo 2011年05月02日(月) 16:24:04

Hi ! ボードレール 今ごろは、お元気でしょうか?

訳者の感性によって異なる言い回しは当たり前で、
国や社会が異なり、時代が異なれば言葉も違う…。
そんなことで、読み続ける確信を持てないでいた。

どこまで読めるか判らない貴方の詩編でしたから、
で、これまで11通にもなっていることに気づいて、
それで、まだまだ続けるつもりのパリの憂愁だし、
カテゴリーを詩論から分離させる事にしましたよ。

詩人の卵の私には不手際はいっぱいありますけど、
コミュニケーションは十二分に取らなきゃ。…で、
これ、貴方のためのようで、私のために特に重要。
詩人が自分の心を伝えないなら絶対に変…でしょ?
うん、それだけ。よろしくお願い致します。ノラ。


ごあいさつ

最終更新:oxooo 2011年05月02日(月) 09:42:22

前書き

ボードレールを理解する目的から「私家版・パリの憂鬱」に取組むことにしました、
フランス語を解さない身ですが、ボードレールの思いを逸脱しないように努めたい、
この前書きまでは管理人の文、この後はボードレールの想いを籠めての翻訳文です、
浅学ですけど、管理人が理解する「散文詩体」を駆使して綴ってまいるつもりです。

さて、
ボードレールはアルセーヌ・ウーセイに贈る形で、私への手紙を遺してくれていた、
それはボードレールが知った不思議な世界を惜しみなく打明けてくれる内容でした、
少し自慢めいて見えるフレーズも…それはだけどボードレールが得た特権でしょう、
人は己が発見したモノの大きさに気づいて興奮し、落着きを失うのかもしれません。

ボードレールのそんな昂ぶる心理状態までが上ずりがちな筆づかいに顕れてみえる、
癒したり慰めたり励ましたり、天の素敵な采配にもなかなか気づけない私たちです、
断崖や激流、悪天候や道なき道、凡ての存在、凡ての現象が往く手を阻んで見える、
だけど凡ては取って置きの企てゆえに、この世界には退屈する暇はないと言いたい。

明日は明日の夢を手にする自由もあるし、白紙に戻して今日をやり直す自由もある、
時間からも場所からも凡ての関係からも、詩人は誰でも貴方も私も、自由なのです、
無間の闇に堕ちても、そこには貴方の目に見えないだけで、光は厳としてあります、
地獄の底にも明かりは届けられるのですから、本心を失わなければ楽しく過せます。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」暴れて生きる高杉晋作も好いでしょうし、
「すみなすものは心なりけり」と静かに続ける野村望東尼の心は更に良いでしょう、
それにしても覚悟なく潔くなく欲深にして罵り憎み呪う人たちは、じつに哀れです、
毒蛇や毒花の派手さに魅かれるのは、裸の己に自信を持てないからと言えましょう。

シャルル! 権威も権力もお金も持ってらっしゃらなくても、あなたは、素敵です。


ボードレールへの手紙

最終更新:oxooo 2011年05月01日(日) 20:52:05

          拝啓!ボードレール様

これからは‘シャルル’とファーストネームで呼ばせていただきます。

「パリの憂愁」(全50篇)の翻訳版を読みはじめて、すぐに思ったこと、
一つ目は、シャルルの文章はロジックが通っていないという事でした、
二つ目は、女性蔑視・人間蔑視の感覚に堕ちているという事でした、
そのような考え方の人が国や社会を愛せないのは解っていることです、
そのような感覚の書き付けが「詩」と言えるとは思いません。

ただ、シャルルは散文詩を確立した人との認識が私にありましたから、
散文詩への関心に惹かれて「パリの憂愁」を読み切ろうと決めた訳です、
前書きに依ると、アルセーヌ・ウセイに同書を捧げるとなっています、
「なるほど、私もシャルルから貰って好いんだ!」
それなら、返事を書かなきゃ礼儀知らずになってしまいます。

シャルルへの返事を思い立った私の気持ち、お解りになるでしょうか、
真心に真心で返すのが詩人の心、私はそのように理解しています、
私たちはもう親友ですから、言いたい放題を言わせてもらいます、
過ちを見て・知って、知らない振りをするのは嫌いです、
もちろん、私が間違ったことを書くかも知れません、
親友が間違ったら正すのは親友シャルルの役わりです。

それにしてもシャルルの感性の鋭さには驚きました、
四十才を回って猶、素直な少年の心を失っていないシャルル、
いっぱい間違いを重ねて、だけどそんなのヘッチャラで突進む、
これを詩人の心と言わずしては、どこに目を付けているのか、
30篇まで読んだところで、初めから読みなおすことに決めました。

お陰さまで散文詩の感覚にも少しずつ慣れてきた気がします、
シャルル! ホントにありがとうございますね、
己の間違いを正さずしては恥しくて、私も詩人を名乗れないよ、
とは言いつつも、独学の私は、未だまだ読み間違いをしそうです、

貴方の間違いを正すなかで私の間違いは顕われたのだから、
もっともっと、間違いを見つけて追及するつもり、
激しく打ち合うなかで鉄は鍛われるって、実感してるところです、
今まで以上に、覚悟していてくださいね。拝。


★シャルル・P・ボードレール、親しく呼びかける時は“シャルル”とします。
★この【私家版・パリの憂愁】の原本には三好達治訳を主に採用する予定です。
★原本に忠実に現代語訳したいとは思いましたが、独自の解釈も多々あります。


詩心は広まり

最終更新:oxooo 2010年09月06日(月) 12:31:23

現代詩に魅せられた者は誰でも、ボードレールをモノにしたく見える。

三好達治や堀口大学、あるいはそれ以外の翻訳詩集に満足できないで、

本質的なところで照り輝く太陽の匂いを彼らは自ら得ようとするのか。

かく言う私とて散文詩に至り、ボードレールの入口に立つ者であるが、

三好達治と堀口大学の訳詩の数行を見ても・その位相の違いを感じる、


訳者の感性やボキャブラリーの個体差は、話の趣向を夙に異にさせる、

私の場合はインターネットに載っていた訳文を見つけることが出来て、

各々、訳は異なって表層も深層も異なった方を指して私の目に見える、

そんな事でボードレールの翻訳を試みたい人々の心の動きを感じる私、

作者の魂が感じられないような書き物は詩でなく、読んで感動しない、


それが翻訳であれ、訳者の魂が表われているなら、読んで感動できる、

作者の魂が輝けば輝くほど、読者の魂も作者の高い宙に飛んでいける、

詩に籠められた、書き手の真心は詩心となって、読み手の真心に至る、

どの翻訳本も即ち私のために著されているのだと、私には理解できる、

これは法華経に語られる「五十展伝」にも通じる考えだと、私は思う、


「詩心」は、ボードレール、訳者、私と…心から心へと伝わり広まる。


巴里の憂鬱

最終更新:oxooo 2010年09月05日(日) 21:27:59

★これは三好達治訳『巴里の憂鬱』に関するページです★


ワガママ読本

何人かの方の翻訳になる「パリの憂愁」を読んで考えました。
翻訳は原本に忠実でなければならないのは当然かも知れません。
ただ、フランス語を理解しない私の想いはかなり違っています。

ボードレール研究家はボードレールの文の機微に触れたいかも、
ボードレールの散文詩を楽しみたい私の思いは「意訳」が好い、
こんなことを言えるのは翻訳の苦労のない私の我がままかも…。

ボードレールは専門家が読んでも難しい内容です、
私がそもそも理解しなければ、論外なんですけれど、
小学生・中学生も読めるボードレールがあれば好いな…

そんな私の思いが「私家版・パリの憂愁」に歩ませました、
即ち、翻訳本からの意訳を試みる苦労知らずなワガママ読本、
ボードレールをどこまで読み切れるか…私のこれは挑戦です。


私家版への想い


【ボードレールへの手紙】を綴っているうちに、【私家版・パリの憂愁】が欲しくなりました。

何人かの翻訳本を読んでいて、ボードレールの思い・真実はどこにあるのだろうと考えました、
ファン心理は作家の心の襞に触れたくて原典を読みたいし、翻訳までも手掛けたくなるらしい、
フランス語に堪能な人は直ぐに原典をひも解くでしょう…けれど私はフランス語が解りません、
ボードレール研究家の方々はボードレールを原典に忠実に翻訳なさってらっしゃると思います、
だけど原典に忠実な翻訳本を読んでみて、個々のボードレールの捉え方は異なるのを感じます、

それでフランス語が解らない私がとれる佳い手段はないだろうかと、そんなことを考えました。
翻訳本を三十篇まで読んできて、全編をとおして流れる大筋があるらしいことに気づきました、
それがなにか詳しく解らないけれど、この大筋がボードレールの真実に違いないと感じました、
それならこの大筋を頼りに翻訳本を読み進められたら、ボードレールを大きく外れないかなと、
フランス語は解らなくても、諺「習うより慣れろ」でボードレールに慣れていきたいものです。

三好達治訳『巴里の憂鬱』を材料にして【私家版・パリの憂愁】に加工し直すことにしました、
三好達治は亡くなっていることだし、読みやすい言葉に図太く・加筆・訂正したいと思います。


原典の目次

 ・ アルセーヌ・ウーセイに与う
(1)異人さん
(2)老婆の絶望
(3)芸術家の告白
(4)剽軽者
(5)二重の部屋
(6)人みな噴火獣を負えり
(7)愚人と女神
(8)犬と香水壜
(9)けしからぬ硝子屋
(10)夜半の一時に
(11)檻の中の女と気取った恋人
(12)群衆
(13)寡婦
(14)老香具師
(15)菓子
(16)時計
(17)毛髪内の半球
(18)旅への誘い
(19)貧者の玩具
(20)妖精の贈物
(21)誘惑 ――或は恋の神、富の神、名誉の神
(22)黄昏
(23)孤独
(24)計画
(25)美女ドローテ
(26)貧者の眼
(27)悲壮なる死
(28)贋せ金
(29)寛大なる賭博者
(30)紐   (エドゥーアル・マネに)
(31)天稟
(32)酒神杖 (フランツ・リストに)
(33)酔え
(34)ああ既に
(35)窓
(36)描かんとする願望
(37)月の恩恵
(38)何れが真の彼女であるか
(39)名馬
(40)鏡
(41)港
(42)情婦の画像
(43)意気な射手
(44)スープと雲
(45)射撃場と墓地
(46)円光喪失
(47)小刀嬢
(48)どこへでも此世の外へ
(49)貧民を撲殺しよう
(50)善良なる犬(ジョセフ・ステヴァン氏に)
 ・ エピローグ
 ・ あとがき




パリの憂愁

最終更新:oxooo 2011年05月01日(日) 21:41:12

        ↓
     【パリの憂愁】(小散文詩)(訳・山田兼士氏)

『巴里の憂鬱』とか『パリの憂愁』と訳されていますが、
ここは山田兼士氏の感性が名づけた「パリの憂愁」です。
散文詩は散文で成りたつ詩かもだけど、ちょっと待って!
ここまで来たなら、もう体裁にこだわる意味は感じない。
散文詩・定型詩などは必要に応じて協調させて読みたい。
人と人を結びつける浪漫の詩と理解して自由に読みたい。


『パリの憂愁』はボードレールの死後2年目の刊行なの。
晩年の十年間ほどに新聞に少しずつ発表されたらしいわ。
それらの詩は百五十年を経た現在も古さを感じさせない。
いったい、言葉は時代の荒波を受けて必ず古ぼけていく。
訳者が暮す時代の言葉の多くは廃れて黴臭くなっていく。
それなら衣装を替えたら新しく生まれ変わるでしょうか。
いいえ、衣装は新しくても作者の感性が古ければ黴臭い。
そう考えるとき、ボードレールの感性に古さを感じない。
ボードレールの感性を超えた詩があれば古さを感じた筈。
これはボードレールを理解する詩人が現れなかったのか、
或いは、ボードレールを超えた詩人は理解されなかった。
或いは、私の目にボードレールが新鮮なだけでしょうか。


パリの・・・序文

最終更新:oxooo 2011年05月01日(日) 21:39:51

                      ぽちっ
                       ↓
            アルセーヌ・ウセーに(序文)

ボードレールは序文の形で私への手紙を遺してくれていた。
そこは詩人が知った不思議を惜しみなく打明けてくれる場所。
少し自慢めいて見えるフレーズ…それはだけど貴方が得し特権。
発見したモノの偉大さに興奮して、人は落着きを失うかも。
上擦りがちの貴方の筆づかいも、詠えば生き生きして見える。

人の心を慰め励ます天の采配も目に見えぬ故に理解されない。
旅する者の意気を削ぐのは往往に周囲に聳える絶壁や棘の影。
渓谷を渦まく急流の轟きさえ、人の往く手を阻んで見える。
凡ては取って置きの企てゆえに、貴方に退屈する暇はない。
この私の夢想を貴方のモノにできるし、嫌なら無視するも好い。
明日には明日の夢を手にする自由が貴方に残されている。
だから今日までの計画を白紙に戻して明日をやり直す自由もある。
もちろん、貴方はボードレールをそのままに暗誦するも好い。
詩人である限り・人は誰でも・貴方も・私も自由なのです。
否いな、詩人でなくても人生の愉しみは十分に充たされますよ。
泣き言や愚痴さえも退屈しのぎになると言えますからね。
只、本心を見失った貴方に愉しむゆとりが残されているかどうか…。
それさえ承知の貴方なら、地獄の底にも明りは届けられるのです。
無間の闇に堕ちたって、貴方の目に見えなくたって、光はあります。
それを知っているゆえに、私は貴方に絶望しないでしょう。
「おもしろきこともなき世をおもしろく暴れる」も良い高杉晋作だし、
「すみなすものは心なりけり」と静かに続ける野村望東尼は更に良い。
それにしても覚悟なく・潔くなく・罵り憎み呪う人の余りに哀れなれ。
これは詩的散文の奥の深さを知らず、のめり込む野心の馬脚を現す所かも。
理屈は人に先んじて見えたれども、兵どもの夢の中に忽ち仲間入りなら…、
ともあれ、こうしてボードレールの手紙に想いを致しています。



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