嗅ぎ・聴いて・味わい・触れて・共感したら、なんて仕合わせ〜☆

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パリの憂愁(5)二重の部屋

パステルカラーの淡い靄が立ちこめている幻想的な空気の部屋、
そのような場所には、おそらく精霊でも宿っていると言えそう。

そこで魂は、己の不甲斐なさを嘆いたり、明日の夢を描いたり、
心置きなく寛いで、心身の傷や疲れを取去り・癒やしたりする、
仄暗い夕空の青みを帯び、或いは、淡い薔薇色の夕焼けのよう、
満ち足りた後のひと時、夢に漂い味わう眠りは、悦楽であろう。

その部屋の調度はどれも、気だるそうにユッタリと拵えられて、
ぐったりとしていて、果てしない夢に浸り続けたいようである、
植物や鉱物の在り様、夢の雲海を漂い続けている、そんな感じ、
色とりどりの織物は、花のようで、空のようで、夕陽のようで、
どんな芸術品を飾りたてた壁でも、これに適う物はないだろう、
人の手になる芸術なんて、純なる幻に比べた時は、卑しいのだ、

解かりもしない心のなかの、美の価値を、どう越えられようか、
神の領域の一部分たりとも、浅智恵に塗り換えよう等は、冒涜、
この世界はバランス良く配分されていて、調和に満ちて美しい、
輝く太陽は世界に勇気を齎し、満天星は甘美なる優しさを齎す、
そこに微睡む生き物の魂は心地良くて、雲となって飛びまわる、
そのただ中で満足りて、溢れ出て、淡い靄となり、香気が漂う。

窓々や寝台に纏わり揺れているのはオーガンジーのカーテンか、
溢れて毀れた雪解水が滝津瀬の清らな流れとなっているようで、
その寝台に目をやれば、夢から脱け出た女王が横たわっている、
それにしてもどうしてここに、誰に伴なわれてきたのだろうか、
この幻想と悦楽の間の寝台に、いかなる魔力が連れてきたのか、
ともあれ今、彼女は、幻想の彼女はここにゐて、安らいでいる、

黄昏の闇を切裂く、その眼光の鋭さは、怖ろしい鑿の切れ味か、
今、改めて思い起こせば、その彼女の恐ろしい悪魔性が見える、
その眸は何気なしにでも見とれた者の魂を惹き付けて放さない、
捕らえられた犠牲者の魂は屈服して、敢え無く、最後をとげる、
この黒い二つの眸は好奇心に燃えていて、いつも褒美を強請る。

それにしてもこれまで私は、この眸を何べん眺めたことだろう、
今の私の幸せを、どんな悪魔の存在がもたらしたと言えようか、
おお!神秘、静寂、平和、香気、魅惑に包まれて、至福なる我、
人々は幸せを吹聴するけれど、私なればこその幸せと言いたい、
否、幸福の極みにあるといっても、それがなんだと言えようか。

認識できる幸せといい、悟る幸せといっても、自己満足であり、
絶え間なき、至上の命の歓喜の渦のなかを、人は揺られるだけ、
翻弄されて嵐の海を漂う小舟、私は歓喜の渦に揉まれるばかり、
時間はもはや無くなって、永遠、陶酔が敷詰められた異質空間、
その時、身の毛もよだつのは、戸口に鳴り響く、重厚なノック、
あたかもそれは地獄の夢でも見ていた時と言えばいいだろうか、

まるで、みぞおちにツルハシを叩きこまれたような気持がして、
そして時を置くこともなく、ゴーストは入ってきたのであるが、
それは法律の名において私を拷問しにきた執達吏であり、また、
私の暮しの苦悩に加えて、彼女の暮しの卑俗さをのせる謀略か、
悲惨な暮しぶりを私に訴える、無恥な娼婦であろう、あるいは、
新聞編集者の使いが原稿の続きを催促にくることも考えられる。

天上の間、偶像、諸々の夢の女王、偉大なルネが表した風の精、
それらは全て、ゴーストの手荒なノックで吹飛び、跡形もない。

それは惨めなものである、そんな状態の現実が戻ってくるのだ、
あばら家、いつ崩れるか知れない、この家が、私の住いなのだ、
ここにあるのは、塵まみれの角が落ちた、愚にもつかない家具、
燃えることのない、燠(おき)のない、痰で汚れた煖炉があり、
埃に雨脚がついた悲しげな窓。塗り潰された未完の原稿もある、
それに、不吉だった日の上に鉛筆の印がつけられたカレンダー。

欠けた所のない感受性に酔う筈だった私の世界の香気は、嗚呼!
吐き気を催す、得体の知れぬ黴臭さ、鼻持ならない煙草の臭い、
今、この空間に在る人は、すえた廃墟の臭いを嗅ぐことになる、
この狭苦しく、かくも嫌悪に満ちたなかに見慣れた品物、一つ、
それは古くて怖ろしい恋人、凡ての人々の恋人が、私に微笑む、
おお! 慰められ、また苦しめられる、それは、一壜の阿片剤、

おお、実に! 時間が再び現れ、そして現実が厳かに支配する、
この忌わしい老人と共々に、追憶の、悔恨の、痙攣の、恐怖の、
苦悩の、悪夢の、憤怒と神経病の、呪詛の行列等が、元に還る、
今や、紛れもなく、諸々の秒は、高らかに物々しく響をたてる、
柱時計を飛びだしていきながら、秒の一つ一つが人々に告げる、
「我は命、耐えがたきところの者を容赦なく呵責する命!」と。

説明しがたい、そんな恐怖をもたらすところの、ありきたりの、
幸福、 凡そ、あなたの生涯において知るであろう幸福だけど、
その幸福をもたらすのに要するは僅かに、一個の秒の存する間。
実に時間が支配するかのように、秒は粗暴な独裁権を掌握する、
私が牡牛でもあるかのように、その二本の針で駆りたてていく、
「そら、やい、しっ! 畜生奴、汗を出せ! もっと苦しめ!」

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