嗅ぎ・聴いて・味わい・触れて・共感したら、なんて仕合わせ〜☆

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現代詩に魅せられた者は誰でも、ボードレールをモノにしたく見える。

三好達治や堀口大学、あるいはそれ以外の翻訳詩集に満足できないで、

本質的なところで照り輝く太陽の匂いを彼らは自ら得ようとするのか。

かく言う私とて散文詩に至り、ボードレールの入口に立つ者であるが、

三好達治と堀口大学の訳詩の数行を見ても・その位相の違いを感じる、


訳者の感性やボキャブラリーの個体差は、話の趣向を夙に異にさせる、

私の場合はインターネットに載っていた訳文を見つけることが出来て、

各々、訳は異なって表層も深層も異なった方を指して私の目に見える、

そんな事でボードレールの翻訳を試みたい人々の心の動きを感じる私、

作者の魂が感じられないような書き物は詩でなく、読んで感動しない、


それが翻訳であれ、訳者の魂が表われているなら、読んで感動できる、

作者の魂が輝けば輝くほど、読者の魂も作者の高い宙に飛んでいける、

詩に籠められた、書き手の真心は詩心となって、読み手の真心に至る、

どの翻訳本も即ち私のために著されているのだと、私には理解できる、

これは法華経に語られる「五十展伝」にも通じる考えだと、私は思う、


「詩心」は、ボードレール、訳者、私と…心から心へと伝わり広まる。




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