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詩人・森川雅美氏が開設なさってらっしゃるHPを拝見しました、
そこに『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』がありました、
執筆者は鈴木啓之・森川雅美氏・詩仙かをり氏・廿楽順治氏です、
それを読んだ私の、これは“想い”です。
中学生のころ、彼らは既に、言葉にこだわりを持っていたらしい。
言葉にこだわりを持てば当然、気になる文との出合いにも気づく、
同じ教科書を読んでいても気づく人、気づかない人、色々ですが、
どんな価値観を持つも個人の自由という感覚が広まっている日本。
関心を持つ分野は、理系・文系・商系・研究…人それぞれですが、
職業にも、スポ−ツ・研究・農業・工業・産業・芸術色々あって、
どんな価値観を持つも自由という、一往、もっともらしい屁理屈、
これは、自由の意味を知らない日本人が自ら掘った墓穴でしょう。
今、ほとんどの日本人の関心は、お金に集中しているようですが、
そんな人は仕事を楽しまず、札束を数えながらほくそ笑んでいる、
人間を手段にしている自称・文化人もゴロゴロしていて、彼らは、
コミュニケーションさえ金に換金して、ほくそ笑んでいるのかな。
ホンモノの出番、真打ち登場、即ち、世界の終末が近づいている、
あらゆる業種にホンモノが出てきて、それぞれの立場で立ち上る、
言葉にこだわりを持つホンモノは、思想界から世界をリードする、
詩人はそのために心を養い、言葉をたくわえ、詩心を護ってきた。
詩人が用いこなす時、言論は人々を包みこむ翼になれるだろうし、
言い逃れする卑怯な屁理屈などは、叩き潰す強力なプレス機だし、
モノ分りの悪い人を易しく教えさとす温かい言霊となるだろうし、
なによりも、自分自身の羅針盤となり、己が身を護る鎧兜なのだ。
詩を口ずさむ人の誰もが、己の知る世界観を己の器量で詠み謳う、
詩が巧いとか下手とか、詩人はそんな詰らないことに捉われない、
技巧に走り詩心を失くした言葉に、温もりはなく、詩にならない、
何だか知らないけど、そんなことを教えてもらった気がしている。
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下記『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』からの引用です。
森川雅美氏の許しをいただきましたので、ここに公開いたします。
鈴木啓之氏
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」
国語の副読本と言うのだろうか、資料集の中にこの詩が載っていた。中学生だったのか高校生だったのかはまるで覚えていない。(略)しかし、この詩のことだけは妙なぐらいにはっきりと覚えている。(略)韃靼海峡が具体的にどこにあるのかは知らないが寒々とした「海峡」を風に揉まれながら一匹の蝶が必死にもがきながら飛んでいる様が当時の私には随分と新鮮だった。(略)「必死にもがいて」いるかどうか何てどうでもいいのだ。(略)私が詩集を初めて買ったのも中学三年ぐらいの頃だったと思う。古書店だったような気がする。どこかの文庫で「中原中也詩集」を買った。一緒にいた友人は私が詩集をレジに差し出したことに随分と驚き、しかもやたらと大声で笑った。(略)生真面目なんだ。私は。
( http://shurandx.web.fc2.com/gendaishi-suzuki.html )
森川雅美氏
「さやうなら一万年」(作・草野心平)
いい詩である。非常に大きな世界を感じさせる。(略)心平さんの「蛙の詩」というと、「秋の夜の会話」や「誕生祭」など、日本の詩の歴史に残る傑作も少なくなく、それらと比べるとこの詩は、やや劣ることは否定できない。しかし、私にとっては特別な意味がある。まさに私が始めて意識した現代詩なのだ。(略)掲載されていたのは、中学校の国語の教科書。私は本をほとんど読まない少年だったが、なぜか国語の教科書は好きだった。その中でも、この「さやうなら一万年」という、決して長くない一篇の詩は、説明のできない強い衝撃だった。まず、他に掲載されていた近代詩と比べて、言葉の動きが自由に思えた。(略)小さな蛙が宇宙や一万年に、毅然と向き合っていることに感動した。(略)私は決して幸福な幼少年期を過ごしたわけではない。(略)家にいても学校にいても居場所がなく、現実は遺棄すべきもの以外の何者でもなかった。そんな日々の中で、この詩に出会ったのだ。(略)今にして思えば、詩を読んで感じたのは、私が感じている世界をさらに包み込む、大きな世界だったのだろう。そのような世界を感じることが、私にとっていかに大きな救いであったか。今の苦痛がずっと続くのではないということも、おぼろに思ったろう。(略)私は詩によってすでに救われていたのだ。(略)私の詩が誰か一人にでも、そのような力を与えられればと願っている。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu03.html )
詩仙かをり氏
「銀水録」(作・小川三郎)
幼い頃から美術が好きで、本質を捉えることをささやかな資質としているわたし(略)哲学とはどんなものか、興味津々で眼を輝かせている、計三五〇名の学生(略)九十分の授業における、たった一分の朗読。そのわずかな時間の流れのうちに、混沌としていた思考空間が沈黙の一点に集中する、その瞬間を、わたしは自分の身体を通してはっきりと感得した。その一点は、学生とわたしとが、一篇の詩を介して宇宙の中心で出会う、奇跡的な瞬間であった。 (略)記憶、他者、言語、植物といった、哲学の基本的な問いのほぼすべてを、概念においてではなく、感性において、一瞬のうちに刻み込むことを可能にしている。 (略)絵画も哲学も詩も、物理的には何の役にもたたない。(略)世界と他者と、無限に、永遠に、ダイレクトに繋がってゆける。そこに、社会性や個人史から解き放たれた真の「わたくし」が、確かに存在する。(略)
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu02.html )
廿楽順治氏
「河童の墓」(作・宗左近)
近代詩と現代詩なんぞという区分はどうでもよい。問題は詩なのだ、という考えはよく分かる。まあ、理論的に言えばそうなのだろう(略)確か中学三年生の頃だ。早熟な同級生に中央公論社の『日本の詩歌 現代詩集』というアンソロジーを紹介された。(略)少し古いこともあって、(略)今の現代詩というイメージとは少し違う編集になっていた。 「河童の墓」が作品として、これが他のものを凌ぐようなものかどうかは分からない。(略)自分にとっては特別な一編だ。トラウマと言い換えてもよいかもしれない。文学少年でなかった自分にとって、「詩とはおもしろい言葉のことだ」という認識は、敷居をまたぐ上でとても重要だったと思う。しかしこの後、詩集『炎える母』を読んでしまう。「戦後詩」とやらの重い扉もまた開いてしまったのだった。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu01.html )
詩人・森川雅美氏が開設なさってらっしゃるHPを拝見しました、
そこに『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』がありました、
執筆者は鈴木啓之・森川雅美氏・詩仙かをり氏・廿楽順治氏です、
それを読んだ私の、これは“想い”です。
中学生のころ、彼らは既に、言葉にこだわりを持っていたらしい。
言葉にこだわりを持てば当然、気になる文との出合いにも気づく、
同じ教科書を読んでいても気づく人、気づかない人、色々ですが、
どんな価値観を持つも個人の自由という感覚が広まっている日本。
関心を持つ分野は、理系・文系・商系・研究…人それぞれですが、
職業にも、スポ−ツ・研究・農業・工業・産業・芸術色々あって、
どんな価値観を持つも自由という、一往、もっともらしい屁理屈、
これは、自由の意味を知らない日本人が自ら掘った墓穴でしょう。
今、ほとんどの日本人の関心は、お金に集中しているようですが、
そんな人は仕事を楽しまず、札束を数えながらほくそ笑んでいる、
人間を手段にしている自称・文化人もゴロゴロしていて、彼らは、
コミュニケーションさえ金に換金して、ほくそ笑んでいるのかな。
ホンモノの出番、真打ち登場、即ち、世界の終末が近づいている、
あらゆる業種にホンモノが出てきて、それぞれの立場で立ち上る、
言葉にこだわりを持つホンモノは、思想界から世界をリードする、
詩人はそのために心を養い、言葉をたくわえ、詩心を護ってきた。
詩人が用いこなす時、言論は人々を包みこむ翼になれるだろうし、
言い逃れする卑怯な屁理屈などは、叩き潰す強力なプレス機だし、
モノ分りの悪い人を易しく教えさとす温かい言霊となるだろうし、
なによりも、自分自身の羅針盤となり、己が身を護る鎧兜なのだ。
詩を口ずさむ人の誰もが、己の知る世界観を己の器量で詠み謳う、
詩が巧いとか下手とか、詩人はそんな詰らないことに捉われない、
技巧に走り詩心を失くした言葉に、温もりはなく、詩にならない、
何だか知らないけど、そんなことを教えてもらった気がしている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
下記『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』からの引用です。
森川雅美氏の許しをいただきましたので、ここに公開いたします。
鈴木啓之氏
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」
国語の副読本と言うのだろうか、資料集の中にこの詩が載っていた。中学生だったのか高校生だったのかはまるで覚えていない。(略)しかし、この詩のことだけは妙なぐらいにはっきりと覚えている。(略)韃靼海峡が具体的にどこにあるのかは知らないが寒々とした「海峡」を風に揉まれながら一匹の蝶が必死にもがきながら飛んでいる様が当時の私には随分と新鮮だった。(略)「必死にもがいて」いるかどうか何てどうでもいいのだ。(略)私が詩集を初めて買ったのも中学三年ぐらいの頃だったと思う。古書店だったような気がする。どこかの文庫で「中原中也詩集」を買った。一緒にいた友人は私が詩集をレジに差し出したことに随分と驚き、しかもやたらと大声で笑った。(略)生真面目なんだ。私は。
( http://shurandx.web.fc2.com/gendaishi-suzuki.html )
森川雅美氏
「さやうなら一万年」(作・草野心平)
いい詩である。非常に大きな世界を感じさせる。(略)心平さんの「蛙の詩」というと、「秋の夜の会話」や「誕生祭」など、日本の詩の歴史に残る傑作も少なくなく、それらと比べるとこの詩は、やや劣ることは否定できない。しかし、私にとっては特別な意味がある。まさに私が始めて意識した現代詩なのだ。(略)掲載されていたのは、中学校の国語の教科書。私は本をほとんど読まない少年だったが、なぜか国語の教科書は好きだった。その中でも、この「さやうなら一万年」という、決して長くない一篇の詩は、説明のできない強い衝撃だった。まず、他に掲載されていた近代詩と比べて、言葉の動きが自由に思えた。(略)小さな蛙が宇宙や一万年に、毅然と向き合っていることに感動した。(略)私は決して幸福な幼少年期を過ごしたわけではない。(略)家にいても学校にいても居場所がなく、現実は遺棄すべきもの以外の何者でもなかった。そんな日々の中で、この詩に出会ったのだ。(略)今にして思えば、詩を読んで感じたのは、私が感じている世界をさらに包み込む、大きな世界だったのだろう。そのような世界を感じることが、私にとっていかに大きな救いであったか。今の苦痛がずっと続くのではないということも、おぼろに思ったろう。(略)私は詩によってすでに救われていたのだ。(略)私の詩が誰か一人にでも、そのような力を与えられればと願っている。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu03.html )
詩仙かをり氏
「銀水録」(作・小川三郎)
幼い頃から美術が好きで、本質を捉えることをささやかな資質としているわたし(略)哲学とはどんなものか、興味津々で眼を輝かせている、計三五〇名の学生(略)九十分の授業における、たった一分の朗読。そのわずかな時間の流れのうちに、混沌としていた思考空間が沈黙の一点に集中する、その瞬間を、わたしは自分の身体を通してはっきりと感得した。その一点は、学生とわたしとが、一篇の詩を介して宇宙の中心で出会う、奇跡的な瞬間であった。 (略)記憶、他者、言語、植物といった、哲学の基本的な問いのほぼすべてを、概念においてではなく、感性において、一瞬のうちに刻み込むことを可能にしている。 (略)絵画も哲学も詩も、物理的には何の役にもたたない。(略)世界と他者と、無限に、永遠に、ダイレクトに繋がってゆける。そこに、社会性や個人史から解き放たれた真の「わたくし」が、確かに存在する。(略)
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu02.html )
廿楽順治氏
「河童の墓」(作・宗左近)
近代詩と現代詩なんぞという区分はどうでもよい。問題は詩なのだ、という考えはよく分かる。まあ、理論的に言えばそうなのだろう(略)確か中学三年生の頃だ。早熟な同級生に中央公論社の『日本の詩歌 現代詩集』というアンソロジーを紹介された。(略)少し古いこともあって、(略)今の現代詩というイメージとは少し違う編集になっていた。 「河童の墓」が作品として、これが他のものを凌ぐようなものかどうかは分からない。(略)自分にとっては特別な一編だ。トラウマと言い換えてもよいかもしれない。文学少年でなかった自分にとって、「詩とはおもしろい言葉のことだ」という認識は、敷居をまたぐ上でとても重要だったと思う。しかしこの後、詩集『炎える母』を読んでしまう。「戦後詩」とやらの重い扉もまた開いてしまったのだった。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu01.html )

このページへのコメント
わたしの場合は、中学生で初めて俳句をつくりましたっけ、
季語なんて知らないし、五七五になったら俳句だと思ってました。(^^ゞ
知識の詰め込みを教育と呼んでいた時代です、、あ、今のそうなのかな
「世の中がすべて自分に好意を持っている」と意識なさってらっしゃいましたか。それは優秀と言うのです。(^。^)
早熟というか・・中学生の頃にすでに詩に興味を持っていたというのが自分と違いますね。
その頃は何も考えずに世の中がすべて自分に好意を持っていると信じて生活していた。
ノラ様もどんどん世界を広げていらっしゃいますね。