お友だちになって頂いたブログをお訪ねしたら咲いていたのです、
月見草のきれいな白い花びらが闇の中に咲いて輝いていたのです、
そうなんです、今年も月見草の花が咲きだす時期になったのです、
雨がふって、連日の暑さも和らいで月見草は咲いたのでしょうか。
白い月見草を見て『僕の月見草』を書かなきゃいけないと思った、
白い月見草! それで記憶を呼び覚ますスイッチが入ったのです、
お友だちには悪いと思ったけど、今は『僕の月見草』が優先する、
それでとんぼ返りで帰ってきて、こうして詩を綴っているのです。
いいかい、これは僕の月見草だからね、釆年また来て見るのだからね、
ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。娘さんは、うなづいた。
ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふと、
思ひ込んだ事情があつたからである。
太宰は富士を孤高と見ない、月見草も待宵草も正しく評価したい、
太宰によれば、なだらかな稜線の富士の実景は凡庸であるという、
強敵を迎え撃つほどに骨のある富士ではないと言いたいのだろう、
井伏鱒二のオナラを世にばらした太宰らしい歯に衣着せぬ物言い。
事実をみれば必ず解かる、事実のなかに真実は必ず見えるはずだ、
白色の月見草が富士の足下に咲いているかどうか、私は知らない、
白色が本物かどうか、そんなことは誰かの好みで決めたのだろう、
月見草は富士見草と言わないし、富士にぬかずく義務もないのだ。
黄金の月見草は太宰、太宰は黄金の月見草なんだと宣言したんだ、
僕こそが本物、中身でネット勝負したら、あいつに負けはしない、
帰途のバスで隣りあって腰掛けた端正な顔立ちの老女に似合う花、
太宰の母親に似た老女がうち眺めたのは黄金の月見草なのである。
本物の月見草と誰に言われなくても、僕も黄金の待宵草が月見草、
富士から離れた反対側、山路に沿つた断崖の路傍に咲いた月見草、
富士を足下で見上げるのでなく、富士と並んで誉れの姿の月見草、
微塵も揺るがぬ、けな気にすつくと立つ姿、その心根は金剛力草、
病弱で甘えることを許されなかった亡き母の面影を偲ぶ太宰です、
あなたの息子は立派に成功して、富士に見劣りするものではない。
母の面影に似たあのバスの老女に見てもらいたい黄金色の月見草、
来年は、来年こそは、立派に咲いた雄姿を見てもらいたいと思う。
詩に採りいれた太宰治のフレーズをお借りした太宰治と月見草には、来年でなく『釆年』となっています。
『釆年』の心は、太宰を語る時は「(真実・実力が)明らかになった時」であり、月見草を語る時は「立派に咲いた時」であり、娘さんに語りかける時は「また来年来ます」となるのでしょう。
※ネットは「正味」の意であり、ネット勝負は「実力勝負」です、チョット旧い言葉ですね。

このページへのコメント
杢草子さまへ
太宰の自筆になる原稿はどうなっているのでしょうか…
太宰は「釆年」と書いたのか、「来年」と書いたのか…
太宰の原稿を見ることによって、それは明らかになります p(´⌒`。q)
■宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩が勝手に書き換えられた例がありますけど…。
賢治の自筆「ヒドリ」を、「ヒデリ」の書き誤りだと早とちりして愚かにも換えてしまいました。
つまらない過ちをくり返さないためには、太宰の自筆が重要になります。
賢治が農民の苦痛を籠めた比喩が「ヒドリ」であり、太宰が想いを籠めた比喩が「釆年」あるいは「来年」でしょう。
私の詩文に載せましたけれど、「釆年」のほうが「来年」よりも格段に優れた比喩と言えましょう。
時間的な解釈「来年」よりも、母への想い、文筆家としても作家の想い、もちろん、来年までには成功したいという時間的な想いも含みます。
こんばんわです。
太宰治の記事で「来年でなく『釆年』となっています」とお書きになっていましたね。
青空文庫では「来年」になっていました。
あいにく手許に活字の本がないのですが、多分元のサイトの方は、スキャナーで取ってOCRで文字化したのではないですか。時々そのような似た文字に変えてしまって、校正落ちがあります。
いかがでしょうね。