入院第06週

入院第06週(DAY36〜DAY42)

入院第06週のあらすじ
  • 普段はしない編み物を。
  • パズルで暇つぶし。
  • 起きたら別の場所に。
  • テレビを見るには。
  • 外出での出来事。
  • 病気は平等にやってくる。
  • 母との面会。

まさかの編み物(DAY36)

まさかこの私が編み物などしようとは。
私は「家庭的」という単語とは程遠いタイプの人間である。
なのに、手芸などすることになってしまった。

私が入院していた病院では、作業療法(OT)は2レベルあった。
病棟内で行う簡単なOTと、専用のOTルームで行うOTの2種類である。
後者は退院後も引き続き通ってOTを行う人もいるし、内容もぐっと本格的だ。

その後者のOTをこの日から始められることになった。
私はどの種目をやろうか、いろいろと迷った。
「音楽鑑賞」「体操」などの非生産的なものは嫌だった。
何かものづくりがしたいなぁと漠然と考えていた。

ものづくり系の中には「刺繍」「ビーズ細工」「編み物」などがあった。
それぞれ受講生の作品もOTルームには飾られている。
手先が器用な人が受講していると見えて、どの作品もきれいな仕上がりだった。

この中で一番チャレンジングなのはどれか…。
私は「編み物」をすることに決めた。
基本の編み方も何一つ知らないというのに、かなり無謀だ。

編み物はかぎ針編みの方を選んだ。
作るものは、台所用の「アクリルたわし」にした。
アクリルたわしとは、アクリル繊維が油汚れまで取り去ってくれる魔法のたわしであり、ちょっとエコ系な人のあいだでは流行していた台所用品である。
たわしなら目が飛んでも適当に使えそうだし。

いざ、私は編み始めた。
当然編み方の一から分からないので、作業療法士と一緒にだ。
編み物というのは当然集中力が必要だ。
くるっと回して引っ張って、次の目をどんどん編んでいく。
この手順が狂うと目が飛んでしまうのだ。
私はしょっちゅう手順が狂い、そのたびに作業療法士に指摘された。
私の集中力はまだ完全ではないのだな、と思い知らされた時間であった。

2時間もあったのに、たわしは完成しなかった。
なかなか編み物というのはしんどいものである。
「あぁ集中力が欲しい」
私は心底そう思うのだった。

にわかパズラー(DAY37)

入院して1ヶ月以上も経つと、相当な暇つぶし名人になる。
そんな私の日中のよき友がパズル雑誌だった。
パズル雑誌は1冊が400円くらいでパズルの問題が40-50問載っている。
その問題ごとに景品が用意されており、回答を送ると抽選で賞品が当たるようになっているのだ。
私は景品がなかなか当たらないことは知りながらも応募葉書をせっせと書いていた。
特に好きなパズルはナンバープレイス。
数独とも言われる数字の並び方を解いていくパズルである。
これが簡単な問題から超難問まで載っていて、順番にどこまで解けるのか解いていくのが結構楽しかった。
また、クロスワードも雑誌のものは、普通のものから漢字クロスなどバリエーションが多彩で楽しめた。
クロスワード用に小さな辞書まで持ち込んでいたほど、当時の私のパズル熱は熱かったのだ。

パズルが好きという話をしていたところ、同室の小川さんはパズル雑誌の編集部にいたことがあるという。
なんという奇遇。
パズルのほうが楽しくて話がそっちのけになってしまっていたのだが、今思えば編集部時代の裏話など面白い話が聞けそうだったのに大変惜しいことをした。
特に景品の「当たり」をどうやって決めているのかは聞きたかったことである。

私が入院中に購入したパズル雑誌は何冊にも上った。
応募に使った切手代も相当なものになったはずである。
しかし、退院後何ヶ月しても、景品は一つも送られてくることはなかった。
やっぱりである。

夢遊病?(DAY38)

ねむいねむいねむい。とにかく、ねむい。
薬が変わったせいだったか原因は忘れてしまったが、日中も凄く眠い日が何日か続いた。

それだけではなく、朝食に来ないところを部屋に起こされにきたり、起きたら別のベッドに寝ていたところを発見されたり、お風呂の中でねむりこけそうになったりと、私の行動自体が結構あやしくなった。
薬の副作用というものなのだろうか、とにかく抗いがたい眠気だった。

眠い一日というのは、過ぎ去るのが滅法早い。
眠い→朝食→薬→寝る→昼食→薬→寝る→夕食→…という具合なのである。
これにはさすがに担当の看護師もおかしいと思ったのか、薬が変わることになった。
飲むタイミングも変わり、朝食後の薬はなくなり、寝る前の薬に寄せられた。
これには慣れるのに少しかかった。
薬がないのにも関わらず、朝食後の投薬待ちをしてしまったりした。
習慣というものは変えづらいものなのだ。

薬を変えてからというもの、そこまで一日中眠いという日はなくなった。
しかし、夜の間に寝ぼけて起きて、トイレの帰りにそのまま迷って別室に行ってしまうことはあった。
朝になって覚えていないので、完全に寝ぼけていたのであろう。
これは生まれて初めて自分が夢遊病状態になっていた貴重な体験であった。

チャンネル権(DAY39)

入院病棟にはテレビは1つしかなかった。
食堂ホールの壁の上のほうに1つだけブラウン管の20インチくらいのテレビが置いてあった。
それなので、自分の見たい番組が見られるとは限らなかった。

私が好きな番組は「平成教育予備校」のような教養クイズ系やドキュメンタリー、報道番組である。
しかし、私が入院していた時期は不幸なことにサッカーの大事な(らしい)試合が多く、テレビはもっぱらサッカーを映していた。

この日もテレビはサッカーにチャンネルが合わさっていたが、私のみたい番組が始まる時間になった。
「あのー、別の番組が見たいのですが」
私は勇気を持って一度だけチャンネル権の交渉をしてみた。
だが、テレビの前で固まってサッカーを見ていた男性軍には
「サッカー見てるんで」と即座に断られてしまった。

テレビでは緑色のコートで豆粒のような人がゴマ粒のようなボールを蹴っている。
しばらく見ていても得点も入らないし楽しくない。
チャンネル権がないというのは悲しい。
どう決まるのかは分からないけど不条理だ。
仕方なく私はさっさと自室にひきあげることにした。
完敗だ。

久しぶりの美容院(DAY40)

外出の日、髪の毛がだいぶ伸びてきたので、久しぶりに美容院に行くことにした。
私が行く美容院は格安な代わりに予約が取りづらい。
朝電話をして予約が取れたのは夕方前の時間帯であった。

それまでの時間は商店街をふらつくことにした。
例によって、お店の店員は私の行動を観察してマーケティングに役立てようとしているようだった。

また、あるお店の前に来ると、なんと火事で燃えてなくなっていた。
私はピンと来た。
「この店は生まれ変わる必要があったから火事になったんだ」
そして、火事にあった店を見た私は、なぜか自宅もいずれ火事になることになるんだろうと思い込んでしまった。
そして、その備えとして宝くじを買う(もちろん当たることになっている)必要があると考えた。
私は普段は宝くじは否定派である。
そんなもの当たるはずがない、といつも思っていた。
その私が初めて宝くじを1枚だけ購入した。
買った宝くじは失くしそうなので、夫に預けることにした。
普段買わない私から宝くじを託されて夫は驚いたことであろう。

美容院の予約時間が来た。
久しぶりに訪れた美容院は、他のお店とは違い、特に店員の態度などに問題があるようには見えなかった。
私は安心してヘアカットをまかせることにした。
「伸びた分だけ切ってください。髪形はそのままで、軽くしてください」
とだけ注文すると、雑誌を適当にめくった。
カットには1時間くらいかかった。
できあがると、髪が短くなり顔の印象も若返ったようで、私は気分が良くなった。

病院に帰ってから「髪切りましたね?」と聞いてくれた人はあまり多くなかったが、それでも私は満足だった。
というのも、実は病院内にも美容室があり入院患者の髪を切ってくれるというだが、予約してから切ってもらうのに1-2週間かかるので本当に外出ができない患者しか頼まないというのだ。
私は外出できて髪をお気に入りの美容室でカットできて、なんて幸せなんだろう。
小さな幸せだが、嬉しいことだった。

ちなみに、宝くじは外れで、うちは火事にならなかった。
当然のことである。

達人でも病人(DAY41)

入院患者には特定のスキルが異常に高い人もいた。
内藤さん(仮名)は鉛筆画の達人だった。
画用紙に鉛筆一本で何でもリアルに物を描くことができた。
特に猫の絵が得意で、毛並みの一本一本まで丁寧に描いてあった。
こんなに絵が上手なのに、なんで入院しなくちゃならないんだろう?
さらに内藤さんは音楽の才能もあるみたいだった。
他の音楽の心得のある患者同士でバンドでもやろっか?と盛り上がっていた。
こんなに才能があるのに、なぜ精神病で入院しているんだろう?
入院していたころの私はそう考えていた。

しかし、病気は才能とは関係が無く、平等な機会を持って患者を訪れるのだ。
高名な人でも病との闘いを余儀なくされた人は多い。
有名なところでは、夏目漱石が統合失調症だったそうである。
(「統合失調症―精神分裂病を解く」森山公夫 より)
また、世界的に評価されている前衛芸術家の草間彌生も同じ病気だと言う。

だが、才能があるから病気になるのでもなく、病気になったから才能が芽生えたというわけでもなく、病気は凡人の私たちにも平等に発病する。
納得がいくようないかないような現実がここにある。

内藤さんは、その後もスケッチブックを手放さず、いろいろな絵を描いては入院仲間に見せてくれて場を和ませてくれた。
退院後も変わらず意欲的に創作活動をしていてくれたらと思う。

母との面会(DAY42)

この日は午後に母が訪ねて来ることになっていた。
午前中はOTの時間があったので、私は必死でアクリルたわしの製作を急いだ。
母にプレゼントしようと思ったので。
何とか、たわしは無事に完成した。

午後になると母が到着した。
せっかく来てくれたので、病院内でも案内しようと思い、1階にある喫茶室に連れて行くことにした。
そこならば、病棟から離れてゆっくり話もできるだろう。

実は私の母は相当年季の入った統合失調症患者である。
発病してから20年以上経っているのではないだろうか。
私は母の病気のことは大人になるまで全然知らず、気づきもしなかった。
子どもとは自分の親が普通だと思って育つので、私は母について若干納得のいかない面はありつつも、こういうものなんだと思って育ったのだ。
そんな母が大きな発作を起こしたのが3年前だった。
統合失調症の陽性症状が現れ、家が盗聴されている等の妄想が酷くなり、探偵会社を雇おうかというところまでいった。
これには家族全員でおかしいと思い、母をなんとか病院にかからせることにした。

私はその事件を思い出していた。
そうか、自分も母親のようなあれだけのことをやってしまったのか。
そして、そんな発作をおこすくらいの母はどれだけ辛かったことか。
自分が同じ病気になってみて、やっと分かったのだった。

「お母さん。私、同じ病気になってやっと分かったの」
あとはうまく言葉にならなかった。
あの時お母さんの苦しみを分かってあげられなくてごめんね。
今になって、やっと分かったから。
お母さんにはしっかりとしたお父さんがついていて良かったね。
私にはしっかりした旦那がついていて、迅速に入院手続きをしてくれたから、こんなに早く良くなったよ。
これからは、一緒に病気と付き合っていく仲間なんだね。

久しぶりに会った母は、いつ見ても私の未来図そのものだ。
私は母親似で、顔もそっくりだし、病気まで一緒だし、将来こうなるのかと思わずにはいられない。
そんな母だから、ずっと元気で若々しくいて欲しいのだ。

「これ、作業療法で作ったんだよ」
私はアクリルたわしをプレゼントした。
母は喜んでくれた。
そして、きっと使わないでほこりがかぶるまでとっておくに違いない。
小さい頃にあげたプレゼントがみんなそうなっているように。

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これは過去記事のまとめページです。
最新記事はブログ統合失調症患者のクワイエットルーム体験記でお読み下さい。
2008年02月13日(水) 15:29:58 Modified by quiet_room




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