入院第07週以降

入院第07週以降(DAY57,DAY85,DAY90)

入院第07週のあらすじ
  • 普通に入院
  • ついに病名が統合失調症と判明
  • 退院:さようなら私の3ヶ月

改めて入院を(DAY57)

順調に回復をたどっていた日々、担当医との面談があった。
その面談ではなぜかもう一度入院のサインをさせられた。
私の入院が本人の承諾がない「医療保護入院」であり、もう今では自分で入院の必要性が分かるようになったからである。
当時は不思議に思った制度であるが、私はサインをした。

そして、退院があと1ヶ月後であることを聞いた。
それを聞くと、俄然元気が沸いてきた。
最近はいつ退院できるのか気になっていたからである。
また、退院後に通うデイケアの見学をさせてくれるという。
デイケアとは聞きなれない単語だったが、見学させてくれるというのなら行ってみよう。

私はこの日も外出をした。
もう保護者の付き添いの要らない「単独外出」である。
昼ごはんにはとろろそばを作って食べた。
調理もできるようになっていた。

そして、入院したての頃に行けなかった結婚式を挙げた友人が、もう、おめでたであることを知った。
人生がとんとん拍子に進む人は進むんだなと、しみじみ感じた。

私の人生はここ数ヶ月ぱったりと止まってしまっていた。
これからも治療に年月を要するのだろう。
それでも、私は私だ。
仕事をし過ぎた反動で、いい骨休めができたと考えなくちゃ。
以前からは考えられない程前向きになっていた私は、退院の日を心待ちにしていた。

やっぱり統合失調症(DAY85)

退院が間近になったある日、私は自立支援医療受給者証の申請に行くことにした。
これは、精神障害者が申請すると治療に要する費用が減額されるという制度の適用者証明書である。
この申請には、収入の証明書および医師の診断書が要る。
というわけで、私は診断書を手にすることになった。
診断書が入っている封筒の封はされていなかったので、中を開けてみることにした。

そこにはやはり「統合失調症」の文字がはっきりと書いてあった。
それまで曖昧としていた病名が明確になって私はスッキリした。
それと同時に、自分の病名を受け入れなくてはならなかった。
統合失調症は治りにくい、もしくは治らない病気だという知識はあった。
だけど、母親だって統合失調症で、それでもなんとか暮らしている。
薬をちゃんと飲んでいれば、そこそこ普通な暮らしができるのではないだろうか。

一方、仕事はどうだろう。
私は元気な時は「働きマン」のように働いていた。
残業、夜勤、徹夜など、へっちゃらだった。
それがそのうち、朝会社に行けなくなってしまった。
最初は特に気分の落ち込みはなく、ただの体調不良かと思った。
そのうちに、会社に行っても仕事への意欲がなくなっていった。
スランプなのかな?と、当時は軽く思っていた。
ところがちっとも調子が改善されなかった。
そこで「うつ病」を疑い、メンタルクリニックの扉を叩くことになったのだ。

そこまで熱心に働いていた自分に戻れるのだろうか。
それは、かなり不可能に思えた。
働きマンの自分がかなり遠く思える。
昔の自分が2500ccのエンジンでかっ飛ばしていたとすれば、今の自分は50ccの原チャリだ。
トコトコとしか進むことができない。
それでも今の自分には復職の道が開かれている。
「どこまで行けるか分からないけれど、試してみるか〜!」
そう私は自分に言い聞かせるのだった。

退院:さようなら私の3ヶ月(DAY90)

入院してから約3ヶ月で退院の日が来た。
とっても心待ちにしていた退院の日だ。
私は荷物を片付けに入り、退院の準備をした。
すると、担当の女性看護師が部屋までやってきてくれた。
私は今までのお礼を述べ、その他おしゃべりをした。
最初の頃は保護室送りになり、言うことをきかなかったこと。
その後、病院の皆さんのお陰で、ここまで回復できたこと。
感謝してもし足りない程の協力を得て、なんとかやってこれたこと。
話す内容は尽きなかった。

次に、同室のみんなに挨拶をした。
「どうもありがとうございました!」
みんな、どこか羨ましげな視線で見送ってくれた。

最後は共有ホールにて夫が来るのを待った。
そこでも、病棟内のみんなに挨拶をした。
「今日退院だったんですね」「お元気で」「さようなら」

この3ヶ月間いろいろなことがあった。
入院早々に保護室送りになったこと。
水虫になって治ったこと。
みんなと散歩や病棟内ウォーキングをしたこと。
作業療法で手芸を教えてもらったこと。
忘れ物ばっかりしていたこと。
様々な事情を抱えた人たちと出会ったこと。

自分の調子もめざましく改善された。
本すら読めなかった集中力は編み物ができるほどに回復した。
それもこれも、適切な治療のおかげである。
そして、適切なタイミングで入院させてくれた夫のおかげである。

ほどなく夫が迎えに来た。
私たちは、病院の外へ出て、自宅へと向かった。
今日のここから、病院の外での新しい闘病生活のスタートだ。
入院している間に春は過ぎ、季節は夏になっていた。
私は夏空をちょっと見上げると、家路を急ぐのだった。

(完)

私の入院日記はこれにておしまいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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これは過去記事のまとめページです。
最新記事はブログ統合失調症患者のクワイエットルーム体験記でお読み下さい。
2009年01月17日(土) 23:37:46 Modified by quiet_room




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