645 名前:また、来年 [sage] 投稿日:2011/07/06(水) 01:22:20 ID:uaIsa.iE [2/17]
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グラーフアイゼンを下段に構えたヴィータは、じっと視線を足下に注ぎながら小さく息を吐いた。
手に薄く滲んだ汗の上から、馴染んだグリップをきゅっと握る。
普段は軋みを上げるほどに力を込めているものを、今だけはずっと弱々しい力加減で。

そして息を整え、ほんの少しだけ持ち上げたアイゼンを振り下ろした。
コツ、という音と共に打ち出されたボールが、地面に突き刺さったゲートをくぐる――

「うし!」

ヴィータが一人ガッツポーズを取ると同時、パチパチと小さな拍手がいくつも上がった。
振り返れば、近所のおじいちゃんおばあちゃんが顔をしわくちゃにして笑顔を浮かべている。
ヴィータも同じように満面の笑顔を浮かべ軽快な足取りで近付くと、彼らは孫娘を愛でるような手つきで彼女の頭を撫でた。

「ヴィータちゃんは本当にゲートボールが上手くなったねぇ」

「そんなことねーよ。じいちゃんばーちゃんの方がずっと強ぇえし」

ヴィータが云ったことは嘘でもなんでもない。
最初はともかく、混ぜてもらってそこそこ上達した今でこそ分かる。
接待、という言い方は悪いが、それでも彼らが手を抜いて自分を勝たせてくれていることに、彼女は気付いていた。

いつものヴィータ――それこそ高町なのはやフェイト・テスタロッサたちと一緒にいるときの彼女であるならば、手加減なんてするなと不機嫌になるだろう。
だが今の彼女は違った。
一緒にゲートボールで遊ぶヴィータが楽しめるよう、適度に勝たせてくれていることに悪い気はしない。
勿論、生来の性格からこの扱いに物足りなさを感じることはある。
だがそれ以上に、ヴィータを思いやってくれている彼らの気持ちがくすぐったく、文句など云おうとは思わないし、まぁこれで良いか、とも思えていた。

「はは、ではそろそろ本気を出そうかねぇ」

……まぁ中には空気を読まずに本気でヴィータと戦おうとしてくる人もいるのだが。

年甲斐もなく張りのある声を上げた老人を見ながら、ヴィータは苦笑する。
農作業にも使っているらしい麦わら帽子を被り、皺一つない白のシャツとスラックスを着た男。
歳は80を越えているのだが、それを感じさせないほどに背筋はまっすぐ伸びていた。

「……なんだよシゲじーちゃん。
 そんなこと云ってこの間腰痛めたばっかだろ」

「そうですよぉ。
 あんまりはりきらないでくださいって」

ヴィータに続いてどこかからかうような声が上がるも、ムッとした顔で茂老人は口をとがらせる。
まるで子供のような仕草だと思うものの、そんな大人げない態度がヴィータは嫌いではなかった。

「馬鹿を云うな。
 儂はまだまだ現役だぞ」

「ギックリ腰が持病になってる現役なんていねーって。
 あんまムキになってっと、またどっか痛めるだろ」

「若いな若造。
 自分の体がどんな調子かだなんて、誰に言われなくても分かっとるわ。
 ほら、もう一勝負するぞ。しばらく出来なくなるんだ。嫌ってほど付き合ってもらうからな」

「……しょーがねーな」

云いつつも、ヴィータの顔に浮かんでいるのは笑顔だった。

そう。今日という日を境にして、ヴィータははやての元に現れてからずっと続けてきたこの付き合いから離れることになる。
主であるはやてがミッドチルダへ移住することが決まり、ヴィータもついて行くことが決まったから。
一応、イギリスに行くとおじいちゃんおばあちゃんには伝えてあるものの、気軽に帰ってこれないという意味では同じだ。

そして今日は、そんなヴィータのお別れ会ということで、公式戦ルールのしっかりした試合を行っていた。
この後には公民館でちょっとしたお茶会の予定になっている。

「始めるぞ。先手は譲ってやろう」

「ぜってー勝つから」

云いながら、ヴィータはアイゼンを肩に担いで歩みを進める。

「良い威勢だ。やりがいがある」

対して茂老人はニカッと笑みを浮かべると、愛用のスティックを揺らしながら開始位置についた。

――試合の結果がヴィータの勝ちで終わったのは、彼女の実力なのかなんだかんだで手加減をしてくれたからなのか。
茂老人の悔しがりようを見れば、まぁ、察することはできただろう。

試合が終わったあと、ヴィータたちは予定通りに公民館へと入ってお茶会を開始する。
ゲートボールを行っていた公園の敷地内にあるそこは、ヴィータがおじいちゃんおばあちゃんたちと遊び始める少し前に立て直したばかりらしく、真新しい。

玄関から見える広間には既に茣蓙が敷いてあり、置いてあるテーブルの上には茶菓子の袋が並べてある。
あとはお茶か――そう思ってヴィータが給湯室に行こうとすると、

「ほらほら。主賓はゆっくりしてくれてて良いから。
 座って座って」

「良いよ。アタシも手伝うからさ」

「私たちがするから大丈夫。
 汗かいたでしょ? 今冷たい飲み物もってくるからね」

そう云われ、ヴィータは半ば強引に座らされてしまった。
いつものことだが、どうにもここの人たちは年寄り扱いされることを嫌がっている気がする。
何か手伝おうとしても簡単なことしか任せてくれないし、まるっきりお客様扱いだ。
友達……という言い方は歳の差がありすぎるためしっくりこないか。
それでももう何年も付き合っているのだから、遠慮はして欲しくないのに……とヴィータは胸中で一人呟く。
結局その扱いは最後の最後まで変わることはなかった。それが心残りといえば心残りかもしれない。

ほどなくして準備が整うと、ゲートボールをやっていた人たちや、この宴会目当てで集まってきた顔ぶれが揃う。
全員がいると確認すると、茂老人――町内会長をやっているからか仕切りたがる――が音頭を取り始めた。

「……それでは。
 これよりヴィータちゃんのお別れ会を始めようと思います。
 長い口上はなくて良いでしょう。飲んで食べて、楽しい一時を過ごして下さい!」

短い音頭が終わると同時に、それぞれが飲み物に口をつける。

中にはアルコールを飲んでいる人もいたが、特に珍しいことでもない。
酒癖が悪い人がいるわけでもないと知っていたため、特にヴィータも気にしない。
飲み過ぎんなよー、と注意の一つはしたが。

「ヴィータちゃんは海外に行くんだっけねぇ」

「え、あ、うん」

あまり聞かれたくないことを聞かれ、ギクリ、とヴィータは顔を強張らせる。
今日まで引っ越し先の話題を振られる度、微妙な心境になるのだ。

まさか異世界であるミッドチルダに行く、なんてことを口に出来るはずもない。
かと云って国内に引っ越しと云っても色々と面倒なことになる。
老人会の集まりでちょこちょこ旅行に行っているおじいちゃんおばあちゃんは、年の功ということもあるのだろうが、日本の地理に異様に詳しかったりした。
もし適当な地名を口にすれば最後、些細なことからヴィータの薄っぺらい嘘はバレてしまうだろう。

故に海外に行くと云ってみたのだが、これもこれで不味かった。
97管理外世界のことなどそもそも詳しくはない上に、更に海外となればヴィータの知識などゼロに等しい。
もっとも、海外ということでハイカラだねぇ、とおじいちゃんおばあちゃんもあまり触れてきたりはしないのだが、

「イギリスは良いぞぉ。
 ヴィータちゃん。ゲートボールをやめろとは云わんが、イギリスに行ったらゴルフをやってみれば良い。
 なんせ本場だからな。ゴルフ場もこっちよりずっと広いから楽しめる。
 旅行で一度行ってみたくはあるんだが、いかんせん儂は英語が話せなくてなぁ。
 で、結局どこへ引っ越すんだ? ロンドンとか――」

厄介なことにイギリス好きが一人紛れ込んでいたりするので面倒だった。

「シゲさん、ヴィータちゃんはまだ向こうのこと全然分からないらしいんですから、地名なんて出したって駄目ですよ」

「う、うん。アタシもまだよく分からなくてさ」

う゛ぃーたちゃんななさい、むずかしいことよくわからない。
誠に遺憾ながら、そんな風にすっとぼけるしかなかった。

嫌な汗を流しながらヴィータが視線をそらしていると、ドタドタと忙しない足音が聞こえてくる。
きたか、とヴィータは玄関の方を見た。
そこには案の定、お別れ会にきているおじいちゃんおばあちゃんの孫たちが遊びにきたのだ。
まぁ遊びにきたというか、その目的はお茶菓子だろうが。

おじいちゃんおばあちゃんもそれを見越してか、彼らがあまり好まない洋菓子なども置いてある。
孫がどんなお菓子を好むのか、ある意味親以上に祖父母は知っているものだ。
そして好物を揃えられれば、まぁ子供たちがホイホイ引き寄せられるのも無理はないだろう。

遊びにきた子供らは、なのはたちよりも更に幼い。
ヴィータの外見と大体同じぐらいか、それ以下だ。

「ヴィータ、明日引っ越しだってー?」

「引っ越しなんてしなくて良いじゃん」

「そうだよヴィータちゃん。
 海鳴にいようよー」

「こら。お家の都合なんだから無理言っちゃ駄目でしょ」

「でもさ、ばーちゃん」

不満げな声を上げる孫を、苦笑しながらたしなめる。
近所のガキども。おじいちゃんおばあちゃんたちだけではなく、彼らともヴィータはちょくちょく遊んでいた。
中身も外見もヴィータの方が年上、という珍しい遊び相手ではあったのだが、微塵もこっちを敬うことなく、むしろなめ腐った態度を取るガキ共の相手には苦労したものだが、彼らなりにヴィータとの別れを惜しんでいるようだ。
まだまだ子供である彼らは、簡単に諭されるようなこともない。
だが祖父母もそんな孫の扱いには慣れているのか、困ったねぇ、寂しいよねぇ、と同意しながらも、なんとか宥めようとしている。

――そんなやりとりを、茂老人がどこか羨むような視線で見ていることにヴィータは気付いた。

「シゲじーちゃん?」

「ん、なんだ?」

「んー……いや、別に」

なんとか言葉を口にしようとして、しかし言葉にすることができず、ヴィータはお茶を濁す。
羨むような視線。彼がどうしてそんな目をしていたのか。
茂老人の境遇を少しだけ知っていたヴィータは、黙っていることがどうしてもできなかった。

何かを云いたくても言葉にできない。
そんなヴィータの様子から何を読み取ったのか、茂老人は頬を綻ばせると、孫娘を愛でるように、柔らかな手つきでヴィータの頭を撫でた。

「……少し寂しくなるな」

「……らしくねーじゃん。
 ちょくちょく戻ってくるつもりだからさ。
 そしたらまたゲートボールしようよ。
 なんだったらゴルフも覚えるし。そしたら、えっと、キャディーだっけ? 
 シゲじーちゃんがそれやって、一緒にゴルフ場回ろうぜ」

「ラウンドというんだよ。プレーしながらゴルフ場を回るのはな。
 ……まぁ、そうだな。悪くない。ゲートボールも面白いが、やっぱりゴルフが好きだしな儂」

「ん、分かった。じゃあゴルフ覚えるよ」

ミッドチルダにゴルフがあるかどうかは知らなかったが、練習ぐらいならきっとできるだろう。
そんな軽い気持ちで云ったのに、茂老人は本気にしたのか、柔らかにヴィータの頭を撫でていた手を、ガシガシを勢いつけてかき回した。

「はは、そうかそうか!
 なら楽しみにしていよう! 戻ってくる一週間前には連絡するんだぞ?」

「分かった! 分かったからやめろよ!
 髪がぐしゃぐしゃになるだろ、もー!」

ヴィータの抗議も届かないのか、茂老人は楽しげに笑う。
調子の良いジジイだな本当に、と内心で毒吐きつつも、まぁ悪くないか、とヴィータは思った。

†††







「……久々だな」

陽光の降り注ぐ空の下、緩く頭を左右に振って街並みを眺め、ヴィータはそう呟いた。
目に映る海鳴の街並みは、ヴィータの記憶に残る姿とそう変わっていない。
二年かそこらでそう変わることはないだろうが、それでも、思い入れのある街がそのままの姿で待っていてくれたことが、彼女は少しだけ嬉しかった。

そう、二年だ。
ミッドチルダへ移住する際一年に一回は顔を出そうと思っていたものの、どうしても長期休暇を取ることができず、二年越しになってしまっていた。
ガジェット。レリック。ミッドチルダへの移住が決まりつつあった時期に遭遇した厄介な機械兵器とロストロギア。
その内の前者であるガジェットが搭載しているAMFへの対策などに忙殺され、どうしても休みを取ることができなかったのだ。
もし強引に取ったとしても、自分がいない間に何か起こったら――そんな不安を忘れることができず、海鳴に戻る気分にはならなかっただろう。

そんなヴィータが海鳴へと遊びにこれたのは、主であるはやてのおかげと云っても良い。
自分だってアリサやすずかといった海鳴の友達と会いたいだろうに、ヴィータに気を遣って遊びに行ってきても良いと云ってくれたのだ。
ヴィータの抜けた穴はなんとかするから。そこまで云われたら、むしろ休みを取らない方が悪い気分になる。

「うし、行くか」

小さく頷くと、ヴィータは歩き始める。
彼女の歩調に合わせて、肩に担いだバッグがガチャガチャと音を上げた。
バックの中にはお泊まりセットや着替えの他に、なんとか集めたイギリスっぽい土産物が入っていた。
その他には数本のゴルフクラブが入っている。流石に荷物になるため、フルセットは持ってきていない。

お別れ会の時に茂老人と交わした約束を、ヴィータはちゃんと覚えていたし、ゴルフを覚えておくという約束を律儀に守っていた。

もっとも、ゴルフ場に行ったりする時間はなかったため、基本的に教本片手に素振りばかりをしていたが。
希に打ちっぱなし場行くこともあったが、精々そのていど。ゴルフ初心者以下だろう。

「やっぱいくらかゴルフ場で練習した方が良かったかもなぁ。
 時間がないのは確かだったけど。
 それにシゲじーちゃんにイギリスのこと聞かれても大丈夫なように色々勉強したけど、やっぱり不安だ」

ヴィータの独り言に、胸元に下げられたグラーフ・アイゼンが小さく瞬いて返事をする。
言葉という形であった返事ではなかったものの、だよな、とヴィータは頷いた。

やっぱり海外ネタは無理があった、と今更ながらにヴィータは思う。
土産話なんかできるはずもないし、土産だってそれっぽいものを買って誤魔化すしかないのだし。
国内の適当な場所にしておけば良かった、と今更ながらに後悔するも、嘘を重ねて泥沼になったら面倒だ。
が、今のイギリス在住という難易度の高すぎる嘘を吐き続けるのも如何なものか。

……いっそのことミッドチルダに移住した、と云えたらどんなに楽だろう。
もしそれを伝えたら、と考えてみるが――
……おじいちゃんおばあちゃんのことだ。魔法が云々と言い出したら微笑ましい目でヴィータを見てくるに決まっているし、そんな具合だから信じてくれない気がする。

海鳴に遊びにくると決めていたのだから、云えないなら云えないで、もっとマシな嘘を吐くべきだった。
なんだよイギリスって。馬鹿かアタシ。
ため息を吐きつつも、どこか楽しそうな足取りでヴィータは歩を進める。

彼女が目指しているのは、お別れ会を行った公民館のある公園だ。
今の時間帯なら皆が集まってゲートボールをしてるはず。

……じいちゃんばーちゃん、どんな顔すっかな。

久々に会うのだし、喜んでくれるとは思う。
土産話ができないのはやっぱり心苦しいけれど、自分が話せない分、話を聞いてあげたいと思う。
ああ、でっちあげたお土産はどう思われるだろう。シゲじーちゃん辺りが突っ込んできそうで嫌な予感がする。

一人歩きながら笑って、苦い顔をして。
外から見たらなんともおかしな様子のヴィータだが、彼女は久々に会うおじいちゃんおばあちゃんとの時間を想像するだけで楽しむことができた。

そうしている間に公園へとたどり着き――

「……ありゃ?」

てっきりいると思っていた人影が一つも見当たらないことに、ヴィータは首を傾げた。
おかしいなー、と思いつつ公民館へと向かい扉を開けようとするも、鍵は閉まっている。
中で休憩しているというわけではないらしい。

スケジュールが変わったのだろうか。いや、それも当然だろう。あれから二年も経っているのだし。
しゃーねー、と呟いて肩を落とすと、ヴィータは再び歩き始める。
ここにいないのなら畑の方だろうとは思うものの、運が悪いとそこでも会えない可能性がある。
集合場所がこの二年で違う場所になってしまったということも充分あり得るだろうし。
おじいちゃんおばあちゃんの家へ直接行くというのもアリかもしれないが、誰か一人とではなく、出来るなら皆と一緒に会いたいし、ただいまを云いたい。

タイミング悪いよなぁ、と呟きながら、ヴィータは畑の方へと向かった。
おじいちゃんおばあちゃんが手入れをしている畑は、公民館からそう離れていない。
元々公民館の周辺は畑だったのだが、それを潰して、この一帯は現在住宅地になっていた。

家と家の隙間を埋めるように小さな畑が点在しており、そこで自家栽培した畑を交換したりするのもおじいちゃんおばあちゃんたちの娯楽のようだ。
植物を育てる楽しさがいまいち分からないヴィータではあるものの、自分が手間暇かけたものが形となる、というのは確かに面白そうかもしれない。
ミッドで家庭菜園でもやってみるかなぁ。んで来年は収穫した野菜とかを持ってくるのも良いかもしれない。
でも97管理外世界の野菜はミッドチルダでも育てられるのだろうか。ミッドの野菜をこっちに持ち込むわけにも行かないだろうし。

ああもう面倒くせー……こんな風に面倒くさがる性格の人間は、そもそも植物を育てるのに向いてないか。
そんなことを一人考えている内に、ヴィータは目的の畑へと到着していた。

いくつかの人影。その中に見知った顔を見付けて、ヴィータは思わず声を上げていた。

「ばーちゃん!」

その大声に、呼ばれた老婆は戸惑ったように目を瞬かせる。
そしてまさか、ヴィータが戻ってきたとは思わなかったのだろう。
どこか大げさに驚いた様子を見せると、作業を中断して手を振った。

「ヴィータちゃんじゃないの。
 久しぶりだねぇ。去年こなかったから、もう私たちのことなんて忘れたのかと思ったよ」

「う、ごめん……でも、忘れるわけねーじゃんか!」

「あはは、そうだねぇ。ありがとうね」

皺だらけの顔を更にしわくちゃにして、老婆は笑顔を浮かべる。
畑で作業していた他のおじいちゃんおばあちゃんたちも、口々におかえりを云ってくれるが――

「あれ? シゲじーちゃんは?」

ふと、気になったことをヴィータは訪ねる。
麦わら帽子を被って、ゲートボールをしていなければ土いじりをしているような茂老人の姿がどこにもない。
たまたまここにいなかった、ということもあるだろうが、ゴルフの練習をしていたこともあって、どうしても気になってしまった。

「ああ、シゲさんはねぇ……」

どこか言いづらそうに、言葉を濁される。
けれどそのままフェードアウトすることはなく、老婆は寂しそうな顔をしながら呟いた。

「ヴィータちゃんがくるまで頑張るって云っていたんだけどねぇ。
 今年の春に、ねぇ」

†††







茂老人は、世間一般の常識から云えば、不憫といえる境遇なのかもしれない。
奥さんに先立たれて長く、息子夫婦は海鳴から離れた場所で暮らし、一人の生活がずっと続いていた。
あまり息子とは仲が良くなかったようで、孫を連れて遊びに来ることは希だったとヴィータは聞いていた。

その話はどれも茂老人本人から聞いた話ではない。
ヴィータの知る茂老人の元気な様子からは決して想像できなかったが、事情を知る者が見れば、彼は随分と無理に明るく振る舞っていたらしい。

そんな無理が祟ったのか、天命だったのか。
冬の頃から急に痩せ初め、今年の春先に茂老人はゲートボール中に倒れ、病院に搬送される。
検査の結果、末期ガンを患っていたことが判明した。倒れた時点で既に手遅れだったという。
体力が落ちていたこともあり、息子夫婦が病院にたどり着く間もなく、そのまま一人、孤独に逝ってしまった。

それが、茂老人の最後らしい。

「……ひでぇ話だよな。
 なんだよ。あとちょっとぐらい待ってくれてたって良かったのに。
 一緒にゴルフするんじゃなかったのか、シゲじーちゃん」

ぽつり、とヴィータは呟く。
彼女が今いる場所は、茂老人の家が建っていた場所で、今は更地になっている。
ヴィータはせめて墓参りに行こうと思ったが、茂老人の家の墓は、海鳴から離れた場所にあるらしい。
いずれは行こうと思うものの、今はそれだけの行動を起こす気力が涌いてこなくて、茂老人の家――その跡地にふらふらときていた。

茂老人の家には、何度か上がったことがある。
夏には暑いだろうと云われて、麦茶をご馳走に。
居間には古ぼけたトロフィーがいくつも飾ってあった。おそらくゴルフのものだったのだろう。
当時のヴィータは特に興味もなかったので、誇らしげに話をする茂老人の言葉を話半分に聞いていたため良く覚えていない。
それが今になって、酷い後悔を伴い口の中に苦みが広がる。

今更だ。そんな後悔が意味のないことなぐらい、ヴィータだって気付いている。
それでも――と思ってしまうのは、果たせなかった約束があるからだろうか。

「……まぁ、分かってたことではあるんだよ。
 じいちゃんばーちゃんだっていつまでも生きてねーって。
 そういう歳だもんな」

誰にともなく呟く言葉を聞いているのは、グラーフアイゼンだけだ。
主人が答えを求めてるわけではないと心得ているのだろう。
何も反応を見せず、黙り込んでいる。

「けどさ。こんな……アタシ、忙しいとか理由つけて海鳴に去年戻らなくて……。
 もし戻ってたら、シゲじーちゃんが思い残すことが少なくなったんじゃないかとか、どうしても思っちまうんだ。
 分かってるよ。分かってるんだ。死んだ人間が何かを考えたりとか、そういうのはしねーって。
 だから今更謝ったりとか、後悔したりとかしたって、意味ないってことぐらい」

でも、と続け、

「……それでも、アタシは」

涙が、流れたりはしない。
悲しくはある。申し訳なくも。
けれどそれ以上に、情けなさや、どこにぶつければ良いのか分からない怒りがあって、どうしようもなかった。

きっとこんな気分になるのは、これは最後ではない。
茂老人と同じように、他のおじいちゃんおばあちゃんもまた、いつかは逝くのだろう。
ミッドチルダに住んでいるヴィータが、彼らの死に目に会える機会は、ほぼゼロに近いはずだ。

なんとなくそんな日がいつかはくると思っていたが――こうして迎えてみると、思った以上に辛かった。
悲しい。けれどそれ以上に、孫のように可愛がってくれたおじいちゃんおばあちゃんの最後に立ち会えない不自由さが、たまらなく悔しい。
悔しくて、けれど、海鳴に戻ってくるという選択は絶対にしないと自分で決めてしまっていることが、余計に嫌だった。

戻ってこれるはずがない。自分ははやての守護騎士なのだから。
いや、この言い方ではまるではやてのせいだと云っているよう。
そう。ヴィータが自分ではやてについて行くと決めたのだから、どんな形であれ遠からず、こういった別離を迎えることは必然だったのだろう。

だから仕方がない。
これは仕方がないことだ。

そうは思うが――

「……割り切れねぇよ」

ため息を吐いて、ヴィータはきびすを返した。
ちらり、と茂老人の家があった更地を一瞥する。そこにはもう、何もない。

……いつかは皆、こうなってしまうのかもしれない。
この更地のように、痕跡すら残さず、何も残らなくなってしまうのかもしれない。
人の姿を取り、人と同じように生活ができようとも、ヴィータは魔法で動く不老不死のプログラム体だ。
生まれ、歳を取り、死んでゆく人の理と共に歩むことはできても、最後を見送ることしかできない。
いや、今の自分はそれすらもできない――

「……なんだか、来年もくるのが怖いな」

また、ヴィータを可愛がってくれた人がいなくなっているのかもしれない。
それは充分にあり得ることで、だからこそ気分が暗くなる。
本当にもう、自分は海鳴で暮らしてはいないんだと、今更になって痛感した。
今すぐミッドチルダに帰ってしまおうか。そんな気すら起こる。

「おい、ヴィータ!」

「……ん?」

聞き覚えのある声を耳にして、ヴィータは振り返る。
そこにいたのは、おじいちゃんおばあちゃんの孫たちだった。
最後に見たときより、大きくなっている。当たり前の話ではあるが。
今は九歳だったか。丁度、闇の書事件の時のなのはたちと同い年かもしれなかった。

走り回っていたのだろうか。
声をかけてきた少年は額に汗を浮かべ、息を弾ませている。

「よう。久しぶりだな。
 鬼ごっこでもして遊んでたのか?」

「お前を捜してたんだよ!
 ばーちゃんが、ヴィータが遊びにきてるから遊んであげな、って云ってさ」

「そか」

悪いことをしたかもしれない。
茂老人が死んだと聞き、自分がいない間に何があったのかを教えてもらって、ヴィータはすぐここにきたのだった。
だから心配させてしまったのだろう。

「シゲじーちゃん、死んじゃったね」

さっきまでのヴィータと同じように、更地を見ながら少女が呟いた。
そだな、とヴィータは頷くと、どうしたもんかと頭をかく。
行こうぜ、と声をかけると、ヴィータと子供たちは移動を開始した。
どこへ行こうと決めたわけではなかったが、自然と足は公民館のある公園に向いた。

道中、会話らしい会話は特にない。
子供なりに口を開きづらいと、雰囲気を察しているのだろう。
悪いとは思いながらも、ヴィータはどうしても気分を切り替えることができないでいた。

そのまま公園へとたどり着く。
陽が高い季節ではあるものの、既に太陽は沈み始めていた。
茜色に染まりつつある公園を前にして、言葉もなく、ヴィータは担ぎ続けていた鞄を地面に降ろす。

そして、そのまま座り込んでしまおうと思った瞬間――

「なぁヴィータ、ゲートボールやろうぜ!」

「何云ってるんだお前」

唐突に声をあげた少年に対し、ヴィータは思わずそんな返し方をしてしまった。
むぐ、と言葉に詰まりつつも、良いじゃん! と声を上げて少年は公民館へと駆け出す。
予備のゲートボールスティックやボールが仕舞ってあることを、知っているのだろう。だが鍵は持っているのだろうか。

「あのさ、ヴィータちゃん」

「ん?」

「シゲじーちゃんが死んじゃって、やっぱり悲しいよね。
 ヴィータちゃん、仲良かったし」

「……まぁ、な」

「でもね。シゲじーちゃん、云ってたよ」

「え?」

「気にするな、って。
 自分が待てなかっただけだから、って。
 今まで楽しかった、って」

……遺言、だろうか。
いや、そうなのだろう。
茂老人はきっと、ヴィータがこうやって後悔することを予想していたのかもしれない。
年の功には敵わない、というべきなのだろうか。
そんな、気にするなだなんて……酷く難しいことを言い残すなんて。

わざわざ気にするなと云うぐらいだ。
茂老人もきっと、ヴィータとの約束を楽しみにしていてくれたのだろう。

「だからさ、ヴィータちゃん。
 そんな顔しないでよ。
 きっとシゲじーちゃんだって、せっかくヴィータちゃんが帰ってきたのに悲しそうな顔してちゃ、嬉しくないよ」

気遣うように、少女は語りかけてくる。
云っている内に茂老人と話していた時のことを思い出したのか、目尻には小さく涙が浮かんでいた。

……それを見て、そうか、とヴィータは胸中で呟く。
シゲじーちゃんは一人寂しく死んだわけじゃなかった。
家族に囲まれて、という世間一般でいう幸せな最後は迎えられなかったとしても、彼の死を惜しんだ人らは確かにいた。
目の前の少女がそうだし、自分よりも茂老人との付き合いがずっと長いおじいちゃんおばあちゃんがそうだ。
……やっぱり、立ち会えなかったのは心残りだったけれど。

「……ごめん、ヴィータ。
 窓の鍵ぶっ壊れてたはずなんだけど、誰かが直したみたいで入れねーや」

公民館に侵入しようとしていた少年が戻ってくると申し訳なさそうに云う。
それを見た少女が、かっこわるいんだからー、とからかう。

「……しょーがねーな。
 お土産あるから、ベンチで食べようぜ。
 ジュースも奢ってやるよ」

「え、マジ? 良いの?」

「やった!」

「あ、でも全部は駄目だからな。
 じーちゃんばーちゃんの分も残さないと」

「分かってるって!」

さっきまでの表情はどこへやったのか。
何買ってきたんだ、と聞いてくる少年と少女を適当にあしらいながら、ヴィータは笑みを浮かべる。

もう自分は海鳴に住んでいないし、きっとこれからも、今日みたいなことはあるのだろう。
でもそれで良いと、ヴィータは思う。
この街で過ごした時間はヴィータにとって大切な宝物だ。
今この時間ですら。きっと別れの悲しみだって、自分を可愛がってくれた皆が大切だったからこその苦痛。
だから、辛いのだとしても……これからも海鳴にこよう。
そう、誓う。

生まれて、育って、死んでゆく。
それを眺めることしかできなくても良い。
それがヴィータにとっての、大切な日々との付き合い方なのだろうから。

「そうだ、お前ら。
 ゴルフすっか? 教えてやるから!」

「やるやる!」

「え、でもヴィータちゃん、公園はゴルフ禁止って……」

「ちょっとぐらい大丈夫だって!
 おやつ食ったら遊ぶぞ!」

鞄を背負い直して、ヴィータはベンチへと駆けてゆく。
少年と少女は楽しげに笑みを浮かべると、彼女の後を追っていった。


著者:ムサイ

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