408 名前:バカップル看病日記 1/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:08:57 ID:zlV808uk
409 名前:バカップル看病日記 2/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:09:29 ID:zlV808uk
410 名前:バカップル看病日記 3/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:10:14 ID:zlV808uk
411 名前:バカップル看病日記 4/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:10:54 ID:zlV808uk
412 名前:バカップル看病日記 5/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:11:26 ID:zlV808uk
413 名前:バカップル看病日記 6/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:11:58 ID:zlV808uk
414 名前:バカップル看病日記 7/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:13:19 ID:zlV808uk
415 名前:バカップル看病日記 8/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:14:17 ID:zlV808uk
416 名前:バカップル看病日記 9/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:16:04 ID:zlV808uk
417 名前:バカップル看病日記 10/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:16:40 ID:zlV808uk
418 名前:バカップル看病日記 11/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:17:14 ID:zlV808uk
419 名前:バカップル看病日記 12/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:17:49 ID:zlV808uk
420 名前:バカップル看病日記 13/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:18:22 ID:zlV808uk
421 名前:バカップル看病日記 14/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:18:57 ID:zlV808uk
422 名前:バカップル看病日記 15/15 [sage] 投稿日:2009/12/25(金) 00:19:39 ID:zlV808uk

──笑っていてよ、僕だけの天使──

「お疲れ様でしたー」
「はい、お疲れ様」
日も早く落ちるようになった宵の口、なのはは新人達の教導を終えて、家路に着こうとしていた。
ロッカールームでフェイトと会い、世間話なぞをしている間に、それは起きた。
「くしゅっ」
「ん、なのは、風邪でも引いた?」
小さなくしゃみ。
その時は、ただそれだけだったが、これが後に大騒動を起こすことになろうとは、なのはは知る由もなかった。
「ううん、誰かが噂してるだけじゃない?」
「そう、それならいいんだけど」
フェイトの中に妙な違和感が生まれたが、それが何なのかは気付かなかった。
なのははもう一度だけくしゃみをすると、厚手のコートを羽織って管理局を後にした。

「ただいまーっ!」
もう完全に愛の巣と化したアパートに戻ると、ちょうどユーノとヴィヴィオが食事を作っているところだった。
開口一番ユーノに抱きつくと、なのはは暖かなその顔に頬擦りする。
「な、なのは、早く手を洗ってきなよ」
「うん〜、でもあなたの成分を取る方が先なの!」
横でヴィヴィオが鍋を掻き混ぜている。見えぬ聞かぬを決め込んでいるようだった。
なのはは、ユーノから一瞬でも離れたら露と消えてしまいそうな顔を作って、洗面所に向かった。
そういえば、ヴィヴィオは今日で学校がお休み。明日からは冬休みだ。
日本では明後日は旗日だが、ミッドチルダに天皇などいるはずもなく、単なる平日であり、クリスマスもまた然り。
週末はどう過ごそうかな、となのはは心を浮かせながら考えていた。

一方のヴィヴィオは剥き終ったジャガイモの皮ほども興味を示さず、料理の味付けを細かく作業に精を出していた。
というか、どこの誰だって半年以上隣でいちゃいちゃされたら誰だって無感動になる。
万年新婚バカップルは当事者だけなのだ。
手を洗って戻ってきたらしいなのはが、早速ユーノにひっついてキスの嵐を浴びせている。
まんざらでもないユーノを見ているのも、ベタベタしているなのはを見るのも、実は好きなのだけれど、
それを認めるのはなんだか何かに負ける気がした。何に負けるのかは別問題としても、ちょっと悔しい。
何が悔しいのやら、ヴィヴィオにはまだ分からないのだった。
学校の皆でワイワイと騒ぐ、二日後に迫ったクリスマスパーティーが何よりも楽しみだった。
なのは達が持ち込んだ風習が真っ先に根付いた学校は、ザンクトヒルデが最初かもしれない。

***

夜。
なのはがユーノとベッドに入り、しばらく経った頃。
二人は雨あられとキスを繰り返し、ユーノはなのはのシャツに手を掛けていた。
「あっ……あんっ、あなたぁ」
「なのはの恥ずかしいところ、もっと見せて」
「やぁっ、ふぁっ……ふぁ」
ユーノはなのはの肢体に夢中で、その顔がいつもより更に上気していることに気がつかなかった。
乳房を優しく掴み、手のひらで丸く転がしていると、なのははいつになく強い力でユーノを抱きしめてきた。
「ん、なのは、今日は積極的だね?」
「や、いや……」
腕を解くと、ユーノは全身をくまなく愛撫する。
首筋に、頬に、二の腕に、背中に、ヘソに、太ももに、キスの嵐を浴びせていく。
そして、いよいよと唇にキスしようとした時、なのはは妙な顔を作った。
「ふぁ」
「ふぁ?」
すっぽ抜けた声に、ユーノは一瞬動きを止める。
それがいかなかった。
「ふぁ、ふぁ、ふぁ……ふぁっくしょん!! ……あっ、あなた、ごめん……なさい?」
ユーノの顔は洟やら涎やらですっかりコーティングされていた。
別に構わないよ、とティッシュを取って顔を拭いたユーノだったが、そこで初めてなのはが何かおかしいことに気付いた。
視線が宙を浮いている。顔の紅みも尋常ではない。
ゆらり、ふらりとなのはは身体を揺らすと、ドッと倒れ込んだ。
「ふにゃ〜? あやや、ユーノ君が、三人? どういうこと〜……分身〜?」
ユーノは慌ててなのはに下着パジャマを着せると、大急ぎで部屋を飛び出した。
電話に向かう途中、トイレに行くヴィヴィオと鉢合わせしてしまい、「パパ、どうして裸なの?」と疑惑を植え付けられてしまった。

「ごほっ、ごほっ、くしゅっ、くしゅん!」
「ごっ、ごめん。なのはが体調悪いだなんて、全然気付かなかったから」
「ううん、いいの。わたし、風邪引くなんて凄く久しぶりだったから、全然分からなかった……」
熱は、8度7分。
医者を呼んで診て貰ったが、過労が重なって抵抗力が落ちたところに丁度誰かから貰ってしまったようだ。
診断は、単なる風邪。但し、原因が原因なだけに、二三日は絶対安静を命じられた。
薬は五日分を処方され、ユーノが支払いを済ませると、帰りがけ、医者は白衣をさっと翻らせた。
「余計なことは言わないけどね、ちゃんと奥さんのこと、見てやんないと。彼女はいつも無理するんだろう?
そうそう、もう一つ。君も数日休んだ方がいい。疲れているようだし、下手に看病していると感染るよ」
医者は帰った。後ろで成り行きを見守っていたヴィヴィオが、くいくいとユーノの裾を引っ張る。
振り向くと、ヴィヴィオは今にも泣き出しそうな顔で、鼻を赤くしていた。
「ね、ママ大丈夫だよね? パパも、寝込んじゃダメだよ? ヴィヴィオ、いっぱい頑張るから……」
ユーノの目頭が熱くなったのは、その健気な姿だけではないだろう。
微笑みを作って、ヴィヴィオの頭に手を置き、ぽんぽんと撫でた。
「大丈夫だよ。無敵のママが、風邪くらいで負けちゃう訳がないよ。でしょ?」
「……うんっ」
ヴィヴィオはごしごしと目を擦り、グッと気合を入れた。本当に強い子だと、改めて感じる。
なのはは早速薬を飲んで、もう寝ているだろう。ユーノはヴィヴィオの手を引いて、ベッドに戻った。
娘の身体を抱いていると、ヴィヴィオは頭をくいと逸らしてユーノの顔を見上げた。
「私、今日で学校終りなの。明日から冬休みだから、洗濯とか、料理とか、全部任せて!
パパも、ママも、明日からはゆっくりしてて」
街灯の薄明かりで見るヴィヴィオの表情からは、鋭い決意が宿っていた。
色違いの両目から発せられる光は、なのはとまったく同じだ。
何年も見続けていた、一度決めたらまっすぐにどこまでも突き進む少女は、いつしか母親になり、
娘にしっかりと受け継がれていた。
そして、こうなると、絶対に引かないということも、ユーノはよくよく熟知している。
「ありがとう、ヴィヴィオ。それじゃ、お願いしようかな」
「うん!」
自分の強い想いが通じたヴィヴィオは、すぐに目を閉じ、あっという間に寝息を立て始めた。
ユーノもごろりと寝返りを打つと、枕に頭を押し付けた。

翌朝、真っ先にユーノがしたことは、クロノに電話をかけることだった。
「おはよう、クロノ。元気にしてる?」
「ようやく航行から帰ってきた僕に、よくまあそんなセリフを吐けるな……」
不機嫌そうなクロノの声は、どこかに安堵が含まれている。
きっと、聞き慣れた声を久しぶりに耳にしたからだろう。
「で、今日は朝っぱらから何の用なんだい。僕は早くエイミィと子供たちの顔を見たいんだ」
「あー、うん、その前に一仕事して欲しいなあって」

受話器の向こう側で、露骨に舌打ちをするのが聞こえた。
だが、これもまた旧友とよくやるやり取りの一つだ。ユーノだって、無限書庫で仕事を貰う時、同じことをする。
『で、何?』とぶっきらぼうに聞くクロノに、ユーノは言った。
「僕となのはの有休を取って欲しくてね。書庫で今日、大規模な搬入があるはずだから、
僕一人で申請してもどうにかなりそうにないんだ」
クロノは「ああ」と合点の行った様子を見せた。
どうやら、その搬入はクロノの仕事で発生したもののようだ。
「それ自体はこっちの人員を寄越すから構わないけど、一体全体どうして今日なんだ? なのはの誕生日だったか?」
「いや、なのはは3月でしょ……」
ユーノは掻い摘んで状況を説明した。
風邪で倒れたこと、ユーノ自身も休養が必要だと医者に警告されたこと。
そして何より、今日からヴィヴィオが冬休みに突入してしまったこと。
「管理局のエース・オブ・エースが風邪……ねえ。なのはもやっぱり人間だったってことか」
しみじみと、クロノが思い出す。十年も前に倒れてから、そういえば流行病や怪我で動けなくなったことはない。
それだけ体調管理がしっかりしていたのだから、今このタイミングで倒れたのはやはり不思議に思える出来事なのだろう。
「まあ、いいよ。僕が何とかしておく。でも、その前に申請を出しておけよ。
お前より先に書類出すなんて、筋が通ってないんだから」
「分かってるよ。それじゃ、お願い」
「いいさ。そっちも久しく家族で過ごしてないんだろう? 水入らずで過ごせよ」
「君もね」
受話器を置くと、味噌汁の香りが漂ってきた。
時計を見ると、大分長電話をしてしまっていたことに気付く。もう、ヴィヴィオは起きだして早速朝ごはんを作っているようだ。
「あ、パパ、おはよう。今日は玉子焼きだよ」
味噌汁の鍋を見ると、色とりどりの野菜が入っていた。
柔らかくなるまで弱火でじっくりやれば、なのはでも食べられるようになるだろう。
別の鍋には、コトコトと煮られるおかゆ。これまた、なのはのお腹には優しいだろう。
本当に気が利く。ユーノが料理を作っていたら、なのはは食べられなかったかもしれない。
「パパはテレビでも見てて。私が全部やるから」
キラキラと輝く瞳。誰かのために役に立てて、活気が沸いている。
ユーノは「ありがとう」と言って、居間に戻った。が、ふと思い立って、なのはの眠る寝室へと向かった。

なのはは疲れがよほど溜まっているのか、起きる気配がない。
顔はまだ赤く、息も浅く多い。
枕に触れると、随分と熱を持っていたので、氷枕を取ろうとキッチンに戻った。
ヴィヴィオが料理に夢中になっている隙を上手いこと突いて、氷枕とタオルを取りあげる。
寝室に戻ると、なのはは寝返りを打っていた。
こうして見ると、なのはは決して完全無敵の完璧超人ではなく、ただ一人の女性なのだと気付かされる。
なのはを起こさないよう、慎重に頭をどけると、枕の上に氷枕を敷いて、また元に戻した。
──と、ここでなのはが起きてしまった。ぱちぱちとまぶたをしばたき、ユーノの顔を見ると、ふにゃりと顔を綻ばせた。
「うわぁ、ユーノ君がいっぱいー……幸せー」
完全に夢現のようだ。目が虚ろで、本当にユーノをしっかり捉えているのか分からない。
というか、人が何人にも分裂しているのは、寝起きだからなのか、熱に浮かされているからなのか。
「なのは、なのは……大丈夫?」
こうなったら目をハッキリ覚まさせて、何か食べさせた方がいい。
肩を軽く揺すってやると、むっくりと起き上がって、左右をキョロキョロと見た。
そしてまた横になると、布団を被って寝た。
「ちょ、なのは! 起きて、起きてよ!」
ゆさゆさと、さっきよりも少しばかり強い力で揺すってやると、なのははようやく目を覚ましたようだった。
ユーノの姿をまじまじと見た後、ガバっと抱きついてきた。
でもそれは、いつもより弱々しくて、覇気が欠けていた。

「おはよう〜、あなた〜……待っててね、今ご飯作る……から」
鼻声になってしまい、やや聞き取りにくい。
早速ベッドから起き上がろうとするなのはを、ユーノは肩を押さえて差し戻した。
キョトンとしているなのはにユーノは優しく語りかける。
「いい、なのは、君は風邪を引いてるんだ。昨日医者にも言われたでしょ、『安静にしていなさい』って」
それでやっと昨夜のやり取りを思い出したのか、シュンと項垂れた。
でも、だって、あらゆる言い訳を考えて、何が何でもユーノのためにご飯を作る気だ。
とても嬉しいことなのだが、かといってそれを許す訳にはいかない。
ユーノはなのはをしっかり寝かしつけると、自分の鼻を指差した。
「なのは、何か匂いしない?」
「え? んー……鼻が詰まっててよく分からない」
ユーノがティッシュを差し出し、洟をかませると、なのはは台所から漂ってくる匂いに気付いたようだ。
ヴィヴィオが料理を作っているのだと説明すると、安心と不安が複雑に入り乱れた表情を作った。
「大丈夫、ヴィヴィオ? 包丁で指切ったりとか、してない?」
「心配性だね、なのは。たまにヴィヴィオは僕らのために料理を作ったりするじゃないか」
「それは、そうなんだけど」
風邪で、親バカまで加速してしまったのか。
昨日の夜と、今日の朝と、ユーノはヴィヴィオの強さを見た。
だから、安心して任せられる。よもや指を切っても、それくらいなら舐めておけば治るのだ。
熱で上気したなのはの髪をそっと掻き上げて、額にそっとキスをする。
「もうすぐ出来上がるみたいだから、なのはは待ってて。僕は管理局に休みの連絡を入れてくるよ」
ドアを閉めてユーノは部屋に戻り、端末を起動した。
有休申請をして、クロノに短いメールを打って、司書達に今日は出られないかもしれないと伝えて──
そこで、はたと不思議な感覚に襲われた。

なのはとの出会いは、傷つき、小動物の形にしかなれなかったユーノを、なのはが拾ってくれたからだった。
初めての頃はどうすることもできず、ひたすらなのはのサポートに回ることしかできなかった。
でも、いつしか、「サポートに回ること『しか』」できなかったのではなく、「サポートに回れる」自分に、誇りを持てるようになった。
管理局に入局して、それぞれが自分の目指す道を歩み始めた頃、なのはと一緒にいられる時間が減っていった。
その寂しさが、単なる幼馴染のものではないと気付いたのが、なのはが堕ちてリハビリを終えた、丁度同じ時期。
時間の流れは早いもので、六課ができて、解散して、一緒になって、プロポーズをして、結婚式を挙げて……
思い返すと、随分と沢山のことがあった。でも、なのはを好きになってから、こんなにも弱い姿を見るのは、初めてだった。
いつだって気丈に振舞って、弱さを誰にも見せないようにして、ユーノやヴィヴィオにさえも、
「良妻賢母」であろうと努め続けていた節がある。

遂に、恩返しをする日が来たようだ。
なのはが弱っている今こそ、あの時のように、なのはを助けるのだ。
ユーノには、それが使命であるかのような気さえした。
『新着メールです』
端末から聞こえてくる、そっけない人工音声。
それを開くと、簡潔な一文が記されていた。
「君の有休はだぶついている。一週間ほど休暇を取る事を命じる。
尚、なのは=高町=スクライアの有休も、同様の理由により休暇を命じる。以上」
ユーノは思わずガッツポーズを決めた。
こんなにもタイミングの良い出来事が、人生に何度あるだろうか。
これから一週間と言うと、面白いことにクリスマスを挟む。
なのはとはやてが持ち込んだ文化は、じっくりとではあるがミッドチルダの地にも根づき始めている。
その証拠に、一部の商店街には特別なイルミネーションを飾って、幻想的な街並みとなっていた。
雑誌にも特集が組まれたり、地球が管理外世界であることを、ふとした瞬間に忘れそうになってしまう。
ユーノは立ち上がって居間に戻ろうとすると、ちょうどドアを開けたヴィヴィオと鉢合わせた。

「パパ、ご飯できたよ。食べよ?」
娘の功労に頭を撫でてあげると、気持ちよさそうにヴィヴィオは笑った。
ヴィヴィオはユーノの腕を取ると、中性的なその手のひらを撫で返してきた。
「パパの手、大きくてあったかくて、大好き!」
精一杯に背伸びをして、頬に軽いキスをすると、愛娘は可愛らしく髪をなびかせた。
食器の準備から何から、全部やってくれるヴィヴィオ。
これ以上楽なことはないが、同時にやるせなさも感じる。
でも、せっかくの努力に水を差すこともない。
ユーノは「ありがとう」と言って、お盆におかゆや味噌汁を載せてなのはの寝室へと向かうヴィヴィオを見送った。

***

ヴィヴィオが食事をなのはの部屋に行くと、いつもとは全く違う様子の母親がそこにいた。
窓から見える雪景色をぼんやり眺めながら、人が部屋に入ってきたことに気付かないようだった。
「ママ、ご飯だよ」
びくっと反応し、振り返るなのは。
ヴィヴィオの姿だと知って安心すると、なのはは「おいでおいで」とヴィヴィオを手招きした。
ベッドの上に盆を置くと、ユーノにやって貰ったように、頭を撫でてくれる。
「えへへ」とはにかむと、なのははできるだけ穏やかな顔を作って言った。
「ありがとね、ヴィヴィオ。でも、感染っちゃダメだから、早くパパのところに戻ろうね」
こんな時でも、絶対に弱い顔を見せようとしないなのは。
笑顔に陰りがあるのは、決して熱だけではないはずだ──今日の仕事だとか、ヴィヴィオに家事をさせることだとか、
いっぱい心配事があるような笑顔だった。
「大丈夫だよ、ママ! 私、こう見えてもちゃんとお洗濯もお料理も、何でもできるんだから!」
とてとてと居間に戻ろうとして、ふと思い立ってなのはへと振り向いた。
こんな時、なのはがどんなことをするのか、まだ小さいヴィヴィオにも分かる。
「食べ終ったら、絶対に呼んでね! ママはベッドから出ちゃダメだよ!!」
しっかりと厳命して、部屋を後にする。
ドアを閉じる瞬間、なのはが小さく「ありがとう」と言っていたのを、ヴィヴィオは聞き逃さなかった。

ユーノとゆっくりした食事を取って、子供向けの番組を一緒に見ていた。
膝の間にちょこんと座るのが、ヴィヴィオの定位置。
画面の中で繰り広げられる、ぬいぐるみのキャラクター同士が織りなす軽妙な掛け合いに食い入って眺めていると、
寝室からなのはが「ヴィヴィオ、お願いー」と頼む声が届いてきた。
ばっちりの時間に番組が終ったので、ヴィヴィオはユーノの膝から離れると、なのはの寝室に向かった。
「ママ、ちゃんと食べられた?」
聞きながら、盆の上を見る。八割方、食べているようだ。
なのはは申し訳なさそうに「ごめんね、ヴィヴィオ」と謝ったが、とんでもない。
ヴィヴィオは「お粗末さまでした」と笑顔で言って、食事を下げた。
部屋を出ようとドアを開けた瞬間、後ろからなのはが呼んだ。
「どうしたの、ママ?」
ヴィヴィオは振り返り、なのはのところに戻る。続きを言おうとしたなのはは、ゴホゴホと咳を出した。
それでも、なのはは何かを言おうとして、痰の引っかかった喉で掠れ声を出した。
「あのね、ヴィヴィオ……お買い物、行ってきてくれないかな……もう、冷蔵庫空っぽでしょう?」
「それならお安い御用だよ! 栄養のつくもの、いっぱい買ってくるね!」
「お願いね、ヴィヴィオ……」

実のところ、朝食を作っている時点で、昼食以降の食材が絶望的であることに気付いていた。
それでも、なのはに、ママに頼られることがとてもとても嬉しくて、ヴィヴィオは胸をどんと叩いた。
「大丈夫、ヴィヴィオにお任せ!!」
こうして、ヴィヴィオは初めて一人でおつかいをすることになったのだった。

***

「いってきまーす!」
エコバッグに、小さなポシェット。相棒のセイクリッドハートも忘れない。
勢いよく飛び出していったヴィヴィオを、ユーノは玄関で見送った。
「車とかに気をつけるんだよ。あと、帰りが遅くなりそうだったらちゃんと連絡してね」
「あい!」
はじめてのおつかい。
どんな冒険が待っているのか、ヴィヴィオは道すがらずっとワクワクしていた。
訪れたのは、スーパー。冬休みに突入したミッドチルダでは、主婦層の他にも一人暮らしの学生なんかが買い物に来ていた。
が、ヴィヴィオのような子供が一人でいるのは、かなり珍しい光景。
カートを一人で押して、生鮮食品のコーナーへ行く。
「うーん、お魚……野菜……お肉……どれをメインにしようかなぁ」
全体的に安めなのだが、これといって魅力的な特売の商品はない。
それでいて、風邪っ引きに優しい料理。
思えば三人が家族になってから風邪を引いたのはヴィヴィオくらいなもので、
その時は平熱でくしゃみが止まらなかっただけだから、割と普通の食事だった。献立を考えるのは中々難しい。
「今日は何にする?」
その時、学生二人の声が後ろで聞こえた。きっと年上の人なら何か知っていると考え、聞き耳を立てる。
すると、結構使い物になるヒントを得ることができた。
「料理なんてものはね、フライパンか鍋にぶちこんで火を通せばいいのよ。
高級料亭ってんでもあるまいし、それで何とかなるってものよぅ」
「んー、それじゃ鍋モノにするか。今日の夜からクリスマスまでずっと雪だって予報で言ってたし」
「え、そうなの? それじゃ、そうしましょ。今夜はあったかくしないと……」
鍋! そうだ、その手があった。幸いにも、元六課のメンバーが何人か集まることの多いスクライア家では、
そこそこ大きな土鍋が置いてあるのだ。
思い立ったが吉日、ヴィヴィオは早速材料を買うために奔走した。
「えーっと、シュンギクでしょ、ニンジンに、白菜、キノコ……あ、豆腐も」
しかも、鍋となると皆面白いようにぱくぱく食べる。10人分買って5人で空けるなんていつものことなのだ。
それに、もし余ったとしても、次の日に残りを温めつつ、ご飯を投入すれば、あっという間に雑炊の出来上がり。
実に優れた料理ではないか。
野菜を一通りカゴの中に入れると、次は精肉のコーナーへと向かった。
体力の落ちている時は、スタミナの付くものに限る。
豚肉を買って、ヴィヴィオは更にカートを押し進めた。

そして、肝心要、スープの種だ。
今日び、○○スープの元、とかいう商品は山のようにある。
ざっと見ただけでも、寄せ鍋、トマト鍋、チーズ鍋、キムチ鍋、ちゃんこ鍋……ちゃんこ!?
「なに……これ? どういう意味?」
ラベルを良く見ると、管理局でも地球寄りの品目を取引している企業の名前が書いてあった。
いつか、はやて辺りが口に出していた気がする。
意味は分からず仕舞いだったか、パッケージの写真から推測するに、肉や魚など、タンパク質が沢山入っているようだ。
妙に惹かれるものがあったが、なのははそんなに沢山タンパク質ばかり摂取できる身体ではないので、別なものを選ぶ。
といっても、特徴がよく分からないので、一番沢山並んでいてポピュラーそうな、寄せ鍋の素を使うことにした。
さて、いよいよ会計──という時になって、ヴィヴィオははたと困った。

「こんなに沢山、持って帰れないよ……」
何も、今日の分だけではない。向こう三日分くらいは買い込んである。
普段でもこの量だが、それはヴィヴィオが軽い袋を抱え、
なのはとユーノがそれぞれ一つずつ重いのを持っているからこそ、家まで持って帰れたのだ。
ヴィヴィオ一人では、ちょっと無理。
どうしようかどうしようかと、レジを目の前にしてひたすら悩んでいると、レジ係のお姉さんが寄ってきた。
「どうしたの? パパとママは?」
しゃがんで、少女と同じ目線に来る。優しそうな顔に、ヴィヴィオは説明した。
ジェスチャーを交える度に、腰のポシェットがふさふさ揺れた。
「えっとね、ママが風邪引いちゃって、パパも家で『あんせー』にしてなきゃいけなくて……
だから、ヴィヴィオ、一人で買い物に来たの。でもね、いつもはパパとママが袋を持っててくれたから、
今日はヴィヴィオ一人だから、こんなに沢山、持って帰れないの」
話を聞き終ると、お姉さんは解決策を知っているようだった。
まずはレジに案内され、会計を済ますように言われる。
カゴを持ち上げて渡すと、お姉さんはテキパキとバーコードを読み取っていった。
告げられた値段に、ヴィヴィオはポシェットからサイフを取り出し、預かってきた紙幣を渡す。
お釣りを貰って、材料をエコバッグに詰めて、買い物カゴごとよたよたと持ち上げた時、その重さがフッとなくなった。
お姉さんが持ち上げてくれたのだ。
「こっちよ、ヴィヴィオちゃん」
一瞬、ヴィヴィオはどうしてお姉さんが自分の名前を知っているのか不思議に感じたが、
良く考えてみればさっき自分で一人称に使っていたのを思い出した。
カゴを持つお姉さんの後ろをとことこついて行くと、
電子レンジと似たような、買い物カゴくらいなら楽々入る大きさのものが目の前に現れた。
「これは、転送サービスと言いまして、ココからヴィヴィオちゃんの家までひとっ飛びに荷物を送ってくれるものなのよ」
ヴィヴィオは飛び上がらんばかりに喜んだ。これがあれば、どんな重い荷物でも簡単に運べる!
ただ、そのためには使用料が必要だと聞いた。
住所を聞かれ、たどたどしくもアパートの部屋番号まできっちりと答える。
お姉さんはそれを打ち込み、転送装置の扉を開けてカゴごとその中に押すと、しばらくして扉の右側に値段が表示された。
「ここに書いてあるだけのお金が必要なんだけど……ヴィヴィオちゃん、持ってる?」
「うんっ!」
お姉さんにまた紙幣を一枚渡すと、彼女はそれを投入口に入れ、そして出てきたお釣りをヴィヴィオに返した。
がたがた、ぴーぴーと如何にもな機械音が聞こえた後、また静かになった。
扉をもう一度開けると、カゴいっぱいに入っていたはずの材料が、一式全部なくなっていた。
「これでもう大丈夫よ。お買い物偉いね、ヴィヴィオちゃん」
本日三度目。頭を撫でられて、ヴィヴィオはふにゃふにゃになった。
でも、パパやママ──大切な人からの『なでなで』の方が、もっと気持いいかな、とも思ったりした。
「バイバーイ! お姉さん、ありがとー!!」
スーパーの出口でお姉さんに元気いっぱい手を振って、ヴィヴィオはスーパーを後にした。
家に帰って、昼ご飯を作って、それから洗濯をして、掃除もして──まだまだ、やることは沢山ある。
さっきまでよりも、もっと身軽になった気がした。
ヴィヴィオはスピードを上げて走り、両親の待つアパートへと急いだ。

「ただいまーっ!!」
帰り道、一歩ごとに力が湧いてくるようだった。
時は正午よりちょっと前。料理を作るにはぴったりの時間だ。
ユーノは書斎から出てきて「おかえり、ヴィヴィオ。買い物の荷物、全部届いてるよ」と、ヴィヴィオをキッチンに案内する。
そこには、さっき目の前から忽然と消えてなくなったはずの材料が、一つ残らず置いてあった。
「すごい、すごーい! あのねあのね、電子レンジみたいなのに入れて、お金を入れたらね、パッてなくなっちゃったの!!」
身振り手振りで示すと、ユーノは相槌を打ちながらその話をじっくりと聞いてくれた。
でも、ユーノはもう大人だから知っているのだろうと思い返したのは、ずっと後になってからだった。
ヴィヴィオはお気に入りのエプロンを身に纏い、子供用の台に上って、早速料理を始めた。

線切り、みじん切り、短冊切り。
包丁の使い方が上手いと、調理実習でも先生に褒められた。
もっと上手い人はいたけれど、何せ家に帰れば翠屋直伝の腕前があるのだ。
いつか、誰よりも上手になって、将来は料理を作る仕事に就いてみたい。
そして大好きな人達を招待して、美味しい料理をいっぱい食べて貰うのだ。
ルンルン気分で野菜炒めを作り、それに合わせて野菜スープ。
味付けを確かめるために軽く味見をする。
「うん、ばっちり!」
なのはの部屋に行くと、何だかもう早速動き出しそうな感じでうずうずとベッドの中で寝返りを打ち続けている。
熱を測ったら、8度0分。どうして積極的になれるのか、さっぱり分からない。
せめて今日くらい、医者の言うには明日明後日まで、じっとしていればいいのに。
「まま、ご飯できたよ。持ってくる? それとも、テーブルまで行く?」
もう、ダイニングくらいなら歩いていってもいいのだろうか。
流石にトイレくらいは歩かなければいけないし、何より本人がベッドから出たがっている。
なのははむっくりと起き上がって、ヴィヴィオの顔をまじまじと見てきた。
「ママ、そろそろ眠くなくなってきたんだけど……」
ケージから出してくれと動き回るハムスターそっくり。
ヴィヴィオは頷いて、手を差し出した。
「一緒に食べよ、ママ」
こうして、お昼は三人で食卓を囲むことになったのだった。

「はい、なのは。あーん」
「あーん……」
──忘れてた!!
この夫婦、バカップルだった!!
去年、構って貰えなくて部屋に閉じこもっていたのがバカバカしい。
なのははここぞいう時にユーノに甘えまくっているし、ユーノもまた、それを楽しんでいるようだ。
袖が触れる距離の隣でいちゃいちゃしている横で、一人もくもくと箸を動かすヴィヴィオ。
いつものこととはいえ、何となく味気ない。
それでも、今日は寛大になれる。だって、大好きなママが、寝込んでしまっているのだから。
まだ顔の真っ赤ななのはに、
「んーっ、あなたにご飯食べさせて貰うと、百倍に美味しくなるよ! ありがとう、あなた」
「ううん、僕こそ、千倍一万倍にしてあげられなくてごめんね」
「ごめんだなんて、そんな……嬉しいよ、すっごく! とっても! ね、だから、もっと食べさせて」
「もう、甘えんぼさんだな、なのはは。はい、あーん」
「あーん」
終始、この調子である。こんな日常を見せつけられては、ヴィヴィオだって彼氏が欲しくなる。
だが困ったことに、リオもコロナも女の子である。確かに共学のはずなのに、何故か男っ気ゼロ。
一体どういうことなのか、神様がいたら聞きたいものだ。
「あ、ほら、なのは。口が汚れてるよ。動かないで」
「んっ……ありがとう、あなた。本当にあなたって、細かいところまで気が利くんだね。見直しちゃった」
「なのはだって、見れば見るほど可愛いよ。惚れ直しちゃったな」
「あんっ、もう」
何だろう、この、親一人子二人というか、むしろヴィヴィオだけが親で他二名が子供と表現した方がいいのか。
甘えっぱなしのなのはは、まるで子供のようで、ヴィヴィオよりもまだ甘えんぼさんなのだ。
ただ、今までのことを考えてみると、それも仕方無いのかもしれない。

だって、二人はずっと、子供の頃から仕事を頑張っていたのだ。
勉強して、遊んで、魔法の練習もして、なのは達がいた世界には魔法がなかったのだから、さぞかし苦労したことだろう。
ユーノとのことだって、そんな日常に追われていたら恋なんてとてもできない。
管理局に入って、何年も経って、ようやく落ち着いた頃にユーノと付き合い始めた。
その頃にはもう、ヴィヴィオは会話の輪に入っていたから、そこから先のことは容易に予想が付く。
『子供らしい』子供時代を過ごさず、『恋人らしい』恋をしていなかったのだから、
今になってあの頃を謳歌し、今になって大恋愛。
頭ではもちろん納得が行くが、かといって別に娘の眼前でやらなくてもいいだろうに。
「ヴィヴィオも、はい、あーん」
むすっとしていたのにようやく気付いてくれたらしく、ユーノがレンゲを差し出す。
いやいやちょっと待て、それは風邪っ引きが口を付けたレンゲだろう、感染させる気か。
バカップル同士なら移ったところで看病関係が逆転するだけだが、娘にまで火の粉を回さないで欲しい。
「同じ食器使うと、風邪って移るんだよ?」と、穏やかに言う。
既に、なのはの前から椀は消えている。全部ユーノに「あーん」をして貰う気満々だ。
別に構わない、構わないけれど、ものごとには限度というものがある。

……しまった。
『なのは・T・スクライア』に限度など初めから無かった。

「大丈夫です、私はちゃんと一人でご飯を食べられます!」
本当なら二人を放っておきたいところだが、アパートは狭い。
ダイニング以外で食事ができる場所は事実上ヴィヴィオの部屋しかないのだ。
流石にそれは、ただでさえ少ない味気をゼロにしてしまうだろう。
それよりは、このバカップルを見つめていた方がまだいい。
改めてよくよく考えてみると、これはこれで漫才を見ているようで面白い。
チラチラと横目で見ながら、二人の様子を見守る。
両親とも、ここ最近見たこともないほど幸せそうな顔をしていた。
だったら、それはそれでいい。風邪の日くらい、ゆっくり過ごす権利は誰にだってある。
納得と諦観が複雑に入り乱れて、ヴィヴィオは箸を動かした。
そういえば、もう随分と箸使いに慣れたな、と時の流れを感じた。

***

薬を飲んで、またなのはは寝室へ戻った。
ユーノは手持ち無沙汰なようで、本を読んだり、新聞に目を通したりしている。
ヴィヴィオはその間に洗濯を済ませ、小さなベランダいっぱいに服を干した。
太陽の光をいっぱいに浴びて、小春日和の暖かさはすぐに洗濯物を乾かしてしまうだろう。
キラリ。弱くも明るい光がヴィヴィオの目を打って、思わず手をかざした。
雲がゆっくりと西へ流れていく。明日はさて、晴れるのか。
家の中に戻ると、今度は隅々まで掃除だ。
部屋から持ってきたゴミ箱のゴミを全部分別して、しっかり捨てる。
ホコリをワイパーで拭き取った後、掃除機をかける。
そうすると細かいのが排気で舞い上がる前に取れるのだと、いつかフェイトが教えてくれた。
窓ガラスを拭いてピカピカにすると、それだけで部屋の中が明るくなったかのようだ。
いや、実際に光の透明度が違う。家中を綺麗にしようという気合は、ますます強くなった。
風呂場に行って、浴槽をゴシゴシと擦る。それだけではなく、鏡を磨き、あちこちの水垢を削る。
これで、お風呂も気持ちよく入れるようになった。
乱雑気味になっていた本棚を揃えて、ユーノにも本を整理するように言いつけると、ヴィヴィオははたと思い出した。
なのはの部屋に行くと、寝息を立てていたが、かなり苦しそうだ。
氷枕を触ると、やっぱり温くなっていた。

そっと抜き取ってキッチンに戻り、それを冷凍庫に放り込む。
最近の氷枕は、完全に氷ではなく不凍液を使っているから、完全に冷えて取り出した後も柔らかい液体の感触を保っている。
冷え切った方の枕を代りに引っ張り出すと、タオルで包んで持っていく。
風邪を引くと物凄い量の汗が出るのだ、こうしないと汚れてしまう。
昼食の前にシーツも替えておくべきだったな、と小さな反省をして、夕飯の前には絶対やっておこうと決めた。
「……あ、そっか」
ヴィヴィオの部屋にあるベッドは普通のシーツだが、なのはの部屋にあるのはダブルベッドだ。
ユーノの書斎にはベッドはなく、もっぱらなのはの部屋で寝るか、三人で寝るか、
さもなくばヴィヴィオと一緒に寝てくれるかのどれかだった。
よく考えれば全員分のシーツ、我が家の洗濯機には入らない。
どっち道、その量のはベランダに並ばない。やっぱり後回しで正解だった。
「よし、全部終り!」
シーツの洗濯は明日。真新しいシーツをピンと張ってベッドに身体を投げ出すと、お日様の匂いがした。
ころころ転がって、伸びをすると、眠くなってきた。
もう、仕事といえば夕飯作りくらいしかない。
家計簿はつけられないし、ベランダの花に水をやるのは洗濯物を干す時に済ませた。
まぶたが段々重くなってきて、いつしかヴィヴィオは眠った。

「ん……」
目覚めた時、周囲は薄暗かった。
どうして寝ていたのかしばらく訝しがり、ハッと我に帰ると、慌てて時計を見た。
6時。夕食を作るつもりが、朝食になってしまった!?
太陽はもう空低くにあった。が、朝日とは反対方向である。
午後の6時であることに安堵してホッと胸を撫で下ろすと、頭に手を当てた。
……ぼさぼさ。寝相の酷さは折り紙付きな上に、全然まとまってくれない。
少しでもまともになるのは湯船に髪を浮かべた時くらいなものだった。
ヴィヴィオは軽く髪を梳かすと、部屋を出た。
誰もいないリビング。誰もいないダイニング。誰もいないキッチン。
多分、ユーノも昼寝をしているのだろう。閑散とした家の中は少し冷たくて、耳が痛くなるほど静かだった。
「よしっ」
この家に、暖かさと明るさと、そして家庭の音を取り戻すのだ。
ヴィヴィオは早速、買ってきた鍋の材料を切り始めた。
トン、トン、トン。少しずつ早くなってきた手捌きだが、まだ足りない。
指を切らないように集中して、一つ一つ切っていく。
土鍋を取り出して、鍋の素と水を注ぐ。火の通り辛い白菜とニンジンを真っ先に入れ、火にかける。
続いて、四つ切りにしたシイタケと、千切ったマイタケ、シメジ。
出汁の出るものを入れておくと、凄く美味しくなる。味噌汁でも常套の手段だ。
椅子を持ってきてちょこんと座り、お気に入りの本を読みながら、一煮立ちするのを待つ。
湯気がふつふつと鍋から立ち上がる頃には、ユーノが起き出してきた。
「おはよう、ヴィヴィオ。ご飯、美味しそうだね」
「まだまだだよ、パパ。これから、もーっと美味しくなるんだから」
沸騰を始めたら蓋を開けて、シュンギクと豆腐、豚肉を入れる。
更に弱火でしばらく煮ていると、様々な匂いが絡み合って、思わずお腹が鳴るほどの芳香が家中に立ち込めた。
それがなのはを起こしたようで、まだ足取りは重くも、蜜に引かれた蝶のように、食事を待ち望んでいた。
でも、まだダメ。最後の一仕上げが待っているのだ。
手狭になってきた鍋の隙間に揚げ麸とシラタキを入れて、ほんのちょっとだけ火を通して、出来上がりだ。
早速、鍋敷きをテーブル置いて、鍋を載せる。口の中が唾でいっぱいだ、早く食べたい。
お椀を取って、一人ひとりによそっていく。
「いただきまーす!」
家族で手を合わせ、ようやく訪れた至福の時間を楽しむ。

キノコのお陰で良い出汁が出て、白菜も柔らかくなっている。
ニンジンの甘みとシュンギクの苦味が調度良いハーモニーを奏で、豆腐が口の中で砕ける感触がまた嬉しい。
豚肉は難すぎず、一口噛むごとに中から肉汁が溢れ出してきた。
よくよく汁が染み込んだ揚げ麸は重く、口の中でいっぱいに広がる。
シラタキのちゅるちゅるした食感。何もかも完璧だ。
ふと顔を上げると、ユーノがふーふーと白菜を冷ましながら、なのはに差し出していた。
本日の「あーん」は、これで何度目ななのか。
はぐはぐと熱さを逃がしながら食べていたなのはだったが、やがて電流が走ったように止まった。
「ヴィヴィオ。一つ、聞きたいんだけど」
信じられないという顔を作って、なのはが聞いた。
ヴィヴィオはその真剣な眼差しに、首を傾げる。もしかして、なのはの口には合わなかったのか?
「……わたしより料理、上手くなった?」

突然の一言に、ヴィヴィオは固まった。
だが、とても冗談とは思えない、なのはの口調と表情。
それは紛れもなく、ヴィヴィオがこの家で誰よりも料理が上手くなってしまった、証だった。
「早いね、ヴィヴィオ。もうわたしを超えちゃうなんて……これから翠屋の将来は安泰だね」
「僕はどっちも同じくらいだと思うんだけど、やっぱりどこか違うの?」
「うん、全然。なんていうか、元々の才能というか、根っこのところがわたしより上手い……」
向かいに座っていたなのははテーブルを立つと、ヴィヴィオのところまで来て、ぽんと頭に手を置いた。
そして、優しく撫でる。スッと手を下ろして、その長い髪を梳いた。
「ホントに……ホントに凄いよ、ヴィヴィオ。美味しいご飯を、ありがとう」
なのはを見上げると、ニコニコと笑っている。
ユーノの方を向いても、やっぱりニコニコしている。
ヴィヴィオはぼけっとしていたが、やがて満面の笑顔になった。
「どういたしまして!!」
その後、あっという間に鍋は殻になった。しかも、予想通り食べ足りない。
なのはも食欲が出てきたのか、「もっとパパに『あーん』して貰いたい!」と娘にのろけだした。
駄目だこのママ早く何とかしないと。
もちろん、ユーノに至っては大の男であり、きっとまだまだ食べられるだろう。
明日の食材を一足先に入れてしまおうかとも思ったが、ユーノは何か思うところがあるようだった。
炊飯器を開け──確か昼で食べ終ったから、もうない──、次に冷凍庫を開け、いいものを見つけたと戻ってきた。
「はい、冷凍うどん。これで締めにしよう」
「『しめ?』」
「そ。鍋を終らせる時に、残ったスープで食べるものだよ」
「あっ、なるほど。じゃあ、ヴィヴィオが『しめ』やる!」
鍋つかみが要らなくなった温度の土鍋を掴んで、コンロの上に載せる。
ユーノから貰ったうどんを入れて、もう一度火にかける。
スープはもう少なくなっていたから、焦げ付かないように掻き混ぜる。
そして出来上がったうどんは、コシがありつつも、さっきまでの鍋が程よく甘みを引き立てて、
ただ普通のうどんを作るより、何倍も美味しかった。
「ママ、温かくなった?」
食べ終って、食器を下げながらヴィヴィオは聞く。
なのはは微笑みながら頷き、元気を取り戻した調子で答えた。
「うん、とっても。これなら、明日にも治っちゃうかもね」
それでも、大事を取ってというか、医者の忠告に従ってというべきか、薬を飲んで、すぐに寝室に引っ込んだ。
洗い物をしていると、ユーノがやってきて、手伝おうとした。
「ダメ。パパは寝てるかテレビでも見てるかしてて」
一蹴すると、何かしょんぼりした姿でキッチンを後にした。
多分、ユーノは暇を持て余しているのだろう。

でも、家庭内労働は禁止なのだ。しばらくは、二人とも完全にお休み。
元気になったら、また一緒にご飯を作ったりしてもいいのだが。
その代り、ユーノと一緒に風呂に入って、互いに背中を流した。
二人で浴槽に入ると、豪快に湯がざばざばと溢れ出した。
縁まで湛えられた湯に肩まで浸かると、一日の疲れが全部吹き飛んでしまいそうだ。
「ねえ、パパ」
何とはなしに、聞いてみる。
ユーノは「どうしたの?」と瞳を覗きこんできた。
「パパ、ママのこと、好き?」
「大好きだよ。世界中の誰よりも、大事にしたい」
「ヴィヴィオのことは?」
「もちろん、大好きだよ。ヴィヴィオのためなら、僕はいくらでも頑張れる」
「じゃあ……」
ヴィヴィオは言葉を切って、イタズラっぽく微笑んだ。
小悪魔の笑みをユーノに向けて、意地悪な質問をする。
「じゃあ、ママと私と、どっちが好き?」
ユーノは思い切り考え込んだ。うーん、うーんと唸り込み、遂には喋らなくなってしまった。
顔をよく見ると、皺が刻まれ、考えすぎて今にも上せそうだった。
「す、ストップストップ!」
慌ててユーノを止め、ヴィヴィオはぺこりと頭を下げた。
突然遮られて、ユーノは目をぱちくりさせていた。
「ごめんなさい、変なこと聞いて……でも」
でも。
これだけは。
絶対、守って欲しいことがある。
「パパは、私よりママの方が好きでいて。娘からのお願いです、パパとママは、いつまでも愛し合っていて下さい」
ユーノはヴィヴィオの顔を見つめると、その手を頭に置いて、撫でた。
頭を「パパ」に撫でられるのが何よりも好きなヴィヴィオは、ふにゃふにゃに気持ちよくなった。
天にも昇る心地とはまさにこのこと。「もっと、もっと」とおねだりすると、ユーノはいつまででも撫でてくれた。
ヴィヴィオはほくほく顔になり、ユーノの頬に本日二度目のキスをした。
「でも、私は、パパとママ、どっちも同じくらい、大好き!!」
そう言って、ヴィヴィオはユーノに抱きついた。

翌日、体調が回復しかかっていたなのはは、ここぞとばかりにユーノに甘えまくっていた。
元々の体力が高いから、簡単に風邪の細菌を追っ払えているのだろう。
ただ、そのお陰ですぐ動きたがる。まだ7度5分もあるというのに。
いちゃいちゃ具合が加速して行く二人を横目で見るヴィヴィオの口から言えば、
バカップル以外に形容する方法があるとすれば、それは「親バカップル」しかなかった。
「ヴィヴィオはホントに偉いね、ママが病気とはいえ、ちゃんと一人でご飯も作れて、洗濯も、何もかも上手くて」
「うん、うん。ヴィヴィオは『ママ』の才能があるよ」
「なのはにもあるじゃないか。こんな可愛くて優しいママは宇宙のどこを探したっていないよ」
「まあ、あなたったら。でも、あなたより頼もしくて格好良いパパも、宇宙のどこにもいないんだよ?」
うるさいうるさいうるさい。頼むから他でやってくれ。気が散る。
スープの鍋を掻き混ぜながら、ヴィヴィオは頭を抱えたのだった。

***

寒気が流れ込んできた上に天気予報が外れ放射冷却が重なったせいで、
雪こそ降らなかったものの、クリスマスイブの朝は死ぬほど寒かった。
気温は氷点下を打ち、毛布に掛け布団を二枚重ね、更に湯たんぽまで抱いて寝たのに、
朝早くヴィヴィオが起きた理由は寒さでガタガタ震えたからだった。
時計を見ると、朝ご飯どころかもう一眠りしてもいいような時間帯だった。

取り敢えず、寒さが原因で催してきた。トイレで用を足し、もう一度ベッドに潜り込む。
だが、どうすることもできなかったので、押し入れを探して電気毛布を引っ張り出し、
掛け布団の間に挟んでスイッチを入れる。温度が上がってきた頃、再びまどろみが訪れてきたので、ヴィヴィオは眠った。
意識が落ちた瞬間、誰かが夢の中で語りかけてきた。
『ヴィヴィオ、ヴィヴィオ……』
ヴィヴィオは辺りを見回し、しかし声の主はどこにもいなかった。
果てしなく白い世界が広がるばかりで、何も見えない。
『私は、もうすぐあなたとまた会えるでしょう。早ければ、今日にでも』
「誰、誰なの!?」
どちらにいるのか分からない相手に向かって叫んでみたが、答えは帰ってこなかった。
一方的に話しかけられる電話のようで、相手の声だけが淡々と響く。
『楽しみにしています。でも、その時には、私は多分──』
「えっ、どうしたの、何があるの!?」
あらん限りの声を張り上げても、相手に届かないもどかしさ。
やがて、相手の声はフェードアウトを始めた。
『私は多分、私の大好きな人と、一緒にいるでしょう。でも、最初に会うのは、ヴィヴィオ、友達であるあなたの方が……』
声は途切れた。ヴィヴィオがどんなに呼びかけても、答えはない。
意味も意図も不明な、まるで独り言のような一方通行の科白。
でも、確かに相手は「ヴィヴィオ」と言った。何となれば、それはヴィヴィオに向けた手紙なのだ。
立ち尽くし、たった今投げかけられた言葉の意味を反芻していると、ハッと目が覚めた。
時計をもう一度見る。夢の中で時間感覚が狂ったのか、十分も経っていない気がするのに、もう二時間以上が経過していた。
そろそろ、朝ご飯を作らないといけない。
起き上がると、何故かいい匂い。キッチンに行くと、なんとユーノが包丁を振るっていた。
「まぁ、僕も一応料理の一つや二つくらいなら作れるからね。
もう二日も休んだんだし、そろそろ僕にもできることをさせて欲しいな?」
「……うん! パパと一緒に朝ご飯作る!」
出来上がった頃、まるで計ったかのように起きだしてきたなのはの体温を測ると、平熱!
病み上がりとはいえ、もう程々には動いても大丈夫そうだ。
「そういえば、今日はヴィヴィオは皆でパーティーをやるんだよね。何時からだっけ?」
ユーノが思い出して、聞く。
ヴィヴィオは記憶を手繰って、夜からだと答えた。
でも、その前にプレゼント交換のプレゼントを買いに行ったり、昏々と眠り続けているイクスヴェリアに挨拶に行ったり、
それに会場であるリオの家で料理の手伝いをしたりと、結構やることは沢山あるのだ。
買い出しの待ち合わせは、昼前。その後、教会に行かなければならない。
「だから、私は早く出るね」
トーストを頬張りながら、両親の「気をつけてね」という忠告にしっかり応えた。
朝食の後、準備を整えて、ヴィヴィオは家を出て行った。
「あ、もしかしたら遅くなるかもしれないから、その時は連絡するね!」

ヴィヴィオが出て行った後のスクライア家は、閑静とした空間に変わっていた。
なのははユーノに寄り添い、身体を預けて楽な姿勢を取る。
ユーノもまた、なのはの肩に手を回して、不安定な空を眺めていた。
放射冷却ですっかり冷え込んだところに、思い切り雲が流れ込んできて、粉雪を降らし始めた。
「管理局の白い風邪引きさん、感想は?」
「雪か……今日はホワイトクリスマスになりそうだね。自然が私達にプレゼントしてくれるなんて、素敵じゃない?」
「そうだね、なのは。澄んだ空だし、きっと雪化粧の街並みは綺麗だよ──なのはの次にね」
「ひゃわっ、またあなたってば」
正午を過ぎてからしばらく、雪は一旦止む。曇り空から青空へと、世界の色は変わっていった。
ヴィヴィオから息急き切って端末に映像電話が飛び込んできたのは、そんな昼下がりのひと時だった。
「マ、ママ! パパ!!」

一刻も早く何かを伝えたくて、帰って呂律が回っていないヴィヴィオの声。
取り敢えず落ち着くようになのはは言ったが、それでも全然落ち着くどころかもはや錯乱の域まで達しかけていた。
絶対に信じられない、でも目の前に確かにある。
そんな、失くして久しい宝物を見つけたような顔だった。
「ああ、起きたの、起きたの!!」
「誰が起きたの、ヴィヴィオ?」
寝ている人が起きたくらいで普通、全力で電話などしない。
とすれば、仮死状態にあったか、昏睡していた人が起きたとしか……
「イクスが……イクスが起きたの!! たった今、私の見てる前で!!」
止まった時間が流れ始めた。
マリアージュ事件をなのはもユーノも直接体験しておらず、だからこそ、
画面の端に小さく映る少女が、何でもない普通の女の子に見えたのだった。
「よかったね、ヴィヴィオ」
娘の笑顔とも泣き顔とも、或いは驚きとも取れる表情に、なのはもユーノも微笑んでみせた。
パァッと、ヴィヴィオの顔に季節外れのヒマワリが咲き、思い切り首を縦に振った。
「うんっ!!」
通話が切れた後、夫婦の間には得も言えぬ満足感が広がっていた。
娘の喜ぶ顔が見られるだけで、幸せいっぱいになれるのだ。
「さて、ヴィヴィオのクリスマスプレゼントを買ってこないとね」
ユーノが立ち上がると、なのはがその腕を掴んだ。
一緒に連れていけと、その瞳が訴えていた。
「……ちゃんと、あったかくするんだよ」
「あなたと一緒にいれば、どんな寒さも平気だよ」
ユーノは苦笑いを浮かべながら、なのはの分のコートを渡した。
夕方になるに連れ、再び分厚い雲が立ち込め始めた。
街はすっかり白く覆われていて、白銀の世界は、中世の城下町を思わせた。
はらり、はらりと白い羽が街を彩り、イルミネーションが雪の純白に映える。
二人は互いに温め合いながら、ヴィヴィオのプレゼントを探し求めた。

目当てのものを手に入れ、家に帰ると、留守電が一つ。
「思ったより盛り上がっちゃって、ちょっと帰るのが遅くなりそうです。鍵は閉めてても大丈夫です。
気をつけて帰るので、安心して下さい ヴィヴィオより」
ヴィヴィオはあれで、スバルなどに教えられながら格闘にも興味を示している。
下手な不審者程度なら、軽くのせるだろう。
ほんの少し心配しながらも、けれどセイクリッドハートもいることだし、と二人は愛娘を信じることにした。
というか、むしろ。
「なのは、この前の続きなんだけどさ……」
「あん、もう、あなたのえっち」
双方、お預けを喰らっていたため、物凄く『溜まって』いた。
「性活を潤すには、やっぱりアッチからやな!」というタヌキの科白は、あながち間違っていない。
いや、今日ばかりは正しいということにしておこう。
首筋を舌でちろちろと舐められたなのはは、身体が奥から疼いてくるのを感じた。
ベッドまで行くのがもどかしく、なのははブラウスのボタンを開けながら、ユーノに熱く口づけた。

途中でヴィヴィオが帰ってきた気がしたが、止められるはずもなかった。
互いに激しく愛し合い、冬だというのに有り得ない程暑かった。
深々と降り続ける雪は、聖夜の総てを祝福しているかのようだった。
きっと今夜なら、神様だって何でも赦してくれるだろう。

後戯も終り、シャワーを浴びてパジャマを着ていたなのはは、窓の外をじっと見つめていた。
日付が変わり、クリスマス当日となった世界。風がまったく吹かない中で、真白い天使の羽が着々と積もっていく。
それがやがて少なくなり、雪は止んだ。あれほど降っていたのに、どういうことなのか。
答えは、すぐに分かることになる。
「あっ……あなた。見て、見て」
眠気に侵食されかけていたユーノを揺すり起こして、外の景色を指差す。
これが何でもない光景の一つだったら、そのまま寝かせてしまってもよかっただろう。
だが、そうではない。人生の中でそう何度も拝めない逸品が、目の前に広がっているのだ。
「どうしたの、なのは……わぁ」
ユーノも、一発で眠気が覚めてしまったようだ。
二人揃って、空を見上げる。幻想的な光景が、ミッドチルダの地にあった。
天使の梯子。あれだけ雪を降らせていた雲が切れて、その隙間から月明かりが差し込んでいる。
太陽ではたまに見かける瞬間だが、月の場合は満月でもなければまず見ることができない。
しかも、今日は一年で一番幸せな日だ。どんな魔法よりも素敵で、どんな科学でも再現できない景色。
更に、去年愛を誓い合った日でもある。
神様、こんなにも美しいものを見せてくれて、ありがとう。
「なのは……」
「あなた……」
世界で最も祝福されるべき二人は、口づけを交わした。
甘く蕩ける最高のキスを、互いに捧げあった。

***

クリスマスの朝。
パーティーを終え、前日遅くに家へ帰ってきたヴィヴィオは、眠くてふらふらとベッドに倒れ込んでしまった。
家の中で何か物音がしていたが、全然思い出せない。
途中までは、バカップルのバカっぷりや、イクスヴェリアの目覚めなどなどで食欲が沸かなかったが、
時間と共に飲めや歌えや──もちろん、ジュースだけれど──の大騒ぎになり、つい長居をしてしまった。
プレゼント交換ではぬいぐるみのコレクションが一つ増え、かなり嬉しかったのは公然の秘密である。
ふと、指先に何かが触れ、手元を見ると、そこにプレゼントが置いてあるのを見て大変に喜んだ。
寸分違わず、望んでいたものと同じだった。昨日に続き、大当たりの冬休みと言わざるを得ない。
出掛けに手紙を書いて置いて、大正解だ。昨日のことなんて、綺麗さっぱり一ミリだって忘れた。
ルンルン気分で朝食後、なのはのシーツを洗おうとしたが、そこではたと手が止まった。
「……ママのシーツ、なんでこんなに汚れてるの?」
今までにも何度かあったが、その理由を聞く度にはぐらかされ、今に至る。
汗とは違う、何か別の匂い。決して嫌なものではないが、疑問は呈したくなる。
絶対、秘密にしたいことに違いない。だが、余計な詮索はしない。
可哀想だし、何より話してくれるような状況が整ったら話してくれるだろう。

その後、なのはが「管理局の白い親バカ」に昇格した。
「白い聖母」に昇格するのは、果たしていつの日になるのか。


著者:Foolish Form ◆UEcU7qAhfM

このページへのコメント

良いお話でした

0
Posted by ギンガ 2010年04月16日(金) 00:17:08 返信

白い『親バカ』ですか…そりゃ悪魔とか冥王よりましですけどね。
ともあれ、良いお話をありがとうございました。懇切丁寧な描写には敬服いたします。

0
Posted by 時代遅れの追随者 2010年03月08日(月) 09:19:27 返信

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