[331] Sugarless ◆sirW4AJp5E sage 2008/02/28(木) 09:42:59 ID:K4NGUgYo
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[341] Sugarless 11 ◆sirW4AJp5E sage 2008/02/28(木) 10:08:49 ID:K4NGUgYo

コツ、コツ、コツ

カップの縁を打つフォークの音が、静かな室内に響いて消える。
巡航艦アースラの中に設えられた小さな休憩室。
その一角のテーブルに座っているエイミィ・リミエッタ管制指令は、只今少々ご機嫌斜めであった。
今は彼女以外、完全に無人の状態であるから、むくれている彼女の表情を見る者はおらず、思わず漏れた呟きを聞き取る者も、従って誰もいない。

「もぉ…クロノ君てば…」

彼女の前のテーブルの上には、買ったばかりのケーキの箱。
今、クラナガンでも美味しいと評判の店の新作だ。
普段の彼女なら三秒を数える間も無く飛びつく所だが、今日に限っては少々事情が違った。

「ひ〜と〜り〜で〜カフェタ〜イム〜…、ケ〜キもぜ〜んぶ、ひ〜と〜り〜じ〜め〜…」

間延びした声で即興の歌を作ってみる。
が、空しくなってすぐに止めた。
そして、はぁっという溜息をついて、また机の上のケーキに視線を戻す。

その日、つまりアースラが巡洋航海を終えてクラナガンに戻った翌日だが、その日のエイミィは珍しく時間が空いていた。
乗組員のスケジュール調整、次の寄港地の選定と連絡など、航行時はもちろん停泊中も忙しさから開放されないのが管制指令の任務と言うものだが、今日はたまたま運が良かった。
元々の仕事量が少なかったのに加え、優秀な部下達がフル回転してくれたおかげで予定より早く、クロノもエイミィも仕事を終える事が出来たのである。

そんなわけで、部下達にも交代で休息を取るようにと申し渡して、クロノもエイミィも久しぶりに羽を伸ばす時間を持てた。

「せっかく、美味しいの手に入ったのにな」

頬杖を着いて、呟きを漏らすエイミィ。
そう、このケーキも本当ならば二人で食べるところだったのだ。
たまの休み、久しぶりに二人でのんびりしよう、ついでに少々甘えさせてあげよう、とか考えたりしていたのだ。
が、ケーキを携え、エイミィが彼の部屋の前に行った時、クロノは既に出かける準備万端の体勢。
デバイスの整備の事で、マリエル技術官と話さなければいけない、が彼の答えだった。

確かにデバイスの整備は大事だが、そう急ぐような事でもないはずだ。
元々クロノのものを含めた各デバイスは、平時からマリエルら一流のスタッフが最高の状態を保ってくれているし、少なくともこんな偶の休みまで消費するようなものではないと思う。

(なのになのに!あの態度は無いんじゃないかな!?)

もちろん、言ってみた。
美味しいケーキ買ったんだけど、一緒に食べない?と。
そうしたらクロノは急に顔を歪めて「…ああ、後でな」の一言だけを残し、そそくさとその場を離れてしまった。
色気も食い気もあったものではない。

「ふんだ。クロノ君のばか…」

解っている、別に彼が悪いわけではない。
デバイスを何時、如何なる時でもベストのコンディションに保っておくのは、魔導士としての基本だ。
今こうしている次の瞬間、非常警報が鳴って、クロノもエイミィも飛び出していかなければならなくなるかもしれない。
空いた時間でのデバイスの調整、大いに結構だと思う。

が、たまの休日、恋人とのひと時という望みだって、罰当たりな望みではないはずだ。
大体、そうでなくとも、彼は普段から仕事に毒されすぎている。
このままリラックスのリの時も無い時間が続いた日には、三十代を迎える前に若禿げでもきてしまうのではと、彼女は半ば本気で心配していた。
ただでさえスーツが似合わないのに、そんな事になったら見れたものじゃないよ、心の中で少々失礼な想像をする。

ふとテーブルを見ると、煎れておいたコーヒーがすっかり冷めてしまっていた。
黒く波打つ水面が、何だか先ほどつれない態度をとった彼の分身のように見えてくる。

「…あんまり構ってくれないと、私の愛も冷めちゃうぞ〜クロノ君」

カップの淵をコツコツと指で叩きながら、冗談めかしてそう言ってみる。
無論、返事が返ってくることなど期待していない。
だから。


「おや、奇遇だね」
「ひゃあ!?」


後ろから唐突にそんな声が降ってきた時、エイミィは素っ頓狂な声を上げて椅子から飛び上がりそうになった。
振り返ると、入り口の扉に背中を寄りかからせた、長髪の青年の姿が目に入る。
それが彼女も良く知る人物である事に気づいて、ほっと胸を撫で下ろした。

「何だ…ロッサ君か。あ〜、びっくりしたぁ」
「いや、すまない。驚かすつもりはなかったんだけどね」

申し訳なさそうな笑みを浮かべて、ヴェロッサ・アコースは片手をひょいと挙げて挨拶した。

「久しぶり。相変わらず綺麗だね、リミエッタ君」
「ありがと。ロッサ君は、相変わらず変だね」

(さっきの独り言、聞かれてませんように)
心の中でそう思いつつ、ニッコリ笑って挨拶を返すエイミィ。

「そんなに褒めないでくれ。照れるじゃないか」

朗らかな笑顔で、ヴェロッサはそう返す。
軽口を叩いたエイミィも、それを見ると、不思議と心が和んだ気がした。

クロノの親友でもある彼とエイミィは、結構な頻度で面識がある。
初めて顔を合わせたのは、とある事件の捜査協力の時だったが、優秀なその探査能力と洞察力を活かして、事件解決に随分と貢献してくれた。
元々、気さくで誰とでも爽やかに接するのがヴェロッサの性格であり、エイミィもまた人見知りをしない人間だったから、会えばなかなか話が弾む。

「でも、どしたの?こんな時間にここに居るなんて珍しいね」
「いや、クロノ君が帰ってきたって耳にしてね。久しぶりに土産話でも聞かせてもらおうかと思ってきてみたんだが……」

彼の言葉に、エイミィはクスリと笑って言った。

「ロッサ君、そんな事してて大丈夫なの?お仕事あるんでしょ?」
「なぁに、そこはそれ。ちゃんと考えてあるよ。この時間、ヴェロッサ・アコースは本局にてデスクワークをしている事になっている。アリバイは完璧さ」

全く悪びれた様子も無く彼はこんな事を言っている。
こんな事を言っていてもヴェロッサには嫌味や、怠惰な感じがまるでしないのは、不思議だなぁとエイミィは思う。
性格から何からまるで正反対のクロノと彼が友人を長くやっていられるのは、こういう部分のおかげなのかもしれない。
が、彼はそこで微かに口の端を上げて面白がるような表情で、若干トーンを落とした声で囁く。

「ところで…何かあったのかい?」
「?何が?」
「こんな時間に君がここに居るのも珍しいし、せっかくのお茶に一人でってのも、あまり見ない光景だし…何より、今の君は何となくご機嫌宜しくないみたいだからね」
「…!」

瞬間、エイミィの顔が羞恥でポンッと赤くなる。
やってしまった―――そんな表情が浮かぶ。

「あ、あははは…見てた?」
「部屋の前を通りかかったら君の声がしたのさ。いや、気にすることはないよ。誰にでも、物言わぬ何かに語り掛けたい時はあるものさ」
「…楽しんでるでしょ、ロッサ君」
「ご想像に任せるよ」

あくまで笑顔を崩さないヴェロッサに、エイミィはまだ微かに頬を赤くしたままで、む〜などと唸るしかなかった。

「…で、話を戻すけれども、何かあったのかい?ひょっとして、今クロノ君が一緒にいないのと関係がるのかな?」
「…別に何も」

彼の言葉を聴いた瞬間、エイミィの顔が一目で分かる仏頂面を形作ったのを見て、ヴェロッサは踏んではいけないものを踏んだ事に気づいたのか、少しだけ慌てた表情になる。

「…まあ、あれだ。最近、クロノ君も大変だよねぇ。若き次元航行部隊司令官として上層部の期待も厚いっていうじゃないか。僕みたいなお気楽極楽査察官とは、文字通り次元が違うっていうか…」
「うん、そうだね」

抑揚の無い声でサクッという擬音が聞こえそうな一撃を喰らい、ヴェロッサは笑顔のままで凍りつく。
が、その気まずい間も一瞬の事で、エイミィは頭を抱えてまた盛大な溜息をついた。

「はぁ〜、あたし、ヤな感じだね。ごめん、別にロッサ君に当たるつもりじゃなかったんだけど」
「いや、気にすることはないよ。それより…」

そこまで言ってヴェロッサは、彼女の向かいの椅子に腰掛け、身を乗り出してくる。

「…良かったら、話してみないかい?アドバイスなんてあげられないだろうけど、愚痴くらいなら聞けるはずだよ?」
「ん〜…ホントに大した事じゃないんだよ」

言いながらエイミィは、ぽつぽつと話して聞かせた。
ヴェロッサは時折、「ふむふむ」などと相槌を打ちながらも、最後まで真面目にそれを聞いてくれた。
話そのものは、当たり前だが呆気ない程に短く終わってしまった。

久しぶりに休む時間が取れた、だからクロノをお茶に誘った、そしたら断られた、猛烈に不愉快です―――以上。

改めて人に説明してみると、なんて子供じみた話だろう。
そう思うと、今更ながらに、エイミィは恥ずかしくなってくる。
が、ヴェロッサは笑う事もなく静かに考え込んでいる。
妙に真面目なその態度が、何だか嬉しく感じられた。

「それは確かに、クロノ君の態度も態度だけど…何だか解せない感じはするねぇ」
「…?」

きょとんとする彼女を他所に、何やらぶつぶつ呟いていたヴェロッサの視線が、テーブルの上で止まる。

「…ちなみに、ケーキというのは、それの事かい?」
「そ。美味しそうでしょ。今、クラナガンで話題の『ル・クレイブル』の新作。食べてみる?」
「では、お言葉に甘えて」

言ってヴェロッサはどこからともなく取り出したフォークでケーキを器用に切り分けると、それを口に運ぶ。
ゆっくりと咀嚼する事しばし、目を閉じて味わっていた彼は、次にケーキを飲み込んで口を開いた瞬間、何とも言えない苦笑いの表情で、「なるほどねぇ」と呟く。
訳が分からず、エイミィは目を瞬かせた。

「…何が、なるほど?」
「クロノ君が君のお誘いを断った理由さ。このケーキ、確かに美味しいけど、少し甘さがきついだろう?僕がそう思うくらいなんだから、彼には尚更のはずさ」
「あ…」

言われてエイミィは思い出した。
確かに、クロノは甘いものが大の苦手だ。
食べたら即座に吐くレベルまでとはいかないが、チョコレート級以上の甘さになるともう駄目だ、確実に寒気を誘発する。
このケーキの甘さなら言わずもがな、であろう。
大方、彼の母親のあの甘党方面に偏りまくった破壊的な味覚が原因の一端では、とエイミィは踏んでいるのだが。
それにしても。

(何で気づかなかったんだろ…)

考えてみれば、部屋の前でクロノが見せた、あのぎょっとした表情も頷ける。
普段の自分ならすぐに気がついたはずなのに、久しぶりに取れた休みだからと言ってそこまで舞い上がっていたのだろうか。
ヴェロッサは話を聞いただけでそこまで思い至ったというのに。

「あたし、ダメダメだね。クロノ君の好みなんて、耳にタコができるくらい聞いてきたのに」
「そう悲観したもんでもないよ。そもそも、クロノ君はあんまり自分の好みを表に出す方じゃないからね。変に良識派というか、相手に合わせようと我慢してしまうのさ。好みを通して誘いを断る、なんていうのは余程付き合いの深い人間だけだよ。…そう、君のようにね」

ヴェロッサにそう言ってもらっても、あまりエイミィの気は晴れなかった。
冷たくなったコーヒーを啜りつつ、先程までの不機嫌モードから一転、落ち込みモードになりつつある彼女をしばらく見ていたヴェロッサだが、唐突にポンと手を打つ。

「なら…君にいいものあげよう」
「?」
「まあ百パーセントと断言はできないが、君達なら上手くいくと確信は持てるよ」

思わず青年の碧の目を凝視してしまったエイミィに、ヴェロッサは悪戯っ子のような笑顔で微笑んだ。



「それでは、検査終了です。当分はこのままでも、大丈夫なはずですよ」
「すまないな、マリエル主任」

開発室の扉をくぐり、見送りに出てきたマリエル・アテンザに、クロノ・ハラオウンはそう言って感謝の意を伝える。

「いえいえ、私は何もしてませんよ。相変わらず、日頃から丁寧にメンテナンスされてて、羨ましいくらい」
「君にそう言ってもらえれば、安心だな」

手を振るマリエルに最後にもう一度礼を述べ、クロノは開発室を後にした。
廊下を歩きながら、整備してもらったばかりのデバイス―――カード待機状態のデュランダルを懐にしまい込む。
以前に開発室に行った時以来少々日が空いてしまい、念の為に見てもらおうと来てみたのだが、結局は数十分の検査で終わってしまった。
マリエル主任曰く、整備も何もやる事が殆どありません、との事。
ともあれ、恩師の譲り物にして大事な相棒に、異常が見つからなかったのは良い事だ。

途端にクロノの心には出かける直前の心配事がぶり返してきた。

(エイミィは…どうしているだろうな)

部屋を出る前に誘ってくれた彼女を邪険に扱ってしまった事を、実のところクロノは少なからず後悔していた。
彼にとってもエイミィにとっても、久しぶりに取れた休みなのだ。
「後で二人、ゆっくりしよう」の約束くらい取り付けてもよかった。
いや、実際半分くらいはそうするつもりだったのだ。
エイミィの手にした、あの箱のラベルを見るまでは。

思い出した瞬間「うっぷ」と口を押さえるクロノ。

(嫌いなわけでは、ないんだがな…)

甘味が口内に広がるあの感覚それ自体はそんなに嫌いではない。
ただ、食べた後にやってくる、あの胸元から突き上げてくるような胸のむかつきはどうしても耐えることができないのだ。
女性たちは、よくもあんな刺激の強いものをカパカパ口に入れられるものだ、とクロノは思う。

ともあれ、彼の好みがどうあろうと、一言謝るくらいはしておくべきかもしれない。
デバイスの時刻表示を見ると、艦に戻る時間までにはまだ余裕があった。
流石にこれからお茶に誘うわけにはいかないが、部屋に戻って荷物を置いて、それから彼女の部屋に行くくらいの時間はあるはずだ。
そう思いながら歩いていると、いつの間にか自室の前まで来ていた。
IDカードを取り出し、読み込ませようとしたところで彼の手の動きが止まる。

―――ドアの鍵が開いている?

瞬間、訓練を積んできた身体がいつでも動けるように緊張する。
艦長私室であるこの部屋には魔法・物理両面での厳重なプロテクトがかかっていて、行きずりの人間が、気まぐれで開けられるようなものではないはずだ。
それを開けて中に入る能力と必要性を持った人物とは…?

神経を研ぎ澄ませて、ドアの向こうの様子を探ると、確かに人が居る気配がする。
扉の開閉スイッチに手をかけ、クロノは大きく息を吸い込んだ。
用心深く、いつでも動けるようにして扉を開ける。

部屋の風景は一見するといつもと変わらないように見えた。
必要なものがどこにあるか一目で分かる整理された机も、最近知り合いに半ば無理やり聞かされた音楽データディスクの入った棚も。
全てが最後に見た時と変わらない。

ただ一つ、ベッドの上に手足を抱えて丸くなっている人影の存在以外は。

「…エイミィ?」
「おかえり、クロノ君。早かったね」

背中を向けていて顔は見えないが、後姿から一目で分かる。
管制官の蒼い制服も、こちらに向いた背中に垂れかかっている栗色の髪も。
ついでにもうお馴染みになった、頭のてっぺんからぴょこんと飛び出すアホ毛も、いつものエイミィと変わりない。

敢えて言えば、聞こえてくるその声が、やけにツンととんがった感じになっている事くらいだろうか。
さっきまでの緊張感が一気に抜けて、クロノはやれやれと肩を竦めた。
考えてみればそうだ、可能性はもう一つあった。
館長の私室のロックを解除して中に入れるのは、それ相応の技術を持った人間か、あるいは―――管制指令の彼女か。

「エイミィ、こんなところで何をやってるんだ?」
「………」
「勝手にロックを解除したりして。危うく不審者と勘違いするところだったぞ」
「………」

少々呆れ気味のクロノの言葉にも、返事はない。
相変わらずベッドの上に寝転がって向こうをむいたまま、沈黙しているのみ。
どうでもいいが、制服のまま寝転がるなよ、皺になるぞ。
それに何かが無いと思ったら、さっきから君が抱えているその枕は僕のじゃないか。
どうでもいい事がクロノの頭に浮かんで消える。

ともあれ、いい加減彼の方も焦れてきた。
大体、こちらが話しかけているのだから、せめて相手の顔を見るのが常識というものではないか。
少々強引にでもこちらを向かせようと思い、彼女の肩に手をかける。

「エイミィ!聞いているの――」

ビシッ

「いっ!?」

触れた瞬間、手に小さい、だが鋭い痛みを感じて思わずクロノは手を引っ込めた。

「つ〜…何をするんだ」

手を擦りながら抗議するクロノにも、返答はない。
寝転がって背中を向けたまま、彼の手に小さくチョップをかましたエイミィは、相変わらずツンとした空気を発散させている。
もしかして、とクロノはあまり良いとは言えない可能性に思い至った。

「なあ、エイミィ…ひょっとして、さっきの事で怒っているのか?」

恐る恐るそう尋ねるクロノ。
その途端、彼女の頭のアホ毛が、ほんの少しだが、ピクッと動いた気がした。

ビンゴのようだなと、クロノは心の中で溜息をつく。
どうやら思った以上に、彼女のご機嫌はマイナスの方向に傾いているらしい。
予定より早いが、こうなった以上はさっさと仲直りの意思表示をしなければならない。
彼女の寝転がっているベッドに近づき、できるだけ柔らかな声で話しかける。

「聞いてくれ、エイミィ。さっきの事は謝る…すまなかった」
「……」
「その…せっかく誘ってくれたのにあんな言い方をしてしまって…悪かったよ」
「………」

自分でも言葉がぎこちないのは分かるが、こればかりは仕方がない。
仕事の上の交渉事ならともかく、こういった場ではどうせ気の利いた台詞を言おうとしても、自分では吹き出すような言葉しか出てこないのだから。
相変わらず、そっぽを向いた彼女の様子に変化はない。
冷や汗を流しながら、クロノは必死に何か手はないかと考える。

「埋め合わせは必ずする。次の休みは、二人で出かけよう。約束だ」

どもりがちな台詞ではあるが、少なくともクロノはいい加減な気持ちではなかった。
もしこれでエイミィが許してくれたら、何が何でも行けるように死ぬ気で仕事を終わらせよう、心からそう思っている。
エイミィは相変わらず背中を丸めているが、心なしか、ツンとした空気が少しだけ柔らかくなった気がした。
そんな彼女の背中を見ながら、クロノは最後の取って置きの切り札を出す。

「その時はケーキでも何でも付き合うよ。無論、僕のおごりだ」

これも本気だった。
無論、奢る自分もいくらかは食べる羽目になるだろうが、それは構わない。
この気まずい雰囲気をどうにかする為ならば、胸のむかつきくらい安いものだ―――きっと。
彼の言葉に、ピクリと頭頂部のアホ毛が動く。

(脈ありか?)

クロノは好機と捉えて、すかさず畳み掛ける。

「そうだな…君の好きな『ル・クレイブル』のラズベリーパイでどうだ?言うまでもなくコーヒー付だが」

ピクピク、また動く。
と、ススッという衣擦れの音と共に、エイミィがこちらに寄ってくる。
無論、背中は向けたままだが。

(よし、いい感じだ。この調子で……)

「高いからって、君はいつもあまり沢山は食べなかったが、今回はその心配はないぞ。僕の全面出資だからな」
「………」

その言葉が効いたのかどうなのか、エイミィがまた少しクロノの側に寄る。
あと一息、もう少しで手が届く距離。

「本当だぞ。特別に…3個でどうだ」

途端に、ザザザッという音と共にエイミィが下がる。
慌ててクロノは言い直した。

「…というのは冗談だ!6個にしよう」

ピタッ スススッ

動きが止まり、また少し寄ってくる。
危ないところだった、とクロノは胸を撫で下ろした。

「悪い条件じゃないだろう?そこが駄目なら、君が決めてくれ。どこだろうとお供するよ」

まるで野生のリスの手なずけ方である。
ただ、この場合違うのは、ドングリを差し出せば済む問題でもない、という事。
だからクロノはベッドの脇に肩膝をつけると、最後の一言を口に出した。

「だから、エイミィ。機嫌を直して、話をしてくれないか。頼む」
「…………」

言い終わると、クロノはじっと彼女の反応を待つ。
と、背中を向けたエイミィが、ふぅ、と小さく息を吐いた。
そしてごろんと寝返りを打ち、驚いた表情のクロノに視線を合わせる。
さぞ怒っているかと思った彼女の顔は、以外にも怒りの色はそれほどでもなかった。

「クロノ君…言葉、足りなすぎだよ」
「…すまない」
「あたしだって…そういう我侭、言いたいんだからね」
「…ああ」

上目遣いに睨んでくる彼女に、クロノは流石に小さくなって謝罪の言葉を口にする。
頭を下げる彼に、エイミィは首を振りながらゆっくりと身を起こす。
さっきから抱きしめていた彼の枕に、ポフッと顔を埋めて。

「いいよ。あたしの方も、ちょっと態度悪かったね。クロノ君が甘いもの苦手なんて、前から知ってたのにさ」
「だとしても、僕の態度は褒められたものじゃないからな。君が気にする必要はないさ」

真面目な表情で答えるクロノに、エイミィはこの部屋に来てから初めて、可笑しそうに笑みを浮かべる。

「堅いなぁ、クロノ君」
「…そう、か?」
「まぁ、いっか。何はともあれ、お互いこれでおあいこ、ってなったところで…」

エイミィはそう言って、ニンマリとした笑顔をクロノに向けた。

「ホントに奢ってくれるのかな〜?『ル・クレイブル』のラズベリー、高いよ?」
「勿論だとも。僕が嘘をついた事があったか?」
「じゃあ、クロノ君も一緒に食べてくれる?」
「…勿論だ」

一瞬の間の後、クロノは頷くが、その顔には一筋の汗がしっかり見えていた。
エイミィはクスクスと笑いながら、

「ウソウソ。無理しなくていいよ。倒れられちゃったら申し訳ないし」
「む…そこまでひ弱じゃないぞ、僕は」
「そうじゃないって。実を言うとね…」

言いながらエイミィはおもむろに立ち上がり、部屋の隅にあるクロノの机にいつの間にか置いてあった箱を手にとって戻ってきた。
そして、訳が分からず問いかけるような目つきをするクロノの前にポンとそれを置き、蓋を開ける。

「…そんなクロノ君の為に、こんな物を用意してあるわけですよ」
「これは?」

箱から出てきたのは、やはりケーキだ。
一瞬また顔を顰めそうになったクロノだが、先刻の事態になった原因を思い出して何とか踏みとどまる。
が、意外にもそのような努力は不必要だった。
エイミィが目の前に広げたケーキは確かに見た目こそ甘そうだが、今までのように見ただけで苦手意識がこみ上げてはこなかったからだ。
試しに香りを嗅いで見る。
やはりそうだ、彼の苦手な甘味料の刺激臭がしない。

「何だか…いつもと違うな」
「ふっふっふ。そうでしょう。これはね、ロッサ君が作った、彼特製甘さ控えめケーキ」
「ロッサ?何だってあいつが?」

唐突に出てきた友人の名前に、怪訝そうな表情で問い返す。
そこでエイミィは、事情を説明して聞かせた。
クロノと別れた後一人で拗ねていたら、ヴェロッサが悩み相談に乗ってくれて。
でもって、それならこれを試してごらん、というわけで、クロノでも食べられるケーキを持たせてくれた、と。

「何を隠そう、このケーキも自分で作ったんだってさ」
「変なところで多芸だな、あいつは」

呟きながら、ゆっくりとケーキを口に運ぶ。
口に甘い味が広がるところまでは確かに普通のケーキと同じだが、それがくどく残らずスゥと溶けるように消えていく。
これまで食べたものとは全く違う味だ。

「…美味い、な。これなら僕でも食べられる」
「でしょ?よかったぁ」

嬉しそうに笑いながら、エイミィはコーヒーを煎れて出してくれた。

「作り方も教わってきたし、今度作ってあげるね」
「それは有難いが…無理をしなくていいんだぞ?」
「大丈夫。私にはちゃんとこっちがあるから」

そう言ってエイミィが取り出したのは、もう一つの箱。
クロノも見覚えのあるその箱は、さっきあった際に彼女が持っていたのと同じだ。
納得して微笑みかけたクロノだったが、彼女の取り出したケーキが半分以上減っている状態なのに気付いて表情が固まった。

「エイミィ…一人でそんなに食べたのか?」
「そんなわけないでしょ。食べたのは半分以上ロッサ君!これはそのお余り」
「…食べかけ?ロッサの?」
「そ。すごい勢いで食べてくんだもん、止めるタイミング逃しちゃってさ。まぁ相談に乗ってもらったし、これくらいは正当報酬かな…って、クロノ君、どうしたの?」

話を聞くうちに不機嫌な顔になってきたクロノに、エイミィは不思議そうに問いかけた。
微かに喉の奥で唸って、彼はケーキをじっと見つめている。

何となく―――面白くない。

逡巡は長くは続かなかった。
いきなりクロノはフォークも使わず、エイミィのケーキを鷲摑みにすると、それをそのまま一気に自分の口へと放り込む。
まだ切り分けてもいない、およそ三人分はあろうかという塊のままのケーキを。

「ち、ちょっと、クロノ君!?」

突然の彼の奇行に、エイミィは横取りされたケーキの事を想う暇もなく、ただ面食らっている。
視界の端にそれを捉えながら、クロノは必死でケーキを咀嚼し、飲み込もうとする。
流石にきつい。
胸がムカムカするのに加え、視界までグルグル回り始めている。
今にも倒れそうな甘味の濁流に何とか耐え、クロノは一気に飲み込んだ。
顔は青ざめ、今にもぶっ倒れそうにしながらも、クロノは元のムスッとした表情を取り繕う。

「もう、いきなり何なの?無理して食べなくていいって言ったじゃない!しかもこんな一度に!クロノ君じゃなくたって、気持ち悪くなって当たり前だよ!」
「別に、気持ち悪くはない」
「何、意地張っちゃってるの!あ〜…しかも私の分のケーキ、全部食べちゃうし…」

最初の驚きが過ぎると、改めてケーキが綺麗に無くなってしまった事への怒りが沸いてきたらしい。
悲しそうな顔でしょげているエイミィを、クロノは苦々しげに見つめる。
抗議したくなるのは解るが、頼むから少しは察してくれ。
恋人の前で、他の男が口を付けた食べかけを君が喜んで食べているのは、いい気分じゃないんだぞ。

心が狭い?
ああ狭いさ、好きなように言ってくれ。
今更弁解も何も無しだ。

「うぅ〜…あれ、新作で数量限定なんだよ?今度いつ買えるかわからないのに……クロノ君のバカ〜……」

露骨にがっかりしたエイミィをしばらくじっと見ていたクロノだが、不意にニッと笑みを浮かべる。

「なら、いい考えがある」
「?…なに?いい考えって…っんっ!?」

一瞬だった。
ひょいと屈みこんで、エイミィの細い顎を右手でそっと掬い上げる。
そのまま、空いた左手で彼女を引き寄せると、息が詰まる程に強く唇を重ねた。

「んっ…んむっ…うぅ…ん……!」
「………」

柔らかな感触と共に、吐息が漏れるのが分かる。
じたばたともがくエイミィの肢体が、徐々に抵抗の力を失って、クロノにもたれ掛かるのを感じる。
ゆっくりと唇を堪能していた時間はどれくらいだろうか。

「んっ…ふ…はぁっ…クロノ…くん?」
「……」
「いきなりっ、なに…す…っ…」

当然といえば当然だが、肩を上下させたエイミィは上気した頬を真っ赤に染めて食って掛かる。
普段の、姉のような余裕のある態度を見慣れているせいか、クロノにとってのそれはえらく新鮮で、可愛らしいものに映った。
それを見て取りつつ、クロノは一言、エイミィの目を覗き込んで、言う。

「甘かったろう?」
「っっっ!!」

ボンっという音が聞こえそうな勢いで、エイミィの顔が真っ赤になる。
舌で軽く唇を舐め取り、クロノは満足の――心から満足げな笑みを浮かべて背中を向ける。
背後でエイミィが何か抗議の言葉を紡ごうとしているが、突然の刺激と羞恥心に舌が追いついていないらしく、パクパクと陸揚げされた魚のように口を開くのみである。

「おっと…気がつけばもうこんな時間だな。そろそろ、艦橋に戻るか」
「あのねぇ…クロノ君…!?」
「君も一緒に来るだろう?ロッサのケーキは後で頂くことにしよう。せっかく作ってくれたのに、食べないのは勿体無いからな」
「だからっ!クロノ君、聞いてるの!?」

クロノは扉の方に向かっていた足を止め、クロノは顔だけで振り返った。

「来ないのかい、管制指令殿?」
「〜〜〜〜行きますっ!行くに決まってるでしょ!」

言うが早いか、エイミィは足音も荒く、ズンズンと彼を追い越すように歩き出し、部屋の外に出る。
クロノも追いかけるように部屋の外に出ると、素早く鍵を閉め、早歩きでエイミィに追いついた。

「そんなに怒らなくてもいいだろう」
「怒ってません」

宥めるように言うと、プイッと顔を背けた彼女から、そんな返事が返ってきた。
まあ、怒って当たり前かな、とクロノは心の中で苦笑いを浮かべる。
と、唐突にバリアジャケットの裾が引かれる感触。
見ると、隣を歩くエイミィの腕が、自分の腕に絡められている。

「エイミィ…?」

呼んでみるが、相変わらず答えはない。
顔もそっぽを向いたまま。
ただ、両の腕はクロノの右手にしっかり回されている。
まあこんなのもいいか、とクロノは思う。
このままで早歩きは野暮なので歩く速度を落とすと、エイミィもそれに合わせる。

「…クロノ君」
「?」

艦橋の近くまで来た時、聞こえた声に隣を見ると、エイミィの視線とぶつかる。
その顔はまだ赤いけれども、尖った所はどこにもない。
ただ膨れっ面でじっと見てくる彼女の唇から、言葉が零れ出る。

「さっきの約束、無効じゃないからね!むしろ割増!6個じゃなくて9個!」
「仰せのままに」

余裕の笑顔でそう答える。
彼女が機嫌を直してくれるなら、安いものだ。
それに何より、また彼女と二人の時間ができるのなら。

少々意外そうなエイミィを横目で見ながら、次の休暇までに仕事を終わらせる効率的なやり方を模索しつつ、クロノは艦橋への扉をくぐった。



著者:マーク1.5 ◆sirW4AJp5E

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