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K-005

クルーゼの意識と人の業


今回初めて無印SEEDの小説5巻を読んで、クルーゼの言葉を活字で(その状況とともに)読みました。もしも、SEED単体の物語としてこの話を読んでいたら、SEED本編を見た時の印象そのまま・・・誰も愛することがないままの存在だったから、そのクローンという生まれを憎んで、ただそれだけの理由で世界を滅ぼそうとしていたと、解釈したでしょう。

しかし、この小説が世に出た時とは違い、今は・・・・・友人の「遺伝子工学者」デュランダル、そしてかわいがっていた「同じような」レイという存在がいることがわかっています。そして・・・クルーゼの言葉自体は、解釈の仕方によって「どうとでもとれる」のです。


クルーゼは・・・「クローンとして、寿命が短い個体として生まれたこと」自体を恨んでいたわけではない。「アル・ダ・フラガと同一の存在として生み出された」という意識で恨んでいたわけではないと思うのです。
「最高のコーディネイター、キラ・ヤマト」・・・「完全とされるモノ」に、自分がなれなかったからという理由で嫉妬したわけでもない。
「コーディネイターという欠陥のある種、未来を作れない種を山ほど生み出した人の欲望」、そして「なおも人の手によって、最高のコーディネイターなどという幻想を作り出そうとした研究者」を憎んだだけではないか。

最高のコーディネイター技術が、「子孫を残せる完全な第一世代コーディネイターを作る技術」と定義されたとしても・・・・・それは、「今何千万人いる、既存のコーディネイター」には、何の意味もない技術なのです。

もし、その技術を既存のコーディネイターに応用するとすれば・・・・・第一or第二世代同士の子供を作る為に、さらに遺伝子を改変して、人工子宮という入れ物で育て、「自然という状態を知ることもない、ナチュラルとはさらによりいっそうかけ離れた存在」になる。・・・・・「それは、間違った存在だ」と、言いたくはならないでしょうか、「その技術」自体については・・・?

そんな技術ではなく、ナチュラルとの融和が有効であることを知っていたならば、なおさらのこと。

クルーゼは人類に絶望していたけど、それは「我々の様な存在(クローンじゃなくて、コーディの人工子宮実験:人体実験)を生み出し続ける研究を進めていたパトリック達を止めることが出来ないという現実」に、「それならいっそ、全世界コーディもナチュも滅んでしまえ!」と極端に走ってしまったのではないか。
逆にギルは、「コーディネイターが滅びる道を回避するのに、君たちのような存在を生み出すパトリックの方法ではなくて別の道、ナチュラルとの融和があるはずだ」って、クルーゼに言ってたのかもしれない。クルーゼは「そんなこと出来るもんか」と頑なだったみたいだけど。
で、その方法(コーディはナチュとくっつく)をとった所で、ギル自身は好きな人:タリアと結婚、子供を作ることも出来ないんですが、ギルはそれを恨んでいたというわけじゃないと思う。
もっと大きな、コーディネイター全体の未来を考えて、いつか「好きな人同士で結婚して子供が産めるという、当たり前だった世界」に戻したいと願っていたのではないかな。


クルーゼが恨んでいた・・・絶望していた・・・のは、「人」という存在すべて。
それは、「クローン」として生み出されたから、ではありません。「人の手で欲望のままに作り出された存在」だから、です。
そして、なぜ人という存在に絶望したのかと言えば・・・コーディネイターという存在に対しての人々の意識、すべてのものを滅ぼせる超兵器を制作する、人の業を認識していたから。

「生み出したものの持つ力におびえ、愛さなかった親」:第一世代コーディネイターの親
「生み出した原因を憎まず、生み出されたものの能力におびえ、嫉妬する人々」:一般のナチュラル
「愛されなかった故、迫害された故、自己存在を肯定する為に、自らは優れた人種であり、他は愚鈍で下等だと、同一種としての意識も、親への情も、全く持たずに新天地へ旅立った人々」:第一世代コーディネイター
「愛されなかったが、愛することは出来る。愛してくれなかったものとは別種の優れた存在なのだから、と子供に接する人々」:第二世代コーディの親(第一世代)
「優れた存在が、下等なものを意識する必要はない。あって当然の能力を、何故憎まれなければならない?と、自己存在を完全に肯定する人々」:第二世代(以降の)コーディネイター

.・・・・・このSEED世界の人々の意識は、上記のようなものでしょう。
第一世代は殆ど誰も自己存在に思い悩むことも、親を思うこともなく・・・第二世代は祖父母という存在を抹消しているんですから(苦笑)。

でも、クルーゼは「欠陥を持った、生み出されたもの(同じようなものと言える存在が周りに一人しかいなかった)」・・・だからこそ、「人の業」に到達したのではないかと思います。

キラとは本当に対極の位置にありますね・・・キラは「生み出された存在である自分かわいそう」と思って、「でも、愛する存在がある以上意味はある」と自己存在を肯定しています。
しかし、クルーゼにも「愛すべき存在」「自分を肯定してくれた存在」がいたことが、種運命でわかっています・・・・・「作り出されたものであるが、生まれた意味があった」と、実はクルーゼは認識出来ていたはずなんです。レイがいて、ギルがいたから。

なのに何故、それでもなお、「人」を憎まなければならなかったのかといえば、「すべてのものを滅ぼすような超兵器を産みだすことを、使うことを止められない・・・争うことを、意見が違うものを排除することを止められない、人の業」に絶望したからでしょうね。

もしも、愛したものに未来があったならば、もっと違った展開になったかもしれません・・・・・だけど、レイは自分と同じく未来はない。そして、デュランダルは・・・愛するものとの未来を作れなかった。それは、デュランダルという個人ではなく、コーディネイターという種すべてに科せられた業であり、その絶望的な状況をも知った。
デュランダルは、それでもなんとかナチュラルとの融和によって、「作り出されたものが子孫を、未来を残せる道」を探そうとしたが、「人の業」が深いことを知っていたクルーゼは、それが実現されることなどあり得ないことと切り捨てた・・・のではないか、と。


「私には、あるのだよ、この宇宙でただ一人! すべての人類を裁く権利がな!」って言葉・・・・これは「同じようなレイがいるのに何言ってるんだ! 何が権利があるんだ!」って叩かれましたけど・・・・・これも、次のように考えれば問題ないのでは?

「最初から自然ではない生み出されたものという意識を持ち、それに思い悩み、人の業をもっとも認識している存在だから」という・・・・本当は、第一世代のコーディはみんな、このことを深く思い悩むべきなんですが、何故かこの意識に到達してる第一世代は殆どいないので。(外伝とか、小説中には書かれているようですが、私が基準にするのはあくまでもあの本編の描写です)

まぁ、クルーゼの場合はおそらく人工子宮生まれで、それと同一の状況で育った個体は、レイとキラ位しかいないという事情がありますし・・・その点で「もっとも自然ではない生み出されたもの」なのですが。
では、同じような存在のレイとキラに裁く権利がないというのはどういう事かと言えば、そりゃキラは育ての親の元で何も知らずにぬくぬくと過ごしてますし(死んでると思ってたし)、レイには「自分のような絶望を味あわずに済むように、せめて大人になるまでは真実を知ることなく育って欲しい」という、「自分がなり得なかった幸福な自分」を託してたんだろう。だから、レイが自分のような心情になることなんて、端から望んでいなかった。
(なのに、「君もラウだ」などと言ったギルの大馬鹿ぶりが、よりいっそう許せないのです・・・ギルはレイじゃなくラウしか見てなかったってのは、非常に気分悪いんですが・・・こ、この発言さえなければ・・・・!)


.・・・コーディネイターという種族が抱えた欠陥、人の愚かさが書かれたSEEDのラスト+ラウがレイを可愛がっていた、ラウとギルが友人だったという運命での描写が、ここまで私がクルーゼについて考えることの出来た理由です。・・・もっとも、もしもレイやラウが美形じゃなければ、私はここまで考えることは出来なかったでしょうけど。
.・・・もしフレイパパ(モブ中年顔)とか・・・SEED小説で描写されてしまったような「年を取って醜い外見の」容姿だったら、感情移入出来なかった・・・そこら辺は、種運命に大感謝です。レイとギルという存在を、ラウと関係が深い人物を、ラウの美しい昔の姿とともに出してくれたこと、解釈の余地がある状態で、出し過ぎなかったことも。

.・・・こういう点は、キャラ萌え者なんですがねぇ・・・・・何も考えずに萌えることが出来れば、もっと楽なのに。(いや、見た目だけだったら、絶対ラウに好意を持つことなどあり得ませんでしたけど・・・若い頃の美形ぶりを見ても、それがレイと絡んでいなければスルーでしたよ)
あ、先ほどから私が、ラウにとってレイやギルは「愛するもの」だったと定義してるのは、純粋な肉親、友愛の情ですので、誤解なきよう(笑)。

(2006/2/7)

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2006年03月25日(土) 16:23:44 Modified by reyz




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