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K-028

コーディネイターとクローンの設定、生命倫理について


2006/11/29

同人イベント出版物に載っていることと、ムックに書いてある解説と、公式の設定は、それぞれイコールで結びつくものではありません。

公式というのは、サンライズチェックを通った外伝、プラモのインスト、サンライズもきちんと関わった形の「公式イベント」のパンフレットなど……の「データ」です。
(一番の基準は「TV放映された本編」であるというのは、大前提ですが)

一方からの視点で描かれる人物像などではなく、「キャラクターの身長、体重、誕生日……MSなどのメカならば、機体スペックや武装の原理……etc.」の「データ」は、「公式データ」です。

「機動戦士ガンダムSEED FESTIVAL(2003年12月開催)」は公式イベントでしたので、その「公式パンフレット」に書かれていた「年表」は、「公式年表(公式データ)」です。これが大本です。

そして、「今でも何とか(古本屋などでも)手に入れられるだろう」通常の流通に乗った出版物……「機動戦士ガンダムSEED RGB ILLUSTRATIONS」(角川書店)に載っている年表は、その公式イベントのパンフレットに載っていた年表と同じなので、これは「公式年表」です。(あと、過去にホビージャパンか何かの雑誌に、この公式年表は載ったことがあったようです)


ところが、勝手に色々付け加えたり、表記を訂正したりしたせいで「公式年表」とは違うもの……「公式年表とはいえないもの」があります。

サンライズチェックを受けているはずのムック本に載っているものは、「わかりやすい表記にする」という点の修正の為に、微妙なのですが……。

一方で。
「同人イベントの発行物」は、サンライズの許可を得ているわけでは決してありません。そこに載っていた年表の元になっているのは公式年表なのですが、「勝手に付け加えた、登場人物の出生」は、私が知る限りどの公式媒体でも言及されていないはずのことです。「単にコーディネイターだからという理由で」プラント出身と付け加えたのだと思いますが、最新のムック本(2006年6月発行)によると「ホーク姉妹ですら」出身は「不明」とされています。シン、レイ、ルナ、メイリン、キラ、カガリ、ラクス、アスラン以外のキャラは、そもそも出身という項目がありません。(レイ、ルナ、メイリンが「不明」扱い)
そして、この「出身」という項目は、「生まれた地」かどうかわかりません。本編のPASTを見る限り、シンの両親は「オーブに移住してきた」のであって、元々オーブ国民ではありません(=シンがオーブで生まれたかどうかは不明。移住前に生まれたか移住後に生まれたか、どちらともとれる)が、この「出身」項目では「オーブ」になっています。

つまり、「同人イベントの発行物」は、「公式とされていることだけではなく、確定的でない事項も入っているものである」為、鵜呑みにしてはいけません。


さて、ムック本はサンライズチェックを受けているので、一応「データとしては」間違いがないはずです。但し、そこに書かれていることのすべてが正しいわけではありません。
(特に、キャラクター紹介などは「一方的な見方で、AA組が正しいという視点のみで」描かれている為、それが真実であるなどとは言えません。クルーゼに関する記述も、明らかに本編から考えるとおかしいことなどが混じっています。これらは、ライターの主観でしかありません)

本編で、「ファーストコーディネイターであるジョージ・グレン」が語ったこととして、「ぼくの秘密を今明かそう…… ぼくは自然そのままに、ナチュラルに生まれたものではない。 受精卵の段階で人為的な遺伝子操作を受けて生まれた者――」という言葉があります。

つまり、コーディネイター化をするのは「受精卵」の段階であって、「それより後」ではない。「胎児の段階であるわけがない」のです。

「受精卵」というのは受精直後の卵子のことで、細胞分裂が始まると「胚」という呼び名に名称が変わる為、それより前です。……まぁ、胚の段階ではまだ受精卵と言っても良いかもしれませんが。(作り方を考えると、分割期まで育った段階で色々操作するはずだし)
但し「神経細胞が出来る段階(受精後14日目)」以降は、もはや遺伝子の書き換えなど出来るような状況ではありません。この段階以降は、ES細胞……万能細胞ではなく、一定の役割に沿った形での細胞の分化が進む為、遺伝子操作は無理です。
(現実の研究実験も、この段階より前に限定されています。少なくとも日本では、この段階より前は単に「人の生命の萌芽(客体)」でしかありませんが、これ以降は「命(主体)」と定義される為に、実験が出来ません)
我々が胎児と認識するのはこの段階よりもさらにもっと後です。胎盤が完成し、へその緒で繋がるというのも、もっとさらに先のこと。
つまり、胎児を取り出してコーディネイターにというのは、そもそもあり得ないわけです。

にも関わらず、SEEDの各種ムック本には、全く知識のないド素人としか言いようがない人間が書いたであろう解説が載っています。

キラは「胎児の段階で取り出し」という記述があります。
…………キラは、「母胎の影響を受けない、完全な設計図通りのコーディネイターを作り出す為」に生み出されたのではなかったのですか?
『自然受胎したナチュラルの胎児』をコーディネイターとして作り替えるという計画を、何処の誰が行っていたというのでしょう?

こんなバカげた解説が書かれている本がまかり通っている状況の為に、普通のSEEDファンは誤解しているのでしょう。

そして……「受精卵」というのは、「自然受胎したものに限る」と思ってる人も多いみたいです。(自然妊娠してから取り出して、弄ると思っている人ばかり……orz)

しかし、
1.女性の体内から未受精卵子を取り出して(この段階では『命』ではない)
2.その未受精卵子を精子と出会わせて、
3.それで得られた「未受精卵子が精子と融合した、受精した結果の卵子」
も、自然受胎のものと同じく「受精卵」と呼ばれるものです。

で、この形式は「体外受精」と呼ばれる受精方法なのですが、SEEDの場合、本編映像から考えるとその中でも……厳選した精子を卵子に送り込む「顕微授精」と呼ばれる形式で受精卵を作っているようです。

ちなみに、ヴィアの発言を最大限解釈しようとするならば、カガリは自然妊娠ではなく「体外受精(顕微授精)で作られた受精卵」を胎内に入れた結果生まれたの線の方が濃厚です。


2006/12/1

基本的には私の場合、「生まれてきたものには罪はない、もうすでに存在するもの自体を排除しようとするべきではない」という立場であるのが違うとはいえ…………フレイやクルーゼに近い考えです。(という事を書くと微妙かもしれないんですが、まぁ彼らの考えをひっくるめて『理解出来る好きなキャラ』なので)

「病気でもないのに、遺伝子を弄るなんて」「人の欲望のままに、技術があるからと言って使い続けるのは正しいことなのか」「望むもの、願ったことを全て叶えようとすることが、正しいのか?」……これが基本。
(病気ならいいのか、というのはまた別の話になりますが、少なくとも種の第1世代コーディは殆どが「病気でもないのに」の路線ですから)

というよりも、私が一番共感した、考えが近かったキャラクターは「49話までのレイ」です。49話があったからこそ、レイをあのような結末にしたことがよりいっそう許せません。
最終話、ファイナルプラス以降は絶対認めない。シンがキラとアスランの仲間になるなどという「大団円」など、あり得ない。シンが、レイを否定することなどあり得ない。キラを肯定するのは、レイの否定でしかない。
「キラが成功作だから」「レイが失敗作だから」という理由ではありません。「命に対する考え方」の問題です。「吹き飛ばされた花は二度と戻ってこない」のが、シンの考えなのですから……それを、出来る限り最小限にしようとしていたのがシンとレイ、だと私は思っています。
運命プランに関する考えは別項で説明していますが、それに則っていますので、ラクスの作る世界に「未来がある」「希望がある」とは全く思いません。どこまで他者を踏みつけて、「一部が幸福になる権利」を認めるべきなのか。「多数が幸せを感じられるかどうか」という視点に立つなら、「殲滅戦を際限なく繰り返そうとするあの世界では」議長の方が肯定されるべきです。


現在……現実でも、どこまで人間が「神の領域」に介入してよいのか、微妙な問題です。
「生み出されたもの」は、それがどんな形であっても……肯定されるべきです。
ですが、「あまりにも都合のよい形を求めて生み出そうとする動き」に対しては、危機感を覚えますし、反発します。
何故なら、都合のよい形を求めるが故に、それから外れた「命」はすべて排除する、それが当然だという意識になり…………「人の命の選択を人の手で行っている」……それだからこそ、「受け入れられないと言われる命が出現してしまう」ことになるからです。

「最高の形を人の手で選び、最も優れたものを生み出す」為に、現実にもう実現されていること、これから実現可能な技術が多数あります。「卵子を女性の体からいくつも取り出すのは、困難である」ということで歯止めがかかっていた事柄すら、ある技術が実現してしまえば無意味になるというものも存在します。
それには、歯止めをかけなければならない。……それを生み出すような「技術」は、肯定されるべきではない。

…………それでも、「様々な形で生み出された命」自体は、「それがどんな技術で、どのような結果で生まれたとしても」肯定されるべきものだと思っています。「本人にはどうすることも出来ないこと」を、責められる謂われは何処にもありません。


2006/12/4

私は「コーディネイター」については、これまでも否定的なことを書いています。
「コーディネイター」を考えた場合、「コーディネイターを生みだしたCE世界」を考えた時、「報復としてコーディネイターが行ったこと」を考えた時…………「同種のものとは呼べない」のは確かです。(現実の技術としての話ではありません)

運命時点はどうもかなり違いますが、SEED(+年表)のみで単体として考えた場合、コーディネイターとナチュラルの意識格差は修正不可能です。初期イザークとディアッカの意識が、コーディネイターとしては標準的だったでしょうし、地球側もブルーコスモスの思想の方がむしろ当然。


だけど……主人公が『最高のコーディネイター』ですから、コーディネイター擁護の姿勢だけは、飽きるほど本編中でも言われています。「生まれてきたものに罪はない」という姿勢はいいです。差別はよくありませんというのは、正論です。
でも「それを生み出す人々の意識」をきちんと糾弾していない……というのはどういう事でしょう?
クルーゼの言っていたことは、すべて真実でしたよね?
なのに、何故そのキャラクターを「貶めるべき存在」として描き、その主張も間違っているもの、と葬るような形にしたのですか? 考えるべき問題だという形にさせなかったのですか?
なのに、なんでヴィア……「コーディネイターの実験を、命を弄ぶ実験をこれまでも繰り返してきた」キャラクターを、「美化された存在」として描いたのでしょう? 「命は作り出すものじゃない」と言ってましたが、「コーディの研究をする研究所の研究員」が、何を言ってるのでしょう?

…………つまり、コーディネイターの擁護、「キラの擁護」なんて公式で散々やってる上に、視聴者はその意識がデフォルトですから、私が敢えて語るまでもないのです。逆に、否定する意見の方が少ないからこそ……10代の少女達に「コーディネイター技術があったら使いたい」という意識の人が多いらしい……ので、その技術を否定してるわけです。


現実には、「種世界のコーディネイター」は作れません。
しかし、今もっとも現実にあり得る……行われているのは「着床前診断」「受精卵のスクリーニング」です。……受精卵を選別して「好ましくない形質を受け継いでいないもののみを母胎に着床させる」こと。

「致死的な病気の遺伝子を受け継いでいない受精卵を選ぶ」……これは、多分世間一般的に肯定されます。(出生前診断で……よりはいいと思う。それも難しい所だけど)

でも、
「頭髪が薄くならない受精卵を選ぶ」……これは、どうなんでしょう? 
「髪の色がこうで、目の色がこうで、背も高くなり、頭も良く、運動神経も抜群で完璧な美形に育つ受精卵を選ぶ」……それって?
(美形夫婦からでも、それとかけ離れた子供が生まれることがありますよね。確かにこの受精卵はその夫婦の子供であって、別に遺伝子を弄ってそうなった子供ではない、自然に生まれる可能性がある子供なのですが……)

…………ここで思うのは、「そうやって、選別した結果……見目麗しく完璧な子供が生まれてくるはず」……しかし、もし「思い通りにならなかった子供だった」場合、「それを希望した親」は、その子を自分の子供として同じように愛することが出来るかどうか、ということ。
……出来るわけがないのでは? それこそ、種世界の親の反応が当然になってしまうのでは?

「致死的な遺伝病」で希望している場合はともかく、それ以外の理由……男女の産み分けなどでも希望する場合があるようですが…………それらの親が、このような状況になった場合…………「それでも子供を見捨てることはない」という確率は、一般の親に比べて低いのではないかと思います。もちろん、一般の親でも「見捨てる」選択をしている人はいますけど。

ただ……「そうやって生まれてきた原因」が、「(通常の妊娠出産で)誰が悪いわけでもない」ならともかく、「人の手で行った操作」ならば、「その相手」を恨んだあげくに、「その子供」を拒否する。……その確率が高いのです。

どこまでそれを認めて良いのか? どうしてそこまでする必要があるのか?

……だから、私はそのような技術に対しては否定的です。
現実だけでなく、種世界のコーディネイター技術も同様に。


それに比べて「種世界のクローン」を擁護してるのは、本編で誤解を招く表現をさんざんやられた上に、小説版でも徹底的に貶められたし、種ファンで基礎的な知識を持っている人は、あまりにも少ないと感じたから。
……そりゃ、レイが好きだという理由が一番大きいですし、レイがいなかったらラウの感情について考えを巡らせることもなかったでしょうけど。

本編のああいう演出は百歩譲っていいとしても、角川小説版の表現は……あの小説は、アニメ本編以下の最低最悪の物体です。アニメ本編で奇跡的に良かった演出を、ことごとく貶めているという点が、本編以下と断罪する理由。
…………それは、ラウやレイというキャラクターに愛情を持っていないどころか、全く知識もない作者が、視聴者の嗜好に合うように書こうとした結果の物体ですから、ある程度は仕方ないんですけど。……絶対に許せませんけどね。

コーディネイターが受け入れられている社会で、SFクローンのような表現方法を使っていた種本編に問題はありますが、それでも「人為的な生まれ」なのは、「コーディネイターと同程度」です。そしてレイが実験体にされてしまった過去は、ステラ達強化人間と同じです。……でも、それよりは幸せな境遇を辿っていますから、同情されるべき存在だとは殊更思わない。(なので「可哀想な子」と表現されるのはちょっと違うような……否定されるよりはマシですが)

ただ、そんな過去があって、寿命が短いということを認識していたとしても、だからこそ「世界をよりよいものに変えたかった」という点、負の思考ではなく、正の思考のキャラだったというのは、ファンのひいき目とは思いません。成功体のキラを恨むなんてことは……49話までのレイには存在しない感情でしたから。
そして、「世界をよりよい方向に変える手段」である「デュランダルの考えたこと」は、「あれだけ理路整然とした考えを持っていたレイが肯定していたのだから」…………「あの世界の住民にとっては、一番良い形になるプラン」のはずなんです。ラクスが勝手に断定した「死の世界」なんかじゃないんです。本編だけを見た場合、このような結論になっても、決して間違いとは言えません。

なのに、どうしてその「キャラクター観」を、公式でも、雑誌でも、大多数の種ファンにも、否定され続けなければならないのか。なんで、レイはキラを恨んでいたと、捏造されなきゃいけないのか。


2006/12/7

「子供としてのクローン」を欲する話というのは極少数です。
しかし、現実に認められても構わないかもしれない、唯一のパターンはこれなのですが。といっても、アル・ダ・フラガの様な意識で欲する親は困るんですけどね。
だから、基本的には(いくらその技術でしか『自分たちの子供』と思える子供を作れないカップルであっても)クローン人間を作ることは、我々の世界では絶対認められることはないでしょう。技術としては完全に成功した状態で完成するはずとはいえ。
最初は子供として望んでいたとしても、「自分の体パーツのいざという時のスペア」になりうる存在をそう認識しないままでいられるかどうか、かなり微妙…………だから、種世界でも禁止なのだろう、という解釈が出来ますし。(それ以外の理由は、種世界で禁止される理由になり得ない)

クローンネタは、
1「元となる人間の、意識注入技術と併用の上、若返りの体として」
2「元となる人間の、身体の代替パーツのスペアとして」
3「元となる人間の、特殊能力を解明する為の実験体として」
4「元となる人間の、優れた能力を活用する為の大量生産」
……というのが、大半…………でしょう。
(クローンネタ自体について語りたいわけではないので、その他は割愛)

で、ラウの場合は「子供としてのクローン」だったとはいえ、喋っていたことから考えると1パターンだったかもしれない、と考える事も出来ます。 (これはクローン(ラウ)について考えるで説明しています)

但し、本来……どうしてもクローンネタを使いたいのであれば、「ムウのクローンとして作られる」……2の方が、視聴者的には大変わかりやすいのですが。
いくら「コーディネイターを否定することは出来ない」からといって、それに変わる「過ぎた人体実験のなれの果て」「否定するべき存在」としてクローンを持ち出すのは、制作上もっともやってはいけないことなんです。
「失敗作のコーディネイター」という存在が出なかったというのはおかしいのだから、ラウはムウと一卵性双生児のそういう存在として設定するべきだったでしょう。あの最終局面以前には「クローン」を匂わせる面なんて何一つなかったんですから。(通じ合うのは、双子ネタとしてお約束)

っていうか、子供としてのクローンネタなんて、生殖補助医療技術の延長としては一番まともですが、まともだからこそ、SFクローンと混同されるのが困るんです。「クローンは必ず失敗する」なんて話の作り自体が、あり得ないことですし。

で、レイの場合は、おそらくは3……のはずです。
レイの年齢から言って、ラウが家に火を付けてアルが死んだ後に作られたはずなので、ラウと同じ目的ではない。
しかし、極一部の設定部とやらの馬鹿発言のせいで、ラウの2だという説が未だにどこかでは信じられているようですが…………これが絶対にあり得ない理由は、レイに関する色々+コーディとの比較を参照して下さい。


そして、作られた目的が何であったにしても。
少なくとも「生殖補助医療の延長としての一人一人意志のあるクローン人間」は、「コピー」などという存在ではありません。

この辺はSFクローンを前提に置く人と意識が違う所。
……世間一般の人は気軽に「3人目」と言い出しますし、エヴァとかZZのクローンと混同しますが。

「3人目」なんて…………レイはレイだと思うから、だから好きなのに。ラウだって、ラウとして好きなのに。
もし同じ人物のクローンがいたとしても、外見がそっくりだったとしても、まずは外見で惹かれたとしても、別人物である限り、ラウともレイとも違う存在として考えるでしょう。レイが好きになって、ラウも好きになったけど、全然違う個性でそれぞれ好きなんですから。


ラウとレイについては
「人為的に作られた人間(コーディネイター)が当たり前に存在する世界観」
であり、
「しかも、もっとも人為的な形で、実験体として生まれた人間が、誰からも(作中のみならず、制作側、視聴者側からも)肯定されている世界観」
であるならば、
「どう考えても、この場合のクローン技術は『単に年の離れた一卵性双生児を作る為の技術』でしかないのだから、同じように肯定されるべき(なのに、何であんな扱いなんだ)」
……ということを主張したいのです。

ステラ達強化人間の扱いもかなり酷いものでしたが…………死なせるしか脚本的に方法がないって、なんなんだ、それって。

「人体実験の産物は幸せになる権利がない」と……作中で言われているならともかく、「制作側&それに煽動された視聴者側」が思うなんて、どれだけ酷い番組なんでしょう。しかも、それらの方々が大好きな「コーディネイター」こそが一番、「人の世の摂理からかけ離れた存在」であるにも関わらず。


私は、ラウやレイについてかなり語っていますが、決してクローンネタ自体が好きなわけではない、それに良い印象を持っている人間ではありません。

「身代わりとして愛する」ネタが嫌いなので、ラウはレイに知らせないままで可愛がっていたのに、何故……としか思えません、最終話の出来事は。

レイは生きて、幸せになって欲しかった。
もし死ぬしか(脚本的に)選択肢がないとしても、ならばキラとの死闘の末、散る…………「レイというMS乗りとして」死なせて欲しかったです。


こういう考察によって、生命倫理について色々と考えるきっかけになるならば……少しは、ラウやレイというキャラクターがいた意味があるかもしれない、と思っています。…………そう思うしかありません。


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2006年12月14日(木) 19:01:37 Modified by reyz




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