焚き火大好き人達のおしゃべり - ストーリーボード
      ゆらぐ炎を愛し「焚き火」だいすき人間の集団なのです!


※札幌ファイヤープレイス協会についてお問い合わせは:fujikuratakayuki@gmail.com

人気のあるガイドは引き出しがたくさんあって、「魅力のある小話」を幾つも持っています。 それを場面に応じて使い分けて効果的に話をします。
ここにはそんな「トリビア」を収録。
 おっと、この話は面白いというものがあったら、気軽に書き込んでください。みんなで共有しましょう。

季語

季語っていいですね。季節感が出るし、いかにも風流で繊細なニュアンスが伝わります。

雨の呼び名

<秋>
「驟雨」「にわか雨」「地雨」「霧雨」「村雨」「秋霖」「秋の長雨」「秋雨」「時雨」「小夜時雨」「月時雨」「村時雨」「御山洗」「秋湿り」「「霧時雨」「薬雨」「液雨」
いくつ知ってますか?それにしても何と豊富な表現でしょうか。自然と一緒に生きてきた日本人だからこそと思えます。

〜秋霖(しゅうりん)
しとしとといつまでも降り続く雨を霖雨といい、秋の長雨(秋雨)のことを「秋霖」という。秋の季語だ。
「霖」は、長々と降り続く雨。ながあめの事。文字通り、雨の林だ。
ちなみに、
「春霖」は、春の3月から4月にかけて降る長雨。なたねづゆ。「梅霖」は、梅雨。さみだれ。つゆ。

結び

テグス結び

Fisherman's Knot(フィッシュマン ノット)


和名では継ぎ結び、電車結びとも言う。これもよく使う。お互いに一重結びをして太さの違うロープや魚釣り用の糸(テグス)のようにナイロン製で、滑りやすい材質のロープ等をつなぎ合わせる場合に最適で実用的な結びだ。

自在結び

Tautline Hitch(トートラン ヒッチ)〜ヒッチとは物に結び合わせる事


 この結びは、和名では自在結び、張り網結びとも呼ばれている。テントやタープのロープを張る場合に使用される。結び目を縮めたりゆるめたりして長さの調整ができるのでとても便利な結び。木と木の間にロープで物干しを張る時にもよく使う。片方をもやい結びで固定して使うと便利。

ペグなどにロープをかけ、ひと結びの状態にする。少し離れたところで、動端を元端側のロープに対して、交点に荷重がかかるように2重の巻きを施す。続いてすぐ近くにひと結びをする。動端を引っ張って結び目を締める。結び目を芯に近づけると結びはゆるくなり、芯から離すときつくなる。自分も一番多用する結びの一つだ。

一重つなぎ(はた結び)

Sheet Bend(ベンドは、ロープどうしを結び合わせる事)


これもロープワークの基本。
2本のロープをひとつにつなぐ結び方。
一方のロープが輪になっている場合や太さや種類の違うロープをつなぐときに有効な結び方。太い方を先に折って、細い方を回すのがコツ。

舫い結び

 ヨット用語でボウ・ライン・ノット Bow line knot(ノットは、ロープに輪を作る事)と言う。King of knotと言われる位、有名な結び。
特徴としては、輪の大きさが変わらない、強度が高い、ロープの太さに関わらず結びやすく、解きやすい、比較的簡単に結べるである。
非常に幅広い用途に用いられ、キャンプ設営時などいろいろな場面で活躍する。

慣れれば(練習は必要)比較的簡単な結びだ。

<蛇足>
 自分の場合、荒れた外海で激しく上下する夜の甲板上でも結べるよう、目をつむっても結べる様に訓練した。2秒以内に出来る(海上では生死に関わるので本当)。こつは左の輪の作り方。普通にやったら出来ない。まあやってみてください。降参という方は、モッチーンに聞いて下さい。

<応用編>

 結びによって出来る輪を「わさ」というが、これを交差させて双方に「もやい結び」をつくって繋ぎ合わせる。太さの違うロープも結合でき、とても強固な結びが出来る。

星の話

七夕

普通の話では面白くない。ちょっと視点を変えてみたストーリー。


この時期、夜更けに北の空を見るとこんな風に見える。何か文字が見えてこないか。
そう、七夕の漢字だ。これを見て村人は「七夕祭り」の準備に取り掛かる。「立春から半年」「年間農作業前半の終了」を祝うのが目的だ。
中国で生まれた漢字は、夜空の星の位置が起因しているものが結構多い。神の筆跡で夜空に「七夕」と書かれているのだ。


立春。北斗七星は東にまわり、カシオペアは西に傾く。山里はまだ雪深いが春は近い。
古代中国の人々はカシオペアを見て「弓」を想像し、漢字「弓」を作った。同じく「午」「五」「互」「丑」「牛」「辰」「酉」
「戌」「亥」「巳」「支」「干」もカシオペアが起源らしい。

夏の大三角形



天の川を見上げてみると、その両岸にひときわ輝く明るい星が3つあるはずだ。こと座α星ベガ、わし座α星アルタイル、はくちょう座α星デネブだ。
3点を結ぶと大きな三角形が見えてくる。これが夏の大三角形。3星のうちベガとアルタイルが、七夕伝説における「おりひめ(織姫)」と「ひこぼし(彦星)」だ。

木の話

巨木の話


ダリウス・キンゼイ写真集


1900年代のワシントン州内の写真集。この表紙の写真はもみの木らしい。
その圧倒的な大きさに気圧される。真ん中の人物の右下の斧が爪楊枝のようだ。何回打ち込んだらこの断面になるのか。
巨大な写真乾板で撮影したもの。

今からたった百数十年前にこんな巨木の森が存在していた事に驚くと同時にとても残念だ。
西部開拓時代だが、何ともったいないことをしたのだろう。

この巨木の森を歩いてみたかった。

屋久島にウィルソン株という切り株がある。

大正3(1914)年にアーネスト・ウィルソン博士が世に紹介した屋久杉の切り株だ。胸高周囲13.8mと巨大で、根元の空洞は畳10枚ほどの広さがあり、神棚が祀られている。
中には泉が湧いている。何回も行ったが、中は自分の部屋よりよほど広い。回りの3本の木も屋久杉。きっと子供だろう。
この木も、豊臣秀吉の命で大阪城築上のために切り倒されたと言われている。

古今東西問わず、人間はなんて愚かなのか。

ハルニレ


 Fire Townにツリーハウスを設置しようとしている木がハルニレ(ニレ科)。材は建築、器具、楽器、薪炭材に使われる。関東地方の大樹を代表するケヤキに対して、北海道を代表する大樹。真駒内公園の樹齢が分かっている標本木と比較すると樹齢は350年以上とみられる。落雷か台風によるものだろう、主幹の途中から無くなっていて都合のいいように台座状になっている。


 アイヌ民話における神は「アイヌラックル」という。母親はハルニレの木の精霊でもあるチキサニ姫。父親は天上界で一番の荒神である雷神カンナカムイ。それほど北海道ではポピュラーな木。

 明治9年(1876年)、札幌農学校のお雇教師であったウィリアム・クラークは札幌にニレの木が多いのを見て、故郷ニューイングランドの風景を想起し、その保護を計った。

豊平川や札幌の街なかを歩いていて、こんな葉

があればそれはハルニレだ。

 ハルニレは湿潤な場所を好むため、札幌でいえば豊平川扇状地の扇端部に当たるかつての湧水地帯などに群生していた。その名残が現在の北大や植物園などに残る大木。ニレの英名から北大のことをエルムの学園と呼ばれることもある。

 札幌駅前通、野幌森林公園正面道路、真駒内公園内五輪通、北1条宮の沢通などの街路樹に導入されている。

オヒョウ


同じニレ科の木。藻岩周辺で普通に見かける。葉には、犬歯の様な鋸歯があるので分かりやすい。材は器具材、薪炭材、パルプなどに使われる。


 ニレ科特にオヒョウの樹皮は大変強靱で、手で切ろうとしてもなかなか千切れない。アイヌはその樹皮から採取した繊維を利用してアッシ(厚司)(アイヌ語でアッ・ルシ=オヒョウ皮の着物)を作っていた。


 オヒョウからは最高の繊維が取れたようで、厚田とか厚岸というアッのつく地名は、オヒョウの皮をとる場所の意味がある。 

 春先に木の根元に鉈(ナタ)を入れて、樹皮を引っ張ると、バリバリと幹の上の方まで剥れる。剥いだ樹皮の硬い外皮を取り除き、内皮を水に2週間ほど浸して内皮が剥れるようになったら、更に薄く剥がして洗い、ぬめりを取って乾燥させて使う。

 エゾシカの食害が多い知床では、食料の不足する冬季間に本種の樹皮が食べられ、枯れてしまう。

空知の歴史

北海幹線用水路

 毎年5月1日、長い冬の眠りから目覚める通水式が行われる。8月末までの4ヶ月間、毎秒44tの巨大な水が空知の平野に流れるのだ。

 明治初期、その大部分が不毛の原野だった空知地域。今や日本一の米どころだ。大きな役割を果たしたのがこの水路。
 "北海道遺産"に指定されている。その名の通り、用水路だがスケールがデカイ。十数メートルに及ぶ用水路幅もそうだが、特に長さは国内トップクラスで、総延長約80km。農業専用の用水路としては国内最長。


先人の思い
 泥炭地で、河川、道路、鉄路があったため、水路橋、サイフォン、トンネルなどを設けた難工事になった。完成したのは1929年。工事中に関東大震災があり事業が凍結されたが、国難の中食糧増産こそ重要だと猛烈な陳情で継続されたとの事だ。竣工当時、東洋一とも喧伝された用水路に誰もが仰天した。
 石狩川に並ぶように空知北部、赤平市の空知川の「北海頭首工(ほっかいとうしゅこう)から空知南部に向かってほぼ南北にひかれている。「頭首工」とは、英語の「Head works」の訳語で、川や湖沼から用水路へ用水を取り入れるための堰や取水口の総称。南富良野の金山ダムの貯水を空知川に放流し、北海頭首工から取水している。
水路が川の地下に潜る
 ルートは、赤平市から砂川市、奈井江町、美唄市、三笠市と、国道12号線の東側をほぼ並行する形で南下。続いて岩見沢市、さらに国道234号線に沿う形で栗丘まで続き、その後、夕張川を超える。ここが面白い。川を越えるために「夕張川サイフォン」という仕組みを使っている。直径2mのコンクリート管を川底にU字にうめたもので、流入口のほうが高く出口が低いのでポンプを使わず逆流もせずに用水が通過する。美唄川など8か所で採用している。
その後、終着地の南幌町まで、5市2町を縦貫。赤平と南幌の高低差は28mほどしかないというから驚きだ。 約2万6000haの耕地を潤している。
ハチ
 面白い話がある。この大規模な事業で活躍した人物が、旧東京帝大出身の平賀栄治という技師。全国の土地改良事業を統括する官僚だったが、第一線で研鑽を積みたいと恩師の上野英三郎帝大教授に相談して紹介されてやって来た。
 上野教授とは何と!あの忠犬ハチ公の飼い主。待てど帰らぬ飼い主を慕って、上野の死後も帰宅時間になると渋谷駅に通った話はあまりに有名だ。
平賀栄治 ひらがえいじ (1892〜1982)について


大正10(1921)年10月、官制の改正によって農務課が廃止、庶務課への統合が決まると、上野から農商務省(現・農林水産省)勤務を命じられました。しかし、中央官庁での勤務より現地で技術者として働くことを選んだ栄治は、これを辞退した。
 ところが間もなく、上野から再び打診があった。その打診された任務とは、北海道・空知川の全流を取水した新運河の開削と、石狩川左岸一帯の開発という、当時最大にして難事業の担当技術者だった。決して条件の良い待遇ではないこの任務を受託した栄治は、昭和11(1992)年3月宮内省を辞職、北限の地でまさに寝食を惜しんでこの事業を成し遂げたのでした。

幌向



 幌向駅の北側に、石狩川の蛇行跡の三日月湖がある。昔ここは石狩川が大きく蛇行して深い淀みを作っていた所だ。
アイヌ語の「ポロ・モ・イ」= 大きな・よどんだ・ところ が語源。

<詳細>
 南流してきた石狩川が西流に大きく流れを変える所が幌向。川には浅くて小石などがあって、さらさらと流れるところと深い淀みになっている所がある。アイヌの人たちは、浅いところは、鮭が尾鰭で穴を掘り、卵を産むところとなるのでイッチャンとかイジャンと言い、深いところはモイ、とかムイと言う。ここは魚がたくさんいることが多い。アイヌ語ではOとUの中間の発音が多いので、それを聞き取る和人がモイと聞いたり、ムイと聞いたりした。アイヌで大きいはポロで、小さいはポン。石狩川が大きく流れを変える所はポロモイとかポロムイと言っていた。これに幌向の漢字を当てて幌向という現在の地名ができた。
 ちなみに豊幌は、豊かな幌向から。南幌は、かつては幌向村だったが岩見沢市にすでに幌向町があったために町名に使うのを断られた。仕方がないので「みなみほろ」としたが、言い難いと後に「なんぽろ」と変えた。現在も幌向神社が町内にある。

どうして薪は燃やしていいのだろうか。

「カーボンニュートラル」がキーワード


 カーボンは炭素、ニュートラルは中立で「環境中の炭素循環量に対して中立」ということ。薪は木から作られ、木は苗木から成長する。その過程で光合成によって空気中から二酸化炭素を吸収する。伐採されるまで吸収した二酸化炭素の量と薪として燃焼される時に排出される二酸化炭素の量が同じとされている。たとえば燃やさなくとも、木はいずれは倒れ、微生物に分解され同じように炭素などを空気中に排出することになる。その排出された炭素もまた樹木の生長過程で吸収されていく。
 このように、二酸化炭素の吸収と排出が同じ場合を「カーボンニュートラル」と言う。

閉じ込められた二酸化炭素 化石燃料


 今直面しているCO2の増加は、地下に眠っている化石燃料、つまりガソリンや灯油、軽油などの石油燃料の消費によって排出された二酸化炭素が、地上の生物だけでは吸収しきれず、濃度が増加しているから。
 この化石燃料は、数億〜数十億年前には同じように空気中にあったが、途方も無い年月をかけて地下に閉じ込められたもの。人間はそれを好きなだけ掘り出して燃やしている。
 今の地上には無い過去の燃料を「今」燃やしていることで、その分地球上のCO2は増加している。

できれば針葉樹を使いたい


 戦後、経済開発にあわせて林業地にスギやヒノキをたくさん植え、針葉樹林を増やしてきたが、現在の木材消費のほとんどは輸入材が占めてい る。木材自給率は20%ほど。放置された森は林床が常に暗くなり、地水力低下や土砂崩れなどの災害が起こりやすくなっている。この現状を変えるには国産材を使い、森を保全するために人為的に間伐を行うことが必要。そうすれば、森の保水力も上がり災害も減る。

日本の森林事情<参考>


 国土に対する森林面積が約66%、構成は人工林が約41%、二次林(自然林が伐採された後または焼失した後に自然に生えてきた樹林)が50%以上、原生林はわずか2.2%。

いきもの

 4月のミーティング時、寒風吹きすさぶ中、暖を取るために焚き火をしていると、天空を埋め尽くすように渡り鳥が通過して行った。
あまりに壮大な自然の営みに、一同みとれるばかりでした。

北海道中央フライウェイ



 北海道地図を眺めると、苫小牧から石狩湾に向かって平野部が続いているのがわかる。北海道を南北に縦断し、かつて広大な湿地帯が広がっていたこの平野部は、必然的にマガンなどの水鳥たちの渡りルートとして利用されるようになった。湿原が田んぼに姿を変えた今も、マガン、コハクチョウ、オオヒシクイといった水鳥が利用するこの渡りルートを、「北海道中央フライウェイ」と呼ぶ。
 春、北海道中央フライウェイを北上したマガン・ヒシクイ・コハクチョウは、サハリンやカムチャツカを経由して、ロシアの繁殖地を目指す。
ウトナイ湖と鵡川・厚真の水田
 春、マガンは越冬地である宮城県を出発し、秋田県を通って、北海道に渡って来る。その玄関口となるのが、苫小牧のウトナイ湖。
この時期、日中にマガンで賑わうのは、実は鵡川町の水田。というのも、雪解けが早い鵡川町の田んぼは、マガンの格好の採食地になるからだ。厚真町の田んぼの雪解けが進むと、厚真町にもマガンが降りるようになる。鵡川町や厚真町の田んぼにいるマガンのほとんどは、ウトナイ湖で「ねぐら」をとるようだ。
長都沼と周辺水田
 マガンは「雪解け前線」を追って道内を北上する。そして、長沼町、栗山町、南幌町の水田の雪解けが進むと、長沼町と千歳市の間にある長都沼(おさつぬま)をねぐらとして利用し始める。今はもう埋め立てられてしまって跡地にできた人工的な「幅広水路」となっている。
 4月も半ばに入ると、宮島沼周りの雪解けも進み、マガンが続々と宮島沼に集結して来る。そのピークは4月20日から25日あたりだ。
湖や沼、そして田んぼの「価値」を見直そう
 マガン等は宮島沼まで来る途中、北海道内のたくさんの湖沼や田んぼを利用する。これらの場所は、短期間しか利用しないが、それぞれ意味があり、とても重要な場所。宮島沼に世界に類を見ないほどマガンが集まり、世界的に重要な湿地として認められているのも、これら多くの湖沼や田んぼがあるからこそだ。
 湖沼や田んぼは、マガンだけでなく多くの貴重な生き物の住みかでもある。また、きれいな水、澄んだ空気、美しい緑を提供してくれる。私たちがこのような田んぼの「価値」を認めることで、湖沼や田んぼが守られ、結果的にマガンがいつまでも安心して北海道に来てくれるようであれば、とてもいいことだと思わないだろうか?
オオヒシクイ


カモ科マガン属、つまりマガンの親戚だ。
オオヒシクイはカムチャツカのタイガ地帯で繁殖し、日本の日本海側で越冬する。
新潟市の福島潟・新潟市の佐潟・新潟市の鳥屋野潟・宮城県の蕪栗沼・伊豆沼・花山湖、茨城県稲敷市稲波干拓地(関東唯一のオオヒシクイ越冬地)・加賀市の鴨池・琵琶湖の湖北周辺と西池などが主な越冬地となっている。
日本では1971年に国の天然記念物に指定されている。福島潟や霞ヶ浦では越冬地を守るために水田の保全が行われており、ここで収穫された米はヒシクイ米として販売され収益が保全事業へと還元されている
 環境省レッドリストでは「準絶滅危惧種」に指定。
コハクチョウ

 ユーラシア大陸北部で繁殖。日本には本州から九州までの各地に、10月から翌年の4月まで冬鳥として渡ってくる。九州地方には少なく、出水市で小数が見られる。中国・山陰地方では、斐伊川や飯梨川、天神川河口などで群れが見られる。近畿地方では琵琶湖沿岸、特に湖北町では集団で渡来している。中部地方では石川県河北潟やその周辺、富山県、新潟県で集団が見られ、愛知県や三重県では1999年頃から少数が渡来するようになり、木曽川河口付近では冬季定着しているようである。群馬県多々良沼や猪苗代湖では見られている。主に宮城県伊豆沼や蕪栗沼などで見られる。北海道では旅鳥となる。

オオジシギ

朝、ピリカと清真布川の土手を散歩してると、異様な音に出会う。「ジープ ジープ ジープ」という鳴き声に続いてズズズズズゴゴゴゴゴーッと風切り音をたてて鳥が急降下してくる。
いったい何だろうとずーと気になっていたので調べてみた。


チドリ目 シギ科

サハリンと日本列島に限られて繁殖する。冬季はオーストラリア大陸の南東部に渡って過ごす。
単独でいることが多い。空中を激しく飛翔しながら急降下し、ザザザザザという音を出し、また上昇する。これを繰り返すディスプレイをする。飛んでいるときは”ズビヤク”と鳴く。 このため「カミナリシギ」とも呼ばれる。
レッドリストの準絶滅危惧種。

こんな音だ。

野鳥の求愛行動に、特別な飛び方を含んでいる種類がいくつかあり、そうした飛行のことをディスプレーフライトと呼んでいる。
オオジシギでは急降下の際に尾羽で大きな音を出す。