背筋が伸びて堂々とした姿勢の人で、弱気の人を見たことがない
逆に、猫背で萎縮して前肩の人で、強気の人を見たことがない。。。
つまり、その人の姿勢や声、表情と心とは一対一でつながっており、心が身体で表現され、意識が身体ににじみ出てくるのでは?と推測できる
では、どういう身体、姿勢、呼吸であれば、人間はもっとも自分の力を最大限発揮できるのか?
以下、いろいろ考えてみることにする
逆に、猫背で萎縮して前肩の人で、強気の人を見たことがない。。。
つまり、その人の姿勢や声、表情と心とは一対一でつながっており、心が身体で表現され、意識が身体ににじみ出てくるのでは?と推測できる
では、どういう身体、姿勢、呼吸であれば、人間はもっとも自分の力を最大限発揮できるのか?
以下、いろいろ考えてみることにする
- 天を頭頂で支え、足裏で地を掴むこと。さすれば、身体が一本の軸に、柱になる
- 身体がまっすぐになるということは、頭・クビ・胸・腰腹のそれぞれの中心が串刺しとなり、バランスとれた調和状態になること
- 調和とは、もともと大本はひとつだったものが、身体感覚がそれぞれが切断・分離されバラバラなった。それをひとつに戻すということ
- その身体を貫いた「串」は、重力で地深くにめり込み、その反発力で天へも飛翔する。天と地を貫き、天と地をつなぐ
- 身体を状況に応じて形を変える際、当然この一直線の串は曲がってしまうが、そこで感覚がバラバラになるのではない。あくまで、身体を貫く感覚は変わらない。
- そのつながった軸(串刺しの串)自身が、蛇のように龍のように力強く曲がりくねるのみ。
- この身体の中の龍を活かせ。殺してはいけない
- 動きの際は、常に中心感覚と軸意識で動く
- 「軸」とは、言い換えるなら、身体の部分部分が分離されているのではなく、一つにつながっている感覚である
- 本来、人間個人の意識は「一つ」である。それが、肉体という枠にすっぽり収まった時に、それぞれの役割分担によって部分に分かれる。しかし、本来は一つである。
- これを忘れ、部分のどれかだけに軸が偏った時、意識が偏った時に、軸が崩れ、意識も身体もバランスが崩れる
- 滝で打たれる時の感覚。上から下まで軸が貫いている感覚を思い出す
- 腹横筋の緊張感覚(天然コルセット)を忘れない
- 丹田ではなく頭(前頭部)に意識の中心が偏ってる方が非常に多い
- そのため、身体を動かすのも、丹田中心でなく頭(前頭部)中心にコントロールしようとしてしまうのでバランスが崩れる
- 丹田の中心感覚を意識するだけでなく、頭で思考でコントロールするのを完全にやめ、空白にする。思考でのコントロールの減少に比例して、丹田の中心感覚は増加する
- 息というのは、波動である。海で潮が満ち干きするのと同じ
- 海全体が振動し、躍動するのと同じく、人間の身体も、身体全体が振動し、躍動する。どこかが一部だけの動きではない
- 鼻から息を吸うというよりも、喉のうしろのゲートを開くという感覚に近い
- 気の流れの良し悪しは、血液の流れの良し悪しに比例する
- 無駄な力みを解放し、筋肉をリラックスさせれば、そこに勢いよく血が流れこんで来る。血の流れが良くなる。
- 良い食べ物を摂取し、摂取したエネルギーを全身くまなく血流を良くして循環させれば、病の原因は生じない。
- さらに、不要なものを完全に排泄できるようになれば、体内に毒素は貯まらない
- 細胞は赤血球が変化して生成され、その赤血球は腸内で造血されるという説もある(千島学説)。つまり、丹田である。
- 生成された血液は、姿勢の悪さや力みにより、多くは体内を循環せず、腸内に死蔵される。この死蔵血液を中心力によって全身へと押し出すことが、修練の目的でもある。
- まず、思考を停止する。特に、言葉で考え、頭の中でおしゃべりするのをやめる
- 言葉で考えることは、目の前の世界観を限定することになる。目の前の世界を、そのまま空間ごと受けとめる
- 頭は、目がついている方向の「前」に意識を向けるというよりは、むしろ頭のてっぺんが「天」(上)に向かって伸びている意識のほうが重要?
- 目が向いている方向に意識が向かい過ぎると、眼球・頭・首・そして背骨などが全部「前」に向かって引っ張られる→無理な姿勢となる
- むしろ、「上」に向かって引っ張られる感覚のほうが、引力と反発する方向、つまり身体の軸を中心とする重心から、下脚に向かい、足から「地」へと至る引力と拮抗し、反発する力そのものである
- 引力は、動いていない物体に対しては、垂直に引き寄せる力であるので、それに拮抗して直立するのであれば、垂直に伸びていくのが自然
- 当然、首もまっすぐになるし、軸である背骨も、感覚としてはまっすぐになる(実際にはS字カーブを描く)
- つまり、人間の身体は、前と後ろというよりは、上下の方向に拮抗する力が加わっており、その中心は重心であるし、また上半身を支える軸となるのは背骨を中心とした中心軸感覚
- 目の前の現実よりも、もっと壮大な天(宇宙)と地(地球)にいつもつながっているんだ、という感覚が必要
- 対象物に目を近付け、自分を分離してその対象に意識を置くのではない。自分の身体意識はそのままで、むしろ対象物が目に飛び込んでくる、意識の中に飛び込んで来て受け止める感覚で観る
- 眉間=脳の中心の力を抜きリラックスさせ、しかし意識は集中させる
- 凝視をしない。「木を見て、森を見る」感覚で全体を捉えながら、一点に意識を集中
- 目で見るのではない。意識で空間を捉える、ありのままを受け止め、感じる。感覚で捉えろ
- 首を振ったり、腕をぶらぶらさせながらリラックス&角度変えて見る
- 一度読んだものを、もう一度最初から読んでみる
- 夜、星や月を見る訓練は、視力向上に役立つ。暗闇の中で瞳孔も拡大する
- 笑う時は、口ではなく頬のあたりを使う。つまり、口先で感情表現するのではなく、頬で感じ取る。また、口を開ける時は唇でなく、顎を使う。人間は、唇などの口先の感覚ばかりに偏り、頬や顎など、奥の感覚を忘れてしまっている。
- 見ようとし過ぎて視野を狭めて凝視するな。緊張するな
- 目を見開けるだけ、目の前に広がる世界に対して、心を大きく開くだけでいい
- 意識を大きく開け。何かに固執するな。自分の狭い考えを押し付けるな。それが目の緊張となって現れ、視力を低下させる
- 西洋では水晶玉を通して未来を見ようとするが、人間にも天然の水晶が目の中にある。それに、世界を映せ。水晶玉を圧迫するな
- 足の上に脚があり、その上に腰腹があり、その上に胸があり、その上に肩があり、その上にクビ、その上に頭がある
- だが、多くの人はそうではない。肩に関して言えば、前にすべり落ちている。だから、これを胸の上に置き直す
- 頭の中心、両肩が三角形を形成し、この三角形が地面に垂直である位置になければならない
- 自分のエネルギー(気)で、自分の中に神殿を築いていく
- 「部分」は、幾ら頑張っても「全体」には勝てない
- もがくな、ケンカするな、手放せ
- 「ゆるめる」ことは、自然にすべてを「ゆだねる」こと。思考を完全に捨て、心を「無にする」こと
- 「緊張」と「緩和」。この二極の中から中心を探り当てていく。修行を苦痛と捉えるのでなく、大いなる成長の喜びの中で、修行を突き進めていく。
- バランスをとりながら中心を探っていく。体中を探っていけばいくほど、身体は覚醒し、中心も覚醒する。
- 自分の中を旅し、自分自身と対話せよ
以下、初期設定のまま。本WIKIの内容とは無関係。。。
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