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ボクシング


大きく分けてプロとアマがある。アマの場合10代から各種大会があり30代まで続ける選手は希である。
プロの場合20代中心であるものの、プロとは名ばかりの報酬はほとんどなく日本タイトル獲得をできても多くて100万円のファイトマネーであり
減量などの影響から年間3〜5試合しかできないのでは、この日本王者レベルでは一般の平均年収には満たないためアルバイトは必須である。

したがってアマ経験なしの一般のボクサーは、このような生活パターンではいくら才能があっても10年くらいこの様なアルバイト生活に明け暮れ
世界挑戦する頃には30歳前後になっていて、軽量級としてはピークを過ぎている場合もある。無論近年では体育学、医療などの分野から
スポーツ学が発展し始めており、選手寿命は長期化する傾向にある。

ファイトスタイルの分類

構えとしてのスタイル


オーソドックスといわれる一般的には右利きので、左手左足を前に出しやや斜めに構える。
中南米系の選手はほとんどこのスタイルの場合が多く左利きでもオーソドックスに構えことが多い。
利点としては肝臓のある右半身が相手よりも遠くなるために有利であると考えられていることがある。

サウスポースタイルは一般的には左利きで、右手右足を前に出しやや斜めに構える。
東南アジアの選手多いともいわれるが、それでも割合としては少なく変則タイプになる。
利点としては、珍しい対応のために戦いにくいと相手に感じさせることがあると考えられている。

スイッチスタイルというのは試合中にオーソドックスとサウスポーを交互に見せることである。
がこのスタイルで大成している選手というのはあまり多くなく、スイッチする選手がスイッチした場合
試合の上で劣勢の場合が多く、流れを変えるためといった一時的な作戦にしかなっていない。

両足を揃えるというスタイルはあまりないが、ロープ際に追い詰めて打ち込んだときにたまに見られる。
しかしながらバランスが悪いためにダウンしやすく、相手の正面に立つことで打たれやすいため、このスタイルはない。

傾向に対するスタイル


ボクサータイプは、アウトボックスを得意としジャブを繰り出して距離をとりまず相手の攻撃を食わないようにするスタイルである。
防御主体でフットワークが速くて、上体を起こすアップスタイルに構えることもある。パンチ力があればKOできるが連打に乏しいため判定になりがちである。
またポイントをとる面に関しても近年は僅かな差でも10-9をつけるために有利な面が多いが、判定勝ちばかりでは人気選手にはなりえない。
一方でカウンターを取るタイミングがうまくKOを量産できれば人気選手となるが、そのタイミングが合うのは100分の1秒の世界でありなかなか難しい。

代表選手モハメド・アリ

ファイタータイプは、インファイトを得意としヘッドスリップ(頭を振る)やダッキング(上体を片方にずらす)・ウィービング(上体を揺する)
しながら距離をつめ相手に自分のパンチを叩き込むスタイルである。攻撃主体で前傾姿勢のクラウチングスタイルで構えることが多い。
一発のパンチ力よりコンビネーションの連打で相手をロープ際に追い詰めKO決着を狙うことから、人気が高い。
が、審判の判断によってはクリーンヒットが少ないと、有効な攻撃の積極性を取ってもらえないこともある。

代表選手マイク・タイソン

ボクサーファイタータイプ、及びファイターボクサータイプという両者の中間的存在のほうが多く、ハッキリと区別できなくなっているのが
現代のボクシングであるが、ボクサー主体でチャンスのときはファイターというタイプが多く、逆のタイプは少ない。
なぜならばファイターは倒しきることが主体なために、倒せないときにでもそのまま判定まで押し切ることも可能だからである。
相手が自分以上のファイターで打ち合いを避けるとき、スタミナ切れで疲れたとき、希ではあるが拳を痛めたときなどの理由で
ファイターからボクサーに移ることもあるが、いずれも自分が劣勢に立たされてからであるともいえる。
とはいえスイッチスタイル同様引き出しの多さで、噛み合わない相手、自分よりも強い相手を幻惑する、自分の調子が悪いなりにも
相手のいいところをださせないなど、混戦にもっていきやすい、地元判定(ホームタウンデシジョン)を得やすいなど利点もある。

フットワークの盲点


ボクシングとは上半身だけのスポーツで下半身はあまり関係ないし鍛える必要はない、むしろ鍛えると余分な筋肉がついて減量で不利になる
という考え方が一部にあるかもしれない。実はこれも一部正しい面があり、議論が必要なのだがその議論が十分になされていないのが現状である。

しかしながらアマでは3ラウンド・プロでは最長12ラウンドまであり、ロードワーク=走るというのは基本練習に含まれる。
心肺機能の向上や、血液中の酸素濃度容量上昇、筋肉の乳酸分解促進など、スポーツ科学において足腰だけの問題ではないものの経験則にたよっており
科学的なデータから数値化して戦闘力を測るなどということは全くなされていない。

縄跳びも、選手によって好き嫌いがあり、やる人とやらない人がいるものの下半身の訓練に一定の効果があると考えられている。
ロードワーク(マラソン・ダッシュ)に縄跳び以外の練習方法はあまりなく、この下半身の分野はまだ未開拓であると感じている。
例えば三半規管を鍛えて平衡感覚を養えばグロッキーになりそうになってもなんとかごまかすことが出来るし
一回くらいダウンを奪われても、それですぐにKO負けに結びつかないようにも出来るはずである。

勇利アルバチャコフの練習方法でアレクサンドル・ジミンコーチがでんぐり返しをする練習にその効果があるらしい。
また勇利の話では日本ではジャブから教えるがロシアではフットワークから教えるという。
かつての日本の根性ボクシングには手数に反しこの下半身がついていっていないことも多いことから傾聴に値する。

ボクシングの場合ダウンを取られれば大きくポイントを失うため(10-8)バランスを崩さないようになるべくに両足でキャンバスに着くようにしている。
防御としての基本「打ったら動く」ボクシングの基本「打たせずに打つ」の基本はフットワークにある。ところがこれまでの日本選手のフットワークは
バックステップなしのサイドステップによる攻撃に繋げるフットワークばかりである。防御はガードを固めたりだけで済まそうとする。
というかこれなどいいほうで、目だけで相手を交わそうとする、また交わせる自信があるという選手もいるが、こういう選手に限って攻撃型の選手で
打たれたり、スタミナ切れしたりして、手が出なくなると、途端にKO負けしてしまう。またKO負けしたことも、打たれ弱いからとか、
根性で立っていられないから精神力が弱いなど、防御の基礎技術の何たるかを分かっていないトレーナーも多い。
それで網膜はく離やパンチドランカーの症状に悩まされ続けている元ボクサーは多いはず、猛省を促したい。

それでも辰吉のように世界チャンピオンになれて人気も出るならいい。なにしろあの当時の日本の観客がああいう選手を欲している時代でもあった。
しかしフェザーやライトのように東南アジアと中南米以外の選手も参戦してくる階級になると玉砕というような負け方も多く、地元判定さえ使えない
すなわち、最終ラウンドまで持たない選手も多かった。渡辺雄二などはその典型であろう。日本人を相手にしたときはパンチを振り回していけばいいだけ。

力任せにいく戦法なんて中学でも無謀だとわかる時代になってきているのに、モンハンでもやって頭を柔らかした方がいい。
護身術としても攻撃よりは、防御の方が実用性が高い。日本にある合気道などを参考にボクシングにも取り入れるべき。

ジョー・ルイスVSマックス・シュメリング

アメリカ・ニューヨーク1938年9月22日 世界ヘビー級タイトルマッチ
「第二次世界大戦前哨戦」と銘打たれた試合でアメリカ代表・ジョー・ルイスが
ドイツ代表・マックス・シュメリングを1ラウンドKOで下し、王座防衛に成功した。
マックス・シュメリングは、1930年6月12日、世界ヘビー級王座決定戦でジャック・シャーキー(アメリカ)と対戦。
4ラウンドにジャック・シャーキーの反則によりシュメリングが世界王座を獲得。
しかし、ジャック・シャーキーと再戦した2度目の防衛戦で15ラウンド判定負けを喫し王座から陥落した。

そして、第二次世界大戦直前のこの試合でナチス・ドイツ・アドルフ・ヒトラーからアメリカのボクサーを倒してくることを厳命される。
今度は刺客として敵国アメリカに送り込まれることになった。しかしながら事実は数度にわたるナチス入党を固辞し、
また、当時のユダヤ人のマネージャーを代えるようにとのナチスからの勧告をも聞き入れず、スポーツマンとして勝負を挑む。
ジョー・ルイスとは過去に1度対戦(1937年6月22日)し、その時はシュメリングが12ラウンド2分29秒KO勝ちを収めている。

ジョー・ルイスは、1937年6月22日に行われた世界ヘビー級タイトルマッチで王者・ジェームス・J・ブラドックを8ラウンドKOで下し、王座獲得。
3度の防衛を果たし、ここまで38勝(32KO)1敗。そう、唯一敗れているのが、マックス・シュメリングただ一人なのである。
フランクリン・ルーズベルト大統領からは、「敵国ドイツを打ち負かすためには、君のような筋肉が必要なのだ」
と大きな期待がかけられるとともに、想像だにできない重圧がのしかかった。
重圧から開放されるまでに時間はかからなかった。いや、ルイスにとってはとてつもなく長い時間に感じされたに違いない。
1ラウンドにジョー・ルイスの重厚なパンチがシュメリングを捕らえると、立て続けに3度のダウンを奪う。
終始防戦一方となったシュメリングは4度目のダウンで力尽きた。

アメリカとドイツ、国の威信をかけた戦いはアメリカ・ジョー・ルイスに軍配。ルイスが圧倒的な強さで4度目の防衛に成功した。
その後対戦者の質に疑問があるものの毎月試合をこなし現在まで50年以上破られることない25回連続防衛記録を持っている。

モハメド・アリVSジョージ・フォアマン 

アフリカのザイールの首都キンシャサ「ジャングルの中の戦い」とアリが称したこの一戦は、アフリカ大陸で行われた初の世界ヘビー級タイトルマッチだった。
時は1974年10月30日。  当時チャンピオンのジョージフォアマンは前年、ジョーフレージャーを6度もダウンさせてタイトルを獲得。
東京でジョー・キング・ローマンを、そしてカラカスでケン・ノートンをKOで葬り去り、これが3度目の防衛戦である。
歴代ヘビー級の誰よりも高いKO率を誇り、それまで成績は40戦全勝37KOと、その巨体から発散する威圧感は相当なものがあった。
対するアリは、宿敵フレージャーに初黒星を喫したあと、ケンノートンにも苦汁を舐めるなどすでにオールドタイマーの兆候があった。
32歳の元チャンピオンが7年半振りにチャンピオンに帰り咲くなどといったい誰が予想したであろうか。
おそらく奇跡は起こらず、アリはテンカウントを聞くに違いない。 長かったアリの時代もこの日をもって終焉するであろうと思われていた。
アメリカのTV局の都合で、試合開始のゴングが鳴ったのは、午前四時過ぎ。
予想どおり、試合開始のゴングがなるやいなや、チャンピオンは、左右のメガトンパンチをぶっ放した。
一方、アリの戦法は以外だった。初回こそ足を使ってフォアマンの突進をかわしていたが、2ラウンド途中からロープを背負った状態でフォアマンのパンチを吸収する作戦に出たのだ。
もちろん、顔面はしっかりガードしているが、それでもフォアマンのパンチはグローブの上からでもダメージを与えそうなくらい強力で、
アリの危険な賭けが功を奏するとはとても思えなかった。 しかし、後にアリ自身によって「ロープ・ア・ドープ」と命名されたこの作戦はしっかりと効果をあげていた。
フォアマンは若くて負け知らずがゆえに、スタミナの配分も考えずプロボクサーとしては“未熟”だったのだ。
次第にミスブローが多くなり、しかもアリも倒れないため、次第にガス欠に陥ってしまった。
各ラウンドのインターバルごとに「アリ・ボマ・イエ」の大合唱が起こった。
リンガラ語で「(フォアマンを)やっちまえ」という言葉は、試合前から地元の流行語にもなっていた。
アリもこれを知っていて、合唱団の指揮者のように手を振って観衆を煽り立てていた。
これはフォアマンに大きなプレッシャーを与えた。 アフリカ大陸のど真ん中のリングの上で、今やチャンピオンは孤独な戦いを続けていた。
5回の攻防でフォアマンのパンチがアリのあごを直撃したが、破壊力が弱くなってダウンに結びつかない。 アリはこの回を乗りきると、完全に試合の主導権を握った。
そして8回、フォアマンの体が流れた瞬間、体を入れ替えたアリのコンビネーションブローが爆発すると、無敵のフォアマンもあっけなくダウン。試合は終わった。
アリは7年7ヶ月ぶりに、ヘビー級史上2人目の王座返り咲きとなった。

マイク・タイソンVSジェームス・ダグラス

日本の東京ドームこけら落とし1990年2月21日統一世界ヘビー級タイトルマッチ
鉄人マイク・タイソンが東京ドームに2度目の登場。37戦全勝(33KO)と無敵を誇り23歳ながら既に伝説になりつつあった。
しかしこのダグラス戦は試合前のスパーリング中にダウンを喫するなど不安な情報が流れていた。

タイソンの不調が報じられていたが、それでも早い段階でタイソンがKO勝ちすると誰もが思っていた。多くのファンの関心は試合前から
次に対戦が決まっていたランキング1位イベンダー・ホリフィールドとのヘビー級頂上対決だった。

そして8R、前に出て来たダグラスのアゴにタイソンがタイミングの良いアッパーを決めて、ダグラスがダウン。ついにタイソンのビックパンチが炸裂した。
不調のタイソンはダグラスを見つめ「もう立ってくれるな」と言いたそうな表情を浮かべた。しかしダグラスが立ったところでラウンド終了、
この時のレフェリーのカウントが13秒ほど経過していてのちに「ロングカウント事件」として物議をかもす。

9R、ダウンを奪って優位に立ったタイソンが一気に勝負するかと思ったが、
再びダグラスのジャブ、ストレートが決まってタイソン足に効いてしまいいい様に攻撃されてしまう。
まぶたもかなり腫れ、こんな苦しそうなタイソンの表情を見る日が来るとは・・・。

そして10R、ダグラスの連打からの左ストレートでタイソンが遂にダウン!信じられないと言った興奮状態の場内、タイソン本能でマウスピースを
拾い上げて口にくわえ試合続行の意思を見せたがレフェリーの10カウントが数えられ、試合は終了した。
マイク・タイソンが日本で衝撃的な初黒星を喫した歴史的な試合でした。

薬師寺保栄vs辰吉丈一郎戦


両陣営は試合の交渉をしましたが、案の定、互いにテレビの中継局や試合会場を巡って衝突。
辰吉陣営(=帝拳ジムの本田明彦会長)は折衷案を提案するものの、松田会長は正規王者を抱えるプライドもあり断固拒否。
結局、交渉は決裂し、異例の入札となります。同年9月1日、ロサンゼルスで入札を実施。
なんと、世界の大物プロモーターのドン・キング(=実質的に帝拳の味方)まで参戦し、3者の虚々実々の駆け引きが繰り広げられます。
そして、落札したのは薬師寺陣営。その落札額は342万ドル。なんと、当時のレートで3億4200万円の巨額なファイトマネーとなりました。
ちなみに、辰吉の帝拳側は2億3800万円、ドン・キングは3億2000万円を提示しました。また、この試合は王座統一戦なので、
両者はファイトマネーを折半。双方のファイトマネーは1億7100万円にもなりました。



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