吉本隆明ワールド
はじめに
私は大学生のときから、吉本(吉本隆明)さんの本を読み続けてきました。高校生のときにはまったく知らなかった名前でした。ちょうど学生運動をやる中、読んでいきました。接見禁止の留置場の中でも、裁判所の許可をとってくれた彼女のおかげで何冊も吉本さんの本を読んだものでした。
そのころは、自分が学生運動に参加しないことの根拠に吉本さんを引用する連中がいたものでして、そのこともあって、吉本さん自身に対しては反撥を覚えたこともあありました(もちろん、これは吉本さんが悪いわけではありません。そういう連中が悪いのです)。でもとにかく出版される本はすべて読んで
きました。
そうした中で、ちょうど28歳のころから、吉本さんの言うことが不思儀なほど私の心の中に染み入るような感じになってきました。そして、35歳をすぎた頃から著作を読むだけではなく、講演会も知ることができるかぎりすべて参加するようにしてきました。そして、もうそのときから、私の中にはいつも吉本さんが存在するようになりました。そんな私にとっての吉本さんの世界をここに披露していきたいと考えます。
この吉本さんに関して私が書いてきたものが「吉本隆明鈔集」なのですが、これこそが私がこの「将門Web」を立ち上げることになる最初のきっかけでした。「吉本隆明鈔集」を印字したものを、光芒社の矢掛社長を通じて吉本さんが読んでくれたことにより、「では、もう正式に公開していこう」と考えた
のですが、矢掛さんとの話の中で「では私が自分のホームページを作って公開していきます」となったものなのです。
これからも、このページは充実させていきます。私がこの今という時間、この日本に生まれたことは、偶然のことなのだと思います。だが、私はこの吉本さんという存在を知りえたこと、そして、同じ時間同じ空間にこうして私が生きられていることだけは、私の生きることも意味があるなあ、良かったなと確信していることです。
Wiki 将門
私は大学生のときから、吉本(吉本隆明)さんの本を読み続けてきました。高校生のときにはまったく知らなかった名前でした。ちょうど学生運動をやる中、読んでいきました。接見禁止の留置場の中でも、裁判所の許可をとってくれた彼女のおかげで何冊も吉本さんの本を読んだものでした。
そのころは、自分が学生運動に参加しないことの根拠に吉本さんを引用する連中がいたものでして、そのこともあって、吉本さん自身に対しては反撥を覚えたこともあありました(もちろん、これは吉本さんが悪いわけではありません。そういう連中が悪いのです)。でもとにかく出版される本はすべて読んで
きました。
そうした中で、ちょうど28歳のころから、吉本さんの言うことが不思儀なほど私の心の中に染み入るような感じになってきました。そして、35歳をすぎた頃から著作を読むだけではなく、講演会も知ることができるかぎりすべて参加するようにしてきました。そして、もうそのときから、私の中にはいつも吉本さんが存在するようになりました。そんな私にとっての吉本さんの世界をここに披露していきたいと考えます。
この吉本さんに関して私が書いてきたものが「吉本隆明鈔集」なのですが、これこそが私がこの「将門Web」を立ち上げることになる最初のきっかけでした。「吉本隆明鈔集」を印字したものを、光芒社の矢掛社長を通じて吉本さんが読んでくれたことにより、「では、もう正式に公開していこう」と考えた
のですが、矢掛さんとの話の中で「では私が自分のホームページを作って公開していきます」となったものなのです。
これからも、このページは充実させていきます。私がこの今という時間、この日本に生まれたことは、偶然のことなのだと思います。だが、私はこの吉本さんという存在を知りえたこと、そして、同じ時間同じ空間にこうして私が生きられていることだけは、私の生きることも意味があるなあ、良かったなと確信していることです。
Wiki 将門
2006年12月03日(日) 16:51:20 Modified by shomon