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タグ検索で昭和43年は5件見つかりました。
神
ある種の日本的な作家や思想家は、よく西欧人には一神教的な伝統があるが、日本には多神教的なあるいは汎神教的な伝統しかないなどと安っぽいことを流布しているが、もちろん、でたらめをいいふらしているだけである。一神教的か多神教的か汎神教的かということは、フロイトやヤスパースなどがよくつかう概念でいえば文化圏のある段階と位相を象徴するものであっても、それ自体はべつに宗教的風土の特質をあらわすものではない。神がフォイエルバッハのいうように至上物におしあげられた自己意識の別名であっても、マルクスのいうように物質の倒像
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bf%c0... - 2006年12月08日更新
女性
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あらゆる排除をほどこしたあとで性的対象を自己幻想にえらぶか、共同幻想にえらぶものをさして女性の本質とよぶ、
(「共同幻想論−巫女論」1968.12.5河出書房新社)
:| 家庭の主婦が社会化することは善だから、家事ならびに子育てなどは、夫婦の分担でやるかどこかへまかしてしまえという考えにより、今後家族崩壊していくものなのか、どうなのかを今後また考えていきたく思います。
[[隆明鈔--吉本隆明鈔集]]
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共同幻想の死滅
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共同幻想が原始宗教的な仮象であらわれようと、現在のように制度的あるいはイデオロギー的な仮象をもってあらわれようと、共同幻想の彼岸に描かれる共同幻想がすべて消滅しなければならぬという課題は、共同幻想が消滅しなければならぬという課題とともに、現在でも依然として、人間の存在にとってラジカルな本質的課題である。
(「共同幻想論−他界論」1968.12.5河出書房新社)
:| この言葉を読んで、吉本さんをアナーキストと思い込んでいた人がいた。個体の幻想と逆立する共同幻想を死滅させねばならない。そして、共同幻想が死
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共同幻想という概念がなりたつのは
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とうぜんおこりうる誤解をとりのぞくために一言すると、共同幻想という概念がなりたつのは人間の観念がつくりだした世界をただ本質として対象とするばあいにおいてのみである。この世界に観念だけで幽霊のように独立して存在しているものなどなにもないなどと言わないでほしい。またすべての人間の観念は物質の関係の別名にほかならないなどと言ってもらってはこまるのである。その種の反撥はすでにわたし自身によって充分に反撥されたのちにこの試みはなされている。だからこの試みは本質論としてなりたつのである。そして物質論者や観念論者が本
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共同幻想
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おおざっぱにいえば個体としての人間の心的な世界と心的な世界がつくりだした以外のすべての観念世界を意味している。いいかえれば人間が個体としてではなく、なんらかの共同性としてこの世界と関係する観念の在り方のことを指している。(「共同幻想論−序」1968.12.5河出書房新社)
:| 国家は共同の幻想である。宗教、法もまた共同の幻想である。人間はじぶんが圧殺されることをしりながら、さまざまな負担をつくってきた。その種のひとつが共同幻想である。共同幻想は個体の幻想とは逆立する。国家を暴力と思い込んでいた私たちに
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