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タグ検索で昭和45年は15件見つかりました。
指向変容
関係の構造を把握することの中で、あらゆる時間性というもの、あらゆる歴史的段階というものは、あらゆる地域的空間に、そしてあらゆる地域的空間というものはあらゆる歴史的段階に、あるいは、あらゆる世界的な共時性というものは、あらゆる世界的な特殊性というものに、相互転換することができるということです。
(「南島論」1970.9.3筑摩総合大学講座於紀伊国屋ホール 1970.12「展望」に掲載「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された)
:| この時間と空間という概念が私には一番分かりにくかった。ちょうど
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南島
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天皇制統一国家に対して、それよりも古形を保存している風俗、習慣、あるいは威力継承の仕方があるという意味で、南島の問題が重要さを増してくるだけでなく、それ以前の古形、つまり弥生式国家、あるいは天皇制統一国家を根底的に疎外してしまうような問題の根拠を発見できるかどうか、それはまさに今後の追及にかかっているのです。
(「南島論」1970.9.3筑摩総合大学講座於紀伊国屋ホール 1970.12「展望」に掲載「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された)
:| 沖縄・琉球は明治以降あるいは薩摩支配以降の歴
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グラフト国家
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ある一つの氏族国家、あるいは部族国家が、かなりの地域を統合して成立していたと仮定します。やさしいことばでいいますと、そこにまったく横あいからやってきて、そういうふうに成立していた国家を掌握、差替えることが可能だということなんです。グラフトとは接木のことです。木が生えているところを削って、別種の木をゆわえておくと、そこから出てきた木のほうが、本筋みたいになつてしまうことがあるでしょう。その接木が国家にとっては可能だということです。つまり、われわれの国家観念の中には、人民が長い歴史をもってそこに住みつき、い
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国家
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国家とは何か。家族または家族の集団の共同性の次元を、ある共同性がいささかでも離脱したとき、それを国家とよぶ、とわたしは規定します。具体的に考えてみます。おれは本家である、あっちには叔父の家がある、というふうに集落が形成されていたとします。そこでまず共同性、あるいは共同体は成立つでしょうが、その次元にある限り、国家、あるいはそのレベルの共同体は絶対成立しないということです。その共同性の次元をいささかでも離脱して共同性が存在しえたとき、それを国家と呼びたいとおもいます。これは、あらゆる共同体は、家族または家
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美形
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わたしは、ながいあいだ美しくない貌の異性よりも、美しい貌の異性に惹かれるじぶんが、不愉快でならなかった。これはわたしの思想に違反するようにおもわれたからである。わたしの理窟では貌立ちの美形などは問題ではなく、個体としての格が問題でなければならないはずである。
そして、わたしが一時的に得た回答は、異性に対する距離の問題だということである。つまり、貌立ちが美形であるかどうかが問題となるのは、一対の男女の関係が、ある所定の距離の範囲にあるときにかぎられる。そして、この距離がより遠いとき(つまり無関心の圏にあ
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親族
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親族という概念には、性的な親和と同時に性的な禁制がたいへん基本的、本質的なものだということです。つまり性における親和と禁制が二律背反であるか、ある場合には同じであるかは個々別々でありうるとしても、性における親和と禁制とが、共に本質をなしているもの、それらを本質として展開されるもの、それがおそらく親族なんです。
(「南島論」1970.9.3筑摩総合大学講座於紀伊国屋ホール 1970.12「展望」に掲載「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された)
:| 家族の集団から国家レベルの共同体への媒介をな
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家族
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家族は、おそらく人間が歴史にのこす最後のものである。
モダニストは家族を桎梏としておもいえがく。そして自由な男女の性愛が可能であると錯覚する。しかり、家族はたしかに桎梏である。しかし、この桎梏なるものは家族からくるのではなく、つねに家族外から、つまり経済社会構成から、つまり政治的国家からやってくるので、家族そのものの本質からくるのではない。そこで、ただ本質的にのみ語れば、家族は人間が性の現実的場面を喪わないかぎり存在することを続ける。自由な男女の性愛という概念は、自由な差別なき社会あるいは世界という概
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いちばんだめなやつ
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そう考えていきますと、マタイ伝の主人公はいちばんだめなやつなんです。しかし、そのだめなやつは、なぜだめかということの根拠をもっているだめなやつだとおもいます。根拠をもっていないだめなやつというのはたくさんいるとおもいます。そこがわたしの思想の核心であるし、わたしがキリスト者と対立する最大のポイントです。(「宗教と自立」1970.7.25止揚の会・西荻南教会主宰 於真生会館 「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された)
:| このマタイ伝の主人公とは、もちろんキリストであるわけです。ただ、このだ
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三番目の敗北
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三番目のぼくの敗北というのは、まあ日々これ敗北みたいなものですけれども、まあそういわないとすれば、六十年のときだったと思います。このときは、もうすでに職場から追われていましたし、そのときの敗北は、分析してみとおすことができていたと思います。ぼくがその時考えたことは、こういう敗北の仕方のあとのゆりもどしといいますか、反動といいますか、それはきついにちがいないと考えました。そして、まず第一に、おれはもの書きとして、おそらくそういう世界からシャットアウトされるにちがいないとおもいました。そうだとしたならば、書
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二番目の敗北
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二番目の敗北の体験は、学校をでまして、会社づとめをしまして、小さな労働運動みたいなのをやってまして、そこでの敗北があります。ぼくは、その時の主犯でしたが、いったん退潮しますと、労働運動のことだということじゃなくて、純然たる職場上の問題で話しかけるというようなことも、そっぽをむいてしまうわけです。それはまことに異常な感じです。主犯と話をすると自分の共犯と思われはしまいか、というようなことだと思いますけれども、あるいはもっとちがって、あの野郎にくたらしくてしょうがないということであったかもしれません。通常の
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一つめの敗北
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一つは太平洋戦争の敗戦ということですけれども、そこでの敗北ということですけれども、そこでの敗北をとってみても、その時の考え方では、天皇制自体が戦争をやめよということで、勢力を温存しようとしても、支配者がそれを温存しようとしても、大衆は徹底的に戦うだろうと考えておりました。また自らもそういうふうに戦うだろうと考えていました。また自らもそういうふうに戦うだろうと考えていた兵士たちは、食料不足の焼け野原ですから、その中でまっさきに軍隊がヤミ貯蔵していた食料を、もう背中いっぱい背負えるだけ背負ってなんらの反応も
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敗北の構造
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奇妙といえば奇妙なことですが、本来的に自らが所有していたものではない観念的な諸形態というものを、自らのものであるかの如く錯覚するという構造が、いわば古代における大衆の総敗北の根底にある問題だということができます。この敗北の仕方は、充分に検討するに価するので、国家といえば天皇制統一国家、という一種の錯誤、あるいは文化といえば天皇制成立以降の文化というふうな錯誤が存在するのですけれども、その錯誤の根本になっているのは、統一国家をつくった勢力の巧妙な政策でもありましょうけれども、ある意味では大衆が、自らの奴隷
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キリスト教
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キリスト教は、ユダヤ教にくらべてより普遍性をもっています。なぜ普遍性があるかというと、キリスト教が教理自体を──地域的特殊性ありは空間的特殊性というものから──切り離したからです。つまり内面というもの、人間の精神性、観念性というものの内部に、一つの王国、一つの帝国を築いたということ、そのことが、キリスト教自体を、世界宗教たらしめた要素であるからです。一般的に、ある観念的な志向が、世界宗教あるいは世界観念であるべき第一条件は、必ずそれが発生した基盤である地域的特殊性から、理論あるいは教義自体を切り離して普
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宗教
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ちょっとかんがえると、宗教は阿片であるとか迷妄であるとか簡単に片づけられそうにみえますけれど、しかし、なぜ人間が宗教的あるいは観念的には、馬鹿馬鹿しいくらいの迷妄になりうるかということの根柢は、そうたやすいものではありません。なぜたやすいものでないかといえば、そのほんとうの基盤は、最初に申しあげましたように、社会そのものの現実的な要素の中にあって、迷妄はその一つの象徴たるにすぎない面があるからです。それからもう一つは、観念の問題としての伝承、つまりこれは、言葉を通して、言葉として残されたものを通してとい
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地獄を地獄で洗え
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つまり、地獄は地獄で洗ったほうがいいのです。洗うというのは、どういうことかを申しあげます。日本の国家というのは、近代国家として、せいぜい百年、それから天皇制国家としてせいぜい千数百年です。それならば、天皇制国家以前に、国家以前の国家がなかったかとかんがえたら、歴史をまちがうことになるでしょう。天皇制統一国家以前は、まったく原始時代とか、未開時代とか、野蛮時代だったとかかんがえたら大まちがいであって、その以前に、国家以前の国家というのは充分にありえました。それから人はいつからこの列島に住んでいたんだといえ
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