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60年安保闘争
安保闘争は、戦争を体験しない戦後世代にとって内戦体験に相当しているかもしれない。そして、その挫折感は、わたしたちの敗戦体験に、それより規模は小さいけれど匹敵するものがあるとおもう。そこで発揮されたエネルギー量は大なり小なり、わたしたち日本人の自立能力が、ただ権力の言うがままに諾々として武装を解除して故郷へ復員した日本人が戦後十五年でどれだけ変ったか、どれだけ成長したのかの目安を示している。わたしたちの能力は、あれだけのものであった!
そのことを噛みしめる必要があると思う。あれだけのものであった、という
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a3%b6%a3%b0%c7%a... - 2006年12月06日更新
戦後の始まり
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わたしは、敗戦のとき、動員先からかえってくる列車のなかで、毛布や食糧を山のように背負いこんで復員してくる兵士たちと一緒になったときの気持を、いまでも忘れない。いったい、この兵士たちは何だろう? どういう心事でいるのだろう?
この兵士たちは、天皇の命令一下、米軍にたいする抵抗もやめて武装を解除し、また、みずからの支配者にたいして銃をむけることもせず、嬉々として(?)食糧や衣料を山分けして故郷にかえってゆくのは何故だろう? そういうわたしにしても、動員先から虚脱して東京へかえってゆくのは何故だろう? 日本
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自立
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「前衛」的コミュニケーションの方法は、現代の「進歩」的末端にいたるまで採られている方法の範型である。これは、魚屋のおかみさんをオルグして母親大会につれてゆこうとする平和と民主主義者から、市民会議の地域的な結成をとく市民主義者まですこしもかわりない。
もしも労働者に「前衛」をこえる方法があるとすれば、このような「前衛」的なコミュニケーションを拒否して生活実体の方向に自立する方向を、労働者が論理化したときのほかはありえない。また、もしも魚屋のおかみさんが、母親大会のインテリ××女史をこえる方法があるとすれ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bc%ab%ce%a9... - 2006年12月05日更新
詩
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詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとうとのことを、かくという行為で口に出すことである。こう答えれば、すくなくともわたしの詩の体験にとっては充分である。
(「詩とはなにか」1961.7「詩学」に掲載 「模写と鏡」1964.12春秋社に収録された)
:|「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって、ぼくは廃人であるそうだ」(「廃人の歌」)。この詩のこの語句は、私にかなりな力で迫ってきたものである。
[[隆明鈔--吉本隆明鈔集]]
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詩作の過程に根拠をあたえる
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るほどしかなかった。
(「詩とはなにか」1961年「詩学」6月号に発表され、「模写と鏡」1964.12.5春秋社に収録された)
:| 最初私は「詩の体験はいつもさめたあとの夢ににている」という言葉にひきつけられました。私はよく夢を見ることがあるからです。でもだんだんと読んできますと、吉本さんがいう「根拠をあたえる」ものとは、「言語にとって美とはなにか」をはじめとする吉本さんの仕事なのだと思い当たりました。でもそうなるとそれ以前の詩は、「無自覚な詩作」なのでしょうか。私にはそう思えなかったものですから、「え
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昼寝をします
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安保闘争を勝利と考えたものたちは、政暴法闘争でも「勝利」するだろうし、つぎに何々闘争でも勝利するだろう。そしてその果てには徹底他力、組織物神、自己覚醒の放棄、官僚的屑の幻しかあらわれるはずがないのだ。敗北を知りながらたたかわねばならないときは必ずあるものなのだ。そのことはたんなる決断のもんだい以外の何も意味しはしない。しかし、一度、敗北した方法で、二度敗北することはだれにも許されないのである。「出掛けませんか」、「よしましょう、昼寝をしますよ」
(「頽廃への誘い」1961.6.25「われわれの現在」に掲
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精神の闇屋
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現在の社会には有難い平和と民主主義が支配し(そうにちがいない)、これを守り行ない、破壊しようとする勢力に反対し……ということは認めても認めなくてもどちらでもいいが、精神の闇屋たる資格はじつにこういう有難い社会に存在する革命派とか進歩派とか保守派とか右翼とかいうものが、いずれも一皮むけばまやかしではないかと疑うこころをもつことである。いいかえれば、革命派や革命党になるまえに、かならず革命的であることである。
(「現代学生論−精神の闇屋の特権を」1961.4.17「週刊読書人」に掲載「擬制の終焉」1962.
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無精ヒゲを剃れ
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わたしが、学生生活の最後の年をおくったのは、敗戦直後であった。そのとき「春の枯葉」という戯曲を上演することになり、許可をもらうために太宰治をたずねたことがある。自殺の一年ばかり前だったとおもうが、そのとき、こんな問答をやったのをおぼえている。
「学校はおもしろいかね。」
「ちっともおもしろくありません。」
「そうだろう、文学だってちっともおもしろくねえからな。だいいち、誰も苦しんじゃいねえじゃねえか。そんなことは作品を、二、三行よめばわかるんだ。おれが君達だったら闇屋をやるな。ほかに打ちこんでやる
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失業
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失業をしていたとき、街を職さがしに歩きながら、何か用事あり気に路をゆく勤め人や商人が、別世界の人間のように羨やましくてならなかったことがある。わたしとそれらの人々は、たかが明日はどうなるか判らない職をもっているか、いないかのちがいにすぎないのに、まるで別世界の人間のようにこっちだけが窪んでみえるのはどうしたことか、おれの思想は、この程度のことに耐えないものなのか、こういった自問自答をなんべんもこころに繰返して歩いていた。
(「石川啄木」1961.4.10「読書新聞」に掲載 「自立の思想的拠点」1966.
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