1952年(7)
1960年(9)
1961年(9)
1962年(7)
1965年(11)
1966年(7)
1970年(15)
1971年(17)
1974年(8)
1978年(11)
1979年(10)
1982年(8)
1983年(7)
1992年(13)
1993年(38)
1994年(15)
1995年(13)
1997年(9)
2001年(22)
2002年(14)
2003年(13)
2004年(28)
2005年(16)
2006年(27)
漢詩(11)
吉本隆明(525)
吉本隆明全著作(単行本)(47)
三曹の詩(10)
昭和35年(9)
昭和36年(9)
昭和40年(11)
昭和45年(15)
昭和46年(17)
昭和49年(8)
昭和53年(11)
昭和54年(10)
昭和57年(8)
平成13年(22)
平成14年(14)
平成15年(13)
平成16年(28)
平成17年(16)
平成18年(27)
平成4年(13)
平成5年(38)
平成6年(15)
平成7年(13)
平成9年(9)
隆明抄(120)
隆明鈔(364)
タグ検索で1969年は6件見つかりました。
天皇の宗教的支配の歴史を相対化すべきカギ
わが列島の歴史時代は数千年をさかのぼることができるのに、天皇(制)の歴史は千数百年をさかのぼることはできない。この数千年の空白の時代を掘りおこすことのなかに天皇(制)の宗教的支配の歴史を相対化すべきカギはかくされているといっていい。
この空白の時代を掘りおこすために、さしあたって必要な前提は三つかんがえられる。ひとつは、現在も宮廷の内部でおこなわれている祭儀が徹底的に公開されることである。もうひとつは、天皇陵と称せられているものの徹底的な発掘と調査を実施することである。さらにもうひとつは、わが南島(琉
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c5%b7%b9%c4%a4%c... - 2006年12月08日更新
天皇からのあざむかれかたの根拠
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c5%b7%b9%c4%a4%c... - 2006年12月08日更新
わたしはかつて戦争期に、天皇(制)から、神話から、伝統の美学なるものからあざむかれ、敗戦によって一挙にほうりだされた体験をもった。しかし、このあざむかれかたには一定の根拠がなかったわけではない。
その根拠のひとつは、天皇(制)が共同祭儀の司祭としての権威をつうじて、間接的に政治的国家を統御することを本質的な方法とし、けっして直接的に政治的国家の統御にのりださなかったことの意味を巧くとらえることができなかったことである。
またべつの根拠は、天皇(制)の成立以前の政治的な統治形態が、歴史的に実在した時期
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c5%b7%b9%c4%a4%a... - 2006年12月08日更新
公暁はねずみ男
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c5%b7%b9%c4%a4%a... - 2006年12月08日更新
太宰治『右大臣実朝』における実朝と公暁は、水木しげるの漫画でいえば、「ゲゲゲの鬼太郎」の「ねずみ男」のような感じなんです。「ゲゲゲの鬼太郎」という作品のおもしろさの半分は、「ねずみ男」の存在に依存しています。実朝は「ゲゲゲの鬼太郎」で、公暁は「ねずみ男」というふうになります。ぼくはいまでもあざやかに思いうかべるんですが、公暁が由比ケ浜の海辺で、朽ち果てた船に寄ってくるカニをつかまえて、それをピシャッと叩きつけて、ムシャムシャたべる印象的な描写があります。公暁はどうも「ねずみ男」的に描かれているとおもいま
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b8%f8%b6%c7%a4%c... - 2006年12月08日更新
短歌の意味
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b8%f8%b6%c7%a4%c... - 2006年12月08日更新
短歌の意味性は、茂吉ならば声調ということばをつかうのですけれども、日本語の場合には音数律の構成自体が感性的あるいは感覚的な指示性に、言語の意味の根源がふくまれています。音数律の構成自体が感覚的にもっている指示性が、言語の意味の指示性に必ず一種の影響を及ぼしますから、影響を与えるということも包括したところで短歌における一種の意味性ははじめて成立するのだと申すことができましょう。
(1969.6.5筑摩総合大学公開講座於紀伊国屋ホール「展望」1969.9月号掲載「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%bb%b2%ce%a4%c... - 2006年12月08日更新
思想の根柢
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%bb%b2%ce%a4%c... - 2006年12月08日更新
わが国では思想の根柢が問われるときは、体制的か反体制的かが問題なのではない。思想がその原則を現実の場面で貫徹できるだけの肉体をもっているかがどうかが問題なのだ。
(「情況−収拾の論理」1969.3「文芸」に掲載 「情況」1970.11河出書房新社に収録された)
:| 吉本さんのこの言葉ほど重く思えることはない。私は一体どうだろうかと考える。いつも思うのだが、吉本さんの講演会では実はなにがあるか分からない。妨害がありえるのだ。一度そんな馬鹿がいたが、吉本さんは全然びくともしないんですね。あれはやっぱり喧嘩
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bb%d7%c1%db%a4%c... - 2006年12月08日更新
大学
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bb%d7%c1%db%a4%c... - 2006年12月08日更新
わたしたちが学生のころ、大学についての発言のなかでいちばんピンときた言葉は大学なんてカンニングしてもインチキしてもいいから出てしまえという太宰治の言葉でした。なぜピンときたかと申しますと、個人の生涯に限定してみてもすぐわかりますが、わたしたちは生涯のうち何にぶつかるのか本当はよく解らないので、きわめて思いがけない事件にぶつかるということはままあるわけですし、また生活がいやでいやでしようがないと思いながらも、なんとなくそこを通過してしまう時期は必ずあるわけです。そういう場合に学生時代に、いやでもなんでも、
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c2%e7%b3%d8... - 2006年12月08日更新
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c2%e7%b3%d8... - 2006年12月08日更新