山王川事件・再考

共同不法行為についての先例として必ず引かれる判例の一つに、山王川事件(最判昭和43年4月23日民集22巻4号964頁)がある。本判例については、「各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が」全損害の賠償責任を負うというフレーズだけが有名になってしまい、“これでは民法719条1項の意味がない”とする批判が本判例に対する“通説”的理解となってしまっている。
ここでは、この理解が、全くのミスリーディングであることを明らかにしておく。
共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が右違法な加害行為と相当因果関係にある損害についてその賠償の責に任ずべきであ(る。)
本判例の通説的理解は、「各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備える」という部分を、各共同行為者それぞれについて、故意・過失、責任能力、行為の違法性、損害の発生、行為と損害の因果関係――以上の不法行為の成立要件が全て満たされることを要求するもの、と読んだのである。
確かに、共同行為者のそれぞれについて民法709条の要件が満たされるのであれば、各行為者が当然に同条の損害賠償責任を負うのであり、そうすると、同719条1項の規定は意味をなさなくなってしまう。通説的な批判は、そのようなものであった。

しかし、本判決文は、そのように読むことはできない。結論からいえば、共同不法行為の成立要件としての因果関係は、共同行為と損害との因果関係が必要であり、個別的因果関係は必要ではないとする、いわゆる通説と全く同じ見解を表すものに過ぎないと読むべきである。

まず、本判決が要求する因果関係は、「右違法な加害行為と相当因果関係にある損害」として述べられるが、ここにいう「右違法加害行為」とは、「共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損えた場合」の当該行為を表すものと読むほかないのであり、つまりは、共同行為と損害との因果関係のことを言っている(「右違法な加害行為」が「各自の行為」を指すものと解するのは、文法的に無理があるのではないか)。

その上で、問題とされる「各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備える」の部分については、「行為」が備えるべき「不法行為の要件」であるから、故意・過失、責任能力、行為の違法性までの各要件に限られると解すべきであろう。不法行為の成立要件は、刑法の構成要件と同様、々坩戞↓結果、0果関係の3つに分けて考えることができるわけであるが、このうちの,亡悗垢詬弖錣僚実のみが求められると読むのが、本判決文の文理的な理解であると考える。すなわち、ここでも、各自の行為と損害との個別的因果関係が要求されるものではない。

ちなみに、「共同不法行為が成立するためには、加害者各自の行為と被害者の受けた損害との間に因果関係がなければならない」とする先例として、大判大正8年11月22日民録25輯2068頁があるが、この判決も、共同不法行為において個別的因果関係を要求するものではないことを確認しておかなければならない。
本件は、初めにAの請負人としてのBが、後にYの請負人としてのBが、いずれも同様の方法(工事)によってX所有の家屋を毀損したのに対し、被害者XがYに対して損害賠償請求した事例である。原審は、民法719条1項の共同行為としては客観的な関連共同性があれば足りるとして、全損害についての賠償請求を認容した。これに対して大審院は、第1行為は大正5年春、第2行為は同年秋に行われており、特別の事情のない限り両者に関係はないはずであるとして、両者の関係について論ずることなく全額の賠償を認容した原判決を破棄し、原審に差し戻したものである。
これについて、『我妻・有泉コンメンタール民法』は次のように述べる――「共同不法行為者の一人と擬せられた者の行為がまったく損害とは関係がない場合に、その者を共同不法行為者から除外するためにいわれていることにすぎない」。

となると、山王川事件も上記大審院判決も、いわゆる「弱い関連共同性」の場合に減免責を認めるものとする通説と、矛盾抵触しないと理解することができるのではないだろうか。
2007年04月22日(日) 02:04:30 Modified by streitgegenstand




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