基礎知識(教科書)
547 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん [↓] :2010/10/24(日) 18:14:15
断片を切り取ったマクロの批判に対してルーカス批判があり動学的という概念が導入されたのになぜかマクロ経済を批判するリバタリアンであるノビーがミクロ的基礎付けの議論を踏まえず静学で批判していると言うのがなんともやりきれない気持ちになるw
このページで現代マクロ経済学の変遷を扱った本をタダで読めるのでお勧め。
この本を復活してほしいんだけどな。否定派にも肯定派のも一読の価値がある。
http://www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/modernmacro0.h...
617 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん [↓] :2010/10/24(日) 22:24:08
(547に関連して)
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=41651
ちなみにこんなのもあったりする。あと気づいただろうけどこの著者自身は穏健ではあるが無政府資本主義者なのでバイアスもあるよ。
『クルーグマンマクロ経済学』要約集 (事務屋稼業さんの力作、教科書的なもの) http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20091206
矢野先生の経済論争をする時に前提条件をそろえることの重要性について(金融組織と金融市場(2010年度))
http://dl.dropbox.com/u/2260564/kinyu2010/kinyu_07...
■間違った経済論議を見抜く方法 by 浜田宏一
1、
論理の筋道に飛躍がある。
「国債残高800兆円。これを買い支えるのは無理だ。
外国人投資家が国債を売り浴びせると、日本の投資家もそれに追随し、
ハイパーインフレが発生する」
といった「風が吹けば桶屋が儲かる」のような論理の飛躍には要注意。
2、
言っていることが矛盾している。
「日本銀行がいくらおカネを刷ってもインフレにならない」という主張は、
「日本銀行が金融緩和をしすぎるとハイパーインフレが起きる」という主張と完全に矛盾する。
これらの主張を同時に主張する論者は、自家撞着に陥っているが、論者にはそういう自覚がない。
矛盾した主張を無自覚に繰り返す論者には要注意。
3、
政策の政治的・実務的困難を強調する。
まずファーストベストの政策を考えて、その後に、その政策が実現可能かどうかを考える、という手段をとるべき。
ハナから「政治的困難」、「実務的困難」を持ち出す論者には要注意。
4、
政策の現状維持バイアス。
当局が現在行っている政策に対して無批判に「百点万点」などと言う論者には要注意。
もちろん「ためにする」政策批判は慎重に避けるべきだが、
「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を
「理念」としている政府機関(=日本銀行)が、「国民経済の健全な発展」に失敗している以上、「百点万点」はありえない。
安易な「お上性善説」には気をつけよう。
5、
ビッグワードで語ろうとする。
「歴史の必然」、「歴史的転換点」、「現代は〇〇の時代」といった
「スケールの大きなコトバ」を持ち出す論者には要注意。
「『歴史の必然』、『歴史的転換点』という根拠は?」と問い質していくと、
それらのコトバが、「空疎」であることが明らかになる。
同様に「グローバル化の影響」、「資本主義の終焉」というコトバを持ち出す論者にも、要注意。
6、
可能性の低いリスクを針小棒大に強調する。
「金融緩和をしすぎるとハイパーインフレが起きる。
だから金融緩和はすべきではない」という議論が典型的。
7、違う物差しを持ち出す。
「経済停滞からの脱出には何をすべきか」を議論しているときに、
「経済的な豊かさだけが本当の豊かさなのか」と言い出す。
■これが経済学のカンドコロだ by 浜田宏一
1、
身の回り(ミクロ)では正しいことでも、国全体(マクロ)で考えるとおかしくなることがある。
ミクロとマクロを区別しよう。
コンビニのパンの値段がどう決まるのか、夏のボーナスはいくらかといった話はミクロの議論。
これに対して、モノ全体の価格がどう決まるのか、国民全体の給料がどう決まるのかはマクロの議論。
それぞれについて、経済学では、ミクロ経済学、マクロ経済学という区別をする。
自分の給料を上げるのに役立つのはミクロの議論、国民の給料を上げるのに役立つのはマクロの議論とも言える。
だから「国のバランスシート(マクロ)を家計(ミクロ)にたとえると……」
といった話には気をつけよう。
2、
名目と実質を区別しよう。
私たちの暮らす経済はおカネ(貨幣)を用いる。
日本では円というおカネを使っている。
おカネの価値が上がることをデフレ、下がることをインフレと言う。
おカネの価値が変化すると、モノの値打ちも「実質」的に変化する。
1個200円のグレープフルーツの値段が200円のまま値段が変わらなくても、
デフレでおカネの価値が上がっているときには「実質」的に値上げしているに等しい。
反対にインフレでおカネの価値が下がっているときは、値段が200円に据え置かれることは
「実質」的な値下げを意味している。
貨幣表示の値打ちを名目値、貨幣価値の変化を考慮した値打ちを実質値と言う。
「デフレでモノの値段が下がる」というのは「名目」に着目した議論。
デフレによって人々が消費する財やサービスで測った生活水準がどうなるかに着目するのが、
「実質」の議論にあたる。
3、
フローとストックを区別しよう。
フローというのは、一定期間内に「流れる」経済活動の量。
ストックというのは一定時点で「たまっている」経済量。
たとえば、昨年1年間で新しく貯蓄した金額はフロー、
これまでの合計貯蓄金額(残高)はストックとなる。
毎年編成される国の予算はフロー、特別会計に山積みになっている埋蔵金はストックとなる。
4、
部分均衡と一般均衡を区別しよう。
現実は複雑なので、議論するときにすべてをいっぺんに考えることはできない。
問題としていることを1つずつ取り上げ、「ほかの事情は一定とする」という仮定を設けてみる。
限定された一部のことだけを取り出して考えてみるというのが、部分均衡的な発想法。
それに対して、取り上げる事象が全体とどう関連しているのかを考えるのが
一般均衡的な発想法。
たとえば、「デフレでモノの値段が下がるから、デフレはありがたい」というのは、
「部分均衡」的な考え方と言える。
他方、デフレによって経済全体にどのような影響があるかを考えるのが
一般均衡的な考え方と言える。
また、モノに対する需要と供給だけを考えるのではなくて、
おカネに対する需要と供給もあわせて考えるのが一般均衡的な考え方である。
5、
固定相場制と変動相場制を区別しよう。
昔の金本位制やブレトン・ウッズ体制のように、自国通貨と外国通貨の交換比率を
一定に定めるのは固定相場制。
戦後の日本も、ブレトン・ウッズ体制が最終的に崩壊する1973年までは固定相場制だった。
いまの日本は、原則として変動相場制である。
現在の中国のように米ドルに人民元を固定比率にしておく(ペッグする)ならば、
中国は米ドルに対しては固定相場制をとっていると言える。
こうした違いは、普段は意識されないが、経済には大きな影響をもたらす。
たとえば、国際間の資本の移動が自由で、なおかつ固定相場制の場合には、
国内の金融政策で物価水準を動かすことはできない。
大不況・昭和恐慌があれほどひどくなった原因は、この固定相場制によって
金融政策の自由を失ったことにある。
現在の日本のように変動相場制を採用している場合は、国内の金融政策で物価水準を動かすことができる。
6、
民間銀行と中央銀行を区別しよう。
民間銀行にとっておカネ(貨幣)は「資産」になる。
それに対して中央銀行にとっておカネは「負債」になる。
それはなぜかと言うと、中央銀行には民間銀行にない「通貨発行権」があるから。
中央銀行は発行したおカネをため込んでも仕方ない。
基本的におカネは外に出ていくので、帳簿上は「負債」側に記載される。
「長期国債買い切り額を大幅に増やすのは不可能、日本銀行はそれほど巨額の資産を持っていない」
と主張した人もいる。
これは間違いであり、日本銀行が国債買い切りオペを大幅に増やしても、
日本銀行のバランスシート上では、資産の国債が増えて負債のおカネ(貨幣)が増える、
というだけのことである。