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仙台納豆で知られる高橋食品工業(廃業)の創業者にして、近代納豆製法を全国に普及させた功労者。
全国納豆協同組合連合会(以下全納連)の第二代会長を務める。

左画像は高橋三雄次氏。右画像は創業期の高橋商店。○に亀の仙台納豆の看板と台湾青果の看板がかかる。

経歴
1889(明治32年)11月13日 山形県新庄市にて生まれる
1906年頃 長兄と共に納豆製造を始めるが失敗が続き、岩出山から指導をあおぐ
1917年頃 盛岡の村松博士の元に通う
1926年頃 バナナの色付け(追熟)事業を始める。
1927年  箱納豆の製造に成功。「昭和納豆」と名付け販売を始める
1929年  仙台市河原町にて独立。「谷風納豆」と名付け販売。後に「仙台納豆」に改名。
1960年  全納連会長に就任
1969年  藍綬褒章受章
1974年  勲五等双光旭日章受章

製法伝授について
商用で立ち寄った仙台で箱入りの「宮城野納豆」を見つけるが、三浦氏からは製法を教えてもらえず気落ちしていたところ、同宿者から福島県保原の業者が箱納豆を作っている事を聞かされ、保原町の納豆屋から箱納豆の製造法を教わる。
伝授料は500円。今のお金なら500万円くらいと高橋氏は云う。
※福島県保原町の納豆屋とは、伊達市保原町上保原の赤井食品ではないかと推測される。(未確認事項)

成瀬金太郎と高橋三雄次
「成瀬発酵創業当時、特にご支援ご協力賜った元全納連会長高橋三雄次氏は全国納豆製造業者一同に率先して成瀬菌(村松菌)を御愛用賜ると同時に同業者に広くご推薦頂いた事に深い感銘と感謝に堪えない。」
成瀬金太郎小伝より


川口納豆と高橋三雄次
「当社の社長は、仙台の高橋食品工業の創業者の弟子でした。昭和24年に創業し今日に至っております。全国の高橋さんの弟子が減ってきて残念です。」
納豆文化村>職人列伝> 門傳英慈より。

「私の家で奉公した人や納豆造りの弟子たち。(中略)彼らは今、山形や横浜、石巻、一関市、宮城県の一迫町などで独立し、頑張っています」
高橋三雄次自伝より

太子食品工業と高橋三雄次
「父の知り合いだった仙台の高橋食品から「モヤシも面白いぞ」と助言を受けました。(中略)私は、社長の高橋三雄次さんのところに指導を受けに行ってきました。設備の造り方から製造方法、原料の買い方まで、泊まりがけで教えてもらいました。でも、高橋さんは“授業料”を一銭も取らなかった。私は弟子だということで…。ありがたいことでした。」
納豆学会に掲載のスクラップ「太子食品工業相談役 工藤一男さん」より転載


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