納豆wiki - 成瀬金太郎
三大納豆菌メーカーの一つである成瀬発酵化学研究所を起こした成瀬金太郎について
(この項目は書きかけです)

村松博士の薫陶を受け、盛岡高等農林学校にて講師、助教授を努める。
最新納豆製造法」を村松博士と共に著した他、戦後、成瀬発酵化学研究所を創業し納豆菌の製造に努めるなど、納豆業界へ大きな貢献を果たす。
宮沢賢治と同級生であったことでも知られる。

※写真は盛岡高等農林学校農産製造室と成瀬助教授(1936年頃)
農産製造室では、高農味噌、高農納豆、高農清酒「ますらを」、カルミンなどの製造実習を行った。

■経歴
1896年(明治29年) 香川県に生まれる
1910年(明治43年) 高松中学に入学
1915年(大正 4年) 盛岡高等農林学校入学
1918年(大正 7年) 盛岡高等農林学校 農学科第二部卒業
同年   南洋拓殖に就職。カロリン諸島ピンゲラップ島、ポナペ島に赴任
1921年(大正10年) 盛岡高等農林学校に農産製造実験の講師として迎えられる
1922年(大正11年) 助教授に昇任
    土壌学、肥料学、農産製造学、酒造論などを教える(大正14年)
    農産製造学、細菌学、工場管理学を教える(昭和13年)
1943年(昭和18年) 叙正七位。退官。全国味噌工業組合連合会に転任。
1945年(昭和20年) 同連合会、退任。
1946年(昭和21年) 盛岡市加賀野春木場にて成瀬発酵化学研究所創業。
1951年(昭和26年) 東京都練馬に研究所を移転。
1971年(昭和41年) 四男成瀬済氏が同研究所事業を継承
1981年(昭和51年) 郷里にて酪農業を営む
1994年(平成 6年) 逝去

■著書
農産製造教科書:光原社
味噌醸造法:昭和11年 明文堂
最新納豆製造法:昭和12年 明文堂
味噌醤油醸造法:昭和23年 富民社
最新納豆製造法 改版:昭和25年 明文堂
成瀬金太郎小伝:昭和57年。成瀬金太郎・小伝発行会

■成瀬金太郎と宮沢賢治
以下は、成瀬氏がポナペ島に赴任した際に贈られた歌とされる。
 はてしらぬ蒼うなばらのきらめきをきみかなしまず行きたまふらん
 あヽ海とそらとの碧のたヾなかに燃え給ふべし赤き経巻
 このみのりひろめん為にきみは今日とほき小島にわたりゆくなり
 あヽひととわれらとともにまことなるひかりを地にもむかへまつらん
 ねがはくは一天四海もろともにこの妙法に帰しまつらなん

■成瀬菌について
「成瀬金太郎小伝」中に『成瀬菌(村松菌)』との記述がある他、「納豆沿革史」巻末の広告文中に『村松博士の流れを汲み伝統を尊び最も品質を重んじる日本一の納豆菌』ともあり、成瀬菌は村松博士の分離した納豆菌を継承したものと推測される。

成瀬醗酵化学研究所
1946年盛岡市にて創業。当初は加賀野春木場の自宅が研究所の住所であった。
1951年東京都練馬に移転。現在も同じ場所で営業を継続している。
東京都練馬区練馬2-18-7
現在は成瀬済氏が代表を努める。
創業期の営業品目は、各種もやし種麹、納豆菌、ビタカルソ、天板油、ホンザント、コロカルソなど。

※左画像は盛岡市加賀野の自宅(昭和12年頃)。右画像は現在の成瀬発酵化学研究所の門柱。

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