納豆wiki - 仙台納豆の謎
仙台納豆の謎についての覚え書き
近代納豆発祥の地といわれる仙台の納豆に関するあれこれ。

魯山人
魯山人味道(記事は昭和7年初出)よりの引用。
『一番美味いのは、仙台、水戸などの小粒の納豆である。神田の有名な大粒の納豆も美味い。』
ヒノデサンの堀江氏によれば,仙台小粒とは日の出納豆のことをさすのだという。
一方の水戸だが、天狗納豆が知られるようになるのは昭和10年代以降のはず。(水戸納豆元祖の天狗納豆のホーム売りは、昭和10年代以降。)では、水戸の納豆とは何のことなのだろう?
神田の大粒の納豆は天野屋三河屋あたりか。
水戸天狗納豆
初代笹沼清左衛門が納豆の商品化を思い立ち、宮城県仙台市で製造技術を学ぶ。さらに同地より技術者阿部寅吉氏を招聘して納豆製造を始める。
参照:水戸天狗納豆について
日の出納豆製造所
仙台の老舗「日の出納豆」は"遅くとも幕末には、仙台市若林区三百人町で堀江某(現在の日の出納豆の本家)が納豆をつくっていた"と伝えられ、明治期には堀江一族の多くが納豆製造を家業としていた。
宮城県名取市に残るヒノデサン株式会社は日の出納豆の直系で、東京都世田谷の「日の出納豆製造所」も堀江家の系譜に連なる。

左図版はヒノデサンの日の出納豆。右図版は世田谷日の出納豆の現行製品(東京工場、仙台工場の記述が見受けられます)。
全国に広がる仙台納豆
せんだいや
山梨県の「納豆工房せんだいや」は、創業者が宮城県仙台市出身。
「有限会社 仙台納豆」として、昭和36年12月に創業。

三浦商店
「仙台納豆」を製造している千葉県館山市のメーカー。
昭和27年創業。創業者は仙台出身。


有限会社 松下商店
神奈川県川崎市のメーカー。「ミニミニ仙台納豆」を製造、販売。
仙台の高橋食品工業から技術指導を受けたと言う。


有限会社 塚本商店
静岡県沼津市のメーカー。今尚「仙台納豆」を製造、販売している。
上記松下商店と同様、仙台の高橋食品工業高橋三雄次氏)に師事しバナナの色つけで起業、のちに納豆製造を始めたという。



有限会社相沢食産
兵庫県神崎郡のメーカー。昭和28年大阪市にて創業。
仙台納豆の名で商品を展開。


文化納豆
新潟県の文化納豆(有限会社 上村食品)の創業者は宮城県で修行。半沢式製法を学ぶ。とのこと。

村田商店
長野県の村田商店。初代村田兵衛の生家は、宮城県で納豆製造業を営んでいたという。

鶴の子納豆本舗高橋食品工業株式会社)
京都市のメーカー。創業者は仙台市「政岡納豆」の出身。
昭和29年創業。


エイコー食品
大阪府門真のメーカー。創業者は仙台出身。かつては「仙台納豆」を製造販売していた。
上記高橋食品工業と同じ「納豆」のロゴを使った商品を持つ。


政岡食品
1988(昭和63)年愛知県名古屋市の老舗味噌メーカー「イチビキ」の100%出資子会社として誕生。
以来,中京地区で納豆製造を続けるが2007(平成19)年営業を休止する。
「竹に雀、政岡、仙台なっとう」の登録商標を所有していた。


萬歳納豆
仙台市青葉区で今も納豆を作っている萬歳食品工業は、もともと丸大仙台納豆を名乗っていたが、主要納品先であった軍部から改称を迫られ万歳納豆となった。
元祖「仙台納豆」
昭和4年仙台で創業した高橋食品工業(廃業)の高橋三雄次氏が「仙臺納豆」の名で商品を売り出したのがその名称の始まり。
高橋氏は名人と言われ、育て上げたお弟子さんたちが全国に広がり近代納豆の普及につながったと言う。
岩手小岩久三郎商店や宮城川口納豆、神奈川松下商店などがそうだといわれている。
近代納豆の父-三浦二郎
北海道帝国大学の半澤博士との出会いにより衛生納豆の普及を志し、文化室の発明など工業的製造法を取り入れ近代納豆を完成させる。
宮城野納豆(後の宮城野納豆菌製造所→三浦納豆菌製造所→宮城野納豆製造所)を創立し衛生納豆を販売。後に、宮城野菌(三浦菌とも)として知られる納豆菌の販売も行う。

参照:三浦二郎
※関連項目
村松舜祐:盛岡高等農林学校で教授を務め、単独の納豆菌で納豆が製造できることを明らかにし近代納豆製造の基礎を築く。今もなお「村松博士製法」を標榜する納豆がありその名を残す。
半澤洵:北海道帝国大学で応用菌学教室を主催。納豆容器改良会を通じ、衛生納豆の普及を図る。「納豆菌」の名の名付け親でもある。


※参考URL
富士食品「糸引納豆造り千年の変革」 http://www.furano.ne.jp/fuji/hanasi.html
ヤマダフーズ「納豆菌のはなし」 http://www.yamadafoods.co.jp/siryou/nattokin.htm
納豆学会>納豆菌 http://www.nattou.com/topics/kin.html

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