納豆wiki - 半澤博士
半澤洵=はんざわじゅん(1879-1972, 北海道士族出身)
東北帝国大学農科大学(後の北海道帝国大学)応用菌学教室の初代教授。
「納豆容器改良会」を設立、雑誌「納豆」の発行などを通じ、近代納豆製法の確立・普及に努める。
著書に「納豆製造法」(1927年、札幌納豆容器改良会)、「雑草学」(1910年、六盟館)などがある。
納豆博士の名と共に、有島武郎の同級生であったことでも知られる。

※左:米寿を迎えた半澤洵氏。中:雑誌「納豆」の表紙。右:応用菌学教室講堂

経歴
1879年 北海道白石村にて誕生(現札幌市白石区)、祖父は宮城白石藩の出身。
1884年 札幌県創成学校初等科に入学。
1897年 札幌農学校予科を卒業、農学科に進学。
     宮部金吾教授のもと植物病理学を専攻する。
1901年 札幌農学校卒業。北海道農事試験場の農芸科主任に任官
1906年 東北帝国大学農科大学助教授 任官
1911年 ドイツをはじめ欧米13ヶ国に留学
 同年12月出国
 1912年1月〜9月ハノーバー工科大学
 1912年11月〜1913年7月 パスツール研究所
 1913年8月から9月 フランス・ ドイツ・イタリア・スイス・ルクセンブルク・ オーストリア
 同年10月 ロシア・フィンランド・ デンマークの大学・研究所を巡る
 1913年10月〜1914年3月 ライプツィヒ農科大学
1914年 6月帰国。東北帝国大学農科大学にて日本初の応用菌学教室に参加
     半澤氏のために応用菌学科が作られたとの記述(自伝)
1915年 農学博士授与
1916年 同教室の教授に。
1918年 北海道農会報に「納豆菌と其使用法」を発表。この頃、納豆菌の販売を開始する。
1919年 納豆容器改良会設立。同年より年一回ペースで雑誌「納豆」を3号まで発行する。

1921年 札幌遠友夜学校の代表に就任。
1924年 半澤氏らの尽力により仙台学寮(高橋是清命名)が開寮。
1927年 欧米6ヶ国に出張。
1938年 北海道帝国大学農学部長に。
1941年 退官。叙位。
同年6月 帝国大学名誉教授を受ける。
1969年 北海道開発功労賞を受ける。
1972年 死去。享年93歳。(この項、高尾彰一氏の記述を採用)

著書
雑草学 全:1910年著。
納豆製造法:1927年発行。1930年増訂2版発行。副題は「並ニ納豆ニ関スル智識」。
札幌納豆容器改良会発行の雑誌「納豆」に掲載された記事を抜粋して編集したもの。「農学博士半澤洵先生」編で、執筆者に澤村博士、三田氏、山本氏、田村氏、井口氏、半澤洵などの名が並ぶ。
昭和11年発行の「納豆製造法 第三版」では副題が「 附録納豆文献集」に変わり、上記内容に加え、矢部氏に始まる日本の納豆研究の文献が集成された大冊となる。

納豆容器改良会
1919年(大正8年)設立。札幌市南一条西三丁目の相澤商会内に事務局がおかれ、雑誌「納豆」を発行などをつうじ、近代納豆の普及に貢献する。

納豆菌について
1918年(大正7年)頃、応用菌学教室から「納豆菌」と命名された液体-納豆生成菌の水溶液が売り出された。また、この販売に合わせ半澤博士は「納豆菌と其使用法」(1918年、北海道農会報)を発表し、純粋培養による納豆生成菌を使用した製造法を世に訴えた。
「納豆菌」という名称は、近代納豆のスタートと共に誕生したことになる。
なお、この「納豆菌」は、同教室の井口重次氏が1915年(大正4年)に札幌区藍氏製造の納豆(後に大学納豆と名乗り、近年まで大学納豆を製造していた)から分離・純粋培養したもの。
*通説では、大正7年半澤博士が納豆菌の純粋培養に成功、あるいは純粋培養の納豆菌による納豆製造に成功などとあるが、いずれも間違いである。

*左は雑誌「納豆」に掲載された日本初の納豆菌の広告。右2点は相澤商会の営業案内。

半澤製法について
納豆製造法」のP35「いわゆる半澤式納豆製造法」にて、自らその内容を説明している。
その一部を引用すると「半澤式なるものは、その製法原理に於いては在来のものと異ならざれども、衛生的に又は経済的に納豆製造せんがために、多少其設備並に操作を異にするに至れるものなり」とあり、
具体的には
1.製造工場:土間をタタキにし、換気装置やあかり取りの設置などにより衛生的な工場にする
2.釜:高圧蒸気釜を使用して、燃料消費と製造時間の短縮を図る
3.容器:折箱その他の衛生容器を使用
4.室壁ならびに床:室壁は金属製で、床は耐水性の素材を使用
5.発熱器:電熱器を使用
といった施策とともに、純粋培養の納豆菌を使用することを推薦している。

■半澤博士製法を名乗る納豆
浅間納豆 長野県佐久市
宮城野納豆 三浦納豆菌製造所(旧称:宮城野納豆菌製造所)
納豆のススメ 半沢菌を使用
羊蹄食品 半澤製法に着目、改良とのこと。

■南部鉄太郎
雑誌「納豆」に寄稿している南部鉄太郎氏は、半澤博士製法の納豆を製造販売していた。
札幌区北五条西十二丁目の北海道工場の他、『東京府下淀橋角筈六六七』に分工場を置いていた。

三浦二郎
石川県金沢市生まれ。盛岡高等農林学校を卒業。広島の種畜牧場に就職後、極東練乳に転職。札幌で半澤博士と出会い納豆製造により日本の栄養状況を改善することを決意する。
回転式烝煮釜、文化室の発明などにより、近代納豆量産技術を確立、宮城野納豆製造を興す。

*参考文献
北海道農会報 vol.18, no.4>納豆菌と其使用法(1918年,半澤洵)
 http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/content...
納豆製造法(1927年, 納豆容器改良会発行)
 第二版目次, 第三版目次
醸造学雑誌 vol.5, no.8>納豆生成菌に関する研究(第一報)(1928年,山本義彦,田村芳裕)
 http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00262004/ISS0...
羽ばたけ北海道(1975年, 北海道庁発行)

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